4.いつの間にかペースにはまる私
「あ……こんにちは」
「この間、横浜まで来てくれたでしょ?ありがとうね」
やっぱり分かってしまっていたようだ。ちゃんとゲストカードをチェックして見当をつけていたのだろう。
今日も爽やかな笑顔でお礼を伝えられる。
「美術館に行く予定で、一緒に見られるかと思って、それで、伺わせて頂きました……」
ちょっと言い訳のような言い方になってしまった。貴方の個展が第一目的ではないですよ、次いでですよ感が出てしまった。恥ずかしいからとそう口にしてからやっぱり失礼だったかもと若干の後悔を感じる。
「ああ!印象派展?」
「はい、そうです」
「今回の、結構有名処の絵が沢山来てたもんね。俺も個展期間中に見に行ったよ。休日に行ったんでしょ?凄い混んでなかった?」
「混んでました」
「俺は平日に行ったのにそれでも結構混んでたんだよ。もっとゆっくり見られるかと思ったのに」
その後も美術館の話が続き、"蒼"さんの絵のポストカードを栞にしているのを本人に知られるのが恥ずかしくて、読んでいた本をブックマークせずに静かに閉じて会話をしていたら、ホームにアナウンスが流れ電車が来た。
「静岡駅まで?」
「はい」
「一緒じゃん」
何だか流れで一緒に電車に乗る羽目に。何故だ?
この人、人懐っこいというか、社交性があるというか、私が大して話さなくても次から次へと話題を振ってくるので会話が途切れない。
「さっき、本を読んでるときに声を掛けちゃってごめんね。何の本読んでたの?」
「えっと……推理小説」
そう言ってまだ手に持ったままの本のブックカバーを外して表紙を見せた。
「ああ!これ、知ってる!十五年くらい前にドラマやってたよね」
「十五年前……?」
「そうそう。あ、知らない?」
「親の本を借りて読んでるだけで、ドラマになってたのは知りませんでした」
「おお……親か。そうか、まだ大学生ってことは十五年前なんてドラマを見てる年齢じゃないか」
「そうですね。十五年前なら四歳です」
「まじか!結構視聴率も高かった記憶があるし、続編もやってたくらいなのになぁ。これ、ジェネレーションギャップ?」
「……そんなに年上に見えませんが?」
「俺、今二十九歳。ドラマは中学生の時見てたんだよ」
二十九歳……。二十代っぽいなとは思ったけど、十歳も違うと結構世代間ギャップはあるのかもしれない。
東静岡駅と静岡駅間の距離は短い。少しの会話をしていたらあっという間に着いてしまった。"蒼"さんの後に付いて電車を降りホームを歩く。いつもは人に流されるように歩くけれど、今日は直ぐ前に大人の男の人がいるお陰かとても歩きやすい。
けれど階段を前に突然ホームの端に寄ってこちらを振り返った。
「ねえ。良かったら個展に来てくれたお礼をさせてよ」
「え?」
突然の申し出に目を丸くしてしまう。
お礼って、何?
「横浜まで来てくれたし、スイーツでも奢らせて」
いやいや、横浜は美術館の次いでだと言ったばかりだけど。お礼をされるようなことではない。そもそも私が行きたくて行ったのだ。来てくれと頼まれて行った訳では無い。
「いや……申し訳ないので……」
「と言うか、それはちょっと口実で」
口実?
両手をパンと合わせて人懐っこい顔を向けてくる。
「俺、甘いもの好きなんだけど一人でお洒落なカフェに入るのに抵抗があるから一緒に行ってくれない?勿論奢るからさ」
えー……と。
この言葉は信じて良いのだろうか。
ナンパ?
でも私が学科の後輩であると分かっている。絵画研の赤井先生も知っている訳で、悪いことをしようものなら伝わる訳で。今はSNSであっという間に情報が広まる時代で、画家をしているこの人にとってはちょっとした不祥事でもマイナスになりそうな訳で。
そもそも私、ナンパされるようなタイプではない。一度もされたことがない。地味で可愛くないから。
それに、この人は多分モテる。一般的に格好いいと言われる容姿に、爽やかな笑顔と退屈しない話術。背も高めでファッションもお洒落だ。髪型もいわゆるマッシュヘアに緩くパーマがかかっており、ヘアモデルかと思う程良く似合っている。そして恐ろしく眼鏡が似合っていてダサさが1ミリもない人好きのする顔だ。
そんなモテる人がわざわざ地味な私をナンパしないだろう。女性には困ってなさそうに見える。偏見かもしれないけれど。
スイーツくらいなら問題ない?
「はい、じゃあ……お願いします」
「よっしゃ!ありがと!」
十歳も違う女子大生にこんなお願いすることが出来るならカフェくらい一人で入れそうにも思えるけれど、三十近い男の人からしたら女性ばかりのお洒落カフェに一人で座っているのは相当恥ずかしいことなのかもしれない。
そしてやっぱり「ありがとう」の言葉と共に向けられた笑顔は爽やかだった。
「今日、これから大丈夫?」
「これからですか!?」
「お腹空いてない?」
お昼は学祭で模擬店のものを食べただけ。大学から駅まで歩いたこともあり、お腹は空き始めていたので食べるのは問題ない。
「お腹は……空いてます」
「どこかに行く予定だった?」
もう帰るところだったので何も問題ない。
「帰るところでした」
「じゃ、行ける?」
「そうですね……行けます」
そして再び爽やかな笑顔をした。
誘導され流されているだろうか?
それから三十分後、お願いを引き受ける選択をした自分を心から褒めた。
「お……美味しい……!」
"蒼"さんに連れられて来たお店は駅から近い生クリームが有名なお店で、休日の午後ということもあり少し並んで待ったけれど、"蒼"さんに薦められるまま生クリームたっぷりのシフォンケーキを注文して一口食べたら並ぶのも納得の美味しさだった。
「うまっ!あー、コレずっと食べたかったんだよ」
「生クリームが存分に味わえますね」
「いや、ほんと!ひなのちゃんには感謝だよ」
私の方こそこんなに美味しいものをご馳走になってしまい感謝しなければ。
「喫茶店とかなら男一人でも入れるしケーキ屋なら買って帰れるけれど、こういうお店は一人では無理だ」
店の内装は映えスポット狙いなのかとても可愛らしい。お客さんも女性中心。成る程、男性一人では並んで入る勇気がなかなか出ないのが分かる。
「一緒に行ってくれる方は周りにいないんですか?」
「いたらひなのちゃんに頼んでないよ」
意外だ。イケメンなのに彼女いないのか。それにこんなに社交性があるのだから、女性の友人がいたっておかしくない。それとも二十九歳くらいにもなればその友人も結婚とか出産をして一緒に行ってくれなくなるのかもしれない。
シフォンケーキは生地が見えないくらいに生クリームがたっぷりとかかっていたけれど、ペロリと平らげてしまった。
顔を上げると"蒼"さんはもう食べ終わっていてニコニコと私を見ていた。
「ねえ、今後もひなのちゃんを誘ってもいい?」
「え?」
誘う?どういうこと?
「スイーツ巡り、付き合ってください!」
……始めての告白だ。
いや、違うか。スイーツ巡りに、だ。
こんなイケメンに告白されるという擬似体験が出来るなんてとても貴重だ。しかも大好きな絵の作家さんだ。私からしたら尊敬する憧れの画家だ。
だからこそ余計に尻込みしてしまう。
「わ……私、ですか?えっと……」
「ダメ?」
「ダメっていうか……そんなにあちこち巡れる程お金に余裕は無くてですね……」
「奢るよ?」
「いえいえ!毎回はそんな申し訳ないので」
「一応俺社会人だし。収入は安定してないけど、困らない程度に仕事してるし」
「そんなに絵が売れてるんですか?」
個展に出されてた絵は一枚数万から高くて十万そこそこで、何百万とかでは無かった。個展の絵が全て売れたとしてもギャラリーの利用料とか画材費用とか差し引いて数ヵ月分の生活費を賄える程の利益が上がっているようには感じはないけれど。個人客がついているとかなのだろうか。
「イラストも描いてるから。雑誌とか絵本とか」
「そうなんですか?」
「女性誌の占いコーナーの絵とか描いてるよ。他にもSNSのスタンプとか壁紙とか、いろいろ」
知らなかった。今度チェックしてみよう。
「どう?ダメ?嫌?」
ぐいっと顔を覗いてくる。イケメンと距離が近いのなんて経験がないので、ドキリとしてしまう。重めのマッシュヘアの前髪の下からびっくりするくらい真っ直ぐな眼鏡越しの眼で顔を覗かれる。勢いでOKをしてしまいそうになるけれど、とても慎重な性格の私は簡単に首を縦に振れなかった。曖昧な笑顔で首を傾げて誤魔化そうとした。
「まあ、そうだよね。いきなり言われても怪しいよね」
いろいろと察してくださったようだ。
「よし!じゃあ、ひなのちゃんから信用を得る為にこの後少し付き合って欲しいところがあるんだけど」
「へっ!?」
あれ?察して諦めてくださったのじゃないのか?
驚いて変な声が出てしまった。
私の返答を聞かずにさっと立ち上がって、スッと会計を済ませて店を出ると、「行くよ、こっちこっち」なんて言いながらズンズンと歩いていく。スイーツを奢ってもらったという負い目を勝手に感じてとりあえず後をついていく。でも優しい人なのか歩調を合わせてくれ置いてきぼりになることはないし、人とすれ違う時は必ず前に出てぶつからないようにしてくれたり、車道側を歩いたりしてくれた。さりげない気遣いに何となく女性慣れしているなと思った。
「どこに行くんですか?」
「いいから、いいから」
どこに行くかは教えてくれないけれど、道中スイーツの話をずっとしてくれた。いかに自分が嘘ではなく本気でスイーツ好きなのかをアピールしているのだろうか。
そして覚えのある道にあれ?と思う。
歩いているのはシンボルロード。
カフェからさほど離れていないところで"蒼"さんが「ここ」と言った。
私も知っている、来たことのあるところ。
それは、初めて"蒼"さんの作品と出会ったリーフギャラリーだった。
「オーナー!いるー?」
"蒼"さんは実家のような感覚でギャラリーに入っていった。私は慌てて後に続いて中に入った。今日はまた別の人の作品が沢山飾られていた。心がホッとするような優しい日本画だ。淡い色が重ねられた何故か懐かしさを思わせる風景画。小料理屋とかに飾られていそうだなと思った。そんなお店入ったことないけれど、なんとなく。
「何だ、五十嵐くんか」
ギャラリーの奥から姿を現したのは、以前訪れた際に話しかけてくださったグレーヘアのダンディな方。
「俺、彼女から信用を得たいから保証して欲しい」
「「は?」」
オーナーさんと見事に声が被った。
「えーっと、もうちょっと説明が欲しいな」
オーナーさんが戸惑っているのが分かる。私も戸惑っている。
多分私のせいで迷惑を掛けているのだろうと思うといたたまれない。しかし戸惑いながらも冷静だしどこか慣れたような雰囲気すら感じる。普段から"蒼"さんはこんな感じなのかもしれない。
「俺はスイーツが好きだけど一人で入れない店もある。だから彼女に今後付き合ってもらおうと誘ったけれど、知り合ってまだ日が浅く信用されていない。その信用を得る為に俺のことを問題ないと保証して欲しい」
この言葉でようやく私にもこの行動が何なのか理解出来た。それでも思い付いてからの行動力に驚くばかり。オーナーさんが保証してくれると疑わないのだろう。
「まあ、理解はした。ええっと、お嬢さん?」
「は、はい!」
「私が五十嵐くんの保証をしたところで貴女が信用するかどうか疑問ではあるけれど、とりあえず危ない人ではないから大丈夫だよ。見ての通りちょっと変わっているけれどね」
オーナーさん、やさしー……。
突飛なお願いにもかかわらずちゃんと頼まれた通りに保証している。それだけ二人には信頼関係があるのだろうか。
そして、「変わっている」。
危ない人ではないというのが分かっただけでも良かった。誰彼構わず声を掛けるナンパ野郎ではないようだし。ただ、変わっているだけ。
正直美術科なんて変わった人ばかりだ。学科の友人も個性が強い人ばかり。何なら私だってそうだ。自覚はある。そこの先輩なのだから「変わっている」としても何故だか納得出来てしまう。
「どう?信用できた?」
「ま、まぁ……」
"蒼"さんが確認してくるけれど、これで信用出来ないなんて言おうものならオーナーさんにとても失礼になる気がしてしまう。
「まだ信用出来そうにないなら今度は赤井先生にでも協力してもらおうかな。先生の言葉の方が信じてもらえそうだし」
「そっ、そこまでしなくても!?」
赤井先生まで引っ張り出してくるなんて、畏れ多い!そもそもこんなことに協力してくれるような方には見えないけれど。授業ではあんなにも厳しい人なのだから。
それとも元研究生とかだとフランクに接するのだろうか。この人にかかれば赤井先生すら自分のペースに乗せて丸め込んでしまうのかもしれない。
「そう?じゃあ、信用してもらえたってことだよね?」
「そうですね……」
言わされてる感が否めない。
「じゃあ、スイーツ巡り付き合ってくれるってことだよね?」
「……そう、ですね」
「よっしゃー!ありがとう!」
ガッツポーズで喜んでいる。
何故そんなにも嬉しいのだろう。
私は逃げ道がないのを悟り、了承してしまった。
その日から"蒼"さんとの不思議なスイーツ巡りが始まったのだ。