side 精霊王の精霊めぐり竜人編_前編
この話は希望があったので書いた「クズとヤンデレの建国記」の99話後です
隠居したかった精霊王のその後のエピソードの一つです
先にカクヨムでサポーター限定先行公開したものになります
一度は焼き捨てた手記というものに再びこうして文字を認めることになったのは、いったいどのような因果によるものなのかと頭を悩ませてしまいます。
悩み。
それこそが私に長いあいだくっついたままとれない雪虫のようなものなのでした。この雪虫は私の視界をチラチラとふさぎ、歩く時、逃げる時はもちろん、ただ呼吸をするあいだにも視界の中で不愉快な思いを植え付けてくるものなのです。
ところがこの雪虫は自身を私の一部だとでも思っているのか、時に親しげにあたりを飛び回り、時に耳元で羽音を響かせ、私に対して『自分はここにいるよ』とでも言うかのようなアピールを欠かさないものなのでした。
振り払えるものなら、振り払ってしまいたい。
しかし、不可能なのです。この視界にちらつき、耳元で騒がしくする雪虫には、実体がなく、また、あったとしても私などにはとうていどうすることもできないほど巨大であり、強靱に決まっているのですから……
竜人、という種族がいるそうなのです。
かつて人に寄り添って生きていた種族たちはみな、各領域に散らばり、隠れ潜んで住まうようになりました。
現代では『精霊』という名前で統合されているらしいその者たちは、大勢で一箇所に固まってはその存在が人に発覚してしまうということで、それぞれの領域に多くとも二種族までという決まりを作り、ごくごく小規模な隠れ里で過ごし、現代まで生きているらしいのです。
そして雪の領域には『竜人』という者どもがいるらしいことを、『魔族』のデボラから聞かされ、私はこれをたずねて行くこととなってしまったのでした。
ところが数多くの問題がこの行動には付随します。
それはもちろん、新たな種族、おそらく閉鎖的な場所で独自の文明を築いていたであろう人々との接触が、『人』を極度におそれる私にとってとてもおそろしく、『新しい知り合いを増やす』となっただけでも呼吸が詰まるほどなのに、しかも対外的には『私が自らの意思で閉鎖的な環境に閉じこもっていた種族のもとへ出向き、これを臣従させ表に出す』という目的での訪問なのです。
私は閉鎖的空間で育った人というものに対して、あまりいいイメージを持っていないのかもしれません。
それは海の領域でのマーメイドを崇める村の例を見てもそう言えるのですが、とにかく閉鎖された中で醸成された文化というものは、時に法律というものがおよばず、さらに、どこに怒るところがあるかわからず、私はにこにこしていた彼らがいつ目を怒らせるのか、普段以上に注意を払いながら表情一つも精妙に操作しなければならず、非常に疲弊させられるのです。
そして私の精神的な障害を様々な事情や圧力が無理矢理に乗り越えさせたとしても、次は『閉鎖的な場所』の位置が第二障害としてたちはだかるのです。
雪深い山の中なのでした。
もはや私も少し前の時代までなら『初老』と述べてしまってもいい年齢にさしかかっておりますから、雪の領域の山登りなどに耐えられるはずもありません。
そうなると体のきく者を遣いに出さねばならないのですけれど、ここでさまざまな人から言い含められてようやく重い腰を上げた私の心に、また『呼びつけるだなんて偉そうなまねをして、先方を不機嫌にさせたらどうしよう』という不安がよぎるのです。
逃げ出したい。
しかし逃げ出すわけにはいかない事情の方も、充分に承知をしているのでした。
子供たちのためなのです。
第一回の精霊王選挙はアスィーラと私の子であるシュジャーが勝利し、次代の精霊王として多くの臣民に祝福されました。
そのさいに彼の周囲を固める臣下も一新され、砂の領域の執政官であるアスィーラを除いて妻たちは完全に引退し、アルバートもエリザベートに仕事を教える以外の活動はしておらず、残った宰相が後進の教育に力を尽くしていると、そういうわけなのでした。
なのでこの『精霊たちへの訪問』も本来であればシュジャーがすべきだと、私は当然の抗議をしたのです。
けれど、魔族のデボラからは「我々は彼が精霊王を名乗ることを認めないでしょう」というにべもない返事が来るだけなのでした。
それどころか、「もしも我々の認めない者が我々の王たる『精霊王』を名乗っていると知られれば、中には反旗を翻す者もいるかもしれません」と脅しつけられ、仕方なく、『これこれこういう事情で精霊王を名乗っているし、これからもその名は使っていくつもりなので、私の顔に免じて未来永劫許してほしい』という根回しの旅が始まってしまったというわけなのでした。
精霊王という名を名乗るのをやめるという案ももちろん出したのですが、各領域に精霊国がすでにあり、それぞれに執政官までおいてしまっている以上、『これからすべての精霊国を統治する者の名を精霊王ではなくします』ということもできず、それは私が『次代以降の王を精霊王とは認めない』と思っていると解釈されてしまうということで……
なんともままならず、老体にムチを打つしかない状況が組み上がってしまったのです。
私はいつも、差し迫った状況というものに背中をつつかれて走り出していた気がします。
老年になればきっと視座も高くなり、自分がこのように背中をつつかれる前に、自分にその鋭い穂先を向ける『状況』という名のつわものどもの布陣を捉えることができるのではないかと、そのように想像していたのです。
けれどどうにも、私は老いてはいるけれど、老成はしていないようなのでした。
相変わらず次々と『知らないこと』が襲いかかってきて、私は準備も許されずにこうしてふらつきながら駆け抜ける羽目になる……
そのような状況下が私の心を重苦しくしていました。
久々に見る『導器』の存在しない、真の雪景色とでも言うべきものが、またさらに心に重いものを積もらせているのかもしれません。
竜人との合流場所に指定されたのは、かつてアナスタシアという女王が収めていた国家の北東あたりなのですが、例の『開墾地私財法』が施行されてもうずいぶん経つというのに、このあたりはまだまだ未開と言ってしまえる土地なのでした。
ここらに住む人は精霊王国どころか、その前にあった国家の名さえ知らないような有様であり、当然ながら我が国が(精霊王国を『我が国』と述べる時には、どうしてもまごつくというか、ためらいのようなものが生じてしまいます。それは私が、未だにこの国の国家元首であった過去を受け止め切れていないからなのかもしれません)導器というものを導入し、雪深い領域の寒さを少しでもやわらげようと努力をしていることさえも知らないのでした。
相変わらず近くの湾でとれた魚を塩漬けにしたり、雪の中に埋もれた細く粗末なイモを煮て食べたりと、そういう暮らしをしているのです。
私に王であった自覚はないと今しがた認めたわけですが、それでも私はやはり、臣民がこのように前時代的な、明日生きるのもどうかというほどの暮らしをしていると、心が痛みます。
特に子供たちがそのような中で、やせ細った手足をいっぱいに使って雪の上を駆けている様子などを見ると、その楽しげな様子がむしろ、私の心を強く痛めるのです。
ああ、彼らにどうか、充分な暖かさを。
飢えを遠ざける知恵と食料を。
世界の各領域で多少の軋轢はありつつも(過去にあったという話ではなく、今もあるという話です)精霊国ができあがったわけですが、私が真に王たる者であるならば、そんな手広く名前だけ広げるよりも、こうして足もとにありつつもぎりぎり手が届いていない部分にまで幸福を行き渡らせることこそ、使命だと思うのですが……
特に老いてからというもの、子供たちの困窮した、しかしそれが彼らにとって自然なことなのでまったく気にもせず、元気いっぱいに遊ぶ様子は、やけに心に深く突き刺さるのです。
どうにか、ならないか。
私がこうつぶやくたびにどうにか願いを叶えようとしてくれていた宰相は、今、この場所には同行しておりません。
私に伴ってきたのは、竜人と顔つなぎができるデボラと、それから幾人かの『信頼がおける人』(私にとってはやはりまだ他者に、それが妻であっても信頼をおくというのは難しいことですから、これは『客観的に私が信頼をおいていないと不自然な人』という意味になります)からの推薦を受けた随行員がいるのみです。
私より年上のルクレツィアはこの旅に出るには少々体が頼りなくなっていますし、シンシアなども冒険者協会の偉い人になってしまったので、未だに解決していないスタンピードから発した各地に魔物が潜んでいる問題に取り組んでおります。
オデットなどはいつまでも若々しいのですが、最近はなにやら理由があって自ら私との距離をとっているようで……
その理由は説明されたようにも思うのですが、彼女の信念などは、やはり私には理解しがたいものであり、よくわからないのでした。
私はといえば、年若い、初めて顔を合わせるような者たちが、いかにも『偉大なる精霊王にお仕えできるなど、光栄です』とばかりに……実際にそう口にもされましたが……きらきらした目で私を見上げてくると、もう、胃が痛いやら、頭が痛いやら……
ああ、無垢な憧憬、屈託のない尊敬というのは、これほどまでに私の心にこびりつく後ろ暗さを鮮明に感じさせるものなのかと、ぎこちない笑顔で「うむ」と答え、精一杯威厳を見せつけるようにして、彼らの期待を裏切らない努力をするだけで限界だという状態にしてしまうのでした。
竜人との会談は早ければ明日にも実現するということで、私はこの閉鎖された村でもっとも大きな建物を用意してもらい、外で年若い随行員が部屋の入口を固める中で、このように手記を認めているのです。
これは本当にちょっとしたメモを書くような粗末な小さい紙なのですが、それがこの国の端にある、導器も知らない集落においては精一杯かき集めた大事な紙のようで、このようなものを浪費している自覚がますます私を追い詰め、しかしこうやって手記でも認めないことには、すぐに逃げ出したくなってしまう……
幸いなことは、私がなにかを求めれば、まわりの者が気を利かせて、求めたもの以上の補填をすぐにしてくれること、でしょうか。
この紙のお礼には少なくないものが支払われたと聞きます。
私はその『支払われたもの』の価値を知ってしまうと、こんな趣味のような個人的なもののために貴重な国民からの血税が浪費されてしまった事実にうちのめされてしまいますから、なるべくなにが返礼品とされたのかを知りたくない気持ちでいます。
紙ぐらいは荷物の中にもあるのですが、私が『ちょっとした書き物だから、もっと粗末な紙でいいのだが』などと言わなければ、結果的には支出も少なかったに決まっているのに……
私はやはり、相変わらず、こんな調子のようなのです。
竜人との会談も、このように自らの発言で大変な被害を出してしまわないか、不安でたまりません。
ああ代わってもらえるなら、代わってもらいたい……
なぜ私は、未だに『精霊王』なのでしょう。
しかし今もこの国で生まれているであろう新しい命のために、やるしかないのです。
後編は明日11時公開




