side 精霊王の精霊めぐり竜人編_後編
この物語は昨日投稿した、以前カクヨムサポーター限定先行公開されたものの後編です
まずは前編をお楽しみください
竜人というのは背中に翼を持ち、太い尾を持つ、大柄な種族でした。
私は対面したその男性の偉容にすっかりやられてしまったのですが、どうにも、その男性は代表者ではなく護衛役のようで、そちらにばかり目を奪われてしまった私は、真の代表者を会談の最初のしばらくのあいだ、無視するかたちになってしまったのでした。
やってしまった。
私がこの思いを抱くたびに、過去にさんざん重ねてきた『やらかし』の数々が、連鎖的に脳裏をよぎっては消えていくのです。
そうなるともう私はぎゃっと叫んで逃げたくなるのですけれど、さすがに呼び出しておいて無視したあげくに逃亡などしようものなら、シュジャーやその子ら(私には近々、孫が生まれることになっています。それまでは城の一室で引きこもって平穏な時間を過ごしたかったのですけれど、孫の誕生には間に合いそうもありません)の過ごす時代に混乱が起こってしまいます。
腹に力を入れて真の代表者をみやれば、それは、横に立つ大柄な男性のせいでずいぶん小さく見えますけれど、実際に近くで見つめてみれば私と同じぐらいの身長という、やはり女性にしては大柄な人なのでした。
「お初にお目にかかります。わたくし、竜人の長たるリンデと申します。精霊王におかれましては、ご機嫌うるわしく」
ああ、見えないのです。
真っ黒な髪の彼女が真っ黒い瞳を細めて浮かべる笑顔。その美しい、しかしどこか荒々しさも感じさせるつくりの顔。丁寧で穏やかさを心がけられた言葉。
それらはすべて建前のように感じられるのでした。しかも、その建前は分厚く『本音』を覆い隠してしまう、それこそ竜のウロコめいた頑強なもので、私は彼女の真意はおろか、機嫌がいいのか悪いのかさえわからず、まごついてしまうのです。
機嫌がいい、わけがありません。
引きこもって安穏と過ごしていた彼女たちが、こうして呼びつけられ、臣従の礼をとらされている。
閉鎖的な集落は小さいらしいとはいえ、そこの長というのは女王なのです。
女王が一戦も交えることなく他国の王に呼びつけられ笑顔でのあいさつを強要される……それは精霊王国と彼女らの集落との規模の差を思えば当たり前の政治的判断ではあるのでしょうけれど、それでも、私は一国の女王にこのような屈辱を味わわせているという思いから、彼らの私への、あるいは精霊国への報復はきっとおそるべきものになるだろうと予感させられました。
どうにかして、機嫌良く話をしてほしい。
けれど私には、他者の機嫌をとる方法など想像もつかないのです。
私の人生はそれこそ無数の出会いや無数の交渉が存在したものですけれど、その中で私がしたことと言えば、すでにこちらに好意的なおそろしい人たちに、その人たちが望むような態度をとってみただけであり、こうして私に対してなにを思っているかわからない相手のご機嫌をとるなどという器用なことは、できないのでした。
あまりにも緊張するあまり、私は「うむ」という対応しかできませんでした。
呼びつけておいて『うむ』としか答えない男。
この場で殺されたって、不思議には思いませんでした。
しかし竜人の長リンデは、若々しく見えるというのに、私よりよほど成熟した人格を持っているようでした。
確かにピリついた雰囲気を出した随行の男性を片手で押しとどめ、私に笑顔を向けたままでおりました。
おそろしい。
私はその笑顔がなによりおそろしいのです。視線に剣の切っ先に似た鋭さを感じるのです。
ああ、今、この瞬間、私は彼女の報復対象となってしまった。彼女は無礼な態度をとられた怒りをいつまでも覚えていて、機が来るまでその鋭い爪を研ぎ、表面にはいかにも親しげな笑顔を浮かべたまま、しかし『その時』が来たならむごたらしく我々のはらわたを引き裂くに決まっているのです。
私があまりにもなにも言えないでいるので、随行員たちがあらかじめ決めていた『表に出てきてもらうため、精霊王という称号を名乗ることを許してもらうために納めるもの』の紹介をし始めました。
そこには当然、我が国が力を入れて開発している導器もあり、それは充分に彼女たちを喜ばせるだけの価値があるものと考えていたのですけれど、リンデの対応は、にべもないものでした。
「必要ありません。我々が求めるものは、寒さをしのぐものでも、身を守るものでもありませぬゆえ。そのようなものは、この強靱なウロコと鋭い爪牙で事足りるのです」
「では、なにを求めるのか」
この質問は『かんべんしてくれないか』という、嘆きなのでした。
我々に差し出せるものは、すべて目録に書いてあるのです。それでもなお認めてもらえないとなると、もはや、精霊王国には差し出せるものが一つたりともないのです。
この上どれほどの要求をされるのか……私がこの時不安に思ったのは、欲の上限を知らない詐欺師がどんどん要求をつり上げてくるような恐怖のせいではなく、もっと現実的で、もっと直接的な被害が出る『ある可能性』が頭をよぎってしまったからなのです。
竜人の集落というものと、そこに住まう人たちを私は当たり前におそれているわけですが、しかしこの人々は、きわめて客観的に……
情報を少ししかもたない国民の視点で考えてみれば、『僻地にすまう少数民族』でしかありません。
私の脳裏に宿ったのはまさに大公国救援のさいに、全国民が義勇兵として立ち上がり、魔術兵をふくむ私の祖国軍を数と勢いで蹂躙してしまった、あの光景なのでした。
この『少数民族』があまりにもいろいろを要求しすぎると、また国民が暴走するのではないか。
しかも彼らは『精霊王のために』などと叫びながら、野蛮きわまりない突撃をし、後先考えない行動力を発揮し、敵と定めたものにはいくら無法を働いてもいいというようにひたすら駆け抜けるのです。
それがこの竜人たちに対して行われるのではないか……そう思うと、どんどん不安が私の胸中を重苦しくしていき、吹き付ける吹雪のせいというだけではなく、呼吸が苦しくなっていくのでした。
しかしここでリンデが出したのは、本当に、言葉を失ってしまうほど意外な要求だったのです。
「たった一つの約束がなされれば、我々はそれで構わないのです。もしも精霊王を名乗る者が、かつて世界がそうしたように我々を……魔族と契約を交わしてでも我々を排斥しようとした場合」
ここでリンデの視線はそばにいたデボラをちらりと見たわけなのですが、その時の視線のやりとりは、若き日に神官戦士団と不意に遭遇してしまった日のことを思わせるほど、濃厚に死の予感を覚えさせるものでした。
デボラは笑っている。リンデも笑っている。
だというのに、少しでもなにかのアクションがあればすぐさま殺し合いが始まると、そのような空気だったのです。
しかし私は夜を迎えてこうして手記を認めることができておりますから、その時には殺し合いは始まらなかったのです。
リンデはなにごともなかったかのように私に視線を戻したのですが、生きた心地がするわけもなく、私はなにを要求されてもきっと首を縦に振ってしまうだろう心境でした。
その後に要求されたのが大したことではなかったのは、運がよかっただけなのです。
「もしも次代以降の精霊王がふさわしくないと感じた場合、我らがその座を狙ってもかまいませんね?」
「それはまあ、かまわないが……」
なにかとても大変なことを言われる予感に反して、なんともまあ、肩すかしというか、気の抜けるというか、そういうことがリンデの口から発されたのでした。
しかしここではたと気付いて、私は己の国で行われていることを紹介する必要性に気付きました。
精霊王選挙。
我が国の特色と言いますか、私の口が呼んだ特級の災いと言いますか、とにかく精霊王国はその代表者たる国王を選挙によって出すという、そういう制度をとっているのでした。
なのでふさわしくない王は立たないのですし、精霊王がふさわしくないと思うならば、貴殿らも選挙に出馬すればいいと、そのように答えました。
するとリンデはぽかんとしてしまったのですが、そのそばでデボラが声を忍ばせて笑っていたので、ここになんらかの仕込みめいたものがあったのかなとさすがの私でも気付くことができました。
「…………人の王は、血を尊ぶと聞きます。それはもちろん、我々もです。血には『魔法』が宿るものですから……」
古い種族には魔法と呼ばれる特有の能力があるのですが(それは、マーメイドが魚によく似たしっぽを人に二本足に変えるような、人の魔術では及びもつかない技能を指します)、貴族界隈、人の界隈にも『魔法』と称されるものはありました。
それはおとぎ話の一種であり、『魔術』とは明確に区別されるものなのでした。
貴族や王族は大きな魔力を持って産まれる。それは魔力量という才能が血に宿り、長い間優れた魔力保持者との『かけ合わせ』が行われてきたからだ、というのは有名な話です。
そしてこの『かけ合わせ』が行われているもう一つの大きな理由というのが、血には『魔法』と呼ばれる異能が宿るという伝承なのでした。
我が家も記憶力においてちょっとした『魔法』があると言われ、それもあって禁書庫番に選出されたぐらいに貴族界隈では重要視されているおとぎ話ではあるのですが、実際に『これは魔法によるものだ』と言えるほどの現象は、どこにも観測されてはいないのです。
いわゆる『箔』をいろどる要素のうち一つ、のような感じでしょうか。
しかし私はそういうものを信じられないのです。
これは昔からそういう症状が出ている病理のようなものだと晩年を迎えていよいよ思うぐらいなのですけれど、私は人々が明文化しないまま『ある』と信じているような概念に対し、決まってうたぐり深く接してしまう悪癖がありました。
多くの人が大騒ぎしていると冷めてしまう、というのか……人はそういったものでいっしょに盛り上がることで『仲間』を選別しているところがあり、こういう、言葉を選ばないのであれば『くだらないこと』で盛り上がれる関係こそが友人なのであろうとも、思うのです。
しかし私は本当にそういうのが苦手で、神学校時代も公爵令嬢ルクレツィアの婚約者として気を張って、人に親しまれるための不断の努力を行っていた時期があったのですが、その時もこういう『根拠も明確ではない噂話』みたいなもので盛り上がって好き放題言う人を見るたび、笑顔を浮かべて付き合いながらも、一刻も早くこの話に終わってほしいという気持ちを押し殺し切れたかは、少しばかり怪しいところだという自覚があります。
リンデも『そういうの』をそれなりに重要視する人だというのがわかりましたので、ここからの対応は慎重に慎重を重ねねばならないとわかりつつ、私はやはり、一生懸命になろうが、必死になろうが、『そういうの』で心から盛り上がっているフリさえもできないのです。『必要性』はやはり生涯にわたって、私になんの力も与えてはくれないようなのでした。
「優れた血の王の治世において、飢えて死ぬ子が減ることはなかった。多くの貴族が導入を嫌がった導器は、死ぬ子を減らした」
それだけは数字で出ている事実なのでした。
だからまあ、血よりも大事なものはこんなにも明らかに目の前にあるのだし、我々は選挙の結果を血統でゆがめたりはしないので、あなたたちの要求は果たされるだろう、あなたたちが人々の支持を集めればだが、というようなことを述べたつもりでいますが、どうでしょう。
『そういうの』に対するくだらない、つまらないという思いが言葉ににじんでしまっていて、ずいぶんぶっきらぼうな言葉になってしまったような気もするのです。
あとから思い返せばまずったかなという感も強いのですが、この時は次々に話が進んでいくもので、自省する余裕もありませんでした。
私の後悔と反省はその日の会話が終わって一人になった時に、無限に『その日、人と話したこと』がよぎって、そうしてからようやく行われるものなのです。
そしてその後悔と反省を心に刻んだつもりでいても、人との会話という局面において常にいっぱいいっぱいの私は、それらをうまく活かせたことがない……
しかし私のこれまでの人生がそうであったように、なにかがリンデの心に触れたらしく、彼女はこれまで浮かべていた分厚い建前ではない、彼女自身の意思の見える笑顔を私に向けました。
「我ら竜人はあなたのお導きにしたがいましょう。末永い平和のために力を尽くすことを誓います」
なんだかそういうことになってしまったので、このあと導器だけでも押しつけて、同盟みたいな、契約みたいなものを締結することになりました。
私の人生はやはり、ここまで年老いてもなお、私の手を離れて、私の目の届かない場所で転がっているような気がします。
手記という形式に認めることは、過去を冷徹に記録し、複雑怪奇な種々の問題を整理し、未来という視点から見てもわからないような問題の因果をはっきりさせ、少しばかりの学習を私にさせてくれるように思われました。
しかし、これを活かす機会となると、ない方がいいに決まっているのです。
私はもうじき孫が生まれますが、どうにも、このあとにも様々な種族へのあいさつ回りをする宿命にあるようなのです。
次は森の領域でいつのまにか我々の旗下にいたエルフたちのもとへ行くことになりそうで、その領域の遠さと、あまり気候が過ごしやすくなさそうなのと、なにより未だに解決していない問題のうち大きな一つである、精霊国に根強い反感を持つ昼神教の一派の影がそこにはあるので、今からとても重い気持ちでいます。
穏やかな人生というものはやはり私にはまだ遠く、この老骨に打たれるムチはいつのまにか骨身にまでなじんでしまい、なくなるとなると、寂しささえ感じるものになってしまったような気がするのです。
ああ、どうか、すべての問題が私抜きで勝手に片付いてはくれまいか……
孫の生まれる男が思うべきことではないとは思うのですけれど、私はそう思わずにはいられないのでした。




