恋もボールも弾ませたい!
初めて書いたのが2015年なのでもう四年も前のものですが、気に入っていたので掲載することにしました。
特別な文章力やストーリーに自信があるから、といった理由でなく、こういう雰囲気のものを書けるんだってわかったきっかけの小説ともいえるので、その点で気に入っています。
コメディなのでただただ楽しんでもらえることが一番かと思います。
※投稿時は令和ですが「誤差の範囲でしょ」と投稿キーワードに「平成」を入れる。
……え、始まってるんですか? ならやり直しでお願いします。え、このままですか?
すみません、みなさん。私は江藤って言います。えっと、こんにちは。
この学校の方でも私のことを知っている人は少ないと思います。関山高校二年三組の江藤です。いつもクラスの隅っこで本を読んでいただけなので、クラスメートでも全然知らない方もいると思います。
えっと、私、夏休みに部活動をしていました。多分、これが放送されるのは上映の最後だと思うので、私たちが何者かはもうわかってると思います。
私は映画研究会のものです。
スタッフロールの中に江藤ってあったんですよ、気づきましたか? 仕事させていただき部長、ありがとうございます。え? 何ですか? さ、三速? ギアですか? あ、監督ですか、すみません。えっと、監督、ありがとうございます。
そろそろ始めちゃった方がいいんでしょうか?
ふと思ったんですけど、声を入れるだけって残念ですね。このアフレコは映像にしませんから。人手がいらないから相川先輩は勉強してますし、この前嫌なことがあった渋沢くんは寂しそうに格闘ゲームをして遊んでます。気を遣ってくれてるのか音は切ってあります。物騒な言葉をぶつぶつ呟いてはいますけど。
寂しいですね。
録音が完了したらあとはみなさんに観てもらうだけ。それで終わりです。
できることなら終わって欲しくはないです。
でも、物語は終わるものです。私たちの物語も終わるんです。
恥ずかしいこと言ったかもしれませんが、ぶ――監督が親指を立てているので多分これ使うと思います。
じゃあそろそろ始めようと思います。
えっと、「恋もボールも弾ませたい!」私たちの撮影秘話の始まりです。
ムービー
体育館に音が響き渡る。ドリブルしながらゴールに向かってダッシュする彼の名前は長崎伸一。
バスケットボールを両手に持ち、リングに叩きつけるようにボールを持つ手を掲げるも、リングの上どころか、ゴールネットを揺らすことが精一杯だった。
「届けよ!」
強く着地すると体育館が揺れた。手放すことができなかったボールを、反対側のゴールに向かって投げつける。彼は痛みを抑えるように肩を掴む。壁を跳ね返ったボールを床に汗を垂らしながら拾いに走る。
コートの半分を超えたところでボールを拾い、走った勢いのまま再びダンクシュートを試みる。
リングにかすりもせず、体勢を崩しながら床に落下した。それからその場でジャンプしたり女装したりする。
疲労により寝転ぶ伸一の顔は歪んでいた。目を強く瞑り、腕で顔をごしごし拭う。
傍に落ちているボールを拾い抱え込んだ。
部屋には脱ぎ捨てられた靴下が入り口付近に落ちていて、目の前の机上にはバスケ漫画が一、三、四、五巻がある。数学の教科書はキャスター付きの椅子の下敷きになっている。座面には剥き出しのバスケゲームのソフトがある。カーペットの上ではしわくちゃになった入学案内のプリントが、クリアファイルからはみ出ている。その他にも漫画を初め、教科書やテキスト、プリントが乱雑に置かれている。
彼が寝ているベッドの横には、NBA選手「トレイシー・マグレディ」のポスターが貼ってある。相手選手三人の中を潜り抜け、軽々と飛び跳ねて片手に持ったボールをリングよりも高い位置から振り下ろそうとする、状況のものだ。
伸一は漫画を一冊床に放り、ポスターを見つめる。
そんな散らかった部屋だがポスターだけは汚れがない。
剥き出しのゲームソフトを枕元のゲーム機にセット。セーブデータの続きからゲームを再開する。
彼が操るチームはもちろん、マグレディの所属するヒューストン・ロケッツだ。
ゲームの試合が終了する。伸一は電源を切って眠りについた。
メイキング
部屋の中は物が乱雑に置いてある。部長の部屋――男子の部屋に入るのは生まれて初めてだった。私は緊張で汗をかきつつ、視線のやりどころを求めて部屋のあちこちを見渡した。
『初めて入ったときは凄く緊張しました。そのせいでちょっとだけカメラが震えてました。ごめんなさい』
「相変わらず汚い部屋だな。撮影前くらい掃除しろよ」
相川先輩は不快な顔つきをしながら、足場を確保するため物を隅に移動させる。
『今喋ったのはみなさんご存知、この映画の主役、相川先輩です。凄く真面目な方です』
相川先輩は手慣れた手つきで落ちていた漫画を本棚に置こうとする。
「おい、相川、やめろ、やめろ」
「何だよ。片づけてやってるんだろ。いつものように」
「いつもお前が掃除してくれて助かるわ、ほんとに。親が掃除してくれればそれで解決なのにな……ってそうじゃねえよ。これ、撮影のために散らかしてんだから、相川はベッドの上で待機。俺と渋沢と江藤はパソコンの傍に移動だ。ほらほら」
「絶対、面倒だからだろ」
相川先輩はぴょんぴょん片足で跳ね、わずかな足場に着地してベッドに座る。片足を交互に使えば歩けるのにそうするのは皮肉だろうか。
私は与えられた役目のために、とりあえず部屋中を撮影することにした。物がたくさん散らかっている。部長の靴下が片方だけあった。一年生が使う新品同様の教科書が椅子の下敷きになっていた。漫画が複数重ねてある。リアリティという、表紙からしてどうやらバスケ漫画らしい。その二巻だけがどこにもなかった。
「あの部長、この漫画、二巻がないんですけど、いいんですか?」
渋沢くんとカメラのチェックをしていた部長は「どれ?」と言って振り返る。
「ああ、リアリティ? それはいいよ。ほら、一つだけ抜けてると、っぽいじゃん」
「っぽい、ですか?」
「主人公の性格がわかるだろ」
「確かに大雑把です――部長凄いです。映画の監督みたい」
「だろ、俺、凄いだろ。監督みたいだろ」
部長は中指でメガネをくい、と上げる。
『こちらのメガネをかけた方は、監督の橘部長です。部長のこと結構尊敬してるんですけど、このときはちょっと引いてしまいました。靴下の汗臭いのが凄かったです……今は部長の部屋でナレーションしてるんですけど、撮影は終わったので相川先輩が全部片づけました。その前は悲惨な光景が広がっていました』
「おい、橘」
相川先輩はベッドの上から刺し殺しそうなほど鋭い視線を部長に向ける。机の上のバスケ漫画を手に取った。
「相川、そのままにしろって言っただろ。監督みたい、じゃなくて監督だろって突っ込みはしなくていいから。俺もそこまで偉そうなこと言わねーよ」
「お前、これ俺が貸した漫画だろ」
「そうだよ。俺がそんな濃いバスケ漫画を自分で買うと思うか?」
「二巻、どこにあるか把握してるだろうな」
「……相川、ちょっと黙っててくれる? 台本読み直すとかしててくれ」
部長は渋沢くんの方を向き、カメラの使い方などの確認に戻る。
「お前、撮影終わったら探してもらうからな」
相川先輩は呆れた表情で腕と足を伸ばし、ベッドに横になる。
『出だしから大変でしたけど、先輩たちらしくてよかったと思います』
「じゃあ、渋沢、撮影頼むぞ」
「はい」
渋沢くんはテキパキとした動作でカメラを構える。そのときお腹が押し出されて皿にのったプリンみたいに揺れた。
『ようやく出番です。撮影担当の渋沢くんです。私と同じ二年生です。えっと、えーっと……小太りです』
『ちょ、江藤! そんな紹介やめてよ!』
『うるせーぞ渋沢! 本番中だ!』
渋沢くんは三脚にカメラをセットし、ベッドの真横から撮影できるように構えた。レンズの先では先輩たちが台本の確認をしている。相川先輩は本当に真面目な人で、自分の貸した漫画が行方不明になっているのが発覚しても、それを忘れたように今は与えられた役目のため、真剣に取り組んでいる。
部長は相川先輩に一通り指示を出すとベッドから離れた。
「撮影一日押してるし、とっととやっちまおう。渋沢、撮影よろしく。江藤もカメラは回しておけよ」
「はい」
私と渋沢くんは声をそろえて返事をする。
「よし、テイク1!」
部長は手を叩いた。
『部長はテイクって言うのが好きみたいです。三回くらいならやり直しになっても笑っていました』
相川先輩は薄いかけ布団を足で蹴り、ポスター側を向いた。それから右手で顔を隠しながら寝返りを打つと、右肘が枕元のゲーム機に当たってかちゃと音を立てる。
部長の手振りで渋沢くんは頷く。画面が相川先輩に少しずつ近づくようにズームアップしている。私は真剣な渋沢くんにカメラを向けた。
相川先輩は椅子の上に手を伸ばした。剥き出しのゲームソフトを何とか手にし、ゲーム機にセットする。
それを見て渋沢くんは三脚をつけたままカメラを持って相川先輩に近づく。
私は自分がさっきとは別の意味で緊張しているのに気づいた。みんなの真剣さに触発されたのか、試験を受けるときみたいに浮ついた気持ちがまるでない。唾を飲み込むのにも気を遣った。
ここには誰もいないように思えた。正確には一人だけ。長崎伸一という男子がいるだけだ。勉強は嫌いだけど、好きなことには一生懸命になれる、漫画の主人公みたいな少年だ。
しかし、ゲーム機の起動に時間がかかる。ソフトをセットし、電源を入れ、ゲームを起動し、多分試合を選択するまでには時間がかかる。
長い時間を過ごしたような気分になった。
ゲームをする相川先輩を渋沢くんが上から撮影している。
パン、と手の叩く音が聞こえた。みんなが音を立てた主を見る。カメラの視界から外れていた部長が相川先輩たちの傍に寄った。
「どうしたんだよ」
「悪い、やっぱ駄目だわ。カット切ろう」
「やっぱ時間長いか」
「それもあるし、渋沢の影が映ってる」
「え?」
渋沢くんの影は相川先輩の体に重なっていた。彼も電灯と自分の影を交互に見ていた。
「さっきの相川が起きて電源入れるまではよかったと思うから、次は渋沢、お前相川の後ろから撮ってくれ」
相川先輩とマグレディの狭間で縮こまりながら、渋沢くんは相川先輩の肩辺りにカメラを構えた。膝を曲げて十秒もすると、彼の体は電動歯ブラシみたいになる。
「やっぱ狭そうだな」
部長が渋沢くんを蔑むように言った。
「暑苦しいんだけど」
相川先輩は首だけ振り向かせて言った。
「僕だってそうです」
部長は渋沢くんを睨みながら舌打ちした。
「部長のベッドが狭いのが悪いんですよ! そもそも男二人なんですから、狭くもなりますよ!」
「お前の体型が相川と同じなら問題なくね?」
「あんまし変わりませんよ!」
三人がカメラに収まるよう、私は撮影していたのだが、渋沢くんの目が私のカメラ越しに合った。
「じゃあ、江藤に任せればいいじゃないですか」
「私?」
――私を相川先輩とマグレディで挟むのは、落ち着かない女子を作るだけだと思う。前はちょっとカッコいい先輩、後ろはマッチョなスポーツ選手。カメラを平然と持っていられる自信がない。
「駄目だって」
部長は私を指さした。
「江藤にはなあ、メイキング担当という非常に重要な役割を任せているんだぞ。映画の撮影はお前なんだから何とかやれよ」
「ちょっと変わってもらえばいいじゃないですか」
「江藤はメイキング担当として今まさに仕事してるんだぞ。これ以上仕事増やしたら、渋沢。お前は役立たずで他に仕事がもらえないメタボで終わるぞ。エンドロールには邪魔担当、渋沢って表示するぞ」
「ひどい……」
「余計担当でもいいぞ」
「ひどさが変わってない……っていうか、メイキングなんていらないでしょ。重要なの本編じゃないですか」
「豚野郎!」
「豚はないでしょ! そこは馬と鹿でしょ! 食肉言ってどうするんですか!」
「映画のメイキング映像は重要なんだよ。いいか、本編の面白さつまらなさ関係なく、メイキングの長い映画ってのは、それを作ったやつらがどれだけ映画を好きかがわかるもんなんだよ。俺は映画が好きだ。お前らも好きなはずだ。だったらメイキングは長くないと駄目だろ。そのために江藤には重要なポジションについてもらって長く撮影してもらうんだよ」
部長はカメラに音が残るくらい激しく呼吸していた。
『メイキングって映画のおまけだと思ってました。でも、このときの部長を見て、部長は私のために大きな仕事を任せてくれたんだとわかりました。いえ、ちょっと違います。部長にとって映画製作で重要じゃない役目はないんだと思います』
渋沢くんは私を一瞥してからまた縮こまる。私の役目を彼は重要視していなかった。その意思を口にしたことを後悔しているのだろう。彼は私を全否定はしないだろうけど、それでもいらないと言われるのはやはり苦痛だ。ちょっとは変われたと思ったのに、本しか友だちがいなかったあの頃に戻るようだ。
相川先輩は両手の指を交互にパキパキ鳴らす。
「渋沢」
「……何ですか?」
「根性見せろ」
その後、相川先輩の指示で渋沢くんは両足を大きく広げて腰を落とし、撮影を成功させた。苦しげに呻けば部長から「黙れ」と言われ、楽な体勢になろうと足を動かすとベッドが揺れて相川先輩から「じっとしろ」と怒られる。今までもそんな感じだったが、映画撮影を始めて渋沢くんがいじられキャラになりつつある。
「し、死ぬ」
「その程度で死んだりしないから安心しろ」
相川先輩はベッドを占拠している渋沢くんを見下ろして言った。
「相川先輩にはわからないんですよ。僕の体重を文化系の僕の足で支えるんですよ。尋常じゃないですよ」
部長は渋沢くんの頭をつつく。
「普段から痩せる努力をしろ。映画撮影には体力も必要だからな」
「好きで太ってるわけじゃ」
「確か八十キロだっけ? お前の身長ならあと十五キロは痩せられるだろ」
「七十九キロです!」
「変わんねーよ」
「じゃあ、部長。とんかつ二百グラムを想像してくださいよ、あれが五個ですよ。部長じゃ一つも食べ切れないでしょ」
『女子も体重の一キロを気にします。でも、彼の体重で一キロがどうとか、みんな知ったことではないです。私も部長と同じ考えです。変わんねーと思います』
ムービー
体育館の出入り口側のゴールの下で顔中に汗を垂らし、伸一は空中を駆け抜けようと足を地から離す。
両手で持ったボールはネットを揺らした。
「ゴールして揺れろよ」
唇をへの字に結び、リングを見つめる。
「あれ、まだ残ってたの?」
伸一しかいなかった体育館に高い声が通る。
「真島」
近づいて来たのはジャージ姿の女子。
真島は短い髪を靡かせながらあちこち視線を向ける。
「もしかしていつも残ってる?」
「そうだけど」
「長崎くんだったんだ」
「何が?」
「帰るときボールの音がしてたから」
伸一はボールを拾って抱える。
「いつも一人で練習してるの?」
「まあ、そうだよ」
「退屈しない?」
「別に」
真島はゴール下に歩き、両手を広げた。
「へーい、かかってこーい」
真顔の彼女は両腕を上下に動かす。
伸一は軽く息を吐いてから手にしたボールを床に落とす。弾んだボールを右手で床に押し返す。少しずつ体勢を低くし、右足を前に出した。真島はゆっくり伸一に近づく。真島が右足を前に出した瞬間、伸一は走った。彼女の手前で体をひねり、回転する。素早い出来事に真島は体を硬直させた。ボールを左手に持ち替えてドリブルをし、ゴール下で止まり、ボールを持ち替えてからゆっくりした動作でシュート。
真島は振り返ってゴールしたボールを見つめる。
「すご……」
落ちたボールを拾いながら呟いた。
「マネージャーに負けてたら、選手やれないって」
「そうかもしれないけど、凄いよ。長崎くん上手なんだ」
「下手だよ」
伸一は胸の前で両手の平を広げ、何度か手を握る。
「あ、はい」
真島はボールを伸一に渡す。
受け取ったボールを片手に持ち、くるっと回す。人差し指の上でボールは安定して回転を続ける。
真島は拍手する。
「凄い、何でもできちゃうんだ」
「これしかできない」
左手でボールをカットする。ボールの回転はまた強くなる。
「凄く上手く見えるんだよな」
「うん、プロっぽい」
「これしかできないんだけどな」
伸一はボールを持ち、シュート体勢になる。
「真島を抜いたフェイントも、バスケ部員ならみんなできる」
放ったボールはリングに弾かれ、床に落ちて遠くに転がっていった。
「だろ?」
「たまたまじゃないの?」
「こんなもんだって」
ボールを取りに走った。戻ってくると真島は何度か頷く。
「だから残って練習してるんだ」
真島はまたゴール下で両手を広げる。
「練習、付き合ってもいいよ」
「違うから」
伸一は左手を振って真島に道を開けるよう促す。
ボールを右手でゆっくりついてタイミングを計り、五度目で走り出す。ゴールまで一直線。ゴール付近で思いっきり跳ぶ。
両手で抱えたボールはネットに触れただけだった。
「駄目だわ」
「え、何しようとしたの?」
「見てわかるだろ、ダンクだよ、ダンク」
「できるの?」
「できないから練習してるんだろ」
伸一はまたゴールから離れ、ダンクシュートの練習をする。
真島は硬直したまま口だけ動かす。
「いつもダンクの練習してるの?」
「そうだよ」
「何で?」
「したいから」
「ダンクの練習を?」
「ダンクを」
真島はポカンと口を開けるだけで何も言わなかった。
「だから練習相手いらないし、帰っていいぞ」
「長崎くんって面白いんだね。わかった、邪魔しちゃ悪いし、帰るね」
そう言って真島は体育館を出て行く。
体育館内ではまた大きな音が響いた。
メイキング
『八月の初め、私たちは体育館にいました』
みんなが制服を身に着ける中、相川先輩だけは役のために着替えている。
体育館はバスケ部やバレーボール部が使っているが、どこの部活も練習試合があり、たまたま今日は重なった。だから私たちがここを占拠できる。
渋沢くんが撮影の準備を始めた。撮影開始予定時刻まであと十分くらいだ。
「おい、橘」
相川先輩は台本を手に部長を呼んだ。
「何?」
「このさ、真島役なんだけど、渋沢になってるぞ」
私は自分の台本をめくった。確かに長崎役、相川先輩の隣には真島役、渋沢と表記してある。カメラのチェックをしている渋沢くんを、首がちぎれそうな勢いで振り向いた。
渋沢くんが相川先輩と共演するのだろうか。「あれ、まだ残ってたの?」「退屈しない?」「へーい、かかってこーい」「凄い何でもできちゃうんだ」「邪魔しちゃ悪いし、帰るね」と相川先輩に言うのだろうか。あのお腹の余計な肉をたぷたぷさせながら。体をくねらせながらそんな台詞を言う渋沢くんを想像したら、胃の中の物が逆流するのを感じた。
トイレに駆け込もうか思案していると、台本をめくった部長は、
「そりゃ、渋沢がやるからな」
そう、平然と言った。
ハンカチで手を拭きながら、体育館脇のトイレから出た私をみんなが迎える。
『私に何があったかは考えないでください』
トイレの出入り口に置いたカメラを拾う。
「江藤の気持ちよくわかるって。俺、渋沢のことが好きになってバスケ頑張らないといけないのかよ」
「主人公は最初からダンクやりたくて頑張ってるから、そこは関係ねーよ」
「なあ、冗談だよな?」
「別に大丈夫だろ。真島って髪短い役柄だし、渋沢も髪短いし」
「俺もお前も江藤も、ショートだろ!」
相川先輩はよほど苛立ったのか台本を床に叩きつけた。
「俺たちの夢が!」
部長は台本を拾って抱きしめる。愛と気持ち悪さが伝わった。
「じゃあ、どうするってんだよ」
「お前がちゃんと役者を用意してるって言ったんだろうが!」
「言ったっけ?」
「この前教室で言ってたろ!」
相川先輩と部長は同じクラスだ。それが縁でこの同好会を作ったらしい。だから仲がいいのだが、性格の違いで噛み合わないことも多い。
しかし今回味方するなら相川先輩だろう。渋沢くんをヒロインにするくらいなら映画なんてできなくていい。
「冗談だよ、冗談」
部長は台本を軽く振った。
「ちゃんと声かけたって」
「なんだよ、ちゃんといるならそう言えよ」
「冗談の通じないやつはモテないぞ」
「うるさい」
私も胸を撫で下ろした。どうやら私は部長の感覚でいうとモテない分類らしい。自分がモテるなんて考えたことは無論ないけど。……モテたいだったらちょっと考えたことはある。
部長は台本の渋沢を二重線で消し、横に「大西」と書いた。
「大西って誰? 二年?」
相川先輩は私を見る。私にも心当たりがない。同級生にいたとしてもわからない。
首を振った私を見て相川先輩は「一年?」と訊いた。
「相川、忘れてないか? 何も生徒とは限らないだろ」
相川先輩は部長の襟元を掴んだ。
「お前、まさかあの大西じゃないだろうな?」
「あの大西だよ。我らが顧問の」
大西とは私たちの顧問の先生だ。同好会でも、部活を目指したり何かの活動――学園祭に参加するなど――をする場合は顧問の先生が必要だった。
大西先生は四十代の女性で、学校では夫婦仲がとても悪いことで知られている先生だ。私は直接授業を受けたことはないけど、先輩たちから話は聞いている。夫は家に帰っても脱いだものは片づけないどころかテーブルの上に置くとか、これやっておいてと頼んでも返事をするだけで何もしないとか、授業中に愚痴をこぼすらしい。それだけ聞くと以前部長の部屋に行ったときのことを思い出し、私は大西先生が可哀想に思う。
とにかくその学校でも名の知れ渡っている大西先生四十代が女子高生役。ありえない。
「ふざけるな!」
相川先輩は怒ることが身に沁みついてしまっているように、今日何度目かの怒声を浴びせた。
「あの年増にヒロイン役ってお前、頭大丈夫か?」
「問題ない」
相川先輩が本気で拳を振り上げたとき、体育館の入り口に人が立っているのに気づいてカメラを向けた。
「年増……」
入り口には二人いた。一人は私も知ってる。大西先生だ。にこやかな表情で相川先輩を見ている。
もう一人は知らない人だ。凄くきれいな人で、さらさらした長い髪に姿勢のいい高い背をしていて、おまけに足も長い。肌の白さなら私も負けないが、栄養不足のような私と違い健康的な白さだった。彼女はつまらなそうな顔で立っている。
「大西……先生」
相川先輩が部長から手を離し、直立している。部長が手招きで私を呼んだ。
大西先生から夫の愚痴や説教を浴びる相川先輩を私は撮り続けた。
『真面目な相川先輩だからこその失態かもしれません。私は黙っていて助かりました』
それからさっきのきれいな人が部長の元へ行き、話を始めた。彼女は靴紐の色からして三年生のようだ。
話が終わると部長は咳払いをする。
「じゃあ相川、江藤、紹介する。こちらは真島役の渋沢だ」
私たちは目を大きく開いた。こんなきれいな人と部長が知り合いだったこと、役者として活動に参加してくれること、そして渋沢くんと同じ苗字だったこと。
「たまたま同じ苗字だっただけか。ほんとにお前、驚かすなよ」
「あの、たまたまじゃありませんよ」
カメラを持った渋沢くんは言った。
「僕の姉です」
「冗談言うな」
相川先輩は間髪入れずに言い、私は何度も首を縦に振った。
一人はすらっとした体型で、もう一人は体に収まりきらない肉がはみ出ている。似ても似つかない。
「嘘じゃありませんよ、僕の姉ちゃんです!」
「姉ちゃんって言うな、小太り」
渋沢、先輩は殺気のこもった声を発した。
「小太り、お前と血が繋がってるなんてこっちは信じたくねえんだよ。黙ってろ小太り」
「小太り小太り言わないでよ……」
「言われたくなかったら痩せろ」
渋沢先輩は口が悪かった。そのせいで近寄りがたく、メイキング担当なのにヒロイン役という重要な人に話しかけることができなかった、ということにしておく。初対面の人と話すのは恥ずかしい。
渋沢くんがずっと黙っていたのは、役者が姉だと知っていたからだろう。聞かされてなかったのは私と相川先輩。部長の遊びに付き合わされたのだ。
「役者もそろったし、始めようか」
部長の発言でみんなは気を引き締める。不安なのは渋沢先輩がどれほどやる気を出してくれるかだ。大西先生も欠伸をした口元を手で押さえている。
しかし、思ったより撮影は順調に進んだ。渋沢先輩が何度か台詞を忘れたり噛んだりしたが、今日初めて役を演じるにしては上手だった。もちろん動きはぎこちなかったりしたものの、先輩の美しさのせいか見ていて苦にならなかった。さっき渋沢くんで想像したものが先輩で塗りつぶされる。私は初めて真島という女の子が可愛かったんだと認識した。
真島と長崎のシーンを一通り終える。今日の予定だと残りの撮影は体育館で一人ダンクの練習をする長崎の場面だ。
下校時刻は迫っているが、それだけなら今日中にも撮れそうだ。
跳び箱を使うという部長は体育用具室に行く。
「あれ、開かない」
部長は二度扉に力を込めるが、一センチも開きそうになかった。
「鍵、かかってますよね」
「ったく、許可は取ってんだから、気をきかせろよな」
部長は体育館の横の部屋――体育教師専用の小さな職員室の扉をノックした。
「失礼しまーす」
それから十数秒で部長の大きな声が漏れた。すぐに扉が開き、部長が出てくる。その後ろには背の高い先生がついている。
『小野先生です。この日、女子バレーボール部は練習試合がありましたが、先生はそのあともここにいたようです。何かの仕事もあったのでしょうが、私たちが体育館を使うから残っていたのだと思います』
小野先生は中学、高校、大学とバレーをやってきたらしく、それに納得するくらいの体つきだった。私の背に頭を一つ足しても届かないくらいの長身。腕や脚は太く、半袖短パンから伸びた肌は筋肉の塊であることが見て取れた。
そして大西先生に並び、この学校では有名な先生だった。体育の授業、受けたくない教師ナンバーワンの座を部長たちが入学するずっと前から明け渡さない。あまりにも厳しく、口が悪い。このご時世のおかげで体罰はないことが救いらしい。私は授業を受けたことがないからラッキーだろう。しかし全校集会でよく喋っているので、何となくこの先生のことはわかる。絶対、来年の体育、小野先生は嫌だ。私は以前部長にそう言ったが、大丈夫だと言われた。部長によれば、小野先生は男子にはとことん厳しいが、女子には甘いらしい。
そしてもう一つ、先生が顧問の女子バレー部は強い。全国にも何度か出場経験を持っている。全校集会でバレー部の部長が「みなさんの応援があれば絶対勝てます」と宣言していたことがある。その部長も、後ろで整列してた部員たちも慣れた様子だった。そのことから小野先生がいかに凄い先生かがうかがえた。
壁に背をつけていた大西先生が早歩きで動いた。
「あの、小野先生、何か……」
声が震えている。どうやら教師の中でも畏怖される先生のようだ。
「許可した覚えがないんですが」
「いや、許可はもらいましたよ! ねえ、大西先生」
部長は体育館全体に通る声で言った。
『部長ってカッコいいなあ、って思いました。凄く頼もしいです』
「体育館の使用許可はもらってるはずですけど」
「体育館は許可してます。バレー部が使う日を貸していることはこちらも確認してます。そうじゃなくて、跳び箱です」
「跳び箱?」
「こいつら、撮影に跳び箱を使うみたいなんですけど、それを許可してません」
大西先生は部長に「跳び箱?」と訊いた。
「撮影でどうしても使いたいんです」
部長は先生二人を交互に見る。
「それでどう使うのかと思えば、普通に使う分ならまだわかりますよ。でも何段にも重ねた跳び箱の上に上がって跳ぶなんて危ないでしょ。しかもダンクシュートなんて無茶ですよ。それに失敗して怪我だけじゃなくて床が傷ついたりしたらバレー部も困るんですよ」
どうやら私たちの心配よりも本音はバレー部が大事、ということのようだ。へこんだ床につまずいて怪我をしたら確かにバレー部としては困るだろう。
「大西先生は聞いてなかったんですか?」
「すみません、体育館のことしか……」
「困るんですよね。こんなお遊びの同好会が、真面目に部活動に励むバレー部の邪魔になるようなことをすると」
小野先生は私たち一人一人と目を合わせた。渋沢先輩だけは部外者ですと言うようにそっぽを向いていた。
内心、ムカついていた。私たちは真面目に活動をしていたし、部長が跳び箱を使いたかったのは、真剣にやろうという意気込みからだ。けれどそんなのバレー部には通じない。私たちの頑張りなんてバレー部には及ばない。それを知った上で言っている先生に腹が立った。
大西先生は平謝りで役に立たない。部長は何か言いたそうだったが、口を閉じていた。
ひとまず今日のところは解散となった。許可をもらえたにしろ下校時刻が迫っていたからだ。
「あー、ムカつく」
下駄箱で靴を履き替えた部長は地団太を踏んだ。
「同意」
相川先輩は壁を拳で叩いていた。
そんな空気を読めないのか、知ったことではないというのか、渋沢先輩は部長に歩み寄った。
「橘、わかってるよね」
「何のことだよ」
「夏休みの課題、代わりにやってくれる話」
「わかってるよ」
渋沢先輩は相川先輩を向いて「よろしくね」と言った。
「は、何で俺?」
「何でって、橘にできるわけないじゃん」
「引き受けるなんて言ってないけど」
部長は両手を合わせて相川先輩に懇願していた。
「あー、ムカつく」
ムービー
教室で鞄を開けた伸一は、目を丸くする。
みんなは机の上に弁当箱を出している。
伸一は教室を出て食堂に向い、そこでラーメンを買った。隅の空いている席でラーメンを食べる。
「ここ、空いてる?」
話しかけてきたのは真島だった。真島もトレーの上にラーメンをのせている。伸一の返答を聞かず、向かい側に腰を下ろした。
「よいしょ」
真島は座るとすぐに割り箸を割った。
伸一の目は真島ではなくラーメンを向いていた。まだ溶けていない黒いものがたくさん浮いている。
「それ、なんなの」
問われた真島はラーメンを見つめるが、伸一の問いを理解できなかったようで首を傾げて彼と目を合わせる。
「コショー、かけすぎだろ」
「えー、普通だよ、普通」
真島はレンゲでスープを一口すすった。美味しそうに微笑む。
「美味しいじゃん」
「わかんねーよ。コショーラーメンとか、なんだよ」
真島は口元を手で押さえながら笑っていた。
「何がおかしいんだよ……」
「コショー、ラーメン……」
自分で呟いてツボにはまっている。彼女は腹を抱えて笑った。
「長崎くんもやってみなよ。美味しいよ」
「嫌だよ、しょっぱいの」
真島はレンゲで自分のスープをすくい、伸一の器に混ぜようとした。さっとトレーを引く。
「食べてみないとわからないよ」
「嫌だよ」
「食わず嫌いはダーメ」
伸一はトレーを右へ左へ動かす。
「しょうがないなあ」
真島は伸一の口元にレンゲを近づける。戸惑う伸一に対してにこっと微笑む真島。
顔を赤くして伸一は勢いよくレンゲに口をつける。レンゲは傾き、テーブルに置いていた伸一の腕にスープがかかる。
「熱っ!」
真島はハンカチで伸一の腕を拭いた。真島の顔つきは真剣なものである。
心配そうに伸一を見つめる彼女に、彼の目は釘づけだった。
メイキング
小野先生の件はうやむやのまま――部長が何とか交渉しているようだけど――次の撮影に入った。伸一が真島に好意を寄せるきっかけとなった場面だ。
夏休みだけど部活をしに来た生徒のために食堂は開いていた。一部の料理は作っていなくて、解放時間も短いけど、ラーメンはあるし撮影も時間はかからない。
部長はラーメンを注文し、撮影場所である食堂の隅のテーブルに持って行った。
「相川、食え」
「は?」
「半分にするんだから、早く食えよ。撮影できないだろ」
「俺が食べんの? こういうのって役者以外が食べるもんじゃねーの? 渋沢とか橘とか渋沢とか」
二回「渋沢」と言ったのは姉と弟ということだろうか。それとも弟に無理やり食べさせようという圧力だろうか。
「俺はエキストラ出演としてそっちで食べるよ。渋沢に至っては撮影後にコショーラーメンを食べるんだぞ。それ考えたらましだろ」
「そうだけどさ……」
相川先輩は割り箸を割るだけで食べようとしなかった。
私はテーブルの向かい側、あとで真島の座る位置に座った。
「相川先輩、食欲ないんですか?」
「いや、そうじゃなくて」
レンゲでスープをすくい、器に垂らす。
「俺、ラーメン苦手なんだよね」
「え、意外です」
「橘のやつ、知っててこの脚本書いてる。食べてくれるもんだと信じてたのに……」
『部長の性格ならそれはないと思います。相川先輩は現実をちゃんと見るべきでした』
「ラーメンが苦手って言う人初めて見ました」
「重いっていうか濃いっていうか、肌に合わないんだよ。うどんもそばも苦手だし」
「麺類が駄目なんですね」
「ったく」
相川先輩はラーメンを少しずつ食べ始めた。
「でも食べるんですね」
「しょうがないしな」
『相川先輩の真面目さは私たちも真似するべきだと思います。自分の嫌なこと苦手なことにも立ち向かう勇気は、私も持ちたいです』
「相川先輩、まだですか?」
渋沢くんが相川先輩の横に座った。ラーメンはまだ少ししか減ってない。
「急かすなよ」
「俺、今日は用事がありますから、時間かかるの勘弁ですよ」
「何かあるの?」
「まあ、ちょっと」
言葉を濁した渋沢くんの後ろで部長が含んだような笑みを浮かべていた。テーブルを回り込んで私の隣に座る。
「渋沢はメイちゃんに会いたいんだよ」
「部長、相川先輩だけならまだしも、江藤がいる前で言わないでくださいよ」
「江藤はとっくにお前のこと見下してるから変わんねーよ」
「部長は今日もひどい」
部長が言うには渋沢くんはハツラツガールズカフェというところに行く予定らしい。その喫茶店は可愛い女の子が接客してくれるらしく、そこにいるメイちゃんに会いたいそうだ。
「それってメイド喫茶ですか? 聞いたことある気がします」
「違うよ、メイちゃんはメイドじゃない!」
「長岡駅から徒歩五分のメイド喫茶」
部長が笑いながら言った。長岡駅はこの町で一番大きな駅だ。周辺も賑やかでデパートや映画館もあり、私もよく行く。その喫茶店の名前に聞き覚えがあるのは、歩いているとき看板でも目にしたのだろう。
「そこ面白くて店員の半分がメイドの格好で、あとの半分が部活のユニフォーム着てるんだよな。で、メイちゃんはソフトボール部所属」
「だから僕はメイちゃん目当てであってメイド目当てじゃない」
腕を組みながら何度も頷く渋沢くん。
『だから? ってそのときも今も思います』
「部長も行ったことあるんですか?」
「渋沢に付き合って一回だけ。メイちゃんがどんな子か気になったから行ったのに、そのとき当てが外れてメイちゃんがいなかった。で、むせび泣く渋沢を見てた。客からも店員からも注目されていろいろ最悪だった」
「お疲れ様でした……」
「しかもメイドのココアちゃんが接客してくれたら、渋沢が元気になったのがまたムカついた。誰でもいいんじゃねーかってさ。で、気持ち悪い顔の渋沢見ながら二人でオムライス食べて帰った」
渋沢くんは、相川先輩の肩をつつく。
「だから急いでくださいよ、先輩」
「どうせ店なんてすぐ閉まらないだろ……そういや前の撮影とか、一日押したりしたけど、渋沢の喫茶店通いに合わせたんじゃないだろうな」
「え……」
部長の部屋での撮影の数日前、この日から撮影というときに渋沢くんは用事があるというので一日ずれることになった。
「行かせないとやらないって言うと思ったし」
部長がしれっとした顔で渋沢くんを向いていた。目だけは私や相川先輩に合わせている。
相川先輩が手にしている割り箸を折ってしまう。
「あ、僕割り箸取ってきますね」
渋沢くんは注文口へ行ってしまう。
「それで相川、ラーメンは?」
「これでいいか……?」
器には見事に麺、メンマ、チャーシューなど具が丁度半分ずつなくなっていた。やることが几帳面すぎる。
「うん、伸一っぽくないけど、まあいいか」
「終わったあ」
相川先輩が腕をストレッチしている横で、
「まだ始まってねえよ」
と部長は言った。
撮影が終わって解散というとき、相川先輩は一人残ると言った。部長は今日の映像チェックがしたいと、帰っていった。渋沢くんは言うまでもなく帰った。
相川先輩が気になり、帰る振りをしてこっそりあとをつけた。スクープが撮れるかもしれないなら、メイキング担当なら行ってみるべきだと思ったのだ。
相川先輩は教室で体操着袋を持ってトイレに行き、出て来たときには体操着姿だった。それから下駄箱で外履きに履き替えてグラウンドへ出た。
メイキングらしさを出したくて私はカメラに向かって言う。
「グラウンドに何があるんでしょうか」
盗撮に尾行とやってることは危ない気がしたけど、ここでやめたくなかった。撮影場所以外でのいいメイキング映像が撮れる予感がしたのだ。
関山高校は土のグラウンドの周りを陸上レーンで囲っている。そこに立ち、相川先輩は腕やアキレス腱を伸ばしていた。
『相川先輩は真面目なだけじゃなく努力家であることも知りました。几帳面すぎなければ女子からモテるだろうなって思います。それでも私はこのときの相川先輩には心を奪われそうでした』
レーンを走り、しばらくすると跳ぶ。それを何度も繰り返す。
走り幅跳びの練習かと思ったけど、遠くに跳んでいるというよりは上を目指しているようだった。他に気になるのは腕を変に動かしていること。丸めた両手を右、左と動かして最後に万歳でジャンプしている。
「もしかして、相川先輩、ダンクの練習してるんでしょうか」
何十回も繰り返すと相川先輩は水飲み場に移動した。声をかけずにはいられなかった。
「相川先輩」
「江藤?」
水を止めてから相川先輩は口元を拭った。
「ダンクの練習してるんですか?」
「見られたか」
「ごめんなさい、見ちゃいました」
相川先輩の視線の先は、私が握るカメラにあった。
「いや、メイキング担当として立派だと思うよ。映画のための練習場面はメイキングで使えるものだと思うし」
「お言葉に甘えて」
画面に映る相川先輩は生き生きとしていた。画面の相川先輩に話しかける。
「どうしてダンクの練習をしてるんですか?」
「ほら、跳び箱使えないだろ。小野のせいでさ。――だからロイター板でも使おうと思って」
「ロイター板で跳ぶんですか?」
「普通にやったら一生成功できるかわからないけど、ロイター板だったらいけるかもしれないし」
「そのためにジャンプの練習ですか?」
「まあね。今小野にロイター板貸してくれっていうのも微妙だし、まずは普通に跳ぶ練習からしようかなと」
「先輩は努力家ですね」
「別に……そんな大層なことじゃないよ。映画、完成させたいからできることをやろうかなって」
「私、応援します」
「ありがとう」
ムービー
放課後の教室には誰もいなかった。二人を除いて。夕日が差し込む中、伸一は真島と机をくっつけている。机の上にはノート、数学のテキストが置いてある。夏服だから体のラインがくっきり浮いていた。
「ごめんな、本当」
「さっきから謝ってないで手を動かしなよ」
伸一は顔を背けて笑った。
「問題解こうとしてる?」
「してるしてる」
追試の勉強を終え、鞄を持って二人は教室を出る。
「そういえば、何て名前だっけ?」
真島は訊く。
「俺の名前?」
「違う、バスケ選手」
「ああ、マグレディ?」
「それそれ。今度テレビでやってたら見てみる」
伸一はにやけた顔を手で隠した。
メイキング
体育館の件は何も変わっていないけど、その他の撮影はこれまた順調――とはいかなかった。ヒロイン役の渋沢先輩がいないのだ。
伸一が心を寄せる重要な場面なのに、ヒロインがいなければ話にならない。そして伸一だけでできる撮影も最後の場面だけだから、何一つ進められない。部長は苛立ちを露に机に座っていた。
「渋沢、メール送ったんだよな?」
「はい、返事はまだ……もうちょっと待ってください」
「あいつ、何してんだよ」
普段以上の部長の不機嫌さに渋沢くんは怯えていた。
撮影に使うのは先輩たちの教室だった。教室の後ろの黒板には「センター試験まであと〇〇日」と書かれている。夏休みが終わればあそこにまた数字が入るのだろう。申し訳ないけど撮影のために消してしまう。
三年生の教室の雰囲気は一、二年生にはない独特なものだった。見た目は同じなのに居心地が違った。
この嫌な空気を撮影し続けるのは嫌だった。何かないかと話しかけるネタを探す。
「部長は、どれくらいの人に、映画を観に来てもらいたいですか?」
「学園祭? そうだな、千人かな」
「視聴覚室、入るでしょうか」
「一日借りられるから何回も上映し続ければいけるんじゃね。一回で数百人は入るだろ。映画はそんなに長くないし」
「凄い意気込みですね」
「最後には江藤の撮ったメイキングも流すしな。また客来るぞ」
「え、これ流すんですか?」
あとでDVDに入れて配布するって言ってたけど、部長は上映も考えているらしい。
「でも、メイキング映像って上映するものじゃありませんよね? あの、DVDのおまけみたいな扱いですし」
「そこが世間と俺の違いだよ」
『部長は今もメイキング映像は上映すると言っています。みなさんの前に流れるんです、私の撮った風景が』
私は一層、このメイキング映像の重要性を知った。ラストが私の撮ったもので学園祭に来るお客さんは満足するのだろうか。映画が一番重要なのに、私のような映画もメイキングも知らない人間の映像が流されていいのだろうか。その分映画を流せばいいんじゃないか。
「相川先輩はいいんですか? 私のメイキングが最後で、というか上映してもいいんですか?」
「俺はいいと思うよ。江藤は頑張ってるし、それを学園祭で発表することはいいことだと思う。前はあんなこと言ってたけど渋沢も許すと思うぞ」
「だといいんですけど」
そう答えると渋沢くんが帰ってくる。
「あの、姉ちゃん塾にいるって」
伏し目がちなまま気持ち悪く身をくねらせている。言いづらいことなのはわかるが、もうちょっと堂々と言ってほしい。
「はあ? 塾?」
部長は机から降り、渋沢くんに詰め寄った。
「電話で言ってたのか?」
「め、メールで」
私たちはメールを見せてもらった。
夏期講習が忙しくなって行けそうにない。映画は半分出たし、課題も半分でいい。橘には適当に言っておけ小太り。
部長は血を吹き出しそうに顔を真っ赤にしていた。しかし、冷静になろうとしたのか、メガネを持ち上げ渋沢くんに向き直る。
「お前の姉は勉強するようなやつだっけ? チャラいイメージしかなかったけど」
「姉ちゃんMARCH狙ってるんですよ。意外にも」
「へえ、本当に意外だな。あいつがねえ」
部長の目は笑っていなかった。渋沢くんの額から流れる汗は滝のようだった。
渋沢くんの首を掴んだ部長は耳元でささやく。
「姉ちゃんにちゃんと話してもらおうか。課題の半分と映画の半分は違うんだぞ。お前、映画の出演半分ってあとの半分はどうしたらいいんだ? そう訊いて来い」
「ね、姉ちゃんにですか?」
「今すぐ電話しろ! 小太り!」
「はい!」
渋沢くんは教室を出て行った。彼が可哀想にも思う。
荒い息を吐いて部長は机の上に座った。
教室に人の気配がした。渋沢くんがもう帰って来たと思って顔を上げると、知らない人だった。
「橘に相川じゃん。何やってんの?」
問いかける女子は先輩たちの知り合いのようだ。クラスメートだろうか。ショートヘアが似合う活発そうな人だ。
「映画撮影だよ、映画」
「映画――ああ、そう言えば作るって言ってたね!」
元気のいい声でその人は部長の傍の机に座った。
「そっかあ、学園祭でやるのかあ。橘たちの最後の活動だもんね。頑張ってね」
その人は何気なく言った。
『渋沢くんにとっての憩いの場所がメイド喫茶なら、私にとってはここでした。いえ、ここです』
最後という単語を胸に押し込め、私は部長に小声で話しかけた。
「あの、部長……こちらは」
「同じクラスの中沢。相川と結構仲がいい」
「こんにちは、橘たちの後輩?」
「あの……江藤です」
「よろしく、江藤さん。大人しい子だね」
「何しに来たんだよ」
中沢先輩はこっちの空気がわからないのか溌剌とした様子だった。
「受験するつもりはないんだけど勉強をね。で、ロッカーに辞書だけ置いていこうとしたら橘たちがいたから」
「あ、そう」
「興味持てよう。ってか、元気なくない? どうしたの?」
そう訊くので、部長は事の顛末を話した。すると、中沢先輩は笑って、
「ねえねえ、じゃあさ、あたしやってもいい? どうせ校内だけでどっかの賞に出すとかじゃないんでしょ? ならあたしでもいいじゃん。面白そう!」
「素人が軽い気持ちで口出しすんなよ! こっちは真剣なんだよ!」
部長は怒鳴るが、はっとした表情をして黙り込んだ。
『このときの部長は頭の中が渋沢先輩と小野先生に対しての怒りばかりでした。周りが見えていなくて、それをフォローできなかったことが悔やまれます』
「ごめん、そんなに真剣だとは思わなくてさ」
中沢先輩も同じように項垂れた。
「いいんじゃないか? やりたいやつの方がやる気があるってことだし、何なら配役まるごと変えちゃってもさ」
唐突に相川先輩が言った。
部長はすぐに早口でまくしたてる。
「俺は監督として認めない! 今まで撮った分もあるし、適当にやるのは嫌だ!」
相川先輩を睨みつけた部長が怖くて私は足を引いた。中沢先輩は鞄を肩にかけて教室を出て行く。
「ごめんね、適当言っちゃって。またね」
精一杯笑顔だけは取り繕っていた。
「なあ、橘」
相川先輩は立ち上がり、通学鞄の傍にあった体操着袋を手に取った。
「何だよ」
「渋沢姉が来ないにしても来るにしてもちょっと外出ていいか?」
「どこ行くんだよ」
「グラウンド」
「何しに行くんだよ」
苛立ちをぶつけるように、部長は強い口調で相川先輩に言う。
「あの、ダンクの練習ですよね」
私は険悪な空気を何とかしたくて口を挟んだ。
「ダンクの練習?」
「跳び箱使えなくなったので相川先輩はロイター板で跳ぼうとしてるんですよ」
「は? ロイター板?」
部長は相川先輩の前に立った。
「ロイター板使ったからってできるわけじゃないだろ?」
「跳び箱使わせてもらえないなら、別の手段でやるべきだろ」
「できるのかよ、お前にさ」
「だから練習するんだろ」
「下手に怪我されたら困るんだよ!」
「今はロイター板使わないから、見逃せ」
相川先輩は体操着姿を持って出て行った。
しばらく二人で静寂の中、メイキングの撮影だけを続けていた。いや、やっていのは私だけだ。今の部長はメイキングなんて頭にない。
「あのさ、江藤」
「はい?」
「悪いんだけど、金渡すから、飲み物買って来てくれない? 甘いやつ」
「――いいですよ」
お金を受け取って教室を出る。部長には一人の時間が必要かもしれない。そもそも一人にさせてあげればよかったのかもしれない。
『私は本当に気が利かないんです』
校舎の外と通じる道からグラウンドに出た。陸上レーンにはやはり相川先輩がいた。
「どうした、江藤」
「部長に飲み物買って来てくれって言われて。あの、部長は悪気がないっていうか、その……」
「わかってるよ、付き合いは俺の方が長いし。江藤は橘のことになると熱くなるよな」
「変な言い方しないでください」
「ロイター板を使っても成功しない――俺の実力を知ってるから、あいつは無駄なことをするなって言ってるわけ」
「相川先輩、頑張ってるのに」
「でも、それだけじゃないよ」
『こう言っていいのかわかりませんが、私にはこのときの相川先輩は、伸一よりも主人公っぽく見えました』
「あいつ、俺のこと心配してるからやめろって言ったんだよ。役者が怪我されると監督として困るんじゃなくて、友だちとして困るって。でなきゃ俺のやることにあんな怒らないよ」
「――そうですか」
『少し悔しかったです。多分、相川先輩ならわかってくれるから、部長は好き勝手に言ったんだと思います。一人蚊帳の外で慌てていた自分が滑稽でした』
「俺さ、今度こそ成功させたいんだよ。みんなの足引っ張らないで、一緒に頑張って成功させたい。映画のいいところってそれが形になるんだよ。頑張った証を残したいんだ」
相川先輩はカメラに向かって穏やかに笑いました。
「そう言えば橘のお使いだっけ? いちごミルクでも買っていけば? あいつ好きだし」
相川先輩の背を見送った私は、迷わずいちごミルクを買った。
私が教室に戻ったとき、部長が一人じっとしていた。
いちごミルクを部長に手渡す。
「遅かったけど、俺の好きなの買ってきたから許す。ありがとな」
「それ、選んだの相川先輩です」
部長のストローを挿す手が止まる。
「あー、そうか。……ちくしょう!」
部長は頭を力強く掻き始める。
「やられた!」
ストローに口をつけると、すぐにパックがへこんだ。部長はむせながら空になったパックを教室の後ろにあるごみ箱に投げた。縁に当たって床を転がる。喚きながらパックを拾いに走り、放り投げた。
「あの主人公野郎! どこまでカッコいいんだどちくしょう!」
部長はごみ箱を抱え、私に向かって全力で走った。
「江藤!」
「えっと……」
「俺の醜態、撮ったか?」
「八つ当たりみたいなやつなら、ちゃんと……」
「絶対に使ってやる!」
教室の隅で右足を前、左足を後ろに立ち、「よーい」と言った部長は高々と両手を掲げた。
「ドン!」
ごみ袋のすれる音、部長の足音、それらはすぐ大声にかき消された。部長は教室を何周か走り回り、元の位置寸前でジャンプし「シュート!」と言ってごみ箱を投げた。缶用にぶつかり、二つは横に倒れ、いちごミルクのパックが再度床を転がり、動きを止める瞬間、部長の右足に踏み潰された。
「おい、江藤!」
「はい」
どう反応していいかわからず、カメラだけ向けていた。
「俺は誰だ」
「えっと……部長、じゃないんですか?」
「違う、橘監督だ!」
部長はカメラのレンズに触れそうな距離でVサインをする。
『見惚れていた私はカメラを構えていませんでした』
カメラには映らなかったけど、私はちゃんと部長の笑顔を捉えた。
「全部監督に任せろ!」
ムービー
――え? 何で?
体育館で伸一は真島と向き合っている。他には誰もいない。隅には白いタオルとボールが一つ置いてある。
「だって私、部長のことが好きだし」
真島はしれっとした表情で答えた。伸一は身振り手振りを激しくする。
「で、でも、一緒にご飯食べたじゃん」
「他に食べる人いなかったし」
「勉強だって一緒に……」
「部長が見てやれって」
項垂れる伸一。
「長崎くん以外にも告白してきた人いるよ」
「嘘、誰!」
「バスケ部の誰か、だよ。――大体、部長目当てで部活入っただけなのに、どうしてみんな私に告白するのかな。部長が引退したら私もやめる予定なんだけど」
「じゃあマグレディは何なの? バスケは好きじゃないの?」
「バスケ好きだよ。それにアメリカの選手知ってたら部長も私のこと褒めてくれるかなって思ったし
――ごめん。もう一度言ってくれる、その選手の名前。凄い選手なんでしょ?」
伸一は何も答えられなかった。
「ごめんね、フラれたばっかなのに。でも長崎くんが面白い人って思ったのは本当だよ。それにダンクシュートだって練習するたびに高く跳べるようになってたし、ひたむきに練習できるのは凄いって思ったよ。すぐにできるようになると思う。――これからもよろしくね」
真島は体育館を歩いて、出入り口のところで振り返る。
「名前はまた教えてね」
伸一は体育館の隅に落ちていたバスケットボールを手に持った。
メイキング
部長の教室でカメラの準備をしていると、扉がガン、と音を立てて開かれた。
「というわけで、よろしくね」
新たに真島役に抜擢された中沢先輩が私に手を差し出す。
「えっと、よろしくお願いします……」
これから一緒に映画製作をする仲間なのに、恥ずかしくて目を合わせられなかった。手を離してすぐ机に置いたカメラを持った。
「相川と渋沢くんは?」
教室には部長と私と中沢先輩の三人だった。
「あいつらは図書室。相川は自分の課題をやって、それを渋沢が写してる」
「渋沢くんって二年生だよね? 何で?」
「中沢の前に渋沢の姉――俺らと同じ学年のやつだけど、そいつに真島役頼んでたんだよ。夏課題を代わりにやるから出演してくれって条件だったのに、中途半端にすっぽかしやがった。渋沢は姉に逆らえないからやるしかないけど、真面目な相川は仕事を放棄したやつの課題をやる気にならないって言って。だから今、渋沢が必死に写してる」
「ちゃんと来るの?」
「撮影時刻は伝えてるから、大丈夫」
「ふーん」
中沢先輩は納得した様子で次は私を見た。
「江藤さん、メイキング担当なんだよね」
「はい……」
「それってこういうとき、出演者とかにインタビューしたりするんだよね?」
「そういうときも、あります」
「じゃあ何か訊いてよ、暇つぶしにさ」
「えっと……」
中沢先輩の言うことももっともだ。私は自ら人に質問するようなことがあまりない。そういう仕事を任されているはずなのに、ただ何かを撮り続けているだけだ。目を見ることができないから、カメラの画面を少し傾け、画面越しに喋る。
「あの、どうして出演してくれたんですか?」
「あー、何か当然だけど、話しにくいこと訊かれちゃった」
「あ、嫌なら変えます」
「いいよ、気にしないでー。――最初は面白半分で言ったんだけど、江藤さんは知ってるよね?」
頷いた私を見てから中沢先輩は椅子に座った。机にじゃないんだ、と思いながらカメラを動かす。
「いやー、橘には本当に悪かったと思う。こいつ、映画に関しては真面目なやつだったんだよね。教室でも熱く語るし」
振り向いた中沢先輩は、部長の机の前の席を指さす。
「相川も真面目なやつだし、もうスーパーっていうくらいのさ。毎日一問一答のテキストとか、英単語のテキスト見てても、友だちが話しかけたらそっち優先するし。宿題忘れたやつには写させてあげるし。でも最初から相川目当てのやつにはノートもプリントも貸さないし。人の話はちゃんと聞くし、掃除も誰よりもするし。何ていうか、入学したばかりの頃の真面目さをいつまでも持ち続けてるっていうか、とにかくそんな真面目なやつがさ、映画製作を不真面目にやるわけないんだよね。出たかったのは本当なんだけど、あのときは適当に言っちゃって、あたしあのあとすっごく自己嫌悪でさあ」
「申し訳ないと思ったから、出演を決めたんですか?」
「ううん、それは別。あたしさ、去年までバレー部にいたんだけど、練習が嫌だったんだよね、一年のときからずっと。友だちがやめたのに合わせてやめたんだけど、自分が適当だなあって思ったの。相川と橘見てて、この二人みたいに頑張れたらいいなって、今度は頑張りたいなって思って、橘が出演してくれないか、って電話してきたんだけど、すぐやるって返事したよ」
中沢先輩は自分が凄く語っていたことに気づいて照れるように笑った。
「はは、橘の前でこんなこと言うのは恥ずかしいね」
「いえ、凄くよかったです。カッコいいです」
「そう? それならよかった」
続けてインタビューをしていると、開いていた扉から相川先輩と渋沢くんが入って来た。相川先輩はいつも通りだけど、渋沢くんは疲れたように猫背で歩いている。
「お帰り。終わったか? 姉の分」
「まだですよ、写すだけでも嫌になります――」
渋沢くんは顔を上げると口を閉じた。中沢先輩を見つめたまま、閉じた口をまた開けたり閉めたり、微妙に腕が震えていたり挙動不審だった。
「渋沢くん、こんにちは」
中沢先輩はにこやかに手を振る。
「渋沢くんのこと知ってるんですか?」
「うん、知ってるよ。いつもありがとね」
「何で、何で! 何でメイちゃんがここに!」
私と先輩たちは一斉に中沢先輩に注目する。
『一瞬誰だっけ、と思ったんですけど、思い出した瞬間びっくりしました。興味がなかったはずなんですけど、仲よくなると別の話でした』
「え、何? 中沢ってソフトボール部のメイちゃんなの?」
部長が驚いたように尋ねる。
「うん、バレー部やめて今はソフト部にね。ソフトボールはしないけど」
「まさか、メイちゃんが部長の言ってた中沢先輩だったりしちゃうんですか!」
鼻息を荒くした渋沢くんは中沢先輩にじりじりと寄っている。
「そうだよ」
「よっしゃあ!」
さっきまでの疲れ気味だった渋沢くんは過去のものとなり、私が今まで見た中で一番輝いている彼は、蓄えた肉を上下させながら何度も拳を振った。
「イエス、イエス、イエス! 部長、早く撮りましょうよ、早く!」
「元気なやつだなあ」
「完成したら上映しないで僕らだけの宝物にしましょう!」
「上映するわ!」
私たちは道具を持って体育館に移動した。部活動が終わり、無人となった体育館の静けさは緊張感を増幅させる。
親指を立てて部長が小野先生のいる部屋の扉を開けた。私は扉の傍で待機する。
「お願いします!」
「おい、橘! 立て! 顔上げろ!」
「お願いします! マットも敷くし、安全面には気をつけますから!」
そのあと中沢先輩も扉を開けて「お願いします」と頼み込んだ。映像には残せなくても、私は二人の勇気の声をおさめた。
やがて扉が開き、親指を立てた二人が笑顔で出てきた。部長の親指にはリングがついていて、その先には鍵があった。
「女には本当に甘いのな、あいつ」
部長は用具室からロイター板を抱えてきて、渋沢くんと相川先輩がマットを運んだ。
ムービー
「マグレディ!」
伸一はボールを手にゴールリングに向けて跳んだ。
何かにぶつけないと収まらないくらい鬱憤が溜まっていた。
「ふざけるな!」
ボールを床に叩きつける。すぐに伸一の背を越し、ボールは落下する。
「ふざけるな!」
ドリブルをして、ゴール真正面から跳躍した。
伸一の両手はリングを掴んでいた。ボールはリングを潜り抜け、ネットを通った。
数秒、彼はぶらさがり続けた。
伸一はリングから手を離した。
「できた……ダンク、できた。やっと、できた」
ボールは床を転がる。
メイキング
準備が整い、部長が全員を集めた。
「円陣組もう」
『文化系の部活がやることなのかな、って思いますけど、誰も何も言いませんでした』
「えいけーん、ファイ!」
「オー!」
部長のかけ声に合わせて私たちは声を揃えて右足を一歩前へ踏み出した。
『こんなに大きな声を出したのは、生まれたばかりのときのおぎゃーという泣き声以来かもしれません』
相川先輩はボールを床に何度か突き、レイアップのようにボールを抱えて跳ぶ。
「相川、準備オッケー?」
「いつでもいい」
「渋沢は?」
「ばっちりだよ、メイちゃん!」
「俺に言え!」
手を振る中沢先輩を横に、部長は舌打ちをする。
「じゃあ、いくぞ」
みんなの唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「ラストシーン、カット4、テイク1!」
インタビュー
――今回主役をやって、いかがでしたか?
「部員が少ないとはいえ、俺が主役かよ、って思いました。しかもどんな話かと思えば、バスケ部のやつがフラれるって内容だし。何か、監督の悪意みたいなのを感じたんですけど……あれ悪意ですよね?」
――かもしれませんね。相川さんが惨めに終わればいいって思ってた気がします。
「ですよね」
――私としては今回の撮影で相川さんの真面目さが際立ったなと思うんですが、どうでしょうか?
「俺は普通にしてるつもりなんだけど、そんなに真面目ですか?」
――役のために体張ったじゃないですか。ラーメンも頑張って食べてましたし。
「撮り直しの二回目はきつかったです。一回目、あのヒロイン交代前のとき一生懸命食べたのにって思いながらだったので。ラーメンが血管とか内臓の中に入って来た感じがして、やばかったです」
――それなのに頑張るところがやっぱり真面目だと思います。ダンクの練習も頑張ってましたよね。
「そうですね。学校だけじゃなくて近所の公園とかでも練習してたんですけど、ゴールがなかったせいか通行人から変な目で見られました」
――そんな裏話があったんですね。成功してよかったです。
「まぐれだと思いますけどね。次またできるかわかりませんよ。ロイター板がなかったら絶対にできませんし。マグレディじゃあるまいし」
――マグレディ、好きなんですか?
「はい、好きです。何と言うか、マグレディのプレーを見てると頑張ろうって気になれるんですよ。バスケ選手じゃなくなったのが残念ですけど、でも頑張っているみたいなので、俺も頑張ろうって思いました」
――そう言えば、みんなで頑張って、その証を残したいと仰ってましたけど、どうですか?
「それは江藤さんもよくわかってるんじゃないですか?」
――ですね。
「観に来てくれた人が楽しんでくれたらと思います」
――ありがとうございました。
――お久しぶりです。
「お久しぶりでーす」
――早速伺いたいんですが、急にヒロイン役をやってどうでしたか?
「うーん、そんなに困ったことはありませんよ。コショーラーメンのシーンとか、教室で勉強するシーンとか、みんなは一回やってるところだから、結構進行がスムーズだったみたいだし。あたしもやりやすかったです」
――じゃあ、結構楽だったんですか?
「演技が得意なわけじゃないですけど、でもああいう、役になりきるって好きなので楽しんでやれたのは間違いないです」
――確かに楽しそうでしたね。
「そうですか? それに一番大変だったのは相川だし。ダンク決まったときはもう声出すのとか暴れるの必死に堪えるのが大変でした。あ、そういう意味なら黙っているのが一番大変でしたね」
――他にも大変だったことがあるんですか?
「あるとすれば――やっぱり伸一の告白を受け入れないところですね。あたしあんなひどい性格してないのにー、って心の中で思ってました。顔に出さないようにするのが大変でしたよ」
――やっぱりそうだったんですね。何となくそう思ってました。
「あの、ちょっといいかな?」
――はい、何でしょう?
「相川! 映画の伸一はフラれちゃったけど、あたしは相川のこと、大好きだぞ!」
――え、えっと、えっと、ど、どうしよう……。
「出演させてくれてありがとうございました!」
――は、はい。どういたしまして。
――あの、大丈夫ですか?
「大丈夫なわけあるか!」
――あの、撮影していて苦労したこととかありましたら。
「メイちゃん、何で!」
――あの、メイちゃんに一言お願いします。
「メイちゃん! 何であんなくそ真面目で面白味の欠片もない、仏頂面のつまらない野郎のことなん
て好きなんだよう!」
――渋沢さん、相川さんのことそんな風に思ってたんですか……。
――じゃあ、その、小太りさんがいろいろありましたけど、気を取り直して。監督をやられた感想をお願いします。
「相川のダンクが決まった瞬間、俺ほど監督が似合う男もいないと思ったね」
――えっと、それって相川さんのダンクは自分の手柄ってことですか?
「映画製作内でのおかげっていうのは、全部監督のおかげなんだよ。全ては監督の手の平だからね」
――でも反対されてましたよね?
「俺がああ言ったからこそ、相川はやれたと思うね。頑張れって応援したんじゃ何も変わらなかったと思うよ。反発精神が大事なんだよ」
――凄い自信ですね。
「監督は自信が重要なんだよ。指示を出すにも、決断するにも、何をするにもね」
――確かに、小野先生に立ち向かったり、ヒロイン役を中沢さんに任せたり、監督は度胸がありますよね。
「そうだな、俺より度胸があるやつもいないんじゃないか。相川は真面目なだけだし、渋沢は小太りだし、顧問の大西も小野にびびって職員室に縮こまってたし」
――相川さんは度胸あるんじゃないんですか? ロイター板使ってダンクって、私ならちょっと怖いです。
「あれ、江藤、三角関係でも作りたいの?」
――違います。中沢さんに怒られちゃいますから、勘違いするようなこと言わないでください。
「了解、了解」
――どうしてこんな話でやろうとしたんですか? 相川さんは悪意があるって言ってましたけど。
「悪意なんてねえよ。まあ、相川がフラれる場面はめっちゃくちゃ笑えるけど。バスケを題材にしたのは主役やる予定の相川が経験者ってのが大きいし」
――それだけなんですか?
「言ってしまえば、自分を応援したかったんだよな」
――自分をですか?
「映画を観るようになるまでは、夢中になれることがなくてさ。だから人生適当に生きてたんだけど、映画を好きになってからさ、頑張りたいって思ったんだよ。伸一がフラれたみたいに上手くいかないこともあると思うよ。でもあのダンクみたいに、頑張ればできることがあるんだって、俺自身に伝えたかったんだよ」
――きっとあの作品を通じて、みんながそう思えますよ。
「だったら嬉しいけど――江藤にも通じた?」
――それは次のお楽しみです。
――メイキング作りお疲れ様です。
「お疲れ様です。でも、今まさに作ってるので終わってはいないんですけどね」
――ここまでのメイキングに関してはどうですか?
「みんなのいろんなところが見えたと思います。私は常に誰かを見ていました。みんなのことが見られたことが楽しくて、やってよかったなって思います」
――部長には感謝ですね。
「はい。部長には本当に感謝しています。今回のメイキングもそうですが、部長が誘ってくれなかったら、私は今でも一人だったと思います」
――どういう出会いがあったんですか?
「大したことじゃないんです。ただ勧誘されたんです。映画研究会勧誘チラシを配ってる部長から一枚もらいました。ずっと何かしたいと思ってました。でも中学まで何もできなくて、高校生になったら今度こそ何かしたいと思ってたんです。でも、待ってるだけじゃ何も来ませんでした。友だちもできないから班ごとの活動では浮いちゃってます。部活にも入り損ねてたんです。どうしよう、どうしようって迷ってるうちに仮入部期間が終わっちゃって。二年生になってからは今更部活なんて入っても気まずいって言い訳してました。自分から動かなきゃ駄目なのに。だからチャンスをくれた部長には感謝してます」
――頑張れたんですね。
「いえ、駄目です。入っても恥ずかしくて声をあてるとか、役をやるとかできるようになるまで時間がかかりました。今でも恥ずかしいんですけど。その点では相川さんや中沢さんを尊敬します」
――それでメイキングを?
「部長が声だけならいいだろって言ってくれました。私はそれもやりがいがあると思ってみんなを撮りました」
――でも、今はこうしてインタビューを受けてますよね。平気なんですか?
「緊張はしてます。でも、みんなの頑張ってる姿に影響されちゃいました。部長が映画で伝えたかったことも通じたんだと思います」
――みなさんに何か言うことがあればどうぞ。
「相川先輩。気遣うつもりなのに逆に気を遣わせてしまって、その、ありがとうございました。相川先輩の誠実さにはみんなが助けられたと思います。中沢先輩。恥ずかしがってた私のために気を遣ってくれてありがとうございました。気を遣わせてばかりですね、私。私も先輩みたいにカッコよくなりたいです。渋沢くん。えっと、ムードメーカーお疲れ様でした。部長たちがいなくなったら私たち二人だけって言うのが不安しか……部長。いなくなっちゃうんですか? 私、もっと部長と一緒に映画撮りたいです。今度は私が役をやってもいいです。いえ、やらせてください。ちゃんとやりますから、いなくならないでください。お願いします」
――最後に何かありますか?
「最後なんて嫌です」
裏話
「面白かったよな。あれ」
メイキング映像を全て完成させ、一段落したあと部長からからかわれた。
「面白くないです。それに、まだわからないじゃないですか」
スタッフインタビューが終了直前――最後の私は泣いてしまった。泣きたくて泣いたんじゃない。自然と涙が出てきてしまった。みんなとの頑張りが終わってしまうことが辛かった。そして次はない。学園祭が終われば三年生はいなくなるんだ。わかっていたのに、知らない振りをしていた。いなくなってしまう事実に耐えられなくて感情が込み上げてしまい、泣いてしまったのだ。
それなのに部長ときたら、「いなくならねーよ」と言った。何を根拠にと思った。部長は映画が好きだから、映画研究会みたいなのがある大学でも目指すのだと勝手に思っていた。実際そうだったが、「俺は推薦狙うから」そう言って私の頭を撫でた。
最後まで部長にしてやられた感じが気に食わなかったけど、最後じゃなくなったことが私の涙を乾かした。
「俺にかかれば推薦入試なんて余裕だっての」
「成績いいんですか?」
「一夜漬けで平均以上取れるくらい」
「……いいんですか?」
「高望みしないからいけるとこ狙うって」
推薦入試は小論文が多いらしくて、勉強の時間はいらないから活動に参加できるらしい。
「受験勉強嫌だしな。相川みたいにはなれないし」
相川先輩は完成後も日本史一問一答を黙々と眺めていた。赤いシートで答えを隠しながら問題を解いている。
「私にも無理そうです」
「相川みたいになると人生つまらなくなるから、真似しなくていいぞ」
「聞こえてるぞ」
相川先輩はテキストを閉じてにじり寄る。
「お前みたいなやつは最終的に苦労するぞ」
「老後の心配なんてするだけ無駄だろ」
「そういう話をしてるんじゃない。推薦入試が合格でもそのあと大学の授業とか就職活動とか、いろんなことに直面するたび準備不足のお前には苦労しかない。大体社会に出てからもお前みたいなのは約束を守れなかったり時間に遅れたりで、周りに迷惑をかけるんだよ――」
「な、つまらなそうだろ?」
私の耳元でささやいた部長に同意しそうだった。
そして相川先輩に反論したかった。部長は約束を破ったりはしないし、撮影のときも時間は守っていた。みんなのために立ち向かった。みんなのために真剣だった。
相川先輩は本心ではわかってるだろう。私も口にするのが恥ずかしいから相川先輩の小言を聴き続けた。
「はいはい、楽しそうでいいですねえ」
テレビ画面では格闘ゲームで渋沢くんが勝利していた。
「本当に何で僕だけ……」
「何の話?」
部長が尋ねると渋沢くんはゲーム機の電源ボタンを押した。
「相川先輩も部長もいいですねえ。僕なんかと違って。特に相川先輩はよく僕の前にいられますね。ね?」
「あの話はするなよ」
「はいはい、モテモテの相川先輩、カッコいい。――あのメイちゃんの笑顔。あれは僕じゃない男のためのものだと思うとオムライスがまずくなるんですよ」
それでも通い続けている渋沢くんは偉いと思った。中沢先輩は渋沢くんのこと、嫌いじゃないだろう。なりきることが好きと言っていた彼女は、喫茶店の店員として笑顔を振りまき、それを喜んでくれる渋沢くんを嫌うことはない。中沢先輩の一番にはなれないと思うけど。
全ての収録を終え、渋沢くんがゲームをやめたのをきっかけに、部長がディスクに焼いた映画を再生プレーヤーに入れた。
「あ!」
部長が大きな声を出した。
「どうしたんですか?」
「あった」
部長は振り向き、手にしたものを見せた。
「あ、リアリティの二巻」
「ゲームソフトの棚に混ざってた。いや、気づかないもんだな」
相川先輩は漫画を受け取るとパラパラとめくり出した。
「ずっと気になってたんだよ、あー、やっぱ感動の巻だ、これ」
「よかったな」
「なかったら弁償させるところだったから、お前がよかったなだよ」
助かった、と呟いて部長はリモコンを操作する。
「よし、試写会だ!」
私たちは無意識に笑顔で拍手をする。
「上映開始!」
こういった映像作品系の小説を書きたいと何度も思い、その第一歩としてこれを書いたのですが、残念ながら四年経過した現在、特に映像関係小説は書いていません。
(小説自体はそれなりに書いていますよー)
ただ、元々映像を扱った作品を書いてみたいと思い始めた作品ですが、どちらかというと青春路線(別掲載している『消音にしたの誰ですか?』みたいな)ばかりだった自分が、これをきっかけにコメディ作品を書く機会も増えたというか、これを書いたことでコメディを気軽に書けるようになったので無駄な作品ではなかったな、と思う次第であります。