決意
リトナは明らかに動揺し始めた。だから俺は彼女が落ち着くのを待ってから再び話し始める。
「いいかい。順を追って話すよ。まずあの日、リトナの遠征は誰にも知られていなかった筈なんだよね? なのに勇者はそこに正確に助けにきた。それは何でだと思う?」
「そ、それは……ユート様の、勇者の奇跡によるもので」
リトナは自分の信じている情報を人形のように呟く。
「勇者の奇跡なんてものは無かったんだよ。あれは、情報を事前に知っていたある従士を勇者が金で買収し、手に入れていたんだ」
「ユート様が事前に……? な、なんでそんな事を」
「それは今から話すよ。まずリトナ達を襲った魔物だけど、あれはどこから来たのかが一切謎だった。けど俺はわかったんだ。その魔物はある貴族から勇者が買い取ったものだった」
「か、買い取った? ユート様が? そ、そんな。信じられません」
「これを見て欲しい」
俺はダミーから受け取った誓約書をリトナに見せた。彼女はそれを見始めるとみるみるうちに顔色が変化していく。
「こ、これは……確かにユート様の名前。そんな、まさか」
「そう。勇者は従士からリトナが通るルートを聞き、ダミー公爵から魔物を買って、そこに魔物を仕掛けたんだ。そしてそれを自分の手で倒す事で英雄を演じた」
「嘘……あの時私、本当に死ぬかと思って……それが全部、嘘」
リトナは顔から汗が噴き出していた。過去のことを思い出しているのだろうか。相当思い出したくないみたいだけど。
彼女はひとしきり悩んだ後、顔を上げ俺を見つめてこう言い放った。
「それが本当なら……私、到底彼を赦す事は出来ません」
「俺もそう思う。これは勇者の周到な計画だ。これを使ってリトナ、君の心を奪うためのね」
「あの時、魔物に襲われて亡くなった方もいました。その方はそんな演技のために亡くなっていい方ではありせんでした!」
リトナは少し涙を流しながらそう言った。彼女は悔しいのだろう。今まで何も知らずに過ごしてきた事が。
「これは勇者による立派な王族殺害未遂だよ。リトナ、俺と一緒に闘ってくれるかい?」
「ローシュは、何故そこまでしてユート様を?」
「そうか、君にも話さないとね。実は俺は――」
俺はリトナに話した。俺は幼馴染と結婚の約束をしていた事。でも帰ってきた彼女の心に俺はいなかったこと。そしてそれも勇者が自作自演で危険な目に合わせ、それを助けて好感度を上げ続けていたこと。
リトナは辛そうな顔をして時々涙しながら俺の話を聞いてくれていた。
「――っていうことなんだ」
「そんな……そんな辛いことがあったのですね」
「うん。俺は今でも勇者を許せない。俺がリトナにこんなことをしてるのは、リトナがまたあいつの毒牙に引っかかるのを見てたくなかったんだ」
「ローシュ……」
「本音を言うと、最初はただ勇者に復讐する事だけを考えて君に近づいたんだ。けど君と仲良くなる度に俺は、リトナをあんな奴に取られたくないって、そう思ったんだ」
俺は本当なら言わなくて良いことまで言ってしまってる気がする。けど、やっぱり言いたい。いや、言わなくちゃ駄目なんだ。
「リトナは本当にいい子だと思った。無邪気で優しくて、人の事を考えられる。俺はそんな君と触れて、復讐のためだけでなく君をあいつから守りたいっていう意思で動く事にしたんだ。これは俺の本音だ。信じて欲しい」
俺はそう言って、リトナの目を真っ直ぐ見た。するとどうだろう、彼女は顔を赤くして黙ってしまった。
しまった、やっぱり印象が良くなかったかな? 素直に考えを全部言ったんだけど。
そう思っていると、リトナが口を開いた。
「あ、あの……そんな風に褒めたり真っ直ぐに守りたいなんて言われると、少し……照れます」
「え、ああ……ご、ごめん」
なんだか気まずくなって2人とも黙ってしまう。そこにハミラさんが咳払いをかけて入ってきた。
「とにかく、これは重大な事件です。姫、一度国王にも報告することになりますが」
ハミラさんがそう言った。
国王。遂にそこまできたか。いや、2ヶ月にしては早すぎると言ってもいいか。
「そうですね。お父様はこの事を知ったら大激怒すると思います。そもそもユート様の事はそんなに好きじゃなかったので」
「え? 国王様が? そうなの?」
俺は思わず驚いてしまう。そんなの初耳だ。
「ええ。ユート様を5年前召喚したのはお父様なのですが、彼は自身が勇者という事が判明するや否やその権力を使って城の中の女性達に手を出し始めたのです。お父様はその事やユート様の傍若無人な態度があまり気に入っていない様子でした。けれど世界を救うには彼しかいないので何も言わないとの事でした」
国王が勇者を降臨させたのか。いろいろと知らなかった情報が出てくるな。
「そしてユート様は私をお気に召したようで、求婚を迫ってきました。私はあのように好意を熱烈に伝えられた事が無くて、ユート様に少し好意を持ちました。けれどお父様は流石にそれは許さなくて、その場はユート様も引き下がりました」
熱烈にアピールされて好意を持っちゃったのかリトナは。なんというか男性に対して免疫がないのかな。というかただただ純粋なのか。
「そのまま月日は流れユート様が来てから3年が経った頃起きたのがあの事件です。その事件で私は完全にユート様に恋慕を抱きました。そしてお父様も渋々婚約を認めた、というのが事実です」
なるほど。という事は国王は勇者がリトナを救ったという事実がなければ婚約を認める気は無かったという事だ。
「じゃあ俺が王様にこの事を話したら」
「ええ、おそらく私とユート様の婚約は破棄されるでしょう」
「リトナはそれで……いいのか?」
本当はこんな事訊いても俺にメリットはない。今のこの雰囲気のまま勇者とリトナを徹底的に対立させれば俺の思った通りになるのだろう。
けれど、だけれども、何故か俺はそれを雰囲気だけで決めて欲しくない。リトナが心から決めた事でないと嫌なのだ。悩んで悩んで、自分で決めて欲しい。
リトナは、俺の問いに対して俺をまっすぐ見据えると、濁りのない目でこう言った。
「私は、悔しいです。何も知らずに彼を白馬の王子だと、運命の相手だと思っていた事が。それが尊い犠牲の上に成っていて、あまつさえ彼の計算によって行われていた事が!」
リトナの目に迷いはなかった。
ならば俺も、迷いはない。
「それなら俺と一緒にあいつを、勇者を倒そう、リトナ」
「はい、私も到底彼の行為を赦す気はありません! 私は彼と婚約破棄をする事をここに決意します!」
俺は、その言葉を聞いて勇者の輝く道にヒビが入った瞬間を目にした気分だった。
「……話が一段落したところで、ローシュ」
「はい?」
「何か、私の変化に気付きませんか」
リトナが少し体をモジモジとさせながら俺を見てそう言ってきた。
はて、変化とな。なんだ?
俺はリトナの体を上から下まで見た。そして下から上までまた見る。
ははぁん、成る程。気づいたぜ。リトナも可愛いところあるなぁ。
俺はリトナの髪に先日俺があげた髪飾りがあるのを発見した。
「つけてくれてるんだ髪飾り。似合ってるよ」
「ふふ、そうですか……」
俺がそう言うとリトナは嬉しそうに笑った。
そして少しの間の後、彼女は俺に訊く。
「ねぇローシュ。ユート様を倒すって事は、貴方の幼馴染であるミナさんも何か影響が出ると思うのですが、今貴方にとって彼女はどういう存在なんです?」
リトナのその質問は、幼馴染を陥れる覚悟はあるのかって事だろう。
「少し長くなるかもだけど……俺にとってミナは小さい頃からずっと一緒だった幼馴染っていう印象が一番強いんだ。本当にずっと一緒だった……」
俺は頭の中で想い出の中のミナを思い起こす。そこには純粋で俺と楽しそうに笑うミナの姿があった。
心臓のあたりがちくりと痛む。
この感情から逃げちゃ駄目だ。俺は向き合う必要がある。
「だから、そんな彼女が俺が好きだとわかった時は死ぬほど嬉しかったし、勇者に奪われてしまった時、俺は自分の体の一部が消えてしまったかのような痛みを覚えた。そう、俺にとってミナの存在は“光”のようなものだったんだ。俺を照らす光」
リトナは俺の言葉を真剣に聞いてくれている。
「絶望という感情はやがて勇者とミナとそして何より自分自身への憎しみへと変わった。だから俺は勇者の大切にしている君を奪って、奴より強くなったと証明してやろうと思ったんだ。それが勇者とミナへの復讐にも繋がると思った」
「ええ、先ほど貴方は勇者に近づくために私に近づいたと素直に言ってましたものね」
リトナはそう言ってクスクスと笑った。俺はその笑顔に救われる。
「そうさ。最初にリトナに会った時、俺はバケツの水をこぼして転んだだろう?」
「ええ、ついでに鼻血も垂らしてらしたわ」
「あれは自作自演だったのさ。勇者がミナに使ったっていう自演を俺もやってやろうと思ってやってみたんだ。まぁ鼻血まで出すつもりは無かったんだけど……」
「ユート様に比べたら随分と小さな自演でしたね。けど見事に私は心配してしまいました」
そう、俺はそのリトナの純粋な心に漬け込んだんだ。
「俺がやってる事は勇者がやってる事となんら変わりないんだよリトナ。俺はミナや勇者を恨んでいるのに、リトナやハミラさんを騙すような真似をしてたんだ。俺は、リトナ達に謝らなくちゃいけない。本当にごめん……」
喋っているうちに、話の方向が変わってしまったような気がするけど、俺が言いたい事は言えた気がする。一方的にだけど。
そして、この復讐劇の中でずっと心の中に引っかかっていたもの。リトナとハミラさんを騙しているという心のしこりも言うことができた。
今勇者に遂に復讐できそうっていうこの場面で言っちゃう俺は本当に馬鹿なのかもな。けどやっぱり黙ったままなんてできないんだ。
リトナはそんな俺の顔をじっと見つめたかと思うと、口から吹き出すかのように笑った。
「ふふ、なんて素直な方なんでしょう。普通そんな事今言わないでしょう。けど、ローシュ? 貴方、1つ勘違いしていますよ」
「え?」
「私がユート様に対して怒っているのは自作自演で自分が騙された事ではありません。それは私が子供だったのです。私が怒っているのは、彼の勝手な計画で犠牲になった方がいて、その犠牲を踏み台にしてまで私を手に入れようとした傲慢で浅ましい精神です」
拳を握りしめ、リトナは続ける。
「確かに貴方も私に自作自演で近づいたのかもしれません。ですが、その出会いは私にとって掛け替えのないものになりました」
リトナは少し頬を染めて、髪飾りに手を添えながらそう言った。
「そういう事よ。私もそんな事気にしちゃいないわ。けどおばさんをあんまりからかわないこと、いいわね?」
ハミラさんも、リトナの後ろからそう言った。
ああ、俺はなんていい人たちに出会ったんだろうか。傷ついた心が、癒えていく。
そうか、そうだったんだ。俺は、もうこのお姫様に、どうしようもなく惹かれているのだ。




