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私の前でこちらを見つめながら静かに佇んでいる主様をぼんやりと見つめる。
筋肉質で引き締まった四肢は、光をはじいてしまうようなスノーホワイトにところどころ銀糸が混ざり合った長毛に覆われており、そのお顔は凛々しくもありまた気品を漂わせていらっしゃる主様の真姿。
主様の真姿を模して狼という種の姿を造ったと主様の先輩(のようなものと主様が紹介して下さった)がそういえば仰っていたことを今なんとなく思い出す。
大きさは、休息所に入れないと困るからと主様たちの思うままの大きさになることができる。主様は、移動の度に私をその背に乗せて下さったり、休む際には横でころりと寝転がる私を風邪をひくと困るとふさふさの尻尾までを使ってくるりと包んでくださるので私の知っている狼よりも随分と大きい。
そもそも真姿は、むやみやたらに晒すものではないらしい。
高貴な方たちで相見える際には、真姿では時に色々と差しさわりがあることもあるのだと主様は仰っていた。ただ自身の眷属の方々や世話係の精霊様、あとは親しい者には心を許している証として時々その姿をお見せになるとも。
私は例外中の例外で誰一人名を呼ぶことすらできない方々の真姿をそのどれにも属さないにも関わらず見ることを許されている。
それは私が此処ではたった一人のか弱き者だからだ。
そもそもか弱き者たちの前で真姿をお見せにならないのは、人の世で多くの人間に見られるのは不浄で不快極まりなく、その不興によって儚く散る人を減らすためのやんごとなき方々の暗黙の取り決めでもあるそうで、此処で過ごしている一人のか弱き者であればどうということもないそうである。
これは主様のお世話係であり実質私のお世話もして下さる精霊様が教えてくださった。
ただ主様は、親しい者として私に真姿をお見せになってくれている、とそのようにお言葉を頂いている。確かに休息所では、殆ど主様と二人きりで過ごしているからそれを思うとなんだかこそばゆい。
あ、そういえば
いつだったかいらっしゃった主様のお友達は『彼はオオカミじゃなくて、人の世でいう所のサモエド犬だよ』と教えてくれてたことがある。
主様は刹那、ぎろりとお友達をひとにらみし、未だかつて聞いたことのない低い声で『オオカミだ』と訂正なされたので私はオオカミと思うことにしています。
オオカミはオオカミであってオオカミ以外の何者でもありません。
お友達も主様の言葉にそれはそれは深く深く頷いておられました。
ここにきてぼんやりとこちらを見つめていたオルガが始めてぶるりと身震いした。そんな彼女を小首を傾げて主様と呼ばれるかの方はみやるのだった。