01
どうしてこんなことになったんだろう。
幼馴染みでずっと大好きだった彼女と結婚して、可愛い娘が生まれて、二人のために仕事もより一層頑張ろうと思って、精一杯生きてきた。
そりゃ上手くいかないこともあったけど家族のためを思えば何でもできた。娘の成長を見るのが楽しくて幸せで仕方がなかった。
そしてたった今、横断歩道を渡っていると物凄い勢いで信号無視の車が突っ込んできた。
あ、と思った時にはもう遅い。凄まじい衝撃を受けてすぐに激しい痛みに襲われた。霞む視界に遠くで悲鳴が上がる。
これは死んだな、とどこか冷静に思ってしまった。次に俺の頭を過ったのは娘だった。もうすぐ3歳になる可愛い娘。まだまだ一緒にいたかったのに……。
遠退く意識の中、妻と娘を想った。
ごめんな二人とも。
「見てください、可愛いでしょう」
暗闇の中でふと、声が聞こえた。
やけに重たい瞼を持ち上げると見たことのない綺麗な女性が、俺に向かって優しく微笑んでいた。
ち、近い。ぎょっとするくらい間近にある美人の顔に、ぼんやりしていた意識がはっきりと回復する。
「おお、起きたぞ!」
続いて渋い声が聞こえてくる。
目をやれば俺より年上だと思われる小奇麗なおっさんが、その端整な顔を綻ばせていた。おっさんの横にはこれまた面識のない美少年。
まだ小学生だろうか。もしかしてハーフかな?と感じさせるくらい全体的に色素の薄い印象の美少年は、おっさんとは対照的に眉を寄せていた。
ちょっと待て。なんだ?この人達は誰なんだ?
突然のことに戸惑う俺に、おっさんが手を伸ばしてきた。
え、ちょ、待っ……!
「あ、ああう、あ……あ?」
慌てて口を開くが、不思議と言葉にならない。そして頭の上に感じるやけに大きな手のひらの熱。
えー!?なんか知らないおっさんに頭撫でられてるんですけどー!?
やめてください!と言いたいが、相変わらずまともな言葉にならなかった。喋りたいのに喋れない。……歯がないからだ。
同時に自分の身体が誰かに支えられていることに気が付く。いや、支えられているというか、抱えられているというか。
心臓の鼓動が早くなる。すぐ近くにある美人の顔、おっさんの大きすぎる手、歯がなくなった自分。
ある可能性が浮かび、恐る恐る自分の手を動かす。瞳に映ったそれは、ゴツゴツした成人男性のものではなく紅葉のような形をした可愛らしい赤ん坊のものだった。
俺は、赤ん坊の姿になっている。
「ギャーーーーーーッ!?」
「うるせーっ!なんだこいつ!」
「コラ、赤ちゃんなんだから仕方がないだろう、竜胆」
言ったー!今赤ちゃんって言ったー!
なにそれ?え、なにこれ!?
美少年がおっさんにたしなめられているのを横目に美人が大丈夫よ、と大混乱している俺に微笑む。彼女は俺の腹に手を置き、トントンと優しく叩いた。
それは俺に安心感ではなく赤ん坊としての自覚を与えるだけだった。
「ァアッーーーー!?」
「だからうるせーよ!」
「竜胆!」
美少年がおっさんに頭を叩かれているのを見てから、俺は意識を手放した。
◆◆◆◆◆◆
どうやら俺は死んで生まれ変わったらしい。
その事実を受け入れるまで約半年かかった。いや、正確には分からないがもう離乳食が始まっているのでそのくらい時間が経っていてもおかしくない。
俺の新しい名前は白峰百合香。第2の人生はまさかの女の子だ。
あの小奇麗なおっさんが父親で、優しげな美人は母親。ハーフっぽい美少年は年の離れた兄貴で名前は竜胆。
ドラマや映画でしか見たことがないような大きな屋敷に、俺を含めた家族4人とお手伝いさん多数で暮らしている。
現時点では何の不自由もない金持ちのお嬢様だ。加えて両親は共に美形、兄貴も美形とくれば俺改め百合香もとんでもない美少女に成長するのだろう。わあ、勝ち組。
ここまでの情報で気になることが1つ。俺は自分につけられた白峰百合香という名前に聞き覚えがあった。
前世でまだ学生の頃、妹がハマっていた学園ものの乙女ゲームに同姓同名のキャラクターがいたはずだ。俺は直接そのゲームをプレイしていないが、妹が白峰百合香をやけに気に入っていてあまりにもしつこく語ってきたのでよく覚えている。
俺が妹から聞かされた話によるとその白峰百合香はヒロイン達が通う学園内でも桁違いの金持ちで、勉強も運動も何でもできる弱点無しの才色兼備。金持ち特有の高飛車なお嬢さんではなく、茶目っ気のある意外と面白いタイプで学園中の憧れの的……みたいなキャラクターだった。
名前が同じで家もかなりの金持ち、美人に育つことはほぼ確実。
……これは偶然だろうか?たまたま、お金持ちで美形一家の白峰さん家に生まれた娘の名前が百合香だっただけなのか。
仰向けに寝かされたベビーベッドの中で考える。うーん、わかんない。
早々に考える事を放棄し、ぼんやりとする。俺改め百合香のために与えられた部屋は、前世で暮らしていた家のリビングより明らかに広くてショックを受けた。世の中には信じられない金持ちがいるものだ。
頭上でゆったりと回るオルゴールメリーを眺めながら昔を思い出す。
どうして前世の記憶が残ったまま転生してしまったんだろう。全部消してくれれば良かったのに。
妻と娘を想うと涙が出た。大往生なんかじゃない、未練だらけだ。これなら全部忘れてまっさらな状態で第2の人生を歩みたかった。
嗚咽が漏れる。押さえることなく大きな声で泣き続けた。
少しして泣き声を聞き付けたお手伝いさんがやって来てあやしてくれたが、気持ちが落ち着くことはなく、ひたすら泣き続けた。
おかげで赤ん坊の少ない体力はごっそりと奪われ、泣き疲れて眠ってしまった。
どのくらい時間が経ったのか。意識が浮上し、目を開くと相変わらずのオルゴールメリー。
と何故か美少年、竜胆の姿が見えた。あれ?何でいるんだ。
ベビーベッドの脇に立つ竜胆は俺に向かって手を伸ばしていたようで、目が合うと慌ててその手を引っ込めた。
どうした?お触りは1回1000円だぞ。
しかし彼はそれっきり俺に向かって手を伸ばすことはなく、黙って部屋から出ていった。
竜胆は普段から俺に対してちょっと冷たい態度を取る少年だった。自分の妹だというのに可愛がる素振りを全く見せないのだ。
今のところ俺の前で笑顔を見せたことはない。もしかしなくても俺が嫌いなのかもしれない。
どうしてだろう。やっぱり長男としては、今まで自分一人に注がれていた親の愛情が下の子に向かうのは嫌なのかな。
しかし俺も前世で妹がいたが、お兄ちゃんになれるのが嬉しかったので嫉妬をしたことはない。なので妹に対して一種の嫌悪感すら窺える竜胆の態度は理解できなかった。