side 精霊王の精霊めぐり人魚編_後編
こちらはカクヨムサポーター限定公開したものです
こちらは後編。昨日投稿の前編から先にお楽しみください
私が知るミズハは、男まさりできっぷのいい少女だったものですから、その大人しさに接して、ずいぶんとおそろしく思ったものです。
何か重苦しいものを呑み込んでいるような、重圧を伴った静けさが、漁村に降り立った私を出迎えたのです。
漁村の民はおり目正しくならび、その先頭には人の脚を生やしたミズハが、美しい布で折り上げた、純白の衣装に身を包んでたたずんでいました。
私を出迎えた彼女に感じたのは、とげとげしかった岩が、長く波に削られたすえにいたる『丸み』とでも言うのか……
そこにいたるまでに、さまざまなことがきっとあったのだろうとうかがわせる迫力であり、削られて得た丸みだというのに、その質量はまったく減じておらず、むしろ増しているかのような、そういった『経験を重ねた者特有の迫力』なのでした。
彼女は私と違って、立ち向かい続けた。
その事実を一瞬で思い知らされた私は我知らず足を止めてしまっていたようでした。
家臣団に「精霊王?」と呼びかけられてどうにか我を取り戻すことができたものの、ミズハに近づくにつれて圧力とでも呼ぶべきものが強くなっているように思われて、彼女の目の前に立つころにはもう、深い深い水底にいるかのような、そういう息苦しささえ、あったのです。
ミズハはかつてのきっぷのよさが嘘のような、しかしどこか快活さも残した魅力的な微笑みを浮かべ、「ようこそおいでくださいました」だなんて、頭を下げるのです。
この腰を深く折る礼は海の領域特有のものであり、聞きかじりの知識にすぎませんが、たしか、『あなたに首筋をさらすのに、なんのためらいもありません』というような、無条件の信頼と歓迎を示す所作だということでした。
私はそのように信頼や歓迎を示され、礼節をもって出迎えられると、自分の態度や言動におかしな点がないか、相手に無意識の無礼を働いてはいないかと気になってたまらなくなり、呼吸もうまくできなくなるほど、おどおどしてしまう性分でした。
ただでさえミズハから発せられる『水底のような圧力』で胸が潰れるような心地だったものですから、その時の私は、ミズハがあと少しでも長く頭を下げていれば、息が詰まりきって、倒れていたかもしれません。
どうにか私が倒れる前にミズハが顔を上げてくれたので、どうにか、事前に用意されたあいさつを口にすることができたと思うのですが、相変わらず緊張と恐怖によって、自分が事前に用意された原稿通りの内容を語れていたかどうか、今となっては思い出すこともできません。
その後特におかしな反応をされるでもなく食事会という運びとなったので、そこまでおかしなことは言わなかったように思いますが、どうでしょう、『精霊王』の名は私の失敗になんらかの思慮や『真の目的』とでも言うべきものを感じさせるようで、私の失敗についてみなが失敗と思っていないような態度をとるのが常態化しているので、私はやはり、いつまでも『したかもしれないし、しなかったかもしれない失敗』に、おびえ続けるしかないのでした。
その後の食事会では生魚などが振る舞われました。
これもエルフたちに饗された料理同様、家臣団の中には受け入れ難い者も多かったようです。
私もやはり、魚を生で食べるというのは、川魚を生で食べて命を失った者の話も聞くので、おそろしくもありました。
しかし饗応に文句を言う方がおそろしく(私は、毒や矢傷による痛みよりも、人の機嫌を損ねて向けられる針のむしろのような不機嫌な視線、悪意のほうをより強くおそれるのです。もちろんそれは、毒や矢傷がおそろしくないという意味ではありません)、私は生魚を、塩を醸した調味料につけて食べることになりました。
口にしてみれば生魚の切り身はことのほか私の舌に合いました。
いえ、おどろくほど合った、と言うべきかもしれません。
というのも、私は宮廷で振る舞われる料理も、貧乏時代に生命をつなぐために口にしていたものも、さして違いを感じ取れない性分なのです。
もちろん材料への気遣いや調理技術、提供する者たちの心づかいや、食器やロケーションなどのもたらす効果などが違っているのはわかります。
味も、宮廷料理と、塩で漬けられた魚の、辛さ以外になにもないかのようなあの味とは、違うのが当然わかります。
しかし、『感動』に違いはないのでした。
私は今、さまざまな人の思惑のためにいいものを食する機会に恵まれていますが、唐突に明日から『お前の食事は、干からびたイモと塩辛い魚の漬け物だ』と言われても、『そうか』と受け入れるような、そういう気持ちなのでした。
ところがこの、生魚の切り身の、うまいこと、うまいこと……
私は生まれて初めて、食事に対し感動したのだと思います。
私がそのように夢中に食べていたからか、家臣団の視線がじっと私に向いたあと、みなもまた、同じように食べ始めたのを感じとりました。
すると私は急に、満足に食事をとったことがない貧乏な子供のように夢中で食べていたことが恥ずかしく、隣に座るミズハがそれをにっこり笑って見つめていたことをおそろしく感じ、食べる手を止めてしまったのです。
「刺身は気に入っていただけましたか」
ミズハの問いかけは、彼女の微笑みや言葉遣いが、かつてのきっぷのいい、男まさりのものからだいぶ変わっていたせいで、何かの罠のように思われました。
しかしあれだけ夢中で食べてしまった様子を見られておりますので、ここで否定する理由も思い浮かばず、私は「うむ」と、いわゆる『威厳ある』ようにうなずくしかなかったのです。
「干物を炙ったものもございます。精霊王国でも塩漬けの魚をよく召し上がられるようなので、そちらの方がお口に合うかと思いますが」
「たしかに、我が故郷でも魚の干物はよく食べるが、先ほどいただいた料理ほどの感動は覚えがない」
故郷の味、とは言いますが、それは『安価に手に入り、腹を満たすことができるもの』であって、間違っても味が気に入って食べつけているものではないのです。
よく遠征から戻った者が『故郷の味が恋しかった』などとこぼすのを聞くのですが、私はどうにも、彼らが述べるほどの恋しさを覚えることができた自信はありませんでした。
料理そのものではなく、『家に戻った』という気持ちが心地よいという話ならば、よくわかります。
ミズハとの会食中も、そして今、こうして手記を認めているあいだも、私は早く、住み慣れた自分の部屋に戻りたくてたまらない気持ちでいるのです。
それが果たして『故郷を懐かしむ気持ち』なのか、『精霊王の名を使う許可を得るための旅路という重積から早く逃れたい気持ち』なのかは、手記の上とはいえど、認めるにためらうことではありますが……
ともあれ私の発言はミズハを困らせてしまいました。
「新鮮さが大事ですので、お持ち帰りいただくことはかないませんが……」
こう言われて私は、自覚なく無理難題を押し付けてしまったことに気づいたのでした。
干物の話題は、我々に持たせる土産物の話でもあったのです。
ところが私が会話の意図を読めずに生魚を褒め称えたばかりに、彼女にこのような心労、苦痛を与えてしまっている……
やはり私は彼女たちとの友好を心の底では信じきれていないものですから(というよりも、あらゆる人からの好意を信じることができず、それを好意だと認めたとしても、私は好意そのものをおそれてしまう性分なのです)、与えてしまった苦痛をどうにか減じさせるために、恐怖のあまり言葉を重ねてしまうのです。
「生魚もいいが、この調味料も素晴らしいと思う。どうだろう、雪の領域にもこれをもたらしてくれたならば、私はとても嬉しく思うのだけれど」
それはまったくの嘘ではありませんけれど、やはり、本当とも言い難いものでした。
私は生魚の切り身を気に入りましたし、それにつけるこの塩を醸した調味料も気に入ったのです。
けれど、この調味料は生魚の切り身ありきというのか、他のものと合わせても、今日、私が覚えたほどの感動はないのではないかと、そういう、なにもかもをつまらなくしてしまう、あらゆるものの可能性を否定してしまうような、『絶望という名の外殻』の第二の作用が、私の心を盛り下げてしまうのでした。
しかし他者のために嘘をつく時、どうにも私の演技は入魂の出来になるようで、調味料を褒められたミズハは、私の言葉を心の底から信じたように、「ありがとうございます」と述べたのでした。
すると私は彼女を騙してしまった罪悪感に支配されてしまい、もはや彼女の言葉を否定することも、拒絶することもできなくなってしまうのです。
いつの間にか海の領域と調味料での技術交換の話が持ち上がり、それが家臣団の作り上げた書類によって契約として結ばれてしまいました。
もちろんこれはいいことではあるのです。食文化での交流はきっと、互いの領域の民の仲を深める可能性があるでしょう。
けれど、この契約の根底にあるのが『とっさについた、一端の真実をふくむ嘘』であるのは、どうにも心に引っかかる、というのか……
この調味料について見聞きするたび、きっと私の心には、この時のなんとも言い難い気持ちが去来するのだろうなと、そういうどんよりした気持ちがよぎってしまうのでした。
私が後継に『精霊王』の名を継ぐ話はもう、話題に出た覚えもないというのにいつの間にか許可が出ておりましたので、しばらく滞在してミズハと話をしたあと、我々はようやく、雪の領域に帰ることになりました。
家臣団の中にたデボラにいわく、これは『すべて終わった』ということではなく、このあと、砂の領域で『魔族』、すなわちデボラの同胞たちとの会談があるので、その準備のための一時帰還にすぎないということでした。
私の旅は、まだ一ヶ所、回るべきところを残しているのです。
最後の一ヶ所と言ってしまうとそれは、いかにももう一息という気持ちになりそうなものなのですが、私としては『最後の一ヶ所』という事実を前にして、『きっと、うまくいかないのだろう。これまでなんとなくうまくいっていたような感じなのは、最後の最後で手ひどい裏切りを味わわされるために違いないのだ』という、なんともよろしくない気持ちに心を支配されてしまうのです。
そしてきっと、その『裏切り』は世間から見れば、なんの裏切りでもなく、失敗でもなく、ただただ私の気持ちをいじめるためだけのものとなり、私はまた人に共有できない苦しみを背負い、もがき、のたうち回るはめになるのだと、そのように……
『精霊王』よ、どうか、実在するならば、私を助けてはくれまいか。
けれど、やはり、私なのです。幾度目を閉じ、目を開き、水面をながめても、波でにごった波には、何も映らないのです。私が水面に見る『精霊王』の姿は、私の心にしかない、この世のどこにもいないものなのでした。
最後の旅こそ、このように情けない手記を認めなくともよい旅路になってほしいものだと、願わずにいられません。
私の願いは叶うのでしょうか。
『精霊王』ならぬ私でも、その未来は見通すことができそうでしたが、やはり認めるにはしのびなく、その未来について私は文字にするのを控えようと思うのでした。




