絶望
ミナの言う通り、彼女は毎日手紙をくれた。内容としては旅が辛いだの俺に会いたいだのが多かった。俺もそれに返信して心の隙間を埋めていた。
異変が起きたのは1カ月が経った頃だろうか。この辺りからミナの手紙には勇者についての事が書かれるようになった。内容は偶然を装ったセクハラが多いとの事だった。
むかつく野郎だ。ミナに手を出したらただじゃおかないぞ。
どうやら勇者の仲間の杖と弓の女性は勇者にぞっこんらしく、夜な夜な代わり番こに勇者と夜を過ごしているらしい。ミナはそれに関して穢らわしいと綴っていた。
3ヶ月目の手紙では勇者の事を少し擁護するような事が書かれていた。どうやら魔物に襲われ危ないところを勇者に助けてもらったらしい。案外悪い奴じゃないのかも、なんて書かれていた。
ミナ、大丈夫だろうか。
4ヶ月が経つと手紙にはまた変化が起きた。勇者の事を今までは“勇者”と書いていたのだが、“ユート”と手紙に書くようになった。何か心境の変化があったのだろうか。不安だ。
5ヶ月目に入ると手紙が毎日届かなくなった。最初は何かあったのか心配だったがどうやら単純に忙しくなったらしい。
半年が過ぎ、遂に手紙は2週間に1回しか届かなくなった。そしてその手紙の中身も殆ど短文で、あまり感情のこもっているようには見えない。
そして8ヶ月目には手紙が届かなくなった。
俺はとても不安になった。ミナは、もしかして俺が知らないところで何か変わってしまったんじゃないのか? 言いようのない不安が襲う。
だが数日後、ミナから手紙が届く。内容は王都に一時的に帰還する、というものだった。魔王軍の幹部を1人倒した事で魔王討伐も現実味を帯びてきたため、一旦態勢を立て直すという意味合いらしい。
俺は喜んだ。ミナに会える!
そう思って俺は王都にミナ達が帰還する時に合わせて王都に向かった。ちなみに王都までの交通代は高い。
俺は持っていたお金を殆ど使って王都に向かった。帰りの事は後で考えればいい。
俺は高鳴る心臓を抑えながら勇者達の凱旋帰国を待った。既に王都は勇者達を待つ民衆達で埋まっていた。
そして勇者達が帰ってきた。馬に1人ずつ乗り、赤く敷かれた絨毯の上を歩いていく。民衆達も歓喜して迎えた。
ミナは、ミナはどこだ? いた!
ミナは最後に馬に乗って向かっていた。彼女の表情は明るかった。最初はあんなに旅に行くのを嫌がっていたのに。民衆に手なんかふっている。
それに胸元の開いた甲冑なんか着ている。あまりそういうのは好きじゃなかった筈なんだけど。
俺はなんとかミナに気づいてもらおうとしたが気づかれる事はなく、勇者達は城の中に入っていった。
そして少しすると勇者達は城から出てきた。何やら重大発表があるらしい。いったいなんだろう。
勇者は声を張り上げて話し始めた。
「みんな、よく集まってくれた! 今日俺は報告する事がふたつある! まずひとつ、魔王の側近を倒した! もはや魔王討伐は目前と言えるだろう!」
「おおおおおお!」
聴衆が大きな声を上げる。
「そしてもうひとつの報告は、結婚だ! 俺はこれまでの旅を支えてくれたこの3人の仲間全員と結婚する事を決めた! みんな、祝ってくれるか!」
「おおおおおお!」
再び聴衆は喜びの声を上げた。
ちょ、ちょっと待て。結婚? どういう事だ? 3人と? 一夫多妻は認められていない、というかそんな事よりそこにはミナがいるんだぞ。俺の婚約者のミナが! いったいどういう事なんだ?
俺はミナの方を見た。すると彼女は頬を赤らめて勇者の事を見ていた。
まさか……そういう事なのか?
俺の心はその瞬間、暗い暗い海の底へ沈んでいった。その後も王が出てきて何か言っていたようだったが俺には何も聞こえなかった。
どれくらいそこに突っ立っていたのか。あたりは既に暗くなっており、もう周りに誰もいなかった。
「確かめなきゃ……」
俺はうわごとのようにそう呟いて城へとぼとぼと歩いて行った。勿論門の前で兵士に止められる。
「なんだお前は?」
「確かめなきゃ……」
「はぁ?」
「ミナに会わせてくれ! 婚約者なんだ! 俺の!」
「何を意味のわからない事を!」
そう言って兵士は俺を突き飛ばした。
俺はそれでも立ち上がって門を開けようとする。兵士はまた突き飛ばす。
そんな事を繰り返し、俺の服もぼろぼろになってきた頃、門が開いた。
中から出てきたのは、なんと勇者とミナだった。
「ローシュ?」
ミナは俺を見るとそう言った。
そして彼女は兵士に事情を説明し、俺を城の中にあげた。そして俺を来賓用の椅子に座らせた。勇者も椅子に座っている。
「何をしているのローシュ。ああいう事されると迷惑なんだけど」
ミナは俺を見てそう言った。
「め、迷惑って。あれはどういう意味なんだよ?」
「あれって?」
「そこの勇者と結婚するって」
「ああ、そうよ。私はユートと結婚するけど、それが?」
ミナはあっけらかんとしてそう話す。勇者は静かに笑っていた。
「それがって……お前は俺と結婚するんじゃ……」
俺がそういうとミナは腹を抱えて笑い始めた。
「いつの話してんのぉ? そんなの世間知らずだった私が言ってた冗談よ、冗談。そんなの無しに決まってるじゃない。だいたいあんたみたいな雑魚スキルと結婚するわけないでしょ」
「そ、そんな……どんなスキルでも俺は俺だって言ったのはミナじゃないか」
「忘れたわ、そんなの。そういう事で私、ユートと結婚する事にしたからもう気安く話しかけたりしてこないでね」
「ちょっ、ミナ!」
「ミナに近づかないで貰おうかっ」
「あぐぅっ!」
俺がミナの手を掴もうとすると勇者に遮られ、そのまま蹴飛ばされた。
俺は無様に壁に叩きつけられる。そしてそのまま勇者が俺の近くに歩み寄ると、しゃがんで話しかけてきた。
「いいかぁ? いつまで婚約者ヅラしてんのか知らねえけどよ、ミナは今、俺の女なんだよ。わかるか? 身も心も、俺のものなの」
「ぐ、ぐそっ。何故お前なんかにミナが……っ!」
「後学の為に教えといてやるよ。女ってのはな、自分の危機を救ってくれた男を王子様だと勘違いするらしいぜぇ? たとえその危機が俺の自作自演によるものだとしてもなぁ?」
まさかこいつ、ミナを魔物から助けたってのも全部自作自演っ。
なんて汚い野郎だ。許せないっ!
「うおおおおおおお」
俺は最後の気力を振り絞って勇者にパンチをお見舞いしてやろうと拳を振り抜いた。だがそれは勇者に届く事はなく、逆に勇者が放った拳が俺の頬に直撃した。
「汚ねぇ手で俺に触ろうとすんじゃねえよ!」
「う、うう……」
「ちょっとぉ、やりすぎじゃないのぉ?」
ミナが俺を汚いものでも見るかのようにそう言った。
「いいんだよ。お前のストーカーをぶっ飛ばしたんだ。ちょうどいいだろう」
「ま、それもそうね。じゃ、ローシュ。今日はここ泊まっていいらしいから。明日出てってね」
ミナは席を立つと勇者と口づけをした。俺としたのとは違って舐め尽くすかのような口づけを。その時勇者は俺の方を見せつけるかのように見ていた。
「あんもうっユート、ここじゃだめよ。部屋で……ね」
「くく、そうだな。じゃあな“腰抜け”。部屋で1人虚しく慰めてろ」
そう言って勇者はミナの腰を抱きながら、消えていった。
俺はその後に来た従士に部屋に案内された。俺が1人で寝るにしては少し大きい部屋だ。俺は何をするわけでもなくベッドに仰向けで寝た。
何も、考えられない。
このまま寝てしまおう。そうだ、もう何もかも忘れて。
俺はまぶたを閉じた。
だが、絶望は俺から離れてくれはしなかった。視覚を閉じた事で研ぎ澄まされた聴覚は隣の部屋から聴こえる怪しい声を拾い始めた。
それは若い女性の艶がかった声だった。経験が無くてもわかる。これは男女のそういう“行為”の声だ。
そして俺は、気づいた。気づいてしまった。その女の声が俺の幼馴染の声にそっくりだという事に。
俺は堪らずベッドから起きた。
そして部屋を静かに出ると、隣の部屋の扉の前に行く。不用心な事にその扉はほんの少し開いていた。
俺は最後に残った僅かな希望を胸にミナであって欲しくないと思い部屋の中を覗いた。
「……ぁあっ!」
「どうしたっ。今日はいつもよりいいじゃないかミナ! あの幼馴染がいるからか?」
「言わない、でぇ! ユート、ユートォ!」
胃の中で激流が起こるのを感じた。俺は手で口を抑えてそのままトイレに向かった。
「おぇええっ……おぇっ」
吐いた。吐き続けた。顔からは涙も鼻水も全て溢れていた。
俺は何も考えることができず、そのままそこに倒れ込み、朝を迎えた。
ミナ達は朝に既にここを発ったらしい。俺はトイレで倒れているのを従士さんに発見されて少し看病された後部屋で休むように言われた。
俺はベッドに仰向けになって天井をひたすらに見ていた。
「憎い……」
久しぶりに俺の口から出た言葉はそれだった。いったいそれは誰に対しての言葉なのか。
勇者? ミナ? それとも自分?
否、全てだ。俺の幼馴染を奪った勇者もそんな奴に簡単に股を開くビッチも、そしてそれに対して何もできない自分の力にも!
全てが憎い!
復讐してやりたい。あいつらに。けれど俺には勇者達に逆らえる力なんてない。どうすればいいのか。
俺の唯一の武器であるスキルは“無警戒”という使えない代物だ。けれど俺はこれをどうにか使ってあいつらに復讐してやる。
冷静になれ俺。復讐は焦って成功するものじゃない。苦汁を舐め着実に進めるんだ。
無警戒は相手に警戒されにくくなるスキル。つまりこれは人と親しくなりやすいとも言える。最初の印象が良くなりやすいからだ。
これを使ってこの城の誰かと親しくなり、なんとか勇者の鼻を明かせないか?
そういえばさっき従士さんが言ってたな。勇者はこの国のお姫様とも結婚するって。確か公式ではお姫様が正室でミナ達が側室なんだっけか。どこまでもふざけた野郎だ。
待て……もし、俺がお姫様と親しくなることが出来たら、それは一番奴にとって嫌なことじゃないか?
親しくなるどころか俺が何かの間違いでお姫様と結婚なんてなれば奴はプライドがズタズタの筈だ。何せあのやり手の勇者がお姫様にはまだ手も触れていないらしいからな。
まぁ王にバレたら俺もおそらくタダじゃすまないが、あのクソ勇者に復讐できるならそれでもいい。
けどミナに何も出来ないのは悔しいな。それは少し計画を練り直して復讐できるようにしよう。
待てよ。確かこの国の王妃は平民からの出だったな。これをうまく使えば……。
これは流石に理想論過ぎるが、まずこの城内の王や姫を懐柔し、俺を正当な婚約者として認めさせる。これは一か八かの勝負だ。王妃が平民の出だから姫様を俺にベタ惚れにさせればもしかしたら王も認めるかもしれない。
そしてその後にゆっくりと勇者が悪だという印象付けをしていく。それによって勇者が魔王を討伐した時にこの王都に帰ってきた時、勇者悪論調で奴らを追い詰める。
勇者達は困惑するだろう。そして困惑の最中お姫様から勇者に対して婚約破棄を言い渡してもらう。更に理想を言えば王からも勇者に対して苦言を呈してもらいたい。そうすれば奴の信用は失墜。ミナ達も後ろ指さされていく事になるだろう。
とまぁこんな上手くいくなら人生今みたいになっていないわけだが。
もうどうでもいい人生だ。やってやるよ。
俺は……お姫様を寝取ってやる。