ココロの傷
「ぎゃあああああ」
もういったい何度この勇者の悲鳴を聞いたことか。今、最後の演武を終え、俺達は王都に帰ることになった。
行く先行く先の演武で、勇者は見事に負け続けてくれた。今彼は身体中がぼろぼろだ。
流石にここまでくると勇者も自分の体に異変が起きた事に気づく。だがそれが、何が原因で起きているかわからないのだ。恐らく彼の中で今恐怖が渦巻いているだろう。
「ちくしょう、ちくしょう……なんで俺の力が、力が……」
さっきからうわ言のように馬車の中で勇者はそう言っている。ミナ達はそんな勇者を励ますのかと思いきや、彼女達も自分の力が失われた事に驚き、それどころではないようだ。
「なんでっ」「どうしてっ」とヒステリックな声が度々聞こえる。
そんな悲壮感溢れる馬車はやっと王都についた。勇者達は王に今自分達に何が起きているのかを訊きにいこうとしたので、俺がそれを遮る。
「なんだっ! てめぇ! 邪魔すんなっ」
凄い剣幕だな、勇者。
「畏れながら勇者様、まだ最後の“演武”が残ってございます」
「あ、あぁ!? それなら全部やっただろうが!」
「いいえ、まだこの国での演武が残っています。この……私との」
「お前だぁ? ふ、ふざけんじゃねぇぞ。お前なんか相手になるわけねえだろ!」
「そっ、そうよ。今までの相手はその国の最強の戦士だった上にユートの調子が悪いからやられただけよ。あんたみたいな雑魚スキルにユートが負けるわけないじゃない!」
ミナが勇者を援護するようにそう言った。
雑魚スキル、確かにそうかもしれない。だからといって俺が何もしていなかったわけじゃない。
「俺とやるのが、怖いのか? 勇者ユート」
だから俺はそう言って勇者を煽った。
すると、勇者はみるみるうちに顔を真っ赤にして怒り始めた。
「やってやろうじゃねえか! ぶち殺されても文句言うんじゃねえぞ! 糞雑魚がぁ!」
まんまと誘いに乗った勇者を俺は城にある兵士達の鍛錬場へ連れていった。
ここは今までと違って、観客がいるわけではない。いるのは俺と勇者とミナ達だけだ。
「ルールは今までの演武と同じだ」
「いいぜ、一瞬で殺してやるよ」
「行くぞっ!」
そう言って俺は走り出す。俺はすかさず勇者に剣を叩き込んでいった。
勇者はなんとかそれを防ぎつつ、俺の剣戟に明らかに焦った顔をしていた。それもそのはず、剣の素人であるはずの俺が、ある程度の実力をつけているからだ。
「て、めっ! どこで剣を覚えやがったぁ!」
勇者はそう叫ぶ。
俺のスキルは弱い。だから俺はこの数ヶ月、城の剣術指南役に頼み込んで剣術を叩き込んでもらった。
それでも純粋な剣術ではまだ勇者の方が断然上だろう。だが今の彼は魔力が存在しないのだ。だから、俺が木剣に魔力を込めて奴に叩き込めば!
「ぐがっ!?」
俺の剣を受け止めはしたものの、勇者は少し吹き飛んだ。そう、奴の素の剣術よりも俺の魔力を込めた剣の力の方が上なのだ。
俺は、吹き飛んだ奴にそのまま剣を叩き込んだ。瞬間、勇者の腕が曲がるはずのない方向を向いた。
「ぬああああああ」
奴はそのまま地面に倒れこむ。
俺はそれを上から見下ろした。
「仮初めの力を失った気分はどうだ?」
「ぜぇぜぇ……てめぇ、何しやがった!」
「何かしたのはお前の方だ、勇者。俺の大切なモノを奪っていったお前のな!」
そう言って俺は奴の折れた方の腕を踏む。
「ぎゃあああああ!」
勇者は汗をダラダラと流しながらも俺を睨みつけていた。
「初めて会った時は、逆にお前が俺を縛り付けて、こうして上から見下していたな」
「ぐ、ぐぅう」
「今じゃ逆だ」
「う、うおおおおおおお!」
勇者は踏まれていない方の手で俺の足に殴りかかってこようとしたため、俺はそれを避けて、逆に奴の顔に蹴りを加えた。
「ぐあああああっ!」
「汚ねえ手で俺に触ろうとするんじゃねえよ、だったか? お前が俺に言った台詞だ」
勇者の顔は青あざができていた。ミナ達からは悲鳴があがっている。
「ぐ、くそぉ。お前なんか、力さえあればぁ」
「もうお前に力なんて無いんだよ。勇者、お前の時間は終わったんだ」
「な、なんで……なんでお前は俺にこんな事をするんだ。わかってるのか? 俺は勇者なんだぞ。こんな事をして許されると思ってるのか?」
俺は再び勇者を蹴っ飛ばした。奴は芋虫のようにゴロゴロと転がる。
「許されると思ってるか? よくもまぁそんな事が言えたものだ。逆に俺から奪っておいて、お前は許されると思ったのか。勇者だから関係ない、そんな事でも考えてたのか?」
「ぐ……く。ミナの事を言ってるのか? 確かに俺は最初ミナに自作自演で近づいた。あいつも最初は俺の事を嫌がってたさ。けどじっくり時間をかけて調教したら、お前の事なんか忘れてたよ。お前達なんて所詮、その程度の愛だったんだろっ! ぐあっ!」
俺は奴が喋り切る前に、奴の服を掴んで無理矢理立たせた。そして、腹に向かって思い切り魔力を込めた拳を放った。
「ゴボッ」
奴は腹を抑えてその場に倒れこむと、嘔吐した。
「そうさ。だから俺はミナの事も赦す気はない。……不甲斐ない俺自身もな。これは、言うなれば俺の憂さ晴らしだよ。お前にはちょっとでもあの時の絶望を味わってもらいたいんだ」
「かはっ、ごほっ……く、くっそぉおぉおお! なんでだっ、なんで俺がこんな雑魚スキル程度にやられる!」
服を吐瀉物まみれにしながらも、勇者はそう言った。
「……借り物の力を、自らの力と錯覚したが故だ……それがお前の本来の力」
「ふっ、ふざけるなっ。ふざけるなよ! くそっ、見てろ! てめぇは許さねえ!」
勇者は力を振り絞り、立ち上がると俺に背を向けふらふらと走っていった。
行く場所はわかってる。王のいる間だ。
俺はあえて走って追いかけたりはせず、ゆっくりと歩いて奴を追った。
すると演武を見ていたミナ達は、ミナ以外の弓姫と杖姫は勇者を追いかけていったが、何故かミナはそこに留まって俺を見ていた。
「どうしたのですか、ミナ様。勇者様を追わなくてよろしいので?」
俺がそう言うと、ミナは舌打ちをした。
「ミナ様だなんて、白々しいわね。単刀直入に訊くわ。ローシュ、あんた私達に何をしたの?」
「……さぁ? 私にはさっぱりわかりかねます――」
「その敬語をやめろっ!」
ミナは眉をしかめ、もはや余裕が無いことが見て取れた。
俺は溜息をついて答える。
「お前らにはもう、伝説の力は宿ってない。いや、正確には違うか。勇者が力を失ったからお前らも力を発揮する事が出来ない」
「あんたが……あんたがやったんでしょう!」
「俺が? はは、俺が出来るわけないじゃないか。ミナが一番よく知ってるだろ、俺は“雑魚スキル”だぞ。そんな俺が出来るわけないじゃないか」
俺が小馬鹿にしたようにそう言うと、ミナは拳を握りしめ、唇を噛み締めた。
「何よ……私が悪いって言うの? 私があんたを見捨てたから? そんな事であんたはこんな復讐をしてるの?」
「そんな事? そんな事だって……?」
俺は思わず言葉に怒気がこもる。
まさかここまでミナが悪びれてないとは思っていなかった。
俺はせき止めていた濁流が漏れ出るかのごとく、彼女を責め立てる。
「お前にとっては! そんな事だったのか!? 俺達が暮らした15年は! あの時の約束は!」
「な、何よ……私だって最初はあんたの事が好きだったわ。けど旅を続けるうちに、ユートの優しさを感じるようになったの。決定的だったのは魔物に襲われて危なかった私をユートが助けてくれた事だわ」
ミナはまるで悪い事が親に見つかった子供のように、俺から目をそらしながらそう答えた。
「その魔物は勇者による自作自演だ! お前はまんまと勇者に踊らされてたんだよ」
「そ、そんな……そんな事言ったって、仕方ないじゃない。あの時私は初めて旅に出て、ローシュも家族もいなくて寂しくて、だから……そんな時に優しくされたら」
「寂しかったら……寂しかったら婚約者を捨ててもいいのか?」
あの時の惨めさ、悔しさ、絶望。
そのどれもが俺を今ここに立たせている。ミナの寂しさとやらがどれほどだったかなんて俺にはわからない。わかる気もない。
「そ、それは、あんなの口約束じゃない! 私はあの頃周りにローシュしか男がいなかったから婚約しただけよ! ユートと旅に出て、いろんな国を回って、自分の考えが変わったのよ! あんたみたいに片田舎のダサい男なんて忘れるに決まってるじゃない!」
「広い世界を回って、最終的にお前が惚れたのが、女の子を自作自演で釣ろうとするような男か。はっ、とんだお笑い種だな」
「ぐ……あ、あんたなんかに何がわかるのよ! ユートの事なんて何も知らないくせに!」
ミナは、どうあっても勇者を悪い男だと認めたくはないらしい。もはや引き下がれないのかもしれない。
「あんな奴の事なんてわからないね。わかりたくもない。逆に訊くがお前は勇者の何を知ってるんだ? あいつがリトナ姫を騙して婚約にありついた事くらいは聞いてるのか?」
「な、何よそれ……」
「知らないならいい。なんにせよ、俺はお前を許す気は無い」
「なんなのよ! うざいのよ、たかが1回振られたくらいでいちいちいちいち! そういう女々しいところがあんたを捨てた理由の1つだわ!」
俺がこんな事を言い出したのは捨てられた後のはずだ。もうミナは整理がつかなくなっている。ただ、俺の言葉を認めたくないだけだ。
「たかが一回ね……。知ってるか? 心の傷は、治る事はないんだ。時が経って、痛みに慣れる事は出来るけど、治る事はない」
「私に説教する気!? あんたの心の傷なんて知ったこっちゃないわ! いい? ユートはリトナ姫と結婚するのよ? そうなったらユートの権力は絶大だわ。その側室である私達もね! 幾らあんたが偉そうにしたところで、あんたの首なんて私がすぐ飛ばしてあげるわ!」
勇者がいくらボロボロに負けようと、自分が自作自演で騙されていた事を知ろうと、ミナが強気でいられる理由はこれだ。
俺は、虎の威を借る狐のようにまくし立てるミナを見て、少し同情してしまった。
「……そうだな。そろそろ勇者も王の間に着いた頃だろう。リトナ姫に正式に結婚を申し込む為にな」
「そうよ! ふっ、楽しみだわ。あんたが私に謝るところを見るのがね!」
「じゃあ一緒に行こうじゃないか。王の間へ」
そして、俺達も王の間へと向かった。
終わりが近づいている。
さぁ、復讐劇も幕引きだ。