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15.距離を置いてしまう俺

チチチッと窓の外から鳥の鳴き声がした。閉めきったカーテンの隙間から見える外は、室内の照明よりも明るく感じた。


(やべっ。またやっちまった)


椅子に座ったまま大きく伸びをして凝り固まった体を解す。肩を回せばゴリゴリ鳴る。


集中すると時間を忘れてしまう。徹夜も体に堪える年齢になってきたというのに。学生の頃は平気で朝までカラオケとかしてたのに。新卒の頃もよく朝まで飲みに付き合わされていたのに。集中が切れるのと同時に頭痛がしてくる。


(今日はリーフギャラリーに行こうと思ってたんだが)


描き途中だった絵をそのままに、部屋の照明を消して眼鏡を外して布団に倒れ込んだ。


次目を覚ましたら頭痛が治っていることを祈りつつ、夕方頃ギャラリーに行ければいいかとぼんやりと思いながら、直ぐに意識を手放した。




目を覚ましスマホを探るが手には布団のシーツの感触しかない。大きく手を伸ばして時計を掴むと顔に近づけ時刻を確認する。


(……一時。明るいから昼だよな……?)


こういう時、アナログ時計は分からなくなる。昼夜逆転するような生活をする俺が悪いんだけど。極力不規則になり過ぎない生活を心掛けているものの、就業時間の決まっている会社員では無い為、つい手が動くままに徹夜してしまう。


重い体を起こせばガチガチに固まっていた。はぁと溜め息をついて水を飲みにキッチンに行った。

喉を潤してから何か食べるものあったかなと探す。起きて歩いたらやっぱり頭が痛いことに気がついた。薬を飲むにも胃に何か入れたい。頭痛のせいで調理は出来なさそうなので手軽に食べられるものを探すけれど、チョコレートぐらいしか無かった。もう少し腹に貯まりそうなものが良かったけれど、チョコレートがあるなんてさすが俺だな、なんて思いながら数個口に放り込んでから薬を飲んだ。


ギャラリーに行く前に何処かで食べてから行くことにし、シャワーを浴びて出掛ける準備をし、外に出た。


ふわりと生暖かい風が吹く。もう三月も終わり。桜が見頃だった。もうじき翠人の小学校の入学式。それまで桜は散らずにもってくれるだろうか。


電車で静岡駅まで行く。適当にコーヒーショップに入って軽食を食べる。ショーケースの中のケーキが美味しそうだったけれど、今は諦めて帰りにどこかのケーキ屋で買って帰ることにした。やっぱり一人だと勇気が出ない。別に回りの目なんて気にしなくていいのに、昔近くの女性グループにチラチラ見られてこそこそ笑われてから出来なくなった。


気にしなくたっていいんだろうに。

格好つけているのか、俺は。見ず知らずの人相手に?


コーヒーショップを出て歩き出す。春の風が強く吹き、街路樹がザザザッと音を立てて揺れ動く。


春は別れと出会いの季節だなんていうけれど、時間感覚も直ぐにずれてしまう俺にはここ数年は関係なかった。

学生なら卒業や入学、クラス替えがある。

会社員なら退職、入社、異動、転勤、転職がある。

今の俺にはどれも関係なかった。春の暖かい風に寂しさを感じる必要はない。



「オーナー、いるー?」


リーフギャラリーに着いて奥に向かって声を掛ける。


「ああ、五十嵐くん」


「どうも」


「今日はどうしたの?予約の件?」


「そう。今度名古屋で展示があるから、ポストカードにここでの個展情報載せたくて」


一年に一回はこのリーフギャラリーで個展をしていた。学生の頃からずっとお世話になっている。


「日程迷ってたね。夏か秋か。どうする?まだどちらも仮予約だよ。他に入れたいって人居ないから問題ないよ」


「翠人の行く予定の小学校が秋に運動会があるらしくて、被ったら嫌だから夏にしようかと」


「なるほど。良いよ。夏の日程で確定するよ」


「よろしくお願いします」


日程も決まりオーナーはシステムの更新をする為パソコンに向かう。


俺はギャラリーを見渡して展示されている作品に目をやった。誰もギャラリーのレンタルをしていないようで、オーナーが卸した様々な作家の作品が並んでいた。

初めて見る作家の作品もあった。ユニークな動物の絵。色味も固定概念に囚われない自由で奇抜。ピンクと緑のペンギンが暗闇でサングラスをかけていたり、紺色の豚が真珠のドレスで着飾ってボンネを被っていたり。

オーナーの好みは幅広い。このギャラリーには様々なジャンルの作品がある。気分転換に覗きに来るのが好きだ。


「面白いよね、その絵」


いつの間にかオーナーが近くに来ていた。


「オーナーって、ほんと足音無いですよね」


「意識してる訳じゃ無いんだけどね」


「ビビります」


「ごめんごめん。そう言えば以前あの学生の子が来てくれた時も突然声を掛けて驚かせちゃったんだよね」


「学生の子?」


「ほら、五十嵐くんのお気に入りの、ひなのちゃんだっけ?」


お気に入りって……。そんな風に思われていたのか。


「彼女は元気にしてる?スイーツを一緒に食べに行ってるんでしょ?」


そうだ。最初に彼女からの信用を得るためにオーナーに保証してもらったから、オーナーは俺達がスイーツ巡りをしているんだと思っているんだ。


「……最近、会っていません」


ホワイトデーの日から連絡を取っていない。あれから半月が経っていた。毎週のように会って一緒にスイーツを食べていたのが、あの日からぱたりとスイーツを食べなくなった。スイーツ店の検索もしなくなった。


「そうなの?忙しいとか?」


「そうという訳でも無いんですけど、まぁ、いろいろとありまして」


「へぇ。まぁ、追求はしないけど。可愛がってたみたいだから、残念だねぇ」


「残念……なんですか」


「可愛らしく良い子だったから」


「……そうですね」


「またここに遊びに来てくれるといいなぁ」


オーナーのニコニコとした笑顔が嘘くさくて居心地が悪い。


オーナーに俺と言う人間を保証してもらっておいて、こんな形でもう終わってしまったことは申し訳なく思うけれど、仕方がなかった。


「今回のポストカードもあの絵を使うの?」


俺の歯切れの悪さを察してか、話題を変えてくれた。


「いえ、今回は違うのにしようかと」


「君はあの絵を売らないけれど、一番評判が良い」


「だからです。いつまでもあの絵に頼っている訳にはいかない」


俺ももう三十歳になる。この先も作家としてやっていくのなら、新しいものを作り出さなくてはならない。


「新しい看板作品か。それこそ、彼女との出会いがきっかけになるのかなと思ったんだけど」


……話題を変えてくれたと思ったのに。どうやら戻されたようだ。


「彼女も君のあの絵を気に入ってくれてたみたいだった」


「……そうですね」


ひなのちゃんはあの絵のポストカードを持っていてくれていた。栞代わりに本に挟んでくれていた。美術館で見掛けた時、嬉しかったんだ。思わず声が出てしまう程。


「新しい絵、楽しみにしているよ。君は感情がストレートに作品に乗るから、今しか描けないものがあるだろう?」


オーナーのニコニコの笑顔からプレッシャーを勝手に感じてしまう。人当たり良くして適当に人をあしらって飄々と生きていこうと思うのに、本当の俺はこんなにもハートが弱い。


ひなのちゃんに声を掛けたのも、きっと同じ匂いを感じたからだ。人とどこか線を引いて付き合っている。馴染めないと言うより馴染まない。俺は馴染んだふりをして人から踏み込まれないようにしてしまうけれど。



ギャラリーを後にして帰宅する。春でも暗くなってくると冷える。冷たい風に当たると朝から感じていた頭痛を思い出してしまう。朝程の痛みでは無いが、薬はあまり効かなかったようだ。

寒いなぁと思いながら玄関の扉を開けて寒さから逃げられたことにホッとしてリビングの電気をつけ、あっ、と思い出す。


(ケーキを買って帰ろうと思ってたんだった)


すっかり忘れていた。食べたかったのに。もう家だ。またこれから買いに出掛ける気分にはならない。


(スイーツ補給したいなぁ)


ひなのちゃんとのサークルをしなくなってスイーツを食べていない日がまた一日更新されてしまった。

なんてことはない。心にぽっかり穴が空いた感じとはこれだ。当たり前にあった時間が無くなる寂しさは、幾度と無く感じてきた。今年の春は久し振りに別れの季節を実感した。そして今回は心だけでなく胃袋まで空いてしまっている。


また明日昼間に出掛けたら買おう。



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