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8.私と責任を負うということ

「五十嵐はクリスマスどうした?子どもと会ったのか?」


木村さんの言葉にはっとしてしまう。

私では質問することが出来ないことを、木村さんは何でもないように聞いている。

私はこのまま隣でお二人の話を聞いてしまって良いのだろうか。


「ああ。プレゼント買いに行って、ご飯も一緒に食べた」


「元奥さんとも?」


「毎年そうだからな」


「別れても仲良いな」


「まあ……そうかな」


別れても仲が良いって、仲が良いのに何故別れてしまったんだろう。

まともな恋愛をしてきたことが無い私にはよく分からない。ちょっと良いなと思う男子がいても、遠くから見るだけで積極的に話し掛けたことは無い。本当にそれが恋だったのかも怪しい。私は漫画や小説で得た知識くらいで、実体験が無いのだ。


「ひなのちゃんは五十嵐がバツイチって知ってるの?」


突然私に話を振られた。


「はい。でも詳しくは知りません」


なので隣でさも知ってるでしょ、当然でしょみたいにベラベラと世間話的に軽く話さないで欲しい。


いや、もちろん何故だろうと気にはなるけれど、私なんかが聞いて良いのかどうかが分からないのだ。そんなに仲が良い訳でもない私に過去を知られるのが嫌だったらと思うと、五十嵐さんに申し訳なくなる。


お店には他にもお客さんがおり、木村さんは調理もあってずっとは会話出来ない。私達の席から離れ、注文を受けてカウンターの中やバックヤードを行ったり来たりしている。


「知りたい?」


木村さんが居なくなって二人になると、頬杖をつきながらこちらを向いてそう聞いてくる五十嵐さんは少し酔ってるのか、少し気だるそうなイタズラな顔をしていてドキッとしてしまった。

法事とかで集まった親戚のおじさん達の酔って賑やかな感じとは全然違う。イケメンだからだろうか。


「五十嵐さんが話せる範囲で良ければ……」


言いたいのか、聞いて欲しいのか、言いたくないけどそんな流れになっちゃったから仕方なくなのか、本心は聞かれたくないのか……どれだか分からないので当たり障りなく答えてみる。


「全然平気だよー。何知りたい?」


質疑応答形式ですか……!?


「えっと……結婚、早かったんですか?」


「そうだね。大学卒業して直ぐ籍入れた」


「直ぐにお子さんが生まれたんですね」


「在学中に妊娠してたね」


「そうなんですか!?」


これまた驚き……。いや、まあ、お子さんの年齢を考えると無い話では無いか。


「元奥さんは同じ学科で同い年。もうすぐ卒業って時に妊娠が判明して、単位は取れてたし彼女は教育の研究室で卒業論文も終わっている時期だったから問題なく卒業して、その後に籍を入れたんだ。もともと卒業後に直ぐに結婚したいとは思ってたから、予定が少し早まっただけ」


「そうなんですか……」


「と、俺は思ってたんだけど、彼女は違ったみたい」


「え……?」


五十嵐さんはハイボールが入ったグラスに口をつけてゴクリと飲む。コースターに戻されたグラスの中の氷がカラッと音を立てる。もうあまり残っていない。こういう時、気の利く人なら「もう一杯飲みますか?」とか聞くのだろうけれど、私は話が逸れてしまうことの方が残念に感じた。お酒と一緒に話の続きを飲み込んでしまうような気がしたんだ。


「……彼女は教員採用試験に受かってたから、春から教師になる筈だった。仕事して、少し慣れて落ち着いた頃に結婚するのが理想だったらしい。それを狂わせちゃったんだよねぇ」


「……それは、五十嵐さんだけのせいなんですか?」


「そうだねぇ、どうだろうか。まぁ、でも、女性の方が負担は大きいよね。卒業式は悪阻の酷い時期で、皆が酒飲んで騒いでる横で気持ち悪さを我慢してたし、皆が初めてのボーナスで旅行に行ってる時期にお腹も大きくなって安静にしなければならなくて、そして出産して、子育てが始まって。皆が恋や仕事に悩みを抱えている中、一人子育てに悩んで共感してもらえる友人は居なかったみたいで。ずっと仲が良かった友達なのに疎外感が生まれ、いつの間にか彼女は追い込まれていた」


「……」


恋愛がよく分からない私は、出産や子育てのことなんてもっと分からない。元奥さんは私が想像も出来ないような悩みを一人で抱えていたんだろうか。


「彼女がそんなことになっているとは俺は全然気がつかず、家族の為にも稼がないとと思って一般企業で必死に働いていた」


「就職されたんですか?作家活動をされてたんじゃないんですね」


「学生の頃ちょっとしてたけど、それで食べていける訳はなくて。仕事をしながら趣味の延長で活動出来たら良いと思っていたけど、実際働き始めると全然そんな余裕がなくてね。時間的にも、身体的にも、精神的にも、ね」


「作家活動を今のようにまた始めたのは……?」


「元奥さんに離婚届を突き付けられてからかな」


突き付けられた……!

なかなかハードだった。


驚いて瞬きを繰り返した私の顔が可笑しかったのか、五十嵐さんがぷっと軽く吹き出した。


「社会に出たいと言われた。それ自体に俺は反対したわけでもないのにな、別れたいって。妊娠から出産、子育てをしていく中で俺に対する不満が溜まっていたらしい。さっき俺が言った彼女が追い込まれていたって話、悪阻の酷い中での卒業式や、妊娠中や子育て中に感じた疎外感とか、俺は別れの原因を聞かされるまで気づいてやれなかった。自分のことでいっぱいで全く知らずにいたんだ。卒業式の時なんか、体調の悪い彼女は学科の謝恩会が終わって直ぐに帰宅したのに、俺は朝まで友達と馬鹿騒ぎしてたからな。最低だろ?」


「まあ……気遣いが無いかなぁとは思いますが、それが離婚の直接的な理由になるとは思えないのですが……」


「積もり積もって、かな。他にも沢山ある。きっと俺もまだ知らない理由があるのかもしれないし。結局彼女を引き留めることは俺には出来ず、彼女への罪悪感からか何なのかハンコを押しちゃったんだよね」


何だろうか、この感じ。

元奥さんからも話を聞いた訳じゃないから一概には言えないけれど、話し合うことで離婚は避けられたんじゃないだろうかと思ってしまう。


「……五十嵐さんは今も奥さんのこと好きですか?」


私の言葉に呆気に取られたのか、五十嵐さんは目を丸くして私を見た。

その反応で、失言しちゃったかもと急に不安になって口元を押さえ、視線を反らしてウーロン茶が入ったグラスを見る。私のグラスもあまり入っていない。氷が溶けて小さくなり、ウーロン茶は色が薄くなっていた。


話を聞く限り五十嵐さんは気持ちが変わったから別れた様子ではない。むしろ、大切だからこそ罪悪感を感じ、好きだからこそ受け入れてしまったように感じる。自分が悪いように話し、元奥さんを責める言葉は一つもない。


奥さんの五十嵐さんに対する愛情が、このウーロン茶のように薄くなってしまっただけ?

愛情が失くなってしまったら結婚生活は続けられないものなのだろうか?


「今は……」


ゆっくりと五十嵐さんが言葉を探している。


「そうだね……以前のような好きでは無いかなぁ。同志……的な?子どもがいるからね。一緒に暮らしては無いけど、俺の子どもで、子どもにとっては父だから、子どもの成長を見守る同志かな」


どや顔をされた。


多分、誤魔化した。わざとかっこつけておふざけが入った気がする。


私が無言で反応しないからか薄く笑って話を続ける。


「離婚直前より今の方が仲は良いよ。お互いに穏やかに接してる。近くに居すぎると上手くいかないことってあるんだよね」


確かに一緒に暮らしている両親や妹ともちょっとした口論とか喧嘩はある。ずっと側にいないと寂しい人もいれば、少し距離を保っていた方が楽な人もいる。私は後者だし。


「それでも離婚直後は荒れちゃってね。家に帰っても奥さんも子どももいない明かりの無い生活に空虚感って言うのかな、淋しさを感じて無性に筆を持ちたくなった。それからかな、作家活動を再開したのは」


「いやホントホント!なかなかの荒れっぷりだったよ」


突然木村さんが会話に乱入してきた。慣れた様子で五十嵐さんのグラスを新しいものと交換して「飲め飲め」と言う。おかしいな、オーダーしてない筈……。そしてどこから聞いてたんだろう。

ついでに私にも「何飲む?」と聞いてくる。お腹もいっぱいになってきていたので、薄くなったウーロン茶のままで十分だと思い断った。


その後五十嵐さんがこのお店で連日飲み潰れた話を聞いた。木村さんはもう過去の事といった風に笑いながら面白おかしく話してくれた。男の人の慰め方は茶化すのが受け取り側も楽なのだろうか。



木村さんが「飲め飲め」とグラスを次から次へと交換するので、次第に五十嵐さんの目が虚ろになっていった。


「あれ……?飲ませ過ぎた?」


結果、五十嵐さんは突然カウンターの机に突っ伏してしまった。これは、いわゆる、酔い潰れたというヤツだろう。


「五十嵐さーん、大丈夫ですか……?」


声を掛けても反応無しだ。隙間から見える顔は赤い。


「あちゃー。ごめん、ひなのちゃん」


「い……いえ、どうしましょう」


酔い潰れたらお会計どうするんだろう……。

私、そんなに手持ち無いから立て替えも出来ない。


無銭飲食……。しかも、未成年がお酒の提供のある店で……。ヤバくないか!?


「会計は後日コイツから貰うから、今日は俺が立て替えとくね」


一人顔を青くしていると木村さんから情けの言葉が。いや、でもここまで飲ませたのは木村さんだ。


「でもコイツを送ってくにも俺はまだ店があるしな」


時計を見ると九時を過ぎたところだった。お店はお酒の提供があるからか、遅い今の時間の方が混んでいた。仕事終わりで来る人や、既に酔って二次会で来る人もいた。平日でも新年ということもあり飲み会が多いのかもしれない。

バイトの方も世話しなく動き回り、店長である木村さんが今抜けるのは難しいだろう。

かといって五十嵐さんをここに寝かしたままも店の邪魔だろう。


困っていると五十嵐さんが突然むくっと体を起こした。


「……大丈夫。歩ける」


ホントですか!?

と思ったけれど、寝てしまった訳ではないのが分かり少しホッとした。


椅子から降りて覚束無い足取りでも何とか歩き始めた。


「五十嵐、大丈夫か?」


「あの……歩けるみたいなので私が無事に帰宅出来るまで付き添いますよ。マンションの場所はさっき見てきたので」


心配している木村さんに声を掛けた。


「そう?まあ、そんなに遠くないから大丈夫かな。五十嵐のマンションから帰る時は暗いし気をつけてな」


木村さんにお礼を言って五十嵐さんとお店を出た。

外はとても寒く、吐く息が白い。お店との寒暖差にブルッとしたけれど、火照った頬には少し気持ち良い。お酒を飲んだわけでもないのに、雰囲気に酔ったのだろうか。それとも料理に少し入っていたのかもしれない。


足下を見ながらふらふらと歩く五十嵐さんが電柱にぶつかりそうになって慌てて腕を引っ張る。


「危ないですよ!」


引っ張った力が強かったみたいで、電柱は避けられたけど体を支えられずに私に寄り掛かってきた。


「ごめん……」


「支えが必要でしたら、私の肩に掴まってください」


素直に「ありがとう」と言って肩を組んできたので軽く腰を支えた。ちょっと重たいけれど自分で付き添うと言った為使命感があり、五十嵐さんに触れることに抵抗が無かった。

でもいつも話を振ってくれる五十嵐さんが静かなので、気まずさがあり、必死に話題を探す。


「そういえば、ティラミスを食べ損ねましたね」


「あー……戻る?」


「いえ。ダメです。帰ってもう休んでください」


私の顔の直ぐ近くでクスクスと笑う。


結局それ以上会話は続かなかった。

でも無言でいるのもそんなに苦じゃないかもと思って話題を探すのを止めた。

五十嵐さんも何も話さなかった。

酔っているからか。

普段は凄く気を遣っていて実はもともと静かな人なのか。

過去を話してしまって気恥ずかしさや後悔があるからか。

もしくは別の理由か。

何故かは分からない。


とりあえず支えながら歩くのは温かかった。



「ここで……」


マンションに着いてエントランスの入り口で肩から手が離れた。


「ありがとう。もう、帰りな」


そう言うけれど、私と言う支えが無くなりふらついて、とても一人で歩けるように見えなかった。


「ちょっと不安なので部屋の前までお手伝いしますよ」


五十嵐さんの腕を取って再び体を支えた。


「何号室ですか?」


「……812号室」


エレベーターに乗り八階のボタンを押す。エレベーターが上に上がる感覚に「気持ち悪……」と呟いていた。吐くなら部屋まで我慢して欲しいと心でお願いした。


部屋の前まで来て五十嵐さんが鍵を開けようとしたけれど、鍵が手から落ちてしまった。私が代わりに鍵を拾い鍵穴に差して開けた。

扉を開けると帰宅した安心感からか力が抜けて玄関のたたきに倒れ込みそうになり、慌てて体を引き上げる。さすがに男の大人の体は重くて、ずるように框まで引っ張った。


(このまま放っておいたらここで寝ちゃいそう……)


仕方ないので布団まで運ぼうと思った。靴を脱いで五十嵐さんの靴も脱がせて、また体を支えた。


「寝室は何処ですか?」


「右の……」


有り難いことに玄関から直ぐ右手に寝室があった。照明のスイッチの場所もよく分からず、五十嵐さんを支えている為手も離せず、真っ暗闇の中カーテンの隙間から漏れている外の少しの明かりを頼りにベッドを探し当て、足をずるように近付きベッドまで来たところで五十嵐さんの重みで一緒にベッドに倒れ込んでしまった。


「わっ……!だ、大丈夫ですか?」


力の入っていない人を運ぶのがこんなに大変だとは思わなかった。もっと格好良く寝かせてあげたかったのに、私も体力的に限界だった。何せ昼間久能山に登ったのだ。足の疲労から踏ん張りが利かなくなっていた。


五十嵐さんを見ようと横を向けば、顔が直ぐ隣にあった。部屋は真っ暗だけど、少し目が慣れたせいか整った顔立ちは認識できた。今までで一番近くに顔があり、ドキッとした。


「……帰らなきゃ、ダメだよ」


「え……?」


五十嵐さんの大きな手が私の頬に触れる。


「男の部屋に無用心に入るもんじゃない」


ずっと必要以上の会話をしなかったので、急にはっきりと喋り出した事に驚く。それに、どこか声が怒っているようにも感じ、いつもの優しい五十嵐さんの雰囲気が消えていた。


ここで「帰ります」と言えば良かったのかもしれない。でも何故だか動けなかった。そのまま五十嵐さんからのキスを受け入れていた。お酒の味がした。


唇が離れると瞳から目が離せなくなった。


「逃げないの?」


体は動かなかったから突き飛ばすことも出来ない。

そもそも驚く程嫌悪感が無かった。抵抗は一切せず、ただ瞳を見つめ続けた。

それを五十嵐さんは了承と取ったのか、ぐっと私を引き寄せてまたキスをした。


そして私達はセックスをした。



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