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3.疲労を上回る私の高揚感

横浜ランドマークタワーの隣にある美しいシンメトリーの外観の美術館。


ちょっとでもお金を節約しようと新幹線は使わずに横浜まで来た。静岡は快速電車が無いので各駅停車でガタゴトと中々の長旅。何度も乗っているけれどトンネルを抜けて熱海の海が見えるとテンションが上がる。静岡も神奈川も太平洋に面していて海なんて珍しくないけれど、温泉地の海はちょっと特別感がある。様々な年代のグループが駅で沢山降りて、楽しげに話をしている。そんな人達を電車の中から見送って、段々と乗ってくる人の雰囲気が変わってくるのを横目で楽しみながら、今日も推理小説を読んでいた。


長々と電車に揺られお尻が痛いな、なんて思っていたところで横浜に着いた。慣れない駅構内でも田舎者丸出しで歩くのが何だか恥ずかしくて、周りの人の歩くペースに合わせながら、スマホという力強い見方に助けられ目的の美術館まで来られた。


日本人が大好きな印象派の展覧会。午前中でも沢山の人がいた。人の多さに若干挙動不審になりそうだった。誰か一緒に行こうと誘えば良かったかなと後悔しそうになったけれど、誰も私のことなんて目に入らない、皆美術作品しか見ない、と暗示を掛けるように心で呟いて美術館に入った。


入ってしまえば私が作品に夢中になって周りの目が気にならなくなった。作品の世界観にどっぷり浸かりながら、こういう作品好きだなぁとか、筆の使い方が凄すぎて真似できないなぁとか、美術を学んでいるくせに単純な感想しか持てない自分に悲しくもなっていた。


気がつくともう出口。出てしまうのが勿体無くて、もう一回見たいと思った作品のところまで戻って見た。でも人が多いので、逆走すると迷惑になるかなと思って泣く泣く出ることにした。

ミュージアムショップで気に入った作品のマグネットを収集するのが好きで、今日もどれを買おうかとじっくり吟味して選び、部屋の何処にこのマグネットを貼ろうかと思いを巡らせながら買った物を鞄に仕舞う。


美術館から出るとぐぅとお腹が鳴る。

一人で食事をするのに気軽に入れるところということで、カフェチェーンを見つけて軽食を摂る。折角横浜に来たのだから名物料理でもとも思うけれど、人気のお店は休日はとても混むし、勇気がいる。窓からみなとみらいの景色を眺めながら食べるのでも充分楽しめる。


腹ごしらえをしたら馬車道を通って山下公園方面へ向かう。綺麗な町並みにウキウキしながら、辺りをキョロキョロ見ながら歩く。パブリックアートを探して見つけた時に嬉しくなりながらまた次を探して見る。馬車の絵のタイルやマンホールも見つけると嬉しくなった。レトロな建物もガス灯も、頭の中で妄想が膨らみ明治や大正時代へタイムスリップした気分になる。


そしてこれから行くのは"蒼"さんの個展をしているギャラリーだ。


印象派の展覧会は見たいと思いながらも横浜で遠いなぁ、なんて思っていた。そこへ"蒼"さんの個展が加わり、目的が2つならばお金もどうにかしようではないかと言う気持ちになり、今日こうして横浜まで来たのだ。


ポストカードはあの女性の絵だ。だからきっとその絵もあるだろう。またあの絵と会いたい。


でも歩きながらふと思う。

もし"蒼"さんがギャラリーにいたら、「また来たの?」って思われないだろうか?

いや、「良かったら見に来てね」と言われていたのだから、行ったって迷惑にはならない筈。大学で会った時みたいに「ありがとう」と言われるだろう。


それでもやっぱり何か恥ずかしさがある。

そう思ったら急に緊張してきた。


(え。私、行って大丈夫かな……)


ついさっきまで横浜の町にウキウキとして酔いしれていたくらいなのに、急に足取りが重くなる。でも地図ではもう直ぐだ。


引き返そうか、いやでも折角横浜まで来たのに怖じ気付いてどうする、とぐるぐると頭の中で考えが入れ替わる。

そして目の前にはポストカードに載っているギャラリーの名前の看板が見えた。心の準備が整わないままに、ああ、着いてしまったと思う。


しかしギャラリーの外観を見て思考がまた入れ替わる。さすが馬車道と言えるレトロな建物で、この建物の中に入ってみたいという好奇心がムクムクと沸き上がる。看板の名前の字体からお洒落感満載だ。

身体が誘われ足が向くままに段差を上るとすぐにギャラリーの展示室で、"蒼"さんの作品が綺麗に壁に並べられていた。温かみのある照明に、白い壁につるりとした白い石の床。先日のギャラリーよりも広く、作品数も多い。何方かからのお祝いなのだろう、白色や黄色、紫のような桃色の胡蝶蘭も飾られていた。


規模の大きさにやっぱりちょっと足がすくむ。


受付には女性が座っており、「どうぞごゆっくりご覧ください」と言われた。

私の他にも作品を見ている人がいる。

でも"蒼"さんは居ない。

そのことにちょっとホッとして、女性の言葉の通りにゆっくり作品を見ることにした。


いつ見てもやっぱり綺麗な色。心が穏やかになる優しい色。

先日見た記憶のある作品も何点かあった。そして、一番好きなあの女性の絵もあった。毎日栞代わりにしているポストカードで見ているのに、こうやって本物を目の前にすると感動する。どうしてこんなにも惹かれるのだろう。不思議だ。この絵の前で完全に足を止めて、ぼーっと見つめてしまう。


そして私の後ろを人が通って、ハタと我に返る。時間にしたら何分位居たか分からないけれど、この絵の前を陣取ってしまっていた。他の方の邪魔になってしまう。そそくさと足を進め、隣の絵へと移る。

隣の絵も、次の絵も、どれも綺麗で素敵だと思うのに、あんなにも心が惹かれずっと見ていたいと思える作品は他には無い。同じ人の作品なのに、同じ雰囲気の作品なのに、他にも人物がモチーフの作品もあるのに。


気がつけばぐるりと一周して全部を見終わってしまった。お客さんはもう誰も居なくなっていた。邪魔にならないならと、もう一度あの女性の絵へと戻り、目に焼き付けておくことにした。この絵には値札がない。SOLD OUTの札もない。恐らく売り物ではないのだろう。誰かの元へ行くことはないのかもしれないと思うと、少し安心した。またどこかで会えるかもしれないと思えるから。


まだ見ていたい気持ちもあるけれど、そろそろ帰らなくては遅くなってしまう。なにせ帰りも各駅停車で時間が掛かるのだから。

ギャラリーを出ようと出口に向かうと、受付の女性に声を掛けられた。


「良かったらゲストカードへの記入をお願いします」


……。

あれだ。これに名前や連絡先を書くと次回の個展のお知らせとかを送ってくれるのだろう。

次回があるならまたこの絵に会える。それはとても魅力的だ。

でも"蒼"さんに私が来たことが分かってしまうだろう。静岡という住所と、私が"ひなのちゃん"という名前であることを知っているのだから、もしやも思われてもおかしくはない。


ゲストカードへの記入を躊躇ってしまっていたけれど、受付の女性の都会的な美人スマイルに流され、結局名前と住所を書いてしまった。美人て得だ。羨ましい。


軽く会釈をしてギャラリーを出た。

体は疲れている筈なのに、不思議な高揚感に包まれ、駅までの足取りが軽かった。



◇◇◇



横浜に行った日から一ヶ月程が経っていた。


今週末は大学祭。スタッフジャンパーを着た学祭委員を校内でよく見かけ、看板を設置したり、門を設置したりしていた。学科内にも学祭委員の子がいる。準備が大変であまり眠れていないのか目の下にクマが出来て、座学の授業中には居眠りをしていた。私はそんな子の前に座り、気持ち背筋を伸ばして講義を受けていた。

サークルや部活に入っている子は模擬店を出したり、文科系サークルは出店したり、音楽系サークルやダンスサークルはステージで発表したりするので、大学内にはソワソワした雰囲気があった。


模擬店を出すサークルにいる子には、前売り券を色々と買わされた。完全に付き合いだ。学科の友人はサークルの人と参加するのだから、私と一緒には巡らない。特にサークルや部活に入っていない私は、学科以外に知り合いなんていない。一人で学祭に行って、一人で模擬店の食べ物を買って食べるのも恥ずかしい。

……誰か一緒に行ける人を探そう。


と、言っても、私は気軽に誘える友人なんてあまり居ない。高校の友人も県外の大学に進学していたりして、断られるのがオチだから誘うだけ無駄。


仕方がないので家に帰って妹に打診する。


「のぞみ、うちの大学の学祭行かない?」


「学祭?」


妹は二歳下の高校二年生。


「今週の金土日と学祭があるんだけど、3日間の内どれか一緒に行かないかな?」


「楽しそう!いいよ!いつがいいかな?金曜は高校あるから無理だけど、土日はどっちでも良いよ。芸能人とか来るの?」


「土曜にお笑い芸人が来るらしいよ」


「じゃあ土曜に行こ!」


妹のフットワークの軽さに感謝だ。直ぐに予定が決まった。




そして土曜日。


大学の普段の雰囲気とはガラリと変わり、人、人、人……。


入学したばかりの4月初めこそは大学ってこんなに人が居るのかと思うほどの賑わいだったけれど、それを上回る賑わいと人混みだ。

メインステージの他にもステージがあるらしく、そこでバンドが演奏している音が人の賑わいを更に加速させているよう。

普段なら車がポツポツと停まっているだけの広場に模擬店がずらりと並び、買い求める人でごった返していた。


妹と離れないよう人を掻き分け前売り券を買わされた店を何とか探し出し、店を覗けば学科の友人を発見出来た。


「ひなのちゃん!来てくれてありがとう!妹ちゃん?可愛いね~!」


「凄い人だね。売り切れちゃってるかと思ったよ」


「今日凄いよね!売り切れそうだったから早めに来てくれて良かったよ。昨日とは大違い」


「昨日は人が少なかったの?」


「昨日は平日だったしね。今日は芸人が来るから来場者が多いらしいよ。こっそり場所取りが始まってるみたいだよ」


成る程。妹のような人が沢山来ているのだな。考えることは皆一緒なのだろう。


売り子の仕事のある友人とは別れ、他にも前売り券を買った模擬店をハシゴして同じようなやり取りをし、さぁ何処かで食べようと辺りを見渡すけれど、やっぱり人、人、人……。

友人が言っていた「こっそり場所取りが始まってる」という言葉の通り、メインステージの側で座れるような場所は空いていなかった。


「お姉ちゃん、良い場所知らないの?」


「入学して半年の私が知ってるところなんて皆知ってるよ」


食べ物を持ってウロウロしていたら、立ち上がって退いてくれた段差の場所に運良く座れた。しかも少し遠いけどステージが見られる位置だった。


「ラッキーだったね」なんて言いながら模擬店の食べ物を食べて、ステージを見ていた。芸人の出てくる時間が近づくにつれ更に人が増え、座った状態では前が見えない程になった。


人混みが苦手な私には結構辛い。


けれど妹を誘ったのは私なので、帰ろうとも言えず、早く芸人出てきてくれと思っていた。


時間になると通路にも立ち止まってステージを見てしまう人が出てきてしまい、回りには人の頭で埋め尽くされ、私達も回りの人を真似て座っていた段差の上に立ち上がって見ていた。


隣の妹は芸人が登場すると嬉しそうに拍手して、ネタに笑っていた。


私は段差の上に立った分、頭一つ抜き出た状態で人の波をぼんやり眺めた。

こんなにも人を集められる人気芸人が凄いのか、テレビでもネットでもネタを見られる時代なのに生の芸人見たさにこんなにも人が集まるミーハー心を持った人が多いだけなのか、と、ネタに笑いもせず一人違うことを考えていた。

通路確保の為に「立ち止まらないでください」と言って誘導している学祭委員も見つけて、学祭が終わったら学祭委員の友人を労ってあげたい気持ちになった。


芸人の出番が終わると人の波もサーっと引いていった。


「のぞみー!」


妹を呼ぶ声がした。どうやら高校の友人も来ていたらしい。こちらに近寄って来て妹は友人と楽しげにさっきの芸人のネタの話をしている。


(私、邪魔かな)


お話し中に申し訳ないと思いつつも妹の肩をトントンする。


「お友達と一緒に回りなよ。私は帰るから」


「いいの?ありがとう!」


そこで妹と別れ、賑やかな校内を歩きバス停に向かった。芸人だけを目当てに来ていた人も結構いる為、バス停まで人の流れが出来ていた。バス停にまだまだというところで流れが止まる。前を覗けばバス待ちの行列が出来ていた。


思わず溜め息が出た。

こういう時大学の近くに住んでいる人が羨ましくなる。


今日は暑くもなく寒くもない。日陰は肌寒さを感じるけれど日向は日差しが温かく感じ、そして心地好い風が吹く秋の日。少し距離はあるけれど、東静岡駅まで歩くことにした。何台かバスを見送った挙げ句にぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られるくらいなら、秋の散歩を楽しむ方がずっと良いと思ったからだ。


歩きやすい歩道のある県道に出てひたすら真っ直ぐ歩く。広い敷地の立派な家を見つけてお金持ちなんだろうかと思いながら、今度はアパートを見つけて同じ大学の学生が住んでそうだなとも思い、工事しているところを見つけて何が出来るのだろうかと少し楽しみにしつつ、ハンバーグのお店の前では美味しそうな匂いに無性に食べたくなったりしながら、意外にも直ぐ駅に着いた。エスカレーターを上りながら立ち止まったことで足の疲労に気がつく。


次の電車が来るまでまだ時間がある。スマホを見ても特に何もメッセージなんて来てやしない。いつも通り推理小説でも見ようとスマホを仕舞って本を鞄から出して立って読み始めた。ほんの数行しか読んでないところで西に傾いた日差しを遮られ、手元の本がふっと暗くなり、そして突然声を掛けられた。


「もしかして、ひなのちゃん?」


男の人の声。どこか聞き覚えのあるような気がした。咄嗟に顔を上げると逆光で顔が暗かったけれど、十分認識出来てしまった。


"蒼"さんだった。



※モデルの美術館は現在改修工事で休館中です。悪しからずご容赦ください。

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