18.イントロバートな俺
名古屋でのグループ展も無事に終わり、生活に落ち着きが戻った。でも雑誌のイラストの締め切りが迫っていたので、あまり出掛けることなく部屋に引きこもっていた。
(買い物行かないと、食いもんがないな)
本来面倒臭がりで、グループ展で散々愛想を振りまいたお陰か反動がきて人に会いたくなかった。けれど食べなければ生きていけない。
(食いたいもんが何も思いつかないな)
作るのは面倒だけど、外食も面倒だ。適当に弁当でも買おうかと考えていたら、スマホが鳴った。木村からだ。
「もしもし」
『もう名古屋から戻ってるよな?』
「そうだけど」
『今日店に来ないか?』
正直出掛けるのは面倒だ。しかし食いもんを考えるのも面倒だった。木村の店で適当に食べるのでも良いかと思った。
「まあ、いいけど」
人に会いたくないけど、木村の店のバイトはカウンターに座る俺を放っておいてくれるから、結構楽だ。木村はあれこれ話し掛けてくるが、話すことでスッキリ出来る時もある。
『じゃあ待ってるからな』
ツー、ツー……
電話が切れてから何故誘われたのかと思った。
(今月売上げが厳しいのか?)
連休明けに行った時は結構客が入ってたようだけど。
まあ、あいつのことだ。前回の詮索の続きをしたいだけかもしれない。
……やっぱり行ったら面倒か?
のそのそと支度をして部屋を出た。日が長くなったとは言え七時を回っているので辺りは夜の気配だ。マンションの通路から頭を出して空を見上げると雲が重たく見えた。もうじき梅雨だ。今月も晴れと雨の繰り返しだったように思う。
(傘、いるかな)
部屋に戻って折り畳み傘を手に取り鞄に仕舞い、再び部屋を出た。
今の時期の夜は気温も丁度良く過ごしやすい。でも雨が降ると寒く感じる。濡れると余計にだ。折り畳み傘を持っていると言っても濡れるとそれもまた面倒なので、遅くまで飲まないようにしようと考えながら店に向かった。
店に着くと木村から歓迎された。
「やあ、やあ!良く来た!」
怖いくらいの笑顔だ。誰よりも明るい顔をしている。むしろ発光しているんじゃないかというくらい。電球男だ。
「……なんだ。気持ち悪いな」
「いいから、いいから。いつもの席へどうぞ」
背中を押されながら店の中を歩いていくが、目的地は空いていなかった。
「いつもの席って……客がいるじゃないか」
「大丈夫。お前の客だから」
「は?」
俺の客?
「恥ずかしいからかこっちを見られないだけだ。見たら分かる」
木村の言葉を聞いてか、恐る恐るといった感じでゆっくりとこちらに振り返って、目が合った。
驚いて声が出なかった。お互いに。
髪型が変わって短くなっていたけれど、紛れもなくひなのちゃんだった。
「見つめ合ってるところ悪いけど、ここに棒立ちされると迷惑だから座ってくれ」
俺の動揺なんてお構い無しに背中を押してカウンターの席に無理矢理座らされた。
「五十嵐は生でいいか?ひなのちゃんはどうする?」
動揺のせいか返事も出来なかった。いつも生だから良いんだけど。
「えっと……じゃあ、生、ビールを」
「えっ!」
また驚いてひなのちゃんに視線を向ける。
「オッケー!」
あれ、十九じゃなかったっけ……
木村が何も言わずに普通にオーダーを受けてお酒の準備をする。以前は十代ということにあんなにも慌てていたのに。ジョッキに美しい比率の泡で注がれた生ビールを直ぐに持ってきた。
「はい!お誕生日おめでとう!」
「誕生日?」
「えー!お前覚えてないの?前に来た時にひなのちゃんは五月が誕生日って言ってたじゃん。昨日が二十歳の誕生日だったんだって」
二十歳の誕生日……。
そう言えばそんな話をしたような……。
「二十歳のお祝いはこの店でって言っただろ。しっかりお祝いして店の売上げに貢献……いや、ひなのちゃんに大人の味を教えてあげろよ」
「本音を隠す気無かっただろ」
「じゃあ俺は仕事があるので」
そそくさと去っていく。
いやいや。突然呼び出されて気まずいまま会わなくなった相手といきなりの再会をさせられて、心の準備も何もないのに二人っきりにされても。
名古屋から戻って暫く完全にスイッチをオフにしていたから、エンジンを掛けるのに時間が掛かりそうだ。
そんなことも言ってられない状況なんだけど。
心の中で溜め息を吐く。
「……とりあえず、乾杯する?」
「……はい」
「二十歳の誕生日おめでとう」
ジョッキを持ってコンッと当てた。
「ありがとうございます」
お互いにぐいっと飲んだ。体に染み渡っていく感覚がした。喉が渇いていたらしい。緊張しているのだろう。
「ビールのお味は?」
「苦い、ですね」
「初アルコール?」
「昨日家族に祝って貰って、缶チューハイ飲みました」
「甘いやつ?」
「ジュースと全然変わらなくて二本飲んだところで母に止められました」
「平気だったの?」
「ちょっと気分良くなったくらいで、顔色も変わりませんでした」
「やっぱのんべえだな」
「まだ二日目なので分かりません」
意外にも普通に会話が出来てほっとした。
メニューを渡して「誕生日だから」と言って好きなものを頼んで貰うことにした。もともと食いたいもんが無かったから、決めて貰えて丁度良かった。
「二十歳になってどう?」
料理のオーダーをして、当たり障りの無い話題を探した。
「そうですね……。十八歳でもう成人はしてましたから、お酒が飲めるようになって嬉しいと思うくらいですかね。煙草や競馬とかには興味は無いですし」
「ああ、そうか!今は十八歳で成人だったね。うっかり」
「五十嵐さんの時代は二十歳で成人でしたもんね」
若いと思っていたけれど、今の時代、十八歳で成人してたんだった。俺は古い感覚でひなのちゃんを見ていたのだろうか。
ひなのちゃんは意外にもビールを飲むペースが早かった。俺が三分の一しか飲んでいないのに対し、ひなのちゃんは三分の一しか残っていなかった。
「飲むね。けどペース大丈夫?次甘いお酒にしてみる?」
今度はドリンクメニューを渡してみた。
「あ……えっと……」
「カクテルか、梅酒か。店員に言えば薄めに作ってくれるよ」
「じゃあ、梅酒を飲んでみたいです」
適当にバイトの子を捕まえてオーダーした。
「すみません。お酒なのにグイグイと飲んでしまいました」
「何ともないなら良いんじゃない」
「緊張のせいか、喉が渇いてしまって」
ひなのちゃんも俺と同じで緊張していたんだ。もともと積極性のある子ではない。俺より緊張していたっておかしくない。そう思えば俺の緊張は少し解れた。
「緊張させちゃってごめんね」
「いえ!私の方こそ……私がここに来たから……」
言いかけて口を閉じてしまった。聞いて良いものか。先を促すか黙って待つか、話題を変えてしまうか。考えて結局黙ってしまっていた。
「あのっ……!」
決意が固まったかのような勢いでこちらに向いて話し掛けてきた。
「二十歳になって、木村さんにも言われていたし、最初はこのお店で飲みたいなって思って、それでこのお店に来たんです。そうしたら木村さんが五十嵐さんに電話してしまって……二十歳のお祝いなんだから奢らせないとって、言って……そんなつもりは無かったんですけど、何だか呼びつけてしまってすみませんでした!」
ひなのちゃんが一度にこんなに喋るのが珍しくて面食らってしまった。しかも少し言い訳感のある、準備していた台詞を思い出しながら喋っている風だった。
それが可愛く見えた。
「ひなのちゃんが気にすること無いよ。木村には普段から遠慮無く呼びつけられてるから。むしろお祝いするって言ってたのを忘れててごめんね。呼んで貰えて良かった」
もし木村から連絡が来なかったら、もうあのまま会うことも無かったかもしれない。
不思議と自然に笑顔になる。
「……ちょっと、嘘言いました」
「ん?嘘?」
ひなのちゃんの視線が下を向く。言いづらいことなのだろうか。
「そんなつもりは無かったって……嘘です。きっと、どこかで五十嵐さんに会えるかもって、期待していました」
「……そっか」
何て答えるのが良いか分からず、短い返答になってしまった。俺がそんなんだから、会話が続かない。
まだ俺のエンジンは掛からないらしい。
「五十嵐さん。私、二十歳になりました」
「ん?うん?」
下を向いてた視線が俺に向く。
「五十嵐さんは私が若いからと言って振りました」
「う……ん」
「ちゃんと言葉で告白した訳でもないのに、先回りされました」
「……うん」
取り調べでも受けているような気分なのはどうしてだろう。
「五十嵐さんより若いのはどうしようもありません」
「……うん」
「けれどお酒は飲めるようになりました」
「……うん」
「若いだけで対象外にしないで、見て貰えないでしょうか。またサークルをしたいんです。一緒にサークルをしながら、やっぱり無理だと思ったら、その時は諦めますから──」
「ちょっ、ちょっと待って!」
ひなのちゃんがこの店にいた理由を、最初は驚きが勝って考えもしなかった。
俺がここに呼ばれたのは木村のお節介であることは、ひなのちゃんの話から想像出来た。
ひなのちゃんの「嘘です」で、俺に対する気持ちが残っていることも察した。
ひなのちゃんの珍しい積極性で確信した訳だけれども……
「ひなのちゃん、彼氏出来たんじゃないの?」
「え?」
「え……?」
お互いにキョトンとしてしまう。
「連休前だったか、告白されてなかった?」
「なっ……!何で知ってるんですか!」
「いやぁ、偶然見ちゃって」
「何で大学に……」
「赤井先生のとこにポストカードを渡しに」
「あ……名古屋の……」
「そう。あ、知ってた?」
「掲示板に貼られてたので」
「そう。そん時たまたま通りかかって、男の子の声が全部じゃないけどちょっと聞こえて。あ、ひなのちゃん、告白されてるなって」
恥ずかしいのか両手で顔を覆ってしまった。
「告白、受けなかったの?」
「……はい」
「そう、なんだ」
あの時の、大事な子を取られて寂しい感覚と、大事な子に幸せになってもらいたいという気持ちは、全く意味の無いものになってしまった。早とちり?
しかし、何故そんな早とちりをしたんだ、俺は。
「また今度返事をしてって言われて、少し考えさせて貰ったんです。でも、彼とは恋人らしいことを出来ないなって思ったんです」
「恋人らしいこと?」
「手を繋いだり、キスをしたり。私には、彼は友達で、それ以上は出来ないなって」
突然、ゆりが言ったことを思い出した。
『もうやったってことはひなのちゃんは一度受け入れてるってことでしょ?』
誰とでも出来るような子ではなかった。そんなことは彼女を見ていれば分かっていた筈なのに。性への好奇心かもなんて勝手に思って失礼だった。
お酒の勢いとか、流れでとか。単なる言い訳だ。俺の都合の良い言い訳。
「それ以上を受け入れらる人は、私には今のところ……一人しか、居なくて。このままモヤモヤしたまま諦めたくないなって思ったんです。引きずるだろうなって。だから今日、二十歳になったし、小さな可能性にかけて、ここに来てみました」
心の中に広がる感情に戸惑う気持ちもあるが、素直に向き合い受け入れてしまえば、何も難しくは無かった。複雑そうに見えて実は単純な感情だ。
「どうでしょう……。サークル、また、やりませんか?」
恥ずかしそうに俺を伺っている。
人と距離を置いて付き合っている彼女が、少しずつ踏み込もうとしている。
「ふっ……!」
思わず吹き出してしまった。
「?」
「ははっ!ふははははっ!」
タガが外れたように笑ってしまった。
「ど……どう……?」
ひなのちゃんが戸惑っている顔も、なかなか良い。
「変……だった、でしょうか……?」
おずおず聞いてくる姿に、ああ、まずったなと思う。不安にさせているようだ。彼女のことだから笑われたと思ったんだろう。
「ごめんねぇ。ひなのちゃんのことを笑ったんじゃないからね」
こんな時に笑いが止まらなくなるなんて、俺はやっぱり可笑しい人間なんだろうな。
言い訳だけして暫く笑った。笑ってみたら落ち着いてきて、真っ直ぐひなのちゃんを見ることが出来た。
可愛くなったなと思う。化粧をして、アクセサリーをつけて、服装の雰囲気も変わった。でもきっとそれだけじゃないだろう。俺がそう見えているんだ。
「俺自身を笑ったんだ。馬鹿な男だなぁって」
「馬鹿……ですか?」
「そう」
ひなのちゃんに向き合って、彼女の両手を取った。驚いたのか彼女の手がビクッと反応したけれど、離しはしなかった。
握った彼女の指先がオレンジ色だった。自惚れでなければ俺がホワイトデーにあげたマニュキュアではないだろうか。
「ゆりも木村もオーナーも気づいてたのに、俺自身が気づいてなかった」
俺が手を離さないからか、顔が赤い。
「君が告白されてる現場を見て寂しいと思った。可愛がっている妹を取られたような気分だと思ったんだ。でも、その告白を断ったと聞いてホッとした。君の諦めたくないという言葉も、サークルをしたいという言葉も、嬉しいと思った。それはもう認めるしかないなと思ったら、頑なに否定してきた自分自身が馬鹿馬鹿しくなったんだ」
きっと彼女はまだ理解しきれていないだろう。クエスチョンマークが頭に浮かんでいるんじゃないかと思うような顔をしている。
そんな顔も良いけれど。
「この前ゆりに言われたんだ。恋っていつの間にかしているものだって。俺はいつの間にか君に恋をしていたようだ」
「……!!」
俺が何を言おうとしていたのかをやっと理解したのか、赤かった顔がさらに赤くなった。今更アルコールが回ってきた訳ではないだろう。
「俺はかなりの変わり者だ。外面良く社交的に振る舞っているけれど、本当は違う。面倒臭がりの引きこもりで内向的」
「……五十嵐さんの社交的な笑顔は、きっとこれまでの人生で培ってきた仮面なんじゃないかと思っていました」
彼女は見抜いていたらしい。似た者だから感じ取れたのかもしれない。鋭く観察しているからかもしれない。フッと笑ってしまった。
「俺はバツイチで子どももいる。もう一度結婚することに対しても抵抗が拭えない。俺自身未来が分からない。一緒に考えてゆけるのが理想だけど、そんな男と一緒にいて不安に思わないのなら、それでも君が良いと言うのなら、俺と、付き合って欲しい」
終わりが見えている恋愛は今だけを楽しむもの。そんな形もあるだろうけれど、恋愛の価値観は人其々。押し付けるのも押し付けられるのも好まない。俺の勝手で漠然としたものではあるけれど、方向性は同じであって欲しいと思うのは、欲張りだろうか。
「けっ、結婚は……まだよく分かりません。でも……一緒に考えて探してゆけたら、いいなぁと、思い、ます……」
彼女はそういう子だ。無理に背伸びをしないで、素直だ。
握っていた彼女の手から手を離し、頬に触れた。ビクッと反応するのが可愛らしくてクスッと笑ってしまう。
室内スポーツのバスケをしていたからか、普段は綺麗な白い肌は触り心地が良い。でも今は照れてずっと赤く染まっている。
「イチャイチャしてるとこ悪いんだけど、熱々のアヒージョが出来上がりましたよー」
木村が割り込むように真ん中にアヒージョをドンッと置かれた。
お節介をしておきながら邪魔するって何なんだコイツは。バイトに持ってこさせろよ。何自ら持ってきてんだよ、と悪態をつきたくなるのも仕方がない。
ひなのちゃんは恥ずかしいのか恐縮して視線を外して縮こまってしまった。
「なあ。五月の限定スイーツ、ある?」
「あるよー」
「じゃあ二つ。誕生日仕様で」
ずっとスイーツを食べて無かった。食べたい気持ちもあまり湧かなかった。食べたくないと思うこともあった。
簡単なことだった。一人で食べるより、彼女と食べるスイーツの方が美味しいことを心が感じていたからだ。ただ食べても腹だけ満たされて心が満たされないのだ。
限定スイーツの抹茶のティラミスは、抹茶の苦味と濃厚なマスカルポーネクリームにふんわりと洋酒の香りがして美味しかった。何より美味しそうに食べる彼女を見ながら食べられるのが一番だった。
「ねぇ、ひなのちゃん」
「何ですか?」
「俺、彼女には執着するタイプなんだよねぇ。覚悟しておいてね」
「えっ……」
多分ひなのちゃんはまだ分かっていないだろうな。
「雨降ってきたみたいだぞ」
木村が客から聞いたと言って教えてくれた。
「本当ですか?傘忘れちゃったな……」
「大丈夫。俺が持ってるから入れてあげる」
「でも、駅までは良いですけど、バス降りてから家まで濡れてしまうから、コンビニで買おうかなって」
なるほど。やっぱり分かっていない。
スルッと彼女の少し短くなったサラサラの髪を掬った。細めで触り心地が良い。
「うちに泊まればいい」
「───!?」
驚いて大きく開いた目と、赤く染まった肌に満足してニコニコと笑顔が漏れた。意識しないで勝手に上がる口角に幸せを感じた。
折り畳み傘を持ってきて良かったなと思った。




