1話
「おい颯斗!」
金色に染めた褐色の同級生に校舎裏へ呼び出された颯斗はビクビクしながら向かうと、突然複数人に詰め寄られた。
「な、何?」
「ちょっとパン買ってきてくんない? お前の金で」
「え、で、でもーー」
右ストレートが颯斗の頬をかすめる。いきなりの事で驚いた颯斗は足が震え、壁に身を預けた。
「いいな。10分で買ってこいよ」
「う、うん」
不良達の圧迫に耐え切れず、急いで購買に向かって走り出す。
下駄箱あたりまではスムーズにいく事が出来たが、問題は廊下に入り乱れる生徒の壁。掻い潜って買いに行き、さらに戻るまでに10分などすぐに消えてしまう。
「先生はいないよね」
教師の監視していない事を確認すると一回だけめい一杯空気を吸い、吐かずに留めると足に力を入れる。スタートと同時に埃が宙を舞い、生徒の間を縫うように駆け抜けた後には女生徒達のスカートがひらりと揺れた。
全力疾走している。なのに誰一人として当たらない。
横一列に並ぶ男子生徒達が道を塞いでいたとしても速度を落とそうとしなかった。こちらに走って向かってくる颯斗に驚いた男子生徒達は体が硬直してしまい、動けない。
ぶつかる数歩手前。廊下の水場を足場に弧を描きながら宙を舞った。人の壁を飛び越え、着地すると一気に加速。
風のように人などものともせず、無事にパンを買い終えた颯斗は不良達のいる校舎裏に戻った。
タバコを吸っていた金髪の同級生が戻ってきた颯斗を呼ぶ。
「おお、買ってきたか」
「うん」
震える手で差し出すとひったくるようにパンを奪い、我が物顔で齧った。
「ホント、お前がいるとパン買うのラクだわー。これからもよろしくな。ハ・ヤ・ト・ク・ン」
がっしりと颯斗の肩を掴む手には脅すかのように力が入る。
俯く颯斗は何も言わなず、ただ頷く事しか出来なかった。
「ただいまー」
鍵を開け、力ない声で帰りを知らせるが玄関の扉からさす夕日だけが家内を照らしている現状から、返事がこない事など颯斗には分かっていた。
両親が共働きの颯斗にとって家に誰もいない事は日常茶飯事だが、だからと言って微塵も感じないわけではない。
虚無感に駆られた颯斗は二階の自分の部屋に入り、ベッドの上に身を投げた。
唯一の安息の時間ではあるが、この時彼の頭の中はいつも自分の不甲斐なさで一杯になる。
(なんでいつも僕だけがこんな目に。どうして僕は何も言い返さないんだ)
体を起こしベッドから降りると姿鏡の前に立つ。
鏡には長くも短くもない黒髪の隙間から覗くパッチリとした目と小さな口を備えた線の細い男の姿が映る。筋肉と呼べないほど細い体は白さも合わさり、とても儚げだ。
男らしさとはかけ離れた容姿に憎み、右手で鏡を殴ろうとするがが、痛みを恐れた颯斗は寸前に力を緩めた。鏡は割れる事なく、重みのない音を立てる。
「はは、やっぱり僕は……」
乾いた笑いが無意味に部屋に響く。
おぼつかない足で家を出た颯斗は少し離れた公園の展望台を目指す。
展望台を登った颯斗はただ呆然と眺めた。
星が輝き始め、夕日は街灯に明かりが灯り始めた街並みに消えていく。心地よい風が肌を撫で、髪を静かに揺らす。
今までの自分の事を思い出せるだけ思い出すが、どれも嫌気がさすほどつまらない生き方しかしていない事に気づく颯斗。
何か決心したように柵を乗り越える。僅かな足場の下には木々が生い茂っていた。
しばらく眺めていると、フッと笑う。
ゆっくりと柵を掴んでいた手を離した。体は前のめりになる。足場から離れた颯斗の体は物理法則にのっとり、地面に向かって落下を始めた。
まぶたの裏で走馬灯が蘇る中、心の片隅に残った憧れが頭に浮かぶ。それは幼い頃に見た、テレビの中で戦う正義の味方。彼らは必ず誰かを助けるために戦い、そして勝つ。
無意識に彼の願望が口から漏れ出す。
「一回だけでも誰かを助けられるヒーローになりたかったな」
暖かい光が突然颯斗を包む。子供の頃、母親に抱かれたように心地よい暖かさに死を悟った颯斗だったが、次の瞬間には体に冷たさが走った。
何事かと思う前に息が出来ない事に焦る颯斗。いつの間にか水の中にいたのだ。
フォームなど殴り捨てた泳ぎで颯斗はゆらゆら揺れる水面を目指す。
水飛沫と共に飛び出した颯斗は陸にしがみついて咳き込む。近くにいた少女は目の前で起きた事に目を白黒させるも、颯斗から視線を離さない。
「ゴホッ、ゴホッ! が、川なんてあったかな」
顔についた水滴を拭い、目を開けると詰め寄っていた少女の顔が目と鼻先がくっつくかくっつかないかと言うほどの距離にあった。思わず手を陸から離した颯斗は水中に沈みかけるが、少女は咄嗟に手を掴み引っ張り上げようとする。
少女の手助けのおかげで陸へと上がった颯斗は地面に手をついて、さっきまで浸かっていて場所を横目で見た。
そこには円状の湖が広がっり、木々に囲まれている。展望台の下に湖がある事など聞いた事がない。
周囲。見渡した颯斗はようやく自分の置かれた状況を理解した。
「ここ、どこ?」
「アスタ湖です」
誰かに向けた問いでもなかったが、少女は素直に答える。
少女の顔を見た颯斗の時が一瞬止まった。
綺麗に伸びた白髪と白のワンピースがそよ風に揺られ、大きな青い瞳が颯斗を逃さない。発育からして颯斗と変わらない年齢であろう少女はペタンと女の子座りもしている事もあり、実年齢よりも幼く見える。
「どうしました?」
「あ、いや!」
初対面の人に見惚れていたなど言えるはずもなく、プイッと顔を背ける颯斗。
一方の少女の瞳は依然として颯斗を見つめ、何かを期待したようにキラキラと輝いていた。
「あ、あのー」
視線に耐えきれなかった颯斗が声をかけようとすると、少女はがっしりと颯斗に抱きついた。
今までの流れからどうしてこうなったと言いたげな颯斗は紅潮する。
「な、なななな!」
「やっと会えた! 私の英雄!」
一旦少女を体から剥がし、心を落ち着かせるため深呼吸した。
「と、とりあえず。ここは何処なの?」
「だからアスタ湖です! 伝説の風が現れた場所! そして、貴方は私の英雄!!」
「うん、最後のはまだ聞きたい事じゃないから後で。それでアスタ湖、だっけ? 日本にそんなに場所あったかな?」
知らない場所にいる事自体が不思議な事だが、それでは話が進まないと颯斗は判断し、触れようとはしない。
少女の一層目の輝きを増した。
「ニホンは分かりませんが、ここはラザリヤ国です!」
全く聞いた事のない国の名前に頭が追いつかない。
周りを見渡した際に見知らぬ植物や湖から跳ね上がる魚が颯斗の目についていた。
少女の言っている事は本当のようだ。
日本じゃないとして、どうしてこんな所に? 颯斗の頭は疑問符で埋め尽くされていった。
しばらく黙ったままの颯斗にしびれを切らした少女は再び声を上げた。
「やっぱり、貴方は私の英雄になる人です!」
「さっきから僕を英雄? って言ってるけど、僕普通の一般人だよ」
「そんな事はありません! 伝説の風が現れたと言われているこのアスタ湖で、急に輝きだしたかと思えば、泉から貴方が現れた! これはまさしく、私達を助けてくれる英雄に間違いありません!」
「いや、本人が言ってるんだけど」と言いたい所だが、頑なに颯斗を英雄と言い張る少女の意思を簡単に曲げる事は出来ないと思い、言葉を呑んだ。
「もう、いいよ。どうせ僕は元の世界に――」
颯斗はそれ以上の言葉を続けなかった。
(死のうとしていた人間が元の世界に戻ってどうするんだ?)
視線が自然と落ちる。
「ど、どうされました?」
「い、いや……別に」
急に塞ぎがちになった颯斗を心配する少女はおもむろに立ち上がり、颯斗の手を掴んだ。
「それより今は服を着替えましょう! 近くに私の村がありますから!」
「え、ちょっと!」
引張られた事でつられて立ち上がった颯斗は声をかけるが、少女はお構いなしに森の中を突き進む。




