06
夏も過ぎて肌寒くなってきた頃、俺に年上の知り合いができた。
通っているバレエ教室のロビーでココアを飲みながら迎えの車を待っていると一人の女の子がやって来る。
「百合ちゃん、こんにちは」
花霞学園中等部の制服を着たその子は笑顔で俺に声をかけてきた。
それに元気よく返事をすると彼女は俺のココアを見て「良いもん飲んでるね」と羨ましそうに言った。
彼女は北見琴絵といって、竜胆と同い年のお姉さんだ。
俺のレッスンが終わってから30分後に琴絵さんのレッスンが始まるので、お迎えを待っている間に丁度やって来た彼女とロビーで顔を合わせることになる。
向こうから「竜胆の妹でしょ」と声をかけてきたのが出会いのきっかけで、それから彼女のレッスンが始まる時間までよく二人で話すようになった。
琴絵さんのことはうちの両親もよく知っていて、聞けば由緒あるお家の一人娘らしい。
しかし、彼女はそんなところのお嬢様とは思えないほどフランクな人だった。
親しみやすいというか、気取っていない感じで男の子のようなショートカットが特徴的。ものすごい美少女というわけではないが笑顔がとても可愛らしい。
「百合ちゃんこれから帰りでしょ?気を付けて帰ってね、可愛いんだからさ」
大丈夫、その誘拐対策で運転手さんが毎回迎えに来てくれるのだから俺に死角はない。
なんて思いながら琴絵さんといつも通りお喋りをする。
明るくて話上手な彼女はさぞ学校でモテるのだろう。あの竜胆も彼女の前では雰囲気が違った。
一度だけ琴絵さんがうちに来たことがあるのだが、その時の竜胆は随分楽しそうで普段俺に絶対に見せない顔で笑っていた。まあ、そもそも俺の前で笑わないんですけどね彼は。
琴絵さんは場をパッと明るくする力を持っているのだ。初めて彼女と会った時、俺は誰かがロビーの照明を取り替えたのかと思った。そのくらい一気に切り替わる。
「そうそう、あたし来週の金曜日に百合ちゃん家に遊びに行くからさ、ケーキ持ってくね」
「来週?」
「うん、その日短縮授業なんだ。あっ、いつもより早く学校が終わるってことよ」
親切にありがとう。でも短縮授業の意味はちゃんと知ってるよ。
話を聞くと俺が帰る時間より少し早めに終わるみたいだ。
その日、幼稚園では芋堀りをやる。どうせならたくさん掘り出して一番大きいやつを琴絵さんにあげよう。
そう決心した俺は当日誰よりも真剣にさつま芋を掘った。
だが、運もあるので一人では中々上手くいかない。
そこで、虫に怯える山吹君や由貴ちゃん達を助けることでお礼として大きいさつま芋を見つけたら優先的に渡してもらう作戦を実行した。世の中はギブアンドテイク。
見事、幼稚園で育てたにしてはやけに立派なさつま芋を手に入れた俺はわくわくしながら家へ帰った。
出迎えてくれたお手伝いさんにドアを開けてもらい、教室より広い玄関で靴を脱いでいると何処からかピアノの音色が聞こえてくる。うちピアノ三台あるけどどこの部屋だ?
音を頼りに探しに行くとそこは竜胆がいつも練習に使っている部屋だった。
開けっぱなしの扉の向こうでピアノを弾いているのは琴絵さんだ。竜胆は、すぐそこのソファーに腰掛けている。
その旋律は聴いたことがあったが、クラシックは詳しくないので曲名は分からなかった。琴絵さんはピアノも弾けるのか。
上手いなぁ、と眺めていたら琴絵さんは俺に気が付いて演奏をやめてしまった。次いでこちらを見た竜胆の眉間に皺がよる。わ、わざとじゃないんです。
「百合ちゃん、おかえりー!」
笑顔でそう言ってくれた琴絵さんに俺は自分に出せる最大限の可愛らしい声でただいまと返す。どうだ、この見事な幼女振り。
そして、新聞紙に包んで持ち帰ったさつま芋の中から一番の大物を掴んだ。
「今日は幼稚園でお芋堀してきたの。これあげるね」
「えー!いいの?嬉しいー!」
ありがとう、とそのまま琴絵さんに抱きしめられる。期待を裏切らない大きなリアクションをいただき、俺は大満足だ。人間は自分に対して好意的な人を好きになる。
でれでれしていると竜胆の視線を感じた。おっと、家族なんだから兄貴にもちゃんと渡しておかないと。
「はい、お兄ちゃんにもあげるね」
「どうも」
対家族用のスーパーぶりっ子モードで琴絵さんに渡したものの次に大きい芋を一本差し出せば、竜胆は赤の他人のように素っ気なく受け取った。
フリでいいからもっと喜んでくれよ。
◆◆◆◆◆◆
芋堀りから数週間後、幼稚園では年中クラスだけお店屋さんごっこがあった。
四人一組でお店を決めてそこに置く商品を作る。それを折り紙で作ったお札と交換するのだ。
俺はお煎餅屋さんを担当することになった。厚紙を丸く切って茶色のマジックで色を塗って黒い折り紙を海苔代わりに貼り付ければ、ハイ完成。
俺が無駄に上手く作ったためすぐに売り切れた。子供は形が綺麗なものに弱い。
ちなみに女子一番人気の山吹君は焼きそば屋さんで、接客もせずに緑色の折り紙を鋏でひたすら切り刻んでいた。
なんだありゃ、と聞いてみればトッピングの青のりらしい。
女の子達が「これも使って!」と彼に緑色の折り紙を大量に渡したため、作業が終わらず当日も切っていたそうだ。うん、青のりはそんなに必要ないと思うぜ!
そんな感じで俺は毎日平和に過ごしている。本当に幼稚園って平和。
だが、園児には園児なりの事件があった。
ある穏やかな午後。その日はいつもの仲良しメンバー+同じクラスの別グループの子達と縄跳びをして遊んでいた。
暫く遊んでいると隣のクラスの男の子達が走ってきて「あっちで怪我した子がいるよー!」と言った。
彼らは先生を呼びに行く途中らしく、そのまま教室の方へと向かっていく。
怪我した子って誰だ?と思っていると泣き声が聞こえてきた。
同時に近づいてくる派手な銀髪でその声の主が山吹君であるとすぐに分かった。あいつ話題に事欠かないな。
転んだ子とは彼らしく「あぎゃああ!」とこの世の終わりかのように泣き叫びながら、右足を庇うように歩いていた。よく見ると膝に血が滲んでいる。あー、あれは痛いわ。
縄跳びを中断して女の子達が傍に寄る。
「ともや君、大丈夫?」
「痛そうー!」
「ひっ、ふぅ……ふぐっ……ふうぅぅ」
山吹君は皆の心配を無視してひたすら泣きじゃくっていた。可哀想に、言葉を返す余裕すらないのだろう。
ここは先生に任せた方が良いだろうと余計なことはせずにハンカチで涙を拭ってやり、山吹君の肩を叩いた。
この間もこんな感じだったな、と過去の出来事を思い出しつつ慰める。
ふと、足元に視線をやるとあるものが目についた。そのことにフッ、と笑ってしまう。
山吹君、靴、左右逆だぜ。