ダイアリー
それは骨董品を集めるのが趣味だった祖父の遺品の中にあったものだった。日記と書かれたノートは日焼けをしているにもかかわらず中に何も書かれておらず、骨董品の中に交じるには奇妙に思えた。装丁がヨーロッパの物に見えたので骨董品に紛れ込んだのだろうか。不思議に思いながらも何故か惹かれる魅力があった。なにを思ったのか、私はそれをバックに詰め込んだ。その時は何も考えていなかったのかもしれない。
「祐介ぇー」
1階にいる母の声がする。
「んー?」
私は返事をした。
「整理できた?」
階段下から母が聞いてきた。
祖父が一週間ほど前に亡くなったので両親と私で遺品整理をする事になったのだ。しかし骨董品が好きだった祖父にしては数は半分以下になっていたようだ。1室埋め尽くすようにあったはずの骨董品が数十点と、数えれるほどになっていた。同じ趣味の家族が居なかったので亡くなる前に大事にしてくれる人に渡してしまったのかもしれない。数が少ないことは遺品整理をする私達には有難いことだった。ダンボールにあらかたの物を詰め込む。
「んー、だいたいは終わったかな?」
曖昧な返事をした。ダンボールに詰めた物は明日にでも骨董屋に鑑定してもらう予定だ。
家族は骨董品に理解がなかったので分かる人が持っていた方がいいと家族全員が思っていた。
祖父は母方の父親だったが母は一人娘であった。母が結婚して出て行くと祖父と祖母の二人暮らしになったらしい。それから36年後に祖母が他界した。その時に母は祖父を心配して一緒に住もうと言ったのだが祖父はそれを拒否した。なんと言ってもずっと住んでいた家だ。離れるのは身を切られる思いだろう、と母も分かっていたのでそれ以上は誘わなかったと聞いたことがある。
そんな事もあり、祖父とは取り立てて交流があったわけではなかった。お正月に親戚が数人集まるようになっていた。私も小さい頃は必ず母に連れられて帰っていたが大きくなり数年に一度しか参加しなくなっていた。母は様子見だ、と週に一度は顔を見せていたようだ。祖父の最後は病室でだった。ガタイも良かった祖父が細くなっている様は交流がなかった私でも切なくなった。しかし93歳という大往生で骨董品を片付ける時間もあったようだ。それだけ祖父の中でも余裕があったのかもしれない。
1階で片付けていた両親を手伝い、後は業者に任せる手はずになっている私達は帰宅することにした。その頃にはクタクタになりバックに入れたノートなどすっかり忘れてしまっていた。
ノートに気付いたのはそれから3日後、両親とは離れて一人暮らしをしている部屋に帰ってからの事だった。
バックの奥からノートを見つけた。最近やたらバックが重いと感じていたのはこのゴテゴテに装飾されたノートのせいだったようだ。改めてパラパラと捲ってみた。相変わらず中身は何も書かれていない。せっかくなので自分の日記として使ってみようかと思い立つ。今まで何度かやってみたが毎回三日坊主で終わっていた私にしてはこの思いつきは無意味と言っていいはずだった。
ペラペラと一番端まで開いてみて驚いた。何も書かれていないと思ったのだが一番端のページに日記として書き込みがあったのだ。
『1976.10.3 今日娘が私に会わせたい人がいるのだ、と言ってきた。とうとう私にもこんな日がきたのか…』
それは滑らせたような文字であった。しかしなにか緊迫したような内容で、読んだ私まで緊張したかのように思えた。ドラマでもよく見かけるあの場面なのだ。しかし1976年とはもう39年も前だった。次のページを捲るが他の内容はない。この文だけで書いた人は日記を終わらせてしまったのだろうか?不思議に思ったが誰かの日記を見てしまった罪悪感からか、次のページに自分の日記を書く気になれず、ノートを閉じ、本棚の中に閉まっておくことにした。
数日後たまたま本棚を整理していて日記の存在を思い出した。手に取るとずしりと重みを感じる。最初の1ページだけに書かれた日記を読みたくなった。ペラペラと捲ると、それは現れた。
『1977.6.24 今日は結婚式。スピーチをしなくてはいけない。しずえは泣くだろうか…』
バサッ。
私は日記を落としてしまった。
「…………」
言葉が出てこない。数日前には無かった2ページ目の日記が現れていた。明らかにおかしい。恐る恐る日記を拾い上げてみる。ペラペラともう一度捲るが、しっかりと2ページ目がそこにはあった。3ページ目も確認するが白紙だった。なぜ2ページ目だけが後から現れたのか、わからない。裏を確認したり他のページを一枚一枚確認するが、何も変わったところは無い。ただ2ページが現れた。それだけなのだ。私は冷静になりたくなり、日記をテーブルの上に置き、お風呂に入ることにした。
仕事から帰ってきてテーブルを見つめる。そっと日記を手を伸ばした。また日記は増えているかもしれない。そう思うと表紙を開く勇気が出なかった。しかし好奇心もあったのだ。誰かの日記など見る機会はそうそうない。見てみたい。と思ってしまっていた。ぐっと力を入れ、ぺらりと表紙を開く。しかし、ふっと力が抜けてしまった。日記は2ページ目から書かれていなかった。安堵したような残念なような不思議な感情が湧き上がる。
「………あれ?」
昨日は驚きから内容をよく見ていなかったのだが『しずく』という名前に聞き覚えがあった。それは確か祖母の名前では無かっただろうか。私はすぐに携帯を持ち母にメールをした。すると、すぐに返信があった。
『おばあちゃん?遠野しずくだよ。』
やっぱり!
私は心の中でガッツポーズをしてしまった。という事は日付から見て母の結婚式の話だろうか?つまりは祖父の日記なのだ。
「じいちゃん…」
ふいに声が漏れる。なにか切なさがこみ上げる。今はもう会う事が出来ない祖父がまだ生きている様な錯覚さえ覚えた。私はおもむろにペンを取った。祖父の日記の下に小さく書き込む。
『2015.2.18 スピーチ頑張って。』
ただそれだけを。自分の日記ではなく祖父の日記に応えるように。
書くとなぜだか満足感があり、ふぅ、とため息をついていた。
次の日ページを開くと驚いた。日記が増えていたのだ。しかしそれはいつもと違っていた。
『1977.10.5 未来の君へ。応援ありがとう。結婚式でのスピーチは酔ってしまってあまり上手くは言えなかった。だが、娘が幸せそうで私は嬉しいよ。』
私の書き込みに祖父が応えていたのだ。嬉しかった。亡くなった後にどんなに後悔したことか。もっと会いに行けばよかった、もっと沢山話せばよかった、と。後悔したところで祖父はもうおらず、叶わないことであるとわかっていた。しかし、この日記によってそれが叶うのだ。私はすぐにペンを取った。
『2015.2.19 幸せそうでなによりです。私も今すごく嬉しいのです。』
書きたい事は山程あった。しかし文字に出来なかった。そして、私が孫で貴方はもう居ないと伝えれなかった。伝えれば祖父は自分がいつ死ぬのだと分かってしまう。そんな恐怖を持って生きてほしくなかった。私は自分が孫である事は伝えない事にした。祖父とは何気ない話で笑い合っていたいのだ。
それからは毎日、日記を開く癖がついた。祖父からの日記は不定期に書き込まれた。そして分かった事は私には週に数回書き込まれているが祖父の方には数カ月に一度しか書き込みがいかないようだった。それは祖父からの日記で伝えられた。祖父も楽しみにして毎日開いてくれているそうだった。
私が生まれた事、お正月にみんなが集まってくれた事、祖父は嬉しかった事を色々書いてくれた。私もそれに応えて書き込みをした。ある日、日記を開くとひらひらと落ちていくものがあった。それは綺麗な蒼い透かしの入った蝶柄の栞だった。祖父に聞くと『綺麗な栞を手に入れたのでせっかくだからと日記に挟んでおいたのだがいつの間にか無くなっていた。』と言うのだ。文字だけじゃなく物も渡せるのか!と気付き、色んな物を挟み試してみた。すると日記が閉じれるものなら渡せるのだとわかった。祖父と私は子供のようにそれを楽しんだ。
しかし、2000年を過ぎた頃からそれが変わった。祖父からの日記ではよく祖母が登場し始めた。
『2001.3.20 しずくがおかしな事を言うようになってきた。何度も同じ会話をしたり、物忘れが激しくなっている様に感じるんだ。どうしたんだろうか。』
祖母の痴呆症が出てきたのだ。祖母はその後も回復せず、入退院を繰り返していた。痴呆症が出てからは祖父も家事を覚え、祖母の身の回りの世話をしたりと動きまわっていた。そのせいか、日記は数週間に一度くるようになっていた。日記が途切れ3ヶ月経ったある日、日記は書き込まれた。
『2004.11.19 しずくが死んだ。』
ただそれだけだった。私はその日を覚えていた。21歳だった私は大学を休んで葬式に出たのだ。喪主は祖父だった。母は準備やらでバタバタとせわしなく動いていた。私は父か祖父に付いて回るしかなかった。しかし、祖父が泣いていた記憶はなく、そんなもんなんだ、と思っていた。だがそれは違った。たった一行書かれた日記にこれでもかというくらい哀しみが込められていた。私は今更ながら祖母の死に涙が溢れた。日記には何も書けなかった。
数日後、日記が書き込まれていた。
『2005.12.20 未来の君へ。暗い話をしてすまなかったね。こちらは片付けも済んで、毎日がゆっくり流れている。』
私は胸が締め付けられた。まだ辛いだろうに強がっているのではないかと心配した。
『2015.6.30 ご愁傷さまでした。なんと言っていいのかわかりませんが、ご冥福お祈り申し上げます。』
私にはどこにでもありそうな、そんな言葉しか出て来なかった。本当は、じいちゃん!大丈夫?強がらないで泣いていいんだよ!と伝えたかった。しかし言ったところで今の私には何も出来ないのだ。日記の中の祖父の元には21歳の私がいた。しかしその時でさえ何も出来ていないのだ。それに祖父はきっと誰もいない所で泣いているのだ。私はそっと日記を閉じた。
その後の祖父はゆっくりと日常を取り戻していたようだった。趣味の骨董品集めにブレーキをかけていた祖母も居なくなり、収集がエスカレートしているように思えた。祖父がこんなやつが欲しくて、なんて言ってきた時は私がたまに『それ似たの持っていませんでした?』なんて言ってブレーキをかけるようにしていた。しかしあまり止めるつもりもなかったしブレーキにもなっておらず、返事は数カ月後で『もう買ってしまったんだよ。』なんてとぼけた様な会話になっていた。それで祖父が元気になってくれれば充分だったのだ。そんな祖父との日記が楽しくてたまらなかった。
ある日、いつもとは違う長い日記が書き込まれていた。
すとん、と日記からは封筒とお札が落ちてきた。
『2014.8.10 未来の君へ。もう君とは何年の付き合いになるだろうか。なんだか数十年来の親友のように感じるよ。君にしたら数カ月のようだが。そんな君に頼みたい事がある。実は私はもう長くない。医者からそう告げられている。この日記帳が君の元にあるという事は私はもう君の時代には居ないのだろう。だが、気にしないでくれ、君を責めたいわけではないのだ。ただ私は娘達になにもしてあげれなかったような気がするんだ。ちゃんとありがとうと伝えれてなかった。しかし今更になって面と向かって話すのには照れくさすぎるんだ。だから君の力を貸してほしい。今から手紙をこの日記に挟む事にする。これを下の住所に送ってもらいたい。よろしく頼むよ。それから、日記を書くのは今日が最後かもしれない。私は明日から入院する事になっているんだ。君には色々励ましてもらった。本当にありがとう。君の名前すら知らないけれど、君は私の大親友だよ。 陽介』
下には両親が暮らす住所が書き込まれていた。封筒には両親と私の名前が書かれていた。お札は郵便代のつもりなのだろう。涙が止まらなかった。
次の休みの日に私は封筒を実家の両親に渡した。日記のやり取りは内緒にして、骨董品整理の時に見つけたのを忘れていたと、とぼけておいた。
母が封筒を開けてみると中には鍵と手紙があった。
『お前たちの好きにしなさい。』
たったそれだけだった。後は地図のような絵があった。それは祖父が住んでいた家の庭のようだった。
「何かしらこれ。」
母は呆れたような顔をしている。
「これじいちゃん家の庭じゃない?」
「ここ、バツがある。宝探しの地図みたいだなぁ。」
父が楽しそうな顔をしている。
「とにかく行ってみるしかないわねぇ」
両親と私は家に向かうことになった。
祖父の家はまだ取り壊しもせずにいた。取り壊すにはお金もかかるし、母も長年過ごした家を取り壊す決心が付かないでいたのだ。
家に着くと地図を頼りにバツの場所を探してみた。案外場所は見つけやすかったのだが、下はただの土だった。
「何かしら?掘ったらいいの?」
母がそう言いながらスコップを私と父に渡してきた。二人は顔を合わせ、下を見た。しかし掘る以外どうしようもなかったので仕方なくスコップを土に刺した。範囲もわからないのであちこち探しながら掘っていく。すると2、30センチ掘った辺りでかきん、と金属に当たったような音がした。父が
「お!出たか!」
と汗をかいた顔を寄せてきた。二人がかりで土を掻き分け埋まっていたものを引きずり出した。それは箱のようでずしりと重かった。
「これお父さんが埋めたのかしら?」
やっと母が近づいてきた。
「手紙からしたらそうだろうなぁ?」
父は汗を拭っている。
「開ける?」
「ちょっと、もっと泥を払ってよ」
母がどこからか持ってきたタオルで土を払い落とすとようやく取っ手などが分かるようになった。すると蓋の一箇所にアルミホイルで巻かれたところがあった。外すとキッチンペーパーのようなもので巻かれている。それも剥がしてみる。
「あ、これ錠だ」
蓋には鍵がかかっていた。封筒に入っていた鍵はこの為だったのだ。アルミホイル等は土で鍵穴が詰まらないようにする工夫だったらしい。
「ちょっと待って」
そう言うと母はポケットから鍵を取り出した。
がちゃり。
錆びた錠からは重々しい音がした。
「いくよ?いっせーの!」
父と私は力を合わせて蓋を開く。ぎぎぎと錆びた音がする。がたん。と蓋を置く。中にはーーー
箱いっぱいに入ったアルバムや思い出の品だった。アルバムには『陽子○歳』と書かれたものが何冊もあった。『陽子、祐一君(結婚式)』や『祐介』と書かれた私のものまであった。私達は一先ず箱を室内に移動させ中身を全て出してみた。すると下の方は祖父母のアルバムや結婚式の写真まで出てきた。母はそれらを見ながら涙を拭いていた。父もたまにズズッと鼻を鳴らしている。ふと箱を見ると底に紙が貼り付けられていた。
『ありがとう、幸せだったよ』
祖父は憎い演出をする人だったんだな、と涙を流しながら思った。
読んでいただきありがとうございます。なんとなく過去と未来が繋がる話を書きたくて出来たストーリーです。