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「思い出したか」
「はい、主様」
思い出せたことと主様から忘れていたことを咎められなかったことに頬が少しだけ緩んだ私の姿が、主様のバーガンディの瞳に写りこんでいる。あまり感情がお顔に出ない主様は、表情を変えることなく静かに私を見つめている。
仏頂面と他の御方たちから揶揄されている主様だけど、実は感情は豊かで表情にも表れている。眉間の皺の深さや眉尻の下がり方、目元へその気持ちを乗せているだけどそれはほんの僅かな違いのため殆どの方たちには解ってもらえない。不満だった私は主様に不満をぶつけたことがあったのだけど『お前が解ればいい』と主様は笑ったので、私も優越感に首肯いたのだ。対する私はというと内緒ごとがあまり得意ではない。それでは他の方とお会いするときに差し障りがあると思って一時期悩んでいたのだけど、か弱きものはそれでいいと主様も他のやんごとなき方々も異口同音に仰るので思ったことをそのまま伝えるようにしている。
全部全部主様が与えて下さったというのに。
寝ぼけてそんな大事なことを忘れてしまった今の私はどうかしている。第一、もっともっと色んなことを私は知っている。もちろん人だった時のこともちゃんと知っている。
種族は人であったこと
鳩が苦手だったこと
一人前の宮廷魔法使いであったこと
マカロンが好物だったこと
人の世で頑張った私を主様が此処に召し上げて下さったこと
ただ人であったときの記憶は虫食いになっていてそれも食い荒らされた穴の方が大きいものだから知っていることは此処のことほどよく知らない。
人であった時の名前が主様が呼ぶ『オルガ』だったかのかそうでないのかは知らない
・・・、・・・・?
座敷は雲母で大牡丹や蝶の文様を写した唐紙が張られた障子戸で締め切られていて、時々私の身じろぎで絹がすれる音がする以外に音は聞こえない。耳が痛くなる程の静けさだ。例え嵐がやってきていてもそれを教えてくれる木々たちは近くにないから彼らの騒めきも聞こえない。だのに、頭の中でざわざわと何かが私に注意を促す。