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墓場にて

作者: ぬばたま



 葬列は何処までも続いていく。

 人の形をしたもの達は一列に並び、乱れる様子もなくぞろぞろ歩いている。

 誰に云われるまでもなく、誰に管理されることもなく、途中でくねり曲がっても列の途切れる事はない。


「こりゃあね、葬列じゃありませんのサ」


 わたしの前には、何時の間にやら一人のモノが座っていた。

 男性にしては小柄で、女性にして大柄、華奢な体を芋虫のように丸めて切り株に腰かけている。散歩に出た老婆が腰を曲げて椅子に座っているような、そう例えたなら伝わるだろうか。手に持ち、地面をつく一本の杖がそう思わせているのかもしれないが

 この老人は頭からすっぽりと色褪せた藍色のローブを被っており、男なのか女なのか判断がつかない。声も妙な調子で子供か老人か区別がつかない。便宜上、老婆としたがそれが合っているのかいないのか

 ただ、なんとなく、その仕草と年季の入ったローブから、老人ではないかと推測したのだ。

 老人は臆するわたしの事など眼中にないようで「だあれも棺桶なんぞ、抱えておりゃせんでしょう」と、そう続けた。


「葬列ってのはねえ、生きた人間のやること。葬儀の列じゃからねえ

でも、こいさ違っとる。ただの死体の群れじゃ。死人の列じゃ。それが歩いとるだけのことよ」

「では、ここは地獄なのですか」


 わたしが問えば、老人は嗄れた声で小さく笑う。


「地獄でも冥界でも根の国でも、その逆の何処かでもない場所さね。

 ここは墓場じゃ」

「はか」


 周囲は暗く、空には星一つ見受けられない。水平線の続く地平は死人が続く列と〝それ〟以外は何もない。

 墓石も十字架もないのだからわたしは墓といわれてもぴんとこなかった。


「墓と呼ぶには此処には何もない。積み石一つあれば、囲いがあればせめてそう見えることもあるのでしょうが、しかし此処にはありません」

「墓場とはどんな場所かい、若いの」


 とん、と老人は一つ杖地面に打ち付けて訪ねる。


「死体を埋葬する場所でしょう」


 わたしは一般的な回答をした。


「違うねえ」

「それでは墓場とはどんな場所です」

 わたしは訪ねる。

「墓場とは、眠る場所さね」


 風が吹いた。

 老人の纏うローブが揺れる。色褪せたローブの足元は土にまみれて土茶色、ほつれて草臥(くたび)れて(しな)びている。

 わたしは何だか、寂しくなってしまった


「けれど御老体、その表現は可笑しいのではありませんか」

「ほう。何が可笑しいかね」

「だってそうでしょう。その言葉が正しいのなら布団の中でもベットの中でも、それは墓になってしまう。眠る行為は死ではないでしょう、ただの休息だ」


 老人は少し沈黙して、それから


「若いの、お前さんは夢を見るかえ」


 先の話はどこに行ってしまったのか、突然変わってしまった話に少々面食らいながらも「ええ」と短く答えた。


「んなら、どうして夢を見るのか知っておるかい」

「その日一日の記憶を整理するために見るのが夢でしょう」

「そうじゃあ。人間が記憶した物事を整理して、頭の奥の本棚に仕舞い込む。その本棚に仕舞う時にふとした拍子に落としてしまった一頁、一頁達、それが夢さね」

「それが一体、」


 何だと言うんです。そう、わたしが言葉を続ける前に老人は口を開いた。

 

「人は眠る。人は目覚める。

昨日の自分と今日の自分

それは同一かえ」

 

 とん。老人は杖をつく。

 視界の端、死人の列は流れていく。

 老人の言葉が頭の中で反響する。

 

「経験する前と、経験した後の自分と云う存在は、全く同じかい

一秒前と一秒後の自分は、同一と呼べるかえ

もしも、意図的に一秒前と一秒後の自分を切り替える事が出来るのなら、それは果てしなく死に近しい。それが果てしなく続けば、それは死じゃろうて」


 老人は微かに頭を下げる。言葉を返すことは終わりだと示すように。杖に顎を乗せ、風に吹かれるまま風景になってしまう。

 行列は進んでいく。のろのろとした動きで、終わりの見えた列の最後尾が迫ってくる。けれどわたしの足はまだ動けない。

 終わりは見えた。

 答えも見えた。

 それなのに足がすくんでしまうのだ。


「御老体。最後に一つだけ、よろしいですか」

「なんだい」


 わたしは、本来なら真っ先に問うべきだった質問をした。


「――わたしは、死ぬのですか」


 あの列に並んで、顔も名前も知らぬモノ達に囲まれて、何も残せぬまま何も出来ぬままに終わってしまわなくてはいけないのか

 わたしは死んだことがない。だから何よりもそれは恐ろしくて、恐くて、不安で堪らないのだ。大人しく列に並んではい、御仕舞(おしま)いだとは云えないのである。

 この場所は墓なのだと云う。ならば続く列は、わたしには矢張(やは)り葬列に見えた。紙吹雪も花輪も弔旗も棺もないけれど、並ぶモノ達が棺であり見送る人々で、

 わたしもあの列の一員なのだ

 送られる(べき)モノであり、送るモノなのである。


「眠るだけさね」


 静かに老人は呟いた。


「恐れることはないんよ、若人(わこうど)

ここは墓場。墓場は眠る場所じゃ、していつかは目覚めると、そう相場は決まっておる」

「目覚める?」

「そうじゃあ

眠ったなら、目覚めるのも道理。それが以前の自分と違うだけ、以前の自分を覚えていないこともあるだけのコト。

生まれ変わる、とも云うがねえ」


 嗚呼、ああ、そうなのか。

 わたしは酷く納得してしまった。

 そして心から安堵する。


「わたしは何か残せるでしょうか」

「さあてねえ」


 老人は小さく笑って、わたしも笑う。必要な言葉は全て受け取った、わたしの道も真っ直ぐに定まった。

 もう十分だ。

 片足を上げて、踏み下ろす。先程まで頑なに動かなかった足は驚くほど軽々と地面を踏み締めて進む。

 葬列は既に消えてしまって、残っているのはわたしと老人と〝それ〟だけで。

 さくさくと足を動かして、直ぐに〝それ〟の前にたどり着いた。

 葬儀の列、その先頭にあるモノは決まっている。それは棺を抱える人ではなく、弔旗を掲げる人でもなく、紙吹雪を蒔く人でもない

 最前列に立つのは、送り火と呼ばれる人だ。葬列を行うのは決まって夜だから、松明や提灯を持って列を先導する役割をしていたか。

 だから、私の目の前に在る〝それ〟は送り火なのだろう。提灯の明かりほど頼りなくない、松明の火種程小さくない、ごうごうと人の背丈程の炎が勢いを失わずに燃え盛っている。

 最初に目にした時は火葬場だとも思ったのだ、でなければ地獄の獄炎か何かなのかと。けれど今はもうどちらでもよい、どちらであっても構わないし、もしかするとどちらもなのやもしれない、けれどいいのだ。

 煌めく炎は、私を見ると両手を広げるように炎を膨張させ、手招きする。


「あなたは来られないのですか」


 炎に近づけば、当然だが暖かかった。不思議にも熱くはない


「わしゃあ墓守、皆の眠り(終わり)を見届けるのが役じゃからねえ。

 この墓場からお主の終わり(完結)を願っておる」

 

「ありがとう」

 

 次のわたしは何かを残せるだろうか。

 誰かに何かを残せるだろうか。








―― ―― ―― ――







 そうして男は火の中に身を投げた。

 揺らめく火の中、男の肉体(表紙)は燃えて、書きかけの頁が炎の中で踊る。

 最後に残ったのものは、燃えつきた灰だけで。


「さあさ、お行き」


 墓守が杖を一つ付くと、何処からか風が吹いて燃えた頁達は舞い上がる。風に導かれるまま宙を漂い、それから何処かへと消えていく。


「次の目覚めは、よい人生(物語)を」


 そこにはもう何もない

 只、水平線が何処までも続いているだけだった。


 

 

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