第98話 魔
「あなたに告白せねばならないことがあります。わたくしの正体……わたくしがどのように、かつての七賢人に『自分は賢者である』と証明したかです」
アルフォンス少年よりよほど面白い話をしてくれそうなのを感じ、私の精神はちょっとだけ回復のきざしを見せました。
私はかつて彼女が魔術塔へ戻る時に特に呼ばれなかったのでその場に行かなかったのですが、たしかに、彼女がどうやって『自分こそ七賢人である』とわからせたのかは気になっていました。
『まあ、語るほどのことでもないということは、その場にいた七賢人の誰かが顔を知っていて、普通に面通しをしたのだろうな』ぐらいに思っていましたが、その後の宰相の様子を見ても、明らかに『なにか』ある様子でしたので、それが明かされる日を密かに心待ちにしていたのでした。
するとデボラは艶やかに微笑み、そうして立ち上がると、魔術の行使を始めました。
その時に私が大しておどろいたりおびえたりしなかったのは、あまりにも唐突すぎて理解が追いついてなかったからなのですが、魔術行使を終えたあとのデボラが「さすが、精霊王は冷静でいらっしゃる」などと微笑むもので、遅れて『ああ、私をおどろかせるつもりで、なんの説明もなしに魔術行使をしたのか』と理解したぐらいなのです。
そうして姿を変じさせたデボラは、たしかにもったいぶった演出にも納得してしまうぐらいの変貌を見せたのです。
真っ白かった肌がほとんど黒に近いほどの色になり、胸の谷間あたりには『縦に瞳孔が入った目玉』のようなものが出現し、こめかみのあたりからねじくれた角が生えたうえ、背中からは翼など出てくるものですから、これは確かに、彼女が秘密にしたのもわかるぐらいには、『人ならざる』と言える姿なのでした。
「魔族というものをご存じでしょうか。古い文献には記されている、『かつて実在した』とされる種族なのです」
たしかに記憶を紐解けば、私がまだ禁書庫番になるつもりで勉学に励んでいたころ、そのようなものの存在を見た覚えがありました。
その種族のくわしい容姿などはありませんでしたけれど、少し位の高い、すなわち秘匿性の高い魔術についての記述には散見される名前なのでした。
「我ら魔族は、ほかの種族とともに『精霊』という呼称を与えられ、排斥されました。もとより我らと敵対していた昼神教はもちろんのこと、わたくしが成立にかかわった魔術塔さえも、そのような決断をしたのです」
なにか、とても遠大な、この世界の深奥にかかわる話をされているものと、たしかに感じたのです。
しかし私の心はあまり動きませんでした。デボラの口はなめらかに『この世界の真実』を語りますし、その声はとても聞き心地のいいものではあったのですけれど、子守唄以上の意味は持たなかったのですから。
まあ、それは、世界には未発見領域も多いし、そういうものもいるのだろうな、ぐらいのことを私は思ってしまうのです。
新しい知識、いわゆる『真実』が開陳された時、それに対しておどろきを覚えられる者というのは、よほど自分の知識に自信があるのではないかと、そう思うのです。
私などはいつでも『なにも知らない』という状態であり、それはもう当たり前に感じ、自分が世界についてなにか一つでも深い知識を持っているかと問われると、一つだって思いつかないほど、知識量に自信がないぐらいなのでした。
かつて自分の乏しい人生経験と魔術知識に驕って人様の相談に乗り、悩みの解決になど乗り出したことがあります。
それこそ私の『精霊王』としての道行きの始まりとなった出来事と言ってしまってもいいぐらいなのですが、その時の経験から、私は自分の知識に誇るほどのところが実は存在しないのだと、薄々理解していたのでした。
それはもう、現在になると、禁書庫だって一部の者には開放していますし、いわゆる人生経験もあまり通俗的なものでない自覚がありますから、ますますはなはだしく、私はもはや、私の知らない情報が出てきても、だいたい『それはまあ、世界にはそういうこともあるのだろう』と受け止めるようになってしまっているというわけです。
私がおどろかないことにデボラはちょっと困惑しており、いつでも超然とし艶然としている彼女の顔にかいまみえた『素の表情』というべきもののほうが、彼女の出自やこの世界の歴史よりも、私の興味を惹いたぐらいでした。
「……ともあれ、あなたは我々の王を名乗り、そこにいるのです。かつて精霊という枠に押し込められ、排斥されたあまたの種族。それらすべてが、あなたのこれまでの行動を見てきたと言ってしまっても、過言ではないでしょう」
「ならば、私を排するか? 私は君たちの王にふさわしくないだろう」
これはもう正直な心根を白状したという以上の言葉ではなく、実際、そんな、今まで排斥されていた種族の王なのですといきなり言われても、『困るし、そんな責任を負うのは嫌だから、いっそのこと簒奪してほしい』ぐらいに思っていたのです。
ところがデボラは「ご冗談を」と笑うのです。冗談でもなんでもないというのに。
「あなたの行動を拝見いたしております。あなたが我らの王として立つのに、なんの文句がありましょうや」
「君たちの目は、そろって節穴のようだ」
これは私が人生でたった一度だけ放った痛烈な文句なのでした。
真実、節穴なのです。見てたならどうして私の人生がこうなる前に『精霊王など名乗るな!』と怒鳴り込んで引きずりおろしてくれなかったのか……私はまだ見ぬ『異種族』たちに対して、身勝手な怒りさえ覚えたほどなのでした。
しかしデボラはやはり微笑んでいます。私の言葉は、想いは、やはり、彼女のとがった耳にも、届かないのです。
「精霊王に問いましょう。あまたの種族をまとめ、そのすべてから王と崇められるために必要な素養というのは、いったいなんだとお思いでしょうや?」
「わからない」
「『そういう様子』なのです。あなたは本当に、なにもわかっていらっしゃらないのかもしれない。しかし、あなたはうまくやっている。それすなわち、『愛されている』ということ。正しい政治? 豊かな国? 民が喜ぶ統治? 一切、必要ございません。ただ愛される者がそこにあるだけで、価値観の違う、利益さえ競合する者どもは、その者のために力を尽くす。こればかりは天与の才でしかありえないのです」
納得いくはずがありません。
しかし、反論も思い浮かばないのでした。
たしかに私を今まで生かしてきたのは、人からの愛に他ならないのでしょう。妻たち。宰相、アルバート。あるいはエリザベートや、そのほかにもさまざまな人たちが、まるで狂ったように私に尽くしてくれたために、私はこの玉座にあるのです。
その理由がさっぱりわからないとあって、私はいつ人々が正気に戻って、『こんな男に愛する価値などなかった』という真実が看破されるかおびえていましたけれど、たしかに、理由のないことには、本当に理由などなく、ただそう定められた命を生きているからと言われてしまうと、なるほどそれは求めていた答えを得たような心地もあります。
しかし、愛される才能……どのあたりがどうなのか、わかりません。
そしてそれは天与なだけに、私に『それ』を与えた天がそっぽを向いてしまったとたんに消え失せるのです。
私が抱え続けている人間へ対する恐怖というのは永遠に払拭されないということではありませんか。
私はこれからもずっと、愛されることにおびえ、優しさに首を絞められるようにしながら、いつか裏切られて手ひどく報復されることにおびえ、生きていかねばならないのです。
「君は王になるためにこの場にいるのではないのか? それは、私が『精霊』たちの王たることを認めないという意味ではないのか?」
「わたくしは人に愛されません。ですから、魔術塔のすべてがわたくしに票を入れたとしても、きっと、あなたのお子のどなたかが次なる王となるでしょう。あなたの血が濃い者は、やはり、愛されるのです」
信じたくはない。
けれど、言われてみると『たしかに』と思うようなことも、ありました。それはシュジャーを例に出すまでもなく、愛らしいスノウホワイトの様子とか、母に倣って冒険者としての人生を歩み始めた子シンシアとか……
愛されている。
私はその優しく、心があたたまるような表現に対して、とてもポジティブな気持ちを抱くことができそうもありません。
愛というのは私にとって負債でした。優しさはじわじわと迫ってくる壁のようなものなのです。
その呪いを私のせいで我が子に継がせてしまった……この絶望感たるや、我が身に危急の事態が降りかかった時などとは比べものにならないほどでした。
「どうすれば、私は愛されなくなる?」
その問いかけはぼろりと口をついて出てきたものなのです。
しかし、愛されていれば呪われているように感じるし、かといって愛を失えばもうこの人生がたち行かないのも理解しているしで、この時の私の心情としては、『愛を失う方法を聞きたいけれど、それを実行するつもりも、積極的に避けるつもりもなく、ただ知っていればいくらか気持ちが軽くなるのではないか』という希望にすがっているだけなのでした。
デボラのおどろく顔は童女のようであり、それは、私がいかにおかしなことを聞いたのか無言のうちに示すものと思われましたから、急に気恥ずかしくなり、発言を撤回したくなりました。
けれど、デボラは答えてしまいます。
「きっと、天与の使命を果たせば」
「その使命とは」
「すべての種族に、あなた様の慈愛を届けるのです。精霊として排斥された我らに、あなたの美しさで救いをもたらすのです。さすればきっと……いえ、その時にあなた様が望まれるのならば、わたくしが、あなた様の運命を終わらせて差し上げましょう。魔族は契約を遵守する種族。契約の前には同胞の絶滅さえ厭わぬ身」
私は『頼む』とも『断る』とも言えませんでした。
しかし私の無言は『察せられる』のです。私が思ってもみない私の本心は、どうやら、私以外にとってはつまびらかなようでした。
「……我らが王、あなたのお気に召すままに」
デボラはそう述べると姿を戻して自ら謁見の間を辞していきました。
すぐさまシンシアが入ってきて私の無事を確認したあと、何があったかを聞こうとするのですが、私は疲れ果てて、答えることもできませんでした。
こうしてすべての次期王候補との面談を終えて、私の人生にはやはり、身に勝ちすぎる重さと、数々の過去が背中に貼り付く感触だけが残る結果になってしまったのです。
落とした候補はいませんでしたけれど、推すべき候補もおりません。
唯一立候補者と無関係だった子シンシアもこののちに王候補に名乗りをあげるので、現在ではもう、うかつに我が子に会いに行くことさえできない有様でいます。
とうとう決断も決定もしなかった人生は、重責を嫌って逃げ続けていた私の肩にこうしてのしかかってきているのです。
私は王なのでしょうか。
私は愛される者なのでしょうか。
わかりません。もはや『違う』とさえ、断じることもできないのです。
わからないまま終わる、私の人生。




