よろしく哀愁! ~シンガーソングトラッカー旅日記~
初めまして。
本作品の著者の北都の平八といいます。
現在、函館で路上ライブやカフェ、ライブハウスで音楽活動をしていますが、ほんの数年前はトラックで全国を股にかけたトラック乗りで、その仕事の合間に各地で路上ライブ活動をしていて、自称・全国路上ライブ・シンガーソングトラッカーを名乗っていました。
本作品はあくまでもフィクションでありますが、俺が実際に経験したことを元に書いています。
多くの人に読んで頂けたら喜びます。
よろしく哀愁!
ここは北の都、北海道は札幌。
真夜中の大通公園の一角だ。
一台の大型トラックが公園脇の路肩に滑るようにして止まり、ハザードランプが点滅を始めた。
ハザードランプは数分間点滅を繰り返していたが、エンジンの停止とほぼ同時に消えた。
夜空に伸びるテレビ塔のデジタル時計は零時を示している。
通る車もめっきりと少なくなり、ちらほらと暇そうな空車タクシーが止まっているのが見える。
トラックの運転席から運転していた男が降りてきた。
男は助手席のほうに回り、ドアを開き、黒い大きめの安っぽい布のカバン、そしてギターケースを取り出した。
男はドアを閉じ、ロックをすると大通公園から南へ向って歩き出す。
ギターケースとカバンを下げた腕は、力仕事で鍛えられたのかかなり太く、Tシャツに包まれた上半身の胸板は厚く、ぜい肉はない。
一見、三十代前半くらいにも見える風貌ではあるが、髪と短く伸ばしたアゴヒゲには白いものがかなり混じっている。
男が歩いて着いた先は狸小路商店街。
札幌の古くからあるアーケード街だ。
北国最大の歓楽街ススキノから近いせいか、大通公園の静けさとは打って変わり、深夜関わらずに行き交う人や、たむろする若者たちの少なくない。
男はシャッターが降り、とうに店仕舞いしているドラッグストアの前に来るとカバンとギターケースを置いた。
カバンの中から取り出したのは、折り畳みの小さなイス、譜面台、ノートなどだ。
そしてケースからギターを取り出しストラップを付けると肩にかけ、電子チューナーで音合わせをする。
チューニングを済ますとギターケースを譜面台の前に広げ、ケースに付いている大きめのポケットの中から段ボールで作ったボードを取りだしクリップで譜面台に取り付けた。
ボードには
『全国路上ライブ・シンガーソングトラッカー カズヤ』
と書かれている。
男は小銭入れから硬貨を数枚ギターケースに投げ入れるとシャッターの降りた店の入り口を背に身体を向き直し、少し緊張した面持ちでギターを構えた。
『C』をストロークで鳴らす。
ジャラーン
目を閉じ深く深呼吸をひとつ、またひとつ。
そして静かに目を開き、ギターを弾き初めると、男はよく通る声で歌い出した。
当年四十五歳のこの男。
全国路上ライブ・シンガーソングトラッカー、カズヤの路上ライブが深夜の狸小路で始まったのだ。
「ああ・・・、やっちまった…」
カズヤは呟き、茫然とするのだった。
ここは北海道東部、帯広市郊外の広大なジャガイモ畑の中にある冷凍コロッケなどを作っている食品工場の出荷用プラットホーム。
仙台と関東圏の計三か所おろしの冷凍コロッケを積むために何度も訪れている食品工場だ。
プラットホームには荷台から崩れ落ちた冷凍コロッケの段ボール。
中には落ちた衝撃で段ボールが破れ、中身がこぼれてしまった箱もある。
少し離れた場所には背広姿にヘルメットを被った数人と現場責任者。背広組は口をポカンを開け、現場責任者は背広組のひとり一人にペコペコ頭を下げ、時折怒りを含んだ視線をこちらに向けてくる。
カズヤはその視線を痛いほどに感じながら、崩れた段ボールから破れなどの損傷の無いものをリフトマンが用意したパレットに積み直す。
リフトマンは手を貸してくれながら「はんかくせぇなぁ」と呆れ顔で呟いた。
約二時間の積み込み作業を終えたカズヤは、いち路、札幌を目指す。
運転の途中でカズヤが籍を置く東京は江戸川区の運送会社、グッドラック輸送に電話を入れ、先程の事の顛末を報告する。
「カズさん!いったい何やってるんですか!?先日だってコロッケの数を間違えて先方にかなり迷惑かけたばかりじゃないですか!今日だって現場に先方のお偉いさん達が視察に来るから注意してっていっておいたでしょう!?もっとちゃんとやってくれないと北海道便から外されて、家に帰れなくなりますよ!」
携帯に繋いだイヤホンマイクの向こうで配車担当の大木の怒号が響く。
大木の言う事はもっともだ。自宅が札幌にありながら東京の運送会社に勤めていられるのは、北海道から本州への冷凍コロッケを運び、東京からは北海道への某宅配会社の路線便をやっているからだ。
「すまん・・・・・・。目測を誤ってパレットを押し過ぎたよ・・・」カズヤは力なく答える。
「まったくもう・・・。こっちに戻ったら部長に謝ってくださいよ」
「ああ、わかったよ・・・。ところでフェリーは今夜の苫八の二十一時でいいんだべさ?」
「えーと、そうです。明日の仙台おろしと明後日の船橋と東京の二か所おろしですもんね。そいじゃ気をつけて運行してくださいよ」
「ああ、わかったよ。したっけ」
カズヤは溜め息をつきながら電話を切り、ハンドルを握り直す。
トラックは帯広を抜けて日勝峠を越え、石勝樹海ロードを通り、四時間ほどで札幌に入ってきた。
やがてトラックは札幌の街はずれにある、札幌トラックステーションに入ってきた。
トラックステーションは通称「トラステ」と呼ばれ、全国各地に点在し、家になかなか帰ることが出来ないトラックドライバーのための休憩所で、全国各地から集まる長距離ドライバーのために食堂や浴場にコインランドリー、場所によっては簡易ホテルもある。
もっとも大半の運転手はキャビン後部にある決して広くはないベッドで休むので、トラステホテルを使うことはあまりない。高くはないが、経費がかさむからだ。
カズヤは空いているスペースにトラックを駐車させた。
トラックが停まると少し間を置き、一台の軽四がカズヤのトラックの前に停まった。窓越しに運転してきた女房のマユミが手を振る。
カズヤも手を上げて応え、エンジンを切り、キャビンの全周カーテンを閉じ、バッグを抱えてトラックを降りた。
軽四に小走りで駆け寄り、後部座席のドアを開けてバッグを放り込み、運転席に座る。
マユミは助手席に移っていた。無言で車を発進させる。
マユミのお喋りに生返事を返していたが「何かあったの?何か変よ?」と顔を覗き込んできた。
「あ?いや。なんでもない。ちょっと考え事を・・・」
「嘘よ!絶対何かあったんだ!そんな時のカズヤって、いつも何かあるもんね!もうこれ以上こっちに迷惑かけないでね」
「なんもないって!仕事の段取りを考えてただけだべ!」
「ふーん、まぁいいわ。ねえスーパーに寄ってって。夜は何時に出るの?」
「六時くらいだな」
「あら、三時間くらいしかないじゃない。真っ直ぐ港に行ったほうが良かったんじゃないの?こっちだって忙しいのよ」
「たまにしか戻れないからこそ、家に寄りたいべ。それにちゃんとしたものも食べたいし」
「大したもの作れないわよ。ご飯の量はセーブしてよね。カズヤが来るとお米がすぐなくなるのよねぇ」マユミが苦笑して言う。
「大体、普通なら年と共に食べる量が減るもんなんだけど、カズヤは昔と変わらないもんねぇ」
「俺は生涯食べ盛りなの!ましてや力仕事だべしな」
やがてスーパーで買い物を終えた二人は団地街に入ってきた。札幌の外れに位置する古い団地で家賃はかなり安い。
団地街を通る広い通りに面した棟の四階がカズヤ一家の住まいだ。五階建ての古い団地でエレベーターは無い。
入居したての頃は四階まで上がるとふうふう言っていたが今はすっかり慣れた。上の方からキャンキャンと小型犬」の吠える声が聞こえる。
「もう!ヨウったら、とちゃんとドアを閉めてないわね!」
四階に上がり鍵穴にカギを差し込む頃には鉄のドアの向こうで犬の興奮は最高潮になっている。
ドアを開くと同時にヨークシャテリアのクロが飛び出し、主人の帰りを全身で歓迎している。
奥からTシャツにパンツ姿の息子ヨウイチが寝ぼけた様子で現れた。
「やあ父さん、おかえり」まだ眠そうだ。
「お!ってお前部活は?」
「今はテスト期間だから休みだよ」
「そうか。テストの調子はどうだいマイサン」
「うーん、悪くないかな?戻って来ないと何とも言えないけど今日の歴史と英語は手応えありだね」
「お、そうか!しかしなんだね、俺も母さんも昔は全然勉強苦手だったのに、お前はクラスはおろか学年でも上位だもんな。まさにトンビがなんとやらだべ」
「でも数学と科学はダメさ。理数は苦手」ヨウイチは諦め顔だ。
「それでも文系が良いからな。ところで最近なんかCD買った?」
「いや、買ってないな」
息子のヨウイチは高校二年生。自転車で通える距離の市立高校に通う。
学校ではブラスバンド部に所属し、コントラバスいわゆるウッドベースを担当している。また、曲によってはエレキベースを弾くこともあり、個人的にもメイド・イン・チャイナのものとお年玉を叩いて買った国産メーカーのエレキベースを持っている。
カズヤ自身、中学生の時は当時流行ったフォークソングをコピーして文化祭のステージに仲間と共に立ったし、高校時代は当時流行ったバンドのコピーバンドでドラムを叩いたものだった。
そして現在は押入れの奥でギターは埃を被っている。もっともネックが反って使い物にはならないが、青春の一ページを共にした一品なので捨てずにいる。
またトラック乗りであるカズヤはラジオ、特にFMを聴くのが好きで、そのせいか最近の音楽にも精通している。
お気に入りの深夜番組にもリクエストやメッセージ、時にはお笑いネタを送り、読まれたボツだったと一人一喜一憂していた。
そのせいかカズヤは最近の音楽にも詳しく、息子のヨウイチとも話が合う。
・・・・・・つもりだ。
足元にまとわりつくクロを抱き上げながらカズヤはヨウイチに「バンドはどんだ?メンバーはいたか?」と聞いた。
ヨウイチは学校でロックバンドを組みたがっていたが、なかなかメンバーが揃わないと言っていた。
「ドラムがいなくてさぁ」
「どうだ、俺に叩かせてみないか?」カズヤは冗談半分で言ってみる。
「ははは!ドラムなんて何年もやってないだろうし、練習する時間もないし、ドラムだってないでしょ?第一、父さんと同じバンドでなんて何か嫌だ」
「そうかもな。俺もお前と同じ位の年頃の時は親って何故か恥ずかしかったもんな」
「ぼちぼちやるさ。これでも忙しいしさ」
そんな親子のやりとりをカズヤは嬉しく思う。高校生くらいともなれば、親はウザくてウルサイとしか思われす、口もききたくないのが普通だろう。
しかしカズヤと息子のヨウイチには音楽という共通の話題のおかげで会話が弾む。
「ホレ!ご飯が出来たぞ!時間あんまりないんでしょ?早く食べた食べた!」
食卓には大皿にキャベツとモヤシにタマネギとともにフライパンで炒めたラム肉だ盛られ、その横の小鉢の中にはジンギスカンのたれ。簡易ジンギスカンだ。
かたわらにはどんぶりに盛られたテンコ盛りご飯が「どうだ!」と言わんばかりに置かれている。
「いやぁ!北海道に戻ったらやっぱコレだべな!いっただきやーす!」
箸でラム肉と野菜をムンズと掴み、たれをつけて口に入れるとテンコ盛りご飯をほおばる。
「ん~!しあわせ~!」カズヤは幸せを噛み締める。
「もう見てるだけでこっちまでお腹いっぱいになるような食べっぷりだこと」マユミは半ば呆れて言う。
「俺の食欲、未だおとろえ知らずってかあ~。オメも文句いってけど、このメシの盛りはさすがだべ!」
「あんたにはまだまだ働いてもらわなきゃね。たくさん食べてガンガン働いて早く楽させてね」
「ゆーてもな、世の中不景気だから仕事減ってるべ」
実際、世間は不況の波が押し寄せている。
東京から北海道に荷物を運ぶ仕事は定期契約を結んでいるので毎日運行だが、北海道から本州に運ぶ荷物は最近よく途切れる。そんな時は自宅待機となり、仕事は休み。
給料が歩合制の会社に勤めるカズヤは仕事が無いと当然手取りは減る。
「世の中不況なのは仕方ないけど、やっぱり主には健康でいてもらわなきゃね」マユミは言う。
「んだんだ。まずは身体が第一だべ」ドンブリ飯をかき込みながらカズヤは答える。横には愛犬クロがテーブルに前脚を載せ、クンクンと鼻を鳴らしている。
時折、肉のカケラをクロに与えながらカズヤはマユミに聞く。
「そういやミカはどうした?もうそろそろ下校時間だべ?」
隣のヨウイチの部屋からはベースの生音が漏れている。
「もうとっくに下校時間よ。あの子のことだから友達と遊びながら歩いてるのよ」とマユミが言い終わると同時にドアが開き、「ただいまー!」と娘のミカが帰ってきた。団地のそばにある小学校に通う五年生だ。
「あ、父さん帰って来てたんだ!おかえりー!」
ミカは部屋に向かいながら言うと、自分の机にカバンを放り玄関に急ぐと「友達と公園で遊んでくるー!」と言った。マユミはミカの背中に「五時までかえるのよー!」と声を掛ける。
そんなやりとりを見てカズヤは「平和だなぁ」と思うのだった。
「ねえ、何かあったんでしょ?さっき様子が変だったもの」
トラステに向かう車中でマユミは突然口を開いた。
「な、なんだぁ!なんにもねえって!心配することだっけなんもねえよ!」
「本当にー?私には判るんですからね。もうこれ以上心配させないでね。やっと生活も落ち着いてきたんだから」
マユミの言う通りだ。
これまでのカズヤは高校を卒業した後、大手食品会社の工場に七年勤めた頃に一生このままでいいのか?との思いから辞め、営業職、地場産業の工場、、知り合いのツテで入った倉庫のリフトマンなどの職を転々とした。
カズヤ自身、転職する度に「ここで成功するんだ!」と決意を新たにするのだったが、人間関係に悩まされたり、ノルマが達成出来なかったりとどこも上手く行かなかった。結局、考えが甘かったのだと思う。
そして、転職のたびに生活が苦しくなった。
そんなカズヤが運転手の仕事に就いたのはひょんなキッカケだった。
営業職に自信が持てないながらも、借金もあり、また結果を出せば高給も夢ではないという理由で選んだ不動産会社を、客に預かったお金を落としてしまったということでクビになっていたある日、運転手の経験がある知り合いに偶然会った時の話だ。
「ふーん。それはカズヤさんも大変ですね。運転手でもやったらどうです?」
「俺がトラックの運転手?ムリムリ!乗用車の運転だって決して上手くないのに、あんなにデカイの運転出来っこないしょ!」
「デカイのは慣れっすよ。それに意外と大きいほうが楽っすよ。特に長距離はね。大体、家族養わなきゃならないんだったら、アルバイト感覚でとりあえずやるだけやってみて、ダメならまた考えればいんでないの?」
「うーん、運転手ねぇ・・・。トラックかぁ・・・」
カズヤは悩んだ。トラック運転手と言えばハードな職業の代表みたいなものだ。果たして自分に、どこの会社でも長続きしなかった自分にできるであろう
しかし、転職もこれが最後と思って飛び込んだ不動産会社をクビになり、何をして良いかカズヤ自身も判らないでいた。
「そうだな、とりあえず何か仕事をしないことにはな。君の言うように難しく考えず、とりあえず何かしなきゃな!」
家に戻りマユミに話すと、初めは驚き、反対もしたが何か仕事をしてお金を稼がない事にはどうにもならない現実もあり、マユミは渋々承諾した。
現実問題、家計は火の車だったからだ。
早速、求人誌の中から条件の良さそうな運送会社を選び、電話を入れてみる。
初めの二社は電話の段階で「経験が無いから」と断られたが、メゲずに電話をかけた二社から明日にでも面接に来て欲しいといわれた。
翌日、面接に赴いたそれぞれの会社では一様に経験の無さを気にかけたが「まぁ誰もが初めは初心者ですからね。大事なのは本人のやる気です」と理解も見せた。
それぞれの会社の面接を終え、家に戻ると一社から採用の電話を貰い「明日から来れますか?」と言われた。
無職で無収入のカズヤが断る理由もなく、こうしてトラック運転手の生活が始まった。カズヤ、三十二歳の春だった。
配属されたのは札幌市内にいくつも店舗をもつスーパーの配送センター。ここで仕分けられ、コンビと呼ばれるキャスター付きのカゴに収められた商品を四トントラックに積み込み、午前と午後にそれぞれ三店舗ずつおろして回る。
今でこそ大型トラックを苦も無く運転しているカズヤだが、普通の乗用車しか運転したことない者にとって、四トン車の運転は戸惑うことが多かった。
ブレーキやクラッチはエア圧を利用していて、乗用車の感覚でブレーキを踏むと、フロントガラスに突っ込んで行きそうなほどの急ブレーキがかかったり、バックしようと後ろを振り返っても「ハコ」と呼ばれる荷台の壁で視界を遮ったりした。
また、交差点などを曲がる時は内輪差を考えて大きく曲がらなければならなかったし周囲に気を配る配慮も要求された。死角が多すぎるのだった。
初日は先輩運転手の運転を助手席で見ているだけであったが、二日目に初めてトラックのハンドルを握った時は緊張しまくりで、札幌市内の配送を終えてセンターに戻るころには手にビッショリと汗をかき、プレッシャーからくたくただった。
しかし、三日目を過ぎた頃には同乗の先輩運転手にあれこれ指示されることも減り、五日目には一人で運転するようになっていた。
一人で運転するようになり気持ちに余裕も出てきた。
高い目線からの景色。一人の気楽さ。ラジオから流れるお気に入りの音楽。
時には公衆電話からラジオ局にリクエストをしては、好きな曲がラジオから流れるのを喜んだりした。
すっかり仕事にも慣れたある日の事、配置換えを言い渡された。
「履歴書によれば君は以前、空手をやっていたそうだね?今度他の部署で建材の石膏ボードを運ぶ仕事を請け負ってね。それが結構な重量らしいんだよ。積み込みはリフトがやってくれるけど、荷下ろしは殆ど手作業らしいんだよね。君なら空手やってたくらいだから体力あるでしょ?よろしく頼むよ」
そう伝えられ、翌日からはカズヤは屋根のない荷台のトラック、通常は平車と呼ばれるトラックを当てがわれ、石膏ボード製造工場の専属となった。
平均ひと山百枚のボードを四山積み、市内の建設現場や建材を扱う問屋に運んだり、時には北海道内各地の建設現場に運んだ。
石膏ボードは重く、静かに置かないと簡単に割れてしまうので、扱いには慣れが必要である。重量もあるので一軒おろし終わると夏場には汗が絞れるくらいだ。
しかし、カズヤはこの仕事が嫌いではなかった。
確かにハードな仕事ではある。
ハードではあるが、長距離運転がカズヤの心を躍らせたのだった。
二十代前半、カズヤは旅好きのバイク乗りだった。
休みのたびにあちこちツーリングへ出かけたり、夏の休暇には北海道各地を旅して回った。
トラックで道内各地を走ると当時の記憶が甦り、心が躍った。
そしてこんな風に思うようになった。
「俺の昔の夢は日本一周だった。この仕事は、仕事とは言え普段なら滅多に行かない土地へも行くことが出来る。もしかして、初めは無理だと思っていたトラック運転手の仕事は意外と俺に向いてるかも・・・・・・。いや、むしろ天職かもしれない。よし!いつかは大型の免許を取って、本州に渡れる運転手になってやるぞ!」
ちょうどその時は道北の稚内へ向かう途中だった。
地平線は続く果てしない真っ直ぐな道を朝日が照らし始めていた。
その朝日はカズヤの心も照らしてくれているかのようだった。
「しっかりしてよね!本当に!」
「判ってるって。そんなに心配すんな。天職と思える職業に就けたんだから俺もフラフラしたくないしな」
程なくしてカズヤとマユミを乗せた軽四はトラステの敷地に停められたカズヤのトラックの前に着いた。トラックに装備された冷凍機のエンジンは変わらずに唸りを上げている。
カズヤは軽四を降りて後部座席のドアを開け、カバンを持つとマユミに声をかけた。
「そいじゃ行ってくるわ。子供達を頼むな」
「次はいつ戻るの?」
「判らん。まあ二週間以内かな?」
「まったく遠洋漁業の船乗りみたいなんだから」
「確かにこの仕事は船乗りに例えられたりするからな」
「ホントとねぇ。どうでもいいけどしっかりね」
ちょっと寂しそうな笑顔を浮かべマユミは手を振ると家に帰って行った。
カズヤは軽四を見送るとトラックに乗り込み、エンジンを始動させてから全周カーテンを開いた。
そして点検ハンマーを持って外に出ると、全部で十本あるタイヤやそれぞれのタイヤを固定するハブボルトを叩いて回る。
タイヤの空気圧が減っていたり、ハブボルトがが緩んでいたりするとハンマーで叩けば他と音が違うので異常が判る。
足回りの点検を終えて運転席に戻り、サンダルに履き替えると静かにトラックを前進させた。トラックはトラステに面した国道に入り、苫小牧フェリーターミナルに向けて走って行った。
カズヤを乗せたトラックは苫小牧のフェリーターミナルビルに横付けされ、ビル内の三社あるフェリー会社のひとつで、八戸航路を扱う会社でのカウンターで受け付けを済ませると、トラックを港の乗船待機スペースに移動させた。
ハンドルの上に両足を乗せ、腕を組み、今日の失態について考えてみる。
考えても答えは簡単だった。
「なんでもっと気を付けなかったのか・・・・・・」
破れた段ボール。その中から転がった冷凍コロッケ。
現場責任者の刺すような視線。
「こんなノルマも達成出来んでどうする!?子供の使いじゃないんだぞ!!」
客から預かった金を落として会社をクビになり、それを伝えた時のマユミの呆れ顔。
上手くやれそうだと思っても、どこかでミスをしてしまい、立場を悪くしてしまうこれまでの自分。
ちくしょう!ちくしょう!なんでもっとあの時に!
ドンドンドン!
びっくりして飛び起きる。いつの間にか寝てしまっていたのだ。
気付くとキャビンの横に係員が居て、乗船の順番が来たのを告げに来ていた。
カズヤは体勢を整えると、係員の誘導にしたがってトラックをフェリー内部に進ませていった。
車両甲板内では係員の誘導でトラックを停めると係員が「ガッチャ」と呼ばれるワイヤー固定器でトラックを固定させる。
カズヤはキャビンを降りると車体の側面に回り車両甲板の壁にぶら下がっている太い電気コードを引っ張って来て、トラックの冷凍機に繋ぎ、スイッチを切り替えて冷凍機をエンジン回しからモーター回しにする。
原則として車両甲板ではトラックはエンジンを停止せねばならない。また、運送会社にとっては燃料の節約にもなる。
冷凍機が異状なく動いているのを確認すると、カズヤはエレベーターでロビーに上がり、トラックドライバーエリアに記載された番号のベッドに行き、ゴロリと横になった。
北海道と本州を結ぶフェリーは通常、一般客とトラックドライバーの居住エリアは完全に区切られている。
フェリー会社にとってトラックは定期的に利用してくれる上客であり、居住エリアが分けられて快適に過ごせるのはもちろん、浴室やサロンも分けられ、利用する航路によってはランドリーも無料だし食事の割引もある。
また一般客からみても、トラックドライバーはコワモテのイカツイ男が多く、そんな者たちが周囲をウロつかれてはせっかくの船旅で余計な気を使わねばならないかもだが、居住エリアが分かれているおかげでその心配は減る。
カズヤは買ってきた缶ビールを飲みながら昼間の出来事に思いを巡らせていたが、仕事の疲れに酔いも手伝ってか、たちまちマブタが重くなってきた。カズヤは元々酒が弱くもある。
「うう~、白いワニ(睡魔)が早くも襲ってきたなぁ。あれこれ考えててもラチあかんべ。とにかく今は明日に備えて寝るべ~」
Tシャツとパンツになり毛布を被るとまたたく間に眠りに落ちていった。
時間は午前三時に間もなくなろうとしていた。
カズヤを始めとするトラッカーの面々は既にそれぞれのトラックに乗り込み、下船の時を待っていた。カズヤのトラックの中ではFMラジオから午前三時の時報が響いていた。
一瞬、間があくと次の瞬間ハードなロックのビートが流れた。
「ロックンロォーーーーーーール!」とDJがシャウトする。
「時間は深夜三時!真夜中の暗闇に風穴を開ける深夜のハイテンションラジオ『ツルタタケルのBBR3000』の始まりだぜ!」
カズヤの深夜運行の楽しみのひとつの番組だ。
東京の皇居のそば、半蔵門にあるメジャーなFM局をキー局に全国放送の深夜ラジオではあるが、なぜか北海道ではネットされていない。
DJのツルタタケルは本業は俳優で、カズヤは知らなかったのだが有名なアクションヒーロー物の何代目かの主人公を演じていた経歴がある。
「まずは挨拶替わりに一曲お見舞いするぜ!リクエストをよこしたふざけた野郎はラジオネームトラッカーカズヤだ!今日はどこ走ってんだ?気ぃつけて走れよ!カズヤからのベタなリクエストはこれ!ディープ・パープルでハイウエイ・スターだ!聞け!」
ラジオから流れるハイウエイ・スターを聴きながらカズヤは思わずガッツポーズをした。かたわらの携帯にはすでに何通かのメールがあり、そのどれもが「リクエスト採用おめ!」とか「やりましたね!」といった内容である。
メール送信の相手は皆BBRのリスナーでいわゆるリスナー仲間である。
BBRには他のラジオ番組と同様に携帯でもアクセス可能なホームページがあり、リクエストやメッセージを送るためのメールフォームの他、リスナー同士の交流の場としてBBS(掲示板)も設けている。アクセスすれば誰でも読むことが出来るが、書き込みするにはBBSをを管理する「ワークス・プレイヤー」というサイトで利用者登録が必要だ。登録は無料だ。
ワークス・プレイヤーは番組用BBSだけでなく、たとえば旅行好きのためのBBSや写真好きが自慢の一枚を投稿するBBSがあったり、または有名な企業が自社商品のキャンペーンに使ったりもしている。
カズヤは右手でハンドルを握り、左手で携帯を操作して番組ホームページにアクセスしてBBSを見た。
見慣れた面々の書き込みがすでに寄せられており「今夜もよろしく」とか「ゲストコーナーが楽しみです」といった内容の書き込みの中に「カズヤさん、リクエスト採用おめ!」との書き込みが数件あり、それらに対してカズヤも「アザース!トップ採用うれしす!」と返事を書きこむ。
やがて、前部ハッチが開き係員の誘導でトラックが次々と下船が始める。
カズヤのトラックも車両甲板からハッチを抜けると八戸フェリーターミナルを出て、歩く人すら見当たらない深夜帯の八戸市街を通り八戸インターチェンジを目指す。
ラジオからは相変わらずツルタのハイテンションな声が響いており、番組はリスナーからのネタコーナーになっていた。
八戸市街を抜けたカズヤのトラックは八戸インターのゲートをくぐるとスピードを上げて行った。しかし、東北自動車道に繋がる八戸道は山間部を通る高速道で上り坂が多く、荷物を満載したトラックやパワーに劣るトラックはスピードに乗ることが出来ない。冷凍コロッケを満載積んだカズヤのトラックも上り坂ではガクッとスピードが落ちる。
そんな事はいつものことでカズヤは意に介さず、ラジオに耳を傾けながらリスナーからのネタ話にケラケラ笑い、知ったリスナーのネタが採用されるとBBSにアクセスしてそのリスナーに向け「○○さん採用オメ!ワロタ!」などと書き込みをする。
やがてカズヤのトラックは安代ジャンクションで東北道に切り替わった。すでに岩手県に入っている。
そのころには夜も白々と明け始め、澄んだ空気の中を上る朝日に照らされた岩手山が壮大な姿を現す。
「いや~!いつ見ても見事だなぁ!」カズヤはひとりトラックを運転しながら感嘆の声を上げる。
「こういうのが見れたりすっからこの仕事が辞められんべ!」
カズヤは携帯を取り出し、カメラに切り替えると周囲に注意しながら岩手山の勇姿を収めた。
気付くとトラックはセンターラインを跨いで走行しており、カズヤはミラーで周囲を確認し、何事もなかったように走行車線に戻った。
「あぶないあぶない。運転中の携帯電話の使用はお控えくださいってかぁ」
トラックは順調に東北道を南下し、岩手県を過ぎ、宮城県に入った。
そうしてトラックは東北道は宮城県内の泉インターを出て国道四号に入り、渋滞中の仙台市内を抜け、仙台港にほど近い冷蔵倉庫に寄った。
ここでは全体の三分の一ほどの冷凍コロッケを下ろした。
カズヤは受領書を受け取るとトラックを出発させた。
次の荷卸し先は千葉の船橋と東京は品川の同じような冷蔵倉庫だ。着日は明日になっているので時間にゆとりがあるので船橋までは一般道、いわゆるシタ道を通っていく。
経験上から恐らくはノンビリ走っても明日の明け方前には着くだろう。港界隈から仙台の街を貫く四号バイパスを通り、しばらく行くと国道六号線を左に折れ、南下を続ける。
差し込む光は柔らかく、窓から吹き込む風がハンドルをを持つ腕の産毛をこちょこちょとくすぐっては通り過ぎてゆく。
FMラジオから流れてくる若いアーティストのヒット曲に自然と鼻声を合わせてみたりする。
しばらく走ると地元の農家のものと思われる軽トラックの後ろについた。
「田舎の軽トラって、全国共通でどの車もノロノロ運転だなぁ。まぁそのうち脇道に入るんだろうけど、急いでる時は勘弁してよって感じだべ」
制限速度五十キロの道を五十キロを下回る速度で走る軽トラの後ろを走りながらカズヤは苦笑した。
軽トラを運転しているのはお年寄りのようで、後ろの窓から見える後頭部は白髪が大半を占めている。
トラックのサイドミラーから後ろを見ると、七~八台の行列になっている。
「へっ!あの軽トラ、後ろのことなんざ何も気にしてねぇんだべなぁ」と心の中で呟いていたら、軽トラはガクンとスピードを落としたかと思えばウインカーの合図のそこそこに脇道へ左折を始めた。
「ほら言わんこっちゃない!こちとらお見通しだっつーの!」
カズヤは対向車が来てないのを確認すると、右にウインカーを出し対向車線にトラックをはみ出して軽トラをかわした。
「やれやれ、田舎の軽トラの行動パターンってなしてこう一緒なんだべか?車間注意で怪我一生てか!」
軽トラに限らず周囲を気にしない車はいたるところを走っているもので、もしそんな車と事故を起こそうものなら過失割合が十対ゼロの場合を除き、給料から無事故手当が引かれてしまう。
やはり常に気を配っていなければいけない稼業なのである。
カズヤのトラックは宮城県から福島県の太平洋側を走り、茨城県を抜け、千葉県に入ってゆく。
時々コンビニに寄り弁当を買って食べたり、道路脇にある駐車場で仮眠を取ったり、沿道で手を振る小学生の集団にクラクションを鳴らし手を振り返してみる。
時間にゆとりがある行程なのでカズヤはノンビリ走ってゆく。
運転のお供は好きな音楽、そしてラジオだ。
ときおり番組にメッセージを送っては、採用されたとひとり悦に入る。
そんなこんなで時計は午前四時を少し回った頃、トラックは千葉県船橋市の港にほど近い工業団地の中の冷蔵庫に着いた。
カズヤは伝票を持ってトラックを降りると、通用口横に置かれた台にある「夜間受付票」に会社名、車のナンバー、名前、携帯番号を書き込むと伝票を備え付けのクリップで纏めてはさみ、箱の中にいれた。
夜間受付票にはすでに九台のトラックが受付を済ませていてカズヤは十台目で何とかギリギリで朝一番の荷卸しが出来そうだ。
この冷蔵庫は一度に十台の大型トラックの荷卸しが出来る。十台以内の受付に間に合わなかったトラックは受付だけを済ませ、順番が回ってくるまで待機することになるが、事務所から電話がくるのでそれまで仮眠を取るなど休憩を取ることが出来る。
今回カズヤが訪れた冷蔵庫はあまり混まない冷蔵庫であるが、場所によっては月始めの早朝に受付に言っても既に三百台待ちで、夕方にやっと荷卸しが出来る冷蔵庫もある。
「待つのも運転手の仕事」そんな言葉がトラック乗りの間で囁かれたりもする。
受付を済ませたカズヤは受付番号と同じ十番の着車バースを接車させるとフロントガラスの半分までラウンドカーテンを閉め、シートを倒してリクライニングにし、ハンドルに足を乗せて束の間の眠りに入っていった。
携帯のアラームがカズヤの耳に矢を放つ。
朝七時四十五分。
カズヤはリクライニングを起こし目を擦りながらフロントガラスを半分だけ覆うカーテンを開き外を見る。良く晴れていた。
カズヤは三メートルほど前進させると、外に出て「うーん」と伸びをする。
港が近いせいで、優しくそよぐ風の中に潮の香りを感じる。
上空ではカモメが数羽舞っている。
カズヤはトラックの後ろに回り、荷台の観音扉を開いた。マイナス二十度の冷気が白い煙になってモクモクと流れ出る。
カズヤはその煙の中に顔を突っ込み両手で顔をパンパンと叩く。残っていた眠気が冷気と共にアスファルトに流れて消えて行った。
隣に停まっていたトラックの運転手もカズヤと同じく観音扉を開き荷卸しの準備を始めていた。この冷蔵庫で何度か顔を合わせている他の会社の運転手だ。
一見厳つく怖そうな印象だが、笑うと人懐っこい笑顔を見せる。ナンバープレートから新潟の会社の人らしい。
「お、グッドラックさん、おはようさん!荷物はたくさんあるのかい?」
人懐っこい笑顔は相変わらずだ。
「おはようございます!こっちはここと都内も一ヶ所でそれぞれ五百ケースくらいづつだぁ。上手くいったら三時、かかっても夕方には終わるっしょ」
「そうかい。こっちは一車丸々で天張りのケツまでの三時間コースだぁ」
「そりゃゆるくないべぇ。卸したあとは?」
「まだ決まってねぇなぁ。最近暇だからなぁ。多分泊まりかなぁ」
そんな運転手同士の他愛ない言葉をかわし、二人のトラック乗りは準備を進める。他のトラッカー達は準備を済ませ次々と冷蔵庫構内に入って行く。
カズヤ達も準備を終えて構内に入り、自分のトラックの前で待っていると、リフトマンがリフトでパレットを抱えやってきて荷台の前にドンと置いた。
カズヤは五枚ほど積まれたパレットを荷台の壁に立てかけ、一枚をパレットローラーに乗せた。それを荷台の中で積み上げられた荷物の前までゴロゴロと転がして行き、パレットの上でキチンと四隅を揃えて配積みして行く。積み方は回し八本積みだ。
回し八本積みでダンボール五段積み上げ、四十ケース積んだところでパレットローラーごと荷台後部へ転がして行くと、フォークリフトが持って行ってくれる。その作業の繰り返しだ。
約一時間後には伝票に記された数量を卸し終えて、最後の荷卸し先となる品川の冷蔵庫に向かっていた。
「ねえカズさん、今夜空いてる?」
最後の荷卸し先の冷蔵庫のリフトマンのクワタは人懐っこい笑顔を向けて話しかけて来た。
この冷蔵庫はこれまで何度となく荷卸しに訪れており、クワタとはその都度顔を合わせている。
親しくなったのはカズヤがある日荷卸ししていると、カズヤの携帯から着信音に設定しているイギリスの三大ギタリストの一人、ジェフ・ベックの「ブルー・ウインド」が流れ、それを聴いたクワタが以前にジェフ・ベックのライブを見に行った話から会話が弾み、それ以来不思議と気が合い、たまに二人で仕事の後に飲みに行ったりしている。
「お!いいね!居酒屋にでも行くかい?」
カズヤも荷卸しをしながらリフトの上のクワタに笑顔で答える。
「今日は僕の部屋ですき焼きでも食べながら飲むってのはどうです?実は昨日ちょっと勝ったんで全部奢りますよ。どうせ独り身だし、遠慮なんかしなくてもいいし、布団も寝る場所もありますから」
「すき焼きとは豪勢だねぇ。良いことはみんなで分かち合うもんだしゴチになるかな」
「じゃ話は決まりましたね。僕今日は早出なんでカズヤさんの荷物が終わったあたりでアガリの時間なんです」
クワタによれば、彼の部屋は江東区の比較的新しい土地にあり、近所には倉庫街があって道幅が広く、コンビニも近いことから地方からのトラックが多くいる場所であるという。
「そりゃいかべ。んだばよろしく頼むじゃ~」
約二時間後、カズヤはクワタの住むというマンションの前に立ち、驚いていた。
まさに見上げるばかりの高層マンション。
クワタによれば三十五階建てで、部屋は三十四階にあるという。
スーパーの買い物袋を両手に下げたまま口をポカンとあけ、絶句していた。
「ふぇ~!一介のリフトマンがこんなスゲェマンションに住んでるなんて信じられんべ!君、一体何者?」
クワタは笑いながら答える。
「一見凄いと思いますが、ネタばらしをすると実はこのマンション、都営住宅なんですよ」
「へ~!都営でこんなマンションを作るなんて、さすが東京だべ!」
クワタに促されて玄関に入り、四機あるエレベーターのひとつで三十四階に上がる。
「ちょっと散らかってますけどゆっくりしていってください」
クワタの部屋の中はいかにも男の独り暮らしといった風情にあふれていた。
「こりゃまずは部屋の片付けしてからだべな」カズヤは苦笑する。
「ああ、片付けは自分がやりますから。これでも一応どこに何があるか決まってるんで、他の人がやったら判らなくなるんで」
クワタも苦笑して言う。
「それよりカズヤさん、ベランダに出てみて下さいよ」
クワタに言われ、正面にあるベランダの窓を開き、外に出てみた。
視界には陽が沈みかけてきた東京湾が一望でき、視線を右に移すとお台場のレインボー・ブリッジ。まさに絶景である。
「こりゃスゲェべ~!なんぼ都営だって、これなら家賃もなまらするんでないかい?」
カズヤが驚いて言うと
「そう思うでしょ?ところが都営団地って扱いになっているせいか本当に安いんですよ。まぁ抽選の倍率は相当高かったですがね」とクワタが笑って言う。
「へえ~、そうなんか?都営とは言え、こったら立派なマンションさ住んでて部屋の中がこの有様じゃカッコつかんべさ?彼女とか居ねぇのかい?」
カズヤが言うとクワタの声のトーンが下がり「別れたんですよ」と言った。
「ありゃ!それはそれは・・・・・・。でもまだ若いし彼女もまた出来るべさ」
「僕はいま三十五歳ですよ。決して若くは無いです。それに彼女とかじゃなく・・・・・・、離婚したんですよ」
「そうだったんだ・・・・・・。知らなかったとは言え失礼した。ごめん」
「いや、いいんですよ。それよか急いで片付けますからすき焼き食べて飲みましょう。僕は明日は昼出勤だし、カズヤさんは夜から仕事ですよね?今夜は付き合ってもらいますよ~」クワタはそう言うとニヤリと笑った。
「せば俺も手伝うべ。オラ腹減ったじゃ~」
「それじゃあ転がってる空き缶を袋に詰めて、ビンは玄関に並べておいて下さいよ」
見ると床やテーブルに結構な数のビール缶やら焼酎の空き瓶が転がってる。
クワタが独りで開けたものだろう。
「ずんぶハァ飲んだもんだべ。それもまあ仕方ないべ」
カズヤはそう呟くと片付けを始めた。
ふと見ると、壁に一本のギターが立てかけられていた。
「あのギター、ちょっと触っていかべか?」
缶ビールから焼酎に変わり、ホロ酔いになったカズヤはクワタに言った。
くつくつと湯気を立てているすき焼きを食べながらビールを飲みながらクワタの身に起こった出来事を聞いていた。
三ヶ月前、仕事から帰宅すると二才の娘と荷物とともに女房がいなくなっていたこと。
向こうの両親から連絡があり「娘は別れたがっていて、今は君に会いたくない」と伝えられたこと。
一ヶ月前にようやく会って話が出来たが、別れたい理由をはっきり言わないこと。
どうやらこのまま別れることになりそうなこと。
女房はもういいようにも思えるが、娘に会えず寂しいこと。
独りでいるのは寂しいが、だからと言って誰にも会う気がしなかったこと。
独りの部屋でただただ毎日飲んでいたこと。
ようやく少しだけ気持ちの整理がついたような気になれたこと。
そんなことをカズヤは頷きながら聴いていた。
とつとつと話すクワタの飲むペースは早かった。
クワタの話がひと段落し、少しの沈黙に部屋は包まれていた。
開かれたままのベランダの窓の外から、眼下の首都高九号線を走るスポーツカーのエキゾーストノートが聞こえてくる。
「あのギター、どこのメーカー?一見オベーションみたいだけどヘッドには何も書いてねぇべ」
「あ~、これかい?」
そう言うとクワタは立てかけられたギターのネックを掴むとカズヤに手渡しながら言った。
「このギター、大型ゴミの日にタンスとかと一緒に捨ててあったんですよ。見たところどこも壊れてないみたいだったから持って来て綺麗にして飾ってるんです」
「ん?飾ってるって?」
「僕、ギター弾けないんですよ」クワタは赤くなった顔で答える。
カズヤはギターのあちこちを点検してみる。ヘッドの裏を見ると小さなシールが貼ってあり「mede in koria」と書かれている。メーカー不詳のものだ。
しかし、ぱっと見はオベーション。
ボディの横には音量や音質を調整するプリアンプが付いているが、電池を入れる部分の蓋は無かった。弦はみたところ比較的新しい。
「弦はボロボロだったので交換したんです」とクワタは言った。
カズヤは五弦のペグを回し、適当な音の高さに合わせ、他の弦をそれに合わせてチューニングしてみる。
多少ズレているかもだが、いちおう弦を張り終え「C」を押さえてみる。
指先に弦が食い込み少し痛みを覚える。でもその痛みが懐かしくもある。
指先でCを押さえたままジャランとストローク。次はD。次はE。次はF。そしてG。
「へえ~、昔はフォークとかやったんですか?」クワタが尋ねる。
「そうだね。オラの時代、エレキギター禁止だったんだよね。信じられる?エレキは不良がやるもんだと思われていたべ」とカズヤが答える。
「あー、それ聞いたことありますよ。なんか笑っちゃいますよね。で、カズヤさんの時代はやはり拓郎にかぐや姫ですか?」
「オラん時はそれよか少し後の世代だな。中学の時にアリスが「冬の稲妻」でブレイクしたり、松山千春が出てきたり。そんな頃だったべな」
「すると学校祭とかでステージに立ったりとか?」
「やったやった!オラな、勉強も運動も全然ダメで今で言うイケてない奴だってんよ。ところが学校祭が終わって何日か後に下駄箱に手紙が入っててなぁ。名前とか書いて無かったから誰かは判らんかったけど『学校祭のコンサート、カッコ良かったです!』みたいな内容で、天にも昇る思いだったもんな~。ギターが弾けて良かった!みたいな」
「あ~、学校祭のライブでスターになっちゃう人っていますよね。で、今でも弾けるのってありますか?」クワタはイタズラっぽく言った。
「ん~、数年前に病気で亡くなった河島英五って知ってる?回りはアリスだ千春だと騒いでいた時、オラは河島英五の大ファンでなぁ。晩年は酒にまつわる曲が多く、ともすれば演歌歌手だと思う人もいるけど、初期の頃はメッセージ性のある曲を歌うバリバリのフォークシンガーだったんだべ」
カズヤはそう言うと、河島英五の代表曲とも言える『酒と泪と男と女』のイントロを弾いて見た。
何度もつまづきながらもイントロを思い出しながら弾いてみる。
「うーん、意外と覚えているもんだな」カズヤはギターをつま弾いて言った。
「へぇ、なかなかじゃないですか?で、歌のほうは?」クワタは更にイタズラな視線を向けてくる。
カズヤはクワタには答えず、手元も見ながら再びイントロから弾き直し「忘れてしまいたいことや・・・・・・」と歌い出す。
やはり同じように何度もつまづくが、一番の歌詞を歌い終えて手を止めた。
「へぇ!カズヤさん、もしかして歌上手いんじゃないですか?」少し驚いてクワタは言った。
「そうかい?まぁ以前勤めていた会社の上司には仕事は出来ないけど、歌は上手いって皮肉たっぷりに言われはしたけどね」カズヤは笑いながら言った。
そのあとは焼酎を飲みながら昔良く歌ったフォークソングを思い出しながら弾いてみたりした。なぜだか酒がいつもより上手い。
「ふうん・・・・・・、カズヤさん、少し練習したらかなりイケるんじゃないですか?指先が覚えてるみたいだし」
それには答えず、カズヤは何かを考えているように黙っていた。
テーブルに置かれたグラスに手を伸ばし、氷が溶けかかったロックの焼酎を一口「ごくり」と音を立てて飲んだ。グラスを静かに置くと、クワタの方に向きなおし真っ直ぐクワタの目を見つめて口を開いた。
「なあ、このギター、俺に譲ってくれないか?勿論タダでとは言わない。財布に三千円ほどゆとりあるから、これでダメかな?」
その言葉にクワタはあっさりと言った。
「全然いいっすよ。でも金なんかいらないですよ。どうせ拾ったもんだし」
「え?いいの?でも金は受け取ってくれ。ケジメみたいなもんだから」
カズヤは財布から三千円を抜き、クワタの前に差し出した。
クワタは胸の前でピンと指を上に伸ばした状態で三枚の千円札を拒否する姿勢を取って言った。
「本当にお金は要りません。元はタダですからね。それにね、このギター、カズヤさんの手元に行くためにまず自分のところに来たように思えるんですよ。これまで何度かゴミ置き場にギターが捨ててあるのを見ましたが、一度だって持って帰ろうとは思いませんでした。当然です、僕はギターが弾けないんですから。まぁ全く弾けないかと言えばそうではなく、ドレミを押さえるくらいですけどね。でも、このギターを見たときは何となくですが、もって帰らなくてはと思ったんです。自分でも不思議です。でもこのギターを弾いてるカズヤさんを見て思ったんです。このギターはカズヤさんが持つべきだとね」
クワタはチビチビとグラスを口に運びながら言った。
「ふうむ・・・・・・」カズヤはそう言って黙ってしまった。
クワタも言いだしたら聞かないところがあると見える。
カズヤは申し訳なく思いつつも金を財布にしまった。
朝だ。頭が少し痛む。
どうやら、そのまま眠ってしまったらしい。
高層マンションの三十四階の景色の朝はちょっとだけ別次元の世界にいるような気がした。
遠くに見えるのは房総半島だろうか?うっすらとその景色を見ることが出来る。
しばらくするとクワタも起きて来た。
クワタはキッチンへ行き、冷蔵庫からポカリスエットを二本とり、一本をカズヤに投げてよこして言った。
「おはよう!」
深夜。
カズヤは東名を名古屋に向っていた。
キャビンのベッドスペースにはクワタが譲ってくれたアコースティックギターがある。
「アコースティックギターがある」
いい響きだ。そのことが心をウキウキさせた。
東京から名古屋までだと通常は四時間と少し。途中で寝過ごしや故障などのトラブルが無い限りは余裕で目的地に着くであろう。
今回の荷物は宅配便だ。
カズヤの運転する大型トラックは浜名湖サービスエリアににあと二キロの所まで来ていた。
時計を見ると午前二時を少し回ったところだ。宅配便の荷物の締切は午前五時三十分。
カズヤは流れるような動きで浜名湖サービスエリアにトラックを入れ、空いてる駐車スパンにトラックを止めた。
トラックを降りると「ノビ」をひとつ。そしてトイレへ行き、戻るとまたキャビンに乗り込む。うしろのベッドスペースに視線を移す。
そこにはギターがある。
そこにギターがあると言う事実がカズヤの心を十四歳の頃に戻した。
ギターを手にとり、構えて見る。ちょっとハンドルが邪魔ではある。
へへっ。
一人ほくそ笑みながらギターを鳴らしてみる。
ジャラ~ン
「C」を弾くと身震いした。
「くう!たまらんべ~!」カズヤは呟く。
CからD、そしてE。FからG、A、B。そしてまたC。ジャラ~ンジャラ~ンと鳴らす。
そして今度はCからBときてA、G、F、E、D、Cと逆に。
その一連の動きを数回繰り返してみる。やはり「B」の押さえが甘いようだ。
カズヤはポロポロと音を紡ぐ。ひとつ一つの音を確かめるように。
そしてカズヤは「酒と泪と男と女」のイントロを弾く。中学の時に必死で覚えた曲だ。
イントロが終わりギターの音色に合わせて歌ってみる。
クワタの前ではつまづきながらの演奏であり、今回もつまづくことはつまづくが、クワタの前でやった時よりは減ったようだ。
つまづきながらも歌い終えるとカズヤは身震いした。
続いて同じく河島英五の初期の曲「狼のひとりごと」をこれもまたつまづきながらも歌った。
「んん~、いいねぇ~」自画自賛ではあるがその歌声はなかなかだった。
「しばらく北海道さ帰らねえみたいだし、マユミに頼んで昔のスコア本送ってもらうべかな」
確か中学生の頃だったか河島英五と中島みゆきのスコア本を買い、今でも取ってあるはずだ。もっともすんなり見つかるかは疑問なのだが・・・・・・。
それまでは記憶の片隅にある脳内スコアほじくりながら辿っていくしかないが、しかしカズヤはそれさえも楽しんでいた。
弦を押さえる指先の痛みはピークに達していたが、カズヤはそんな痛みさえも楽しんでいた。むしろ痛みを感じれば感じるほどギターが上手くなるような錯覚を感じ、ひとり悦に入っているのだった。
カズヤの奏でるギターや歌が、ときおりつまづきながらも、深夜の浜名湖サービスエリアに停めたトラックの窓から漏れ聞こえていた。
ちなみに名古屋の荷卸し先に入ったのは午前五時十五分。延着ギリギリだった。
それから一ヶ月。
カズヤが妻マユミに頼んだ河島英五と中島みゆきのスコア本は、カズヤの手元に届いていた。マユミには散々文句を言われたが、いつものことだと思い、適当に謝った。
しかし、マユミが押入れをくまなく探してくれたおかげで、スコア本が手元に来たことはありがたかった。それと久しぶりにギターを手にしたこともあり、なけなしの小遣いをはたいてギターの教則本を買っていた。
改めて教則本を読み返してみると、なるほどと思うことがあったりした。
ギターを手にして一ヶ月、彼の腕はかなり進歩していた。
マユミに送ってもらったスコア本の曲は大概は弾けるようになっていた。
ある日の夜の土曜日、カズヤは会社のモータープール(駐車場)に停めたトラックの中で一人ギターを弾いていた。この日の仕事は待機番。
待機番と言うのは荷主の急な仕事の要請に対して対応するべく、待機しているトラックのことだが、仕事が当たる確率はフィフティフィフティだし、繁忙期になると対応することは不可能だ。
要は暇な時期だから出来ることなのだ。
カズヤは時計に視線をやる。もうすぐ夜の十時になろうとするところだ。
待機番のリミットまではあと少し。
カーステレオからはラジオの音が流れている。しかし、それとは関係なくギターを爪弾いている。
十時まで待って仕事の要請がきたら堪ったものではない。いつもは夜九時ぐらいに仕事の要請があるのが常だ。
ギターを爪弾きながらカズヤは心の中で祈っていた。
時計は夜十時を刻む。
ドキドキして会社に電話を入れる。
二回、呼び出し音が鳴り、会社の者が出た。
「もしもし」抑えた声でカズヤが言った。
「あ、カズさん?今日はなんにもないですわ。メシでも飲みにでもお好きにどうぞ」電話の向こうで配車係が言った。
これで晴れて自由の身だ。まぁだからと言って遠くには行けない。なにしろ時間は夜十時なのだ。
カズヤは作業着から私服に着替えてトラックを降り、街に向かって歩き出した。
給料が入り、マユミから一ヶ月の小遣いを貰い、懐が暖かだった。
カズヤは駅前の広場にやってきた。
土曜の夜の東京の下町は賑やかだった。
カズヤは適当な居酒屋に入った。
一時間後、店を出る。
街の喧騒はまだ衰えることは無かった。
「う~ん、どこさ行くべ~」あたりを見回しながらカズヤはの伸びをした。
中国からの出稼ぎの女がたどたどしい日本語で呼び込みをしている。
黒服の店員もいる。
下町の夜もこれからが本番だろう。
ふと、広場の片隅にギター片手に路上ライブをしている若者二人組を発見した。年の頃なら二十代半ばくらいだろうか?
カズヤは誘われるように自然と彼らの方へ歩き出す。
近づいてみるとファンなのか四人ほどが彼らの演奏に耳を傾けている。
カズヤも彼らとの距離を保ちつつ、そばにあったベンチに腰をおろして聴いてみる。
よく聴いてみると彼らは若者に人気のフォーク、いや、アコースティック・デュオをカバーしているようだった。
ファンとおぼしき若者たちは曲が終わると拍手したり、ノリのいい曲では手拍子もしていた。
実際、彼らの演奏はうまかった。
カズヤもいつも間にか彼らの演奏に引き込まれていた。
曲の合間のMC、と言っても世間話レベルではあるが二人の会話だと、二人は同じ音楽学校の同級生で普段はそれぞれソロであるが、路上ライブの時などはたまにこうして二人でやることもあるそうだ。
「へ~、音楽学校か。どうりで上手い訳だ」カズヤは感心しきりだ。
そういえば路上ライブをみるなんて初めてだ。今までは街で見かけても素通りするだけだった。それが今日は聞き入っている。
やはりギターを手に入れたせいだろう。
気付けば一人二人とファンらしき人も帰り、彼らの演奏を聴いているのはカズヤひとりになっていた。
時計は深夜一時を指し、終電もとうに行ってしまった後だ。
さすがに東京とは言え、下町の繁華街だけに終電が去ってしまった後では広場の人も半減である。
二人の若者も最後の曲を歌い終え、カズヤのささやかな拍手に会釈で応え、いそいそと夜の街に消えて行った。
「いやー、若いもんはいいなー!うらやましい!」カズヤはしみじみと呟いた。
ほんの数分前のことを思い出して見る。
人数は少なかったがファンに囲まれ歌う彼らはカズヤから見れば輝いて見える。
「ホント、若いって羨ましい。俺も若かったら、せめて十才若かったら絶対やってたよな。うん」カズヤはトラックに向かって歩き出す。
「路上ライブかぁ。やってみたい気持ちもあるけどなぁ。俺のようなおっさんが路上ライブかぁ。うーん」
中年男が迷っていた。
うーん。
路上ライブかぁ。
路上ライブねぇ。
やってみたいけど・・・・・・。
うーん。
うーん。
知り合いに見られたら恥ずかしいよな・・・・・・。
ここまで言ってカズヤは「はっ!」とした。
知り合いに見られたら恥ずかしい?
知り合いに見られたら恥ずかしいんだよな?
じゃあ、知り合いじゃない人だったら恥ずかしくないよな?
俺、北海道からこうして東京にいるよな?名古屋とか大阪にも行くよな?
東京とか名古屋とか大阪に知り合いなんかいないよな?
だったら!
もしかしたら!
いや、これはまさしく!
路上ライブやるしかないでしょう
カズヤの中で何かが弾けた。
トラックドライバーのカズヤはほぼ全国をカバーしている。
行った先々では「泊まり」と言って仕事がつかないこともある。
その仕事が無い日を路上ライブの日に当てればいい。
そして、その場所で知り合いに会う機会は殆ど皆無だろう。
いや、少しは知り合いに来てもらった方がいいかもしれないかな?
カズヤは携帯を使ってブログを書いていた。
アクセス数は大したことはないが、トラック運転手の苦労話を面白おかしく書き、何人かの読者もついていてくれる。
ブログで路上ライブのことをレポートすれば宣伝になるだろうし、アクセスアップに繋がるかも知れない。
ブログの読者の人たちにも会うチャンスが増えるかも知れない。
「よし!俺も路上ライブをやるぞ!」
見上げれば、東京の夜空に満天の星空。
カズヤの前途を祝福しているかのようだった。
「ええ!そんな!嘘だと言ってくれ!」
カズヤはラジオとトラックの前方を交互に見ながら狼狽していた。
ラジオの向こう側でツルタタケルが涙を堪えて、事の顛末を話してくれていた。要は番組改編によるもので、業界ではその時期が来ていたのだ。
これも時代の流れだろう。
BBRに限らず、他の人気番組が軒並み最終回を迎えると言う。
「そうかぁ、終わっちゃうのかぁ・・・・・。残念だな」
寂しさと無念さが入り混じった想いがした。
たかがラジオ番組だが、されどラジオ番組である。
それだけカズヤや他のリスナーの落胆は大きかった。
放送は残すところ今日を覗き、あと三回。
「よし!ならば!」
カズヤの胸にひとつの決意が現れた。
東京、千代田区。夜が明けて来た。
時間は朝4時四十五分だ。
小さなラジオから伸びたイヤホンを耳に当て、そのビルの前にカズヤは立っていた。
新東京FM本社ビル。
まさしくBBR3000の最終回が行われている。
早朝なので正面の出入口はシャッターが降りているが、地下駐車場の一角にある通用口が唯一の出入口のようだ。
それにしても集まってるリスナーの数が極端に少ないのが気になる。
ツルタはリスナーのことをロッキンピーポーと呼んでいた。
いくらツルタが番組内で最終回の出待ちは遠慮して欲しいと言ったところで、あくまで立場上のこと。本当はひとりでも多くのロッキンピーポーに来て欲しかったのだと思う。
ロッキンピーポーたるもの、既存の概念を打ち破って欲しいものだ。
もっとも、他にロッキンピーポーがいないのなら、それはそれでカズヤがツルタを独占出来るのだが。
時計はまもなく朝五時になろうとしていた。
イヤホンの向こうではツルタのシャウトがBBRの終わりを告げていた。
それじゃみんな!しばしの別れだけど俺は絶対ここに戻って来るからな!
それまでバイバイ・ロッケンローーーーーール!
このセリフでBBR3000の全てが終わった。
カズヤも感極まった面持ちだった。が、もうひとつの本番が待っていた。
カズヤは他のロッキンピーポーとともに出入口に注意を払っていた。
と、そこに若い男性が出てきた。
「皆さんはBBRのロッキンピーポーですよね?ツルタさんはもうすぐ降りてきますので、もうしばらくお待ちください!」
どうやら彼は番組のスタッフの一人だ。きっとディレクターあたりが様子を見に差し向けたのだろう。
十人ほど集まったロッキンピーポーは一斉に色めきたった。
彼らは先程の男性の指示で表から地下駐車場に集められた。
そして
「ロッケンロール!オールロッキンピーポー!ロッケンローーーール!」
我らがラジオスター、ツルタタケルの登場だ!
一人ひとりに握手を求めながら「よく来たな!ラジオネームは?」と声をかけて回った。
たちまち和やかな空気がツルタを中心に広がって行った。ツルタはそれほど世間一般では認知されてるタレントではないが、ここにいるロッキンピーポーの間では間違いなくラジオスターなのだ。
やがてツルタはカズヤのところにもやってきた。
「ロッケンロール!ラジオネームは?」
「ロッケンロール!トラッカーカズヤだよ!ツルタ君、会えて嬉しいよ!」
「おお!お前がトラッカーカズヤか!?俺も会いたかったぜい!」
ガッシリと握手を交わし、それがハグに変わった。
ツルタは「毎日メールありがとうな!」と言ったが、カズヤは「ボツの方が多いっすよ」と返した。しかし、ツルタは「毎回読んでるぜ!」とウインクして見せた。
BBRには毎日平均すると二千通のメールが来ると言われている。
その中から全部のメールに目を通すのは、どう考えても不可能だろう。
しかし、そうしたツルタの心使いが嬉しかった。
ツルタは皆の方へ向き直ると叫んだ。
みんな、今日は朝早く集まってくれてホントありがとうな!
ラジオでは立場上来るなって言ったけど、やっぱ俺は沢山もロッキンピーポーに来て欲しかったし、お別れを言いたかった。
その意味で今日ここに来たお前らはラッキーだがな!
とにかく!
BBRはもう終わってしまったが、俺は絶対にここにまた戻ってくるぜ!
ここにまた戻って来て、ラジオやる!
ゼッテーに夢は叶う!
みんなも夢は叶うからゼッテー諦めるんじゃねぇぞ!
ロッケンローーーーーーーール!
ロッキンピーポーの間から歓声が上がる。
ツルタ!ツルタ!とツルタコールも沸き起こった。
ツルタタケルも人差し指を立てて歓声に応えた。
カズヤもその光景に胸を熱くしたひとりだった。
ツルタがロッキンピーポーひとり一人と握手を交わし終え、一段落したころを見計らい、カズヤはツルタの前へ進み出て言った。
「ツ、ツルタ君、お、おれ、四十過ぎのおっさんだけど、お、おれ、アコギ片手の、ろ、路上ライブに挑戦しようと思うんだ!」
ほんの一瞬、あたりは静寂に包まれたが、次の瞬間は爆笑の渦に包まれた。
「このおっさんが路上ライブ?ウケる~~!」そんな感じだった。
「しまった!つい熱くなって言ってしまった。ここでこんな事を言うべきでは無かった・・・・・・」カズヤは自分の発言を後悔した。
しかし、ツルタタケルの反応は違った。
「オーケー!トラッカーカズヤ!お前の夢は確かにこの俺が聞いたぜ!いいか?所詮俺ら芸能人だタレントでございと言ったところで、勘違いや思い込みから始まったんだよ!トラッカーカズヤ!どうせならプロを目指そうぜ!」
「いやいや!プロはさすがに・・・・・・」カズヤは心の中でそう呟いた。
しかし、ツルタはひとりだけカズヤの夢を真剣に聴いてくれた。
カズヤのその心意気に感じ入ったのだった。
「ツルタ君、プロになれるかはさておき。俺、目一杯頑張るぜ!」
二人はがっと固い固い握手を交わした。
ドキドキしていた。
ドキドキが激しく脈打っていた。
ドキドキが六甲山の山並みから耳元へ響いてくる雷鳴のようだった。
カズヤは大阪の難波駅あたりをウロウロしていた。
「新東京FMの誓い」から半年が過ぎていた。
いよいよ路上ライブ第一弾を行う時が来た。
いや、今までだって路上ライブをやろうと思えばやれたはずだ。
でも、出来なかった・・・・・。
一歩踏み出す度胸が、いざと言う時に出ないのだ。
この半年の間、東京や名古屋でもギターを担いで繁華街や路上ライブのメッカと言われる場所を訪ね歩いてみたが、ギターを出そうとすると足がすくむ。
結局、路上ライブはやらずじまい。
もちろん仕事が忙しかったのもある。
ブログの数少ない読者からも、路上ライブはいつやるのかと問い合わせが届くようになった。
いつまでもこのままではいられない。
自分が決めたことなのだ。
そして今日。
大阪での泊まりが確定した。
あとはカズヤの心ひとつだ。
カズヤは挫けそうな心に鞭を入れた。
大阪にはいくつかの路上が出来るポイントがあるが、難波を選んだのに理由はない。なんとなくだ。
カズヤはギターケースを背負い、手には譜面台やスコアを書き写したノートなどを入れたバッグを持って、付近の路上ライブ出来そうなポイントを探して回った。
時間は夜十一時を少し回っていた。
もうあれこれ迷うもの疲れてしまった。
カズヤは覚悟を決めた。
「ええい!ここに決めた!」
カズヤは駅ビルの出入口の真ん前に陣取ると譜面台を設置し、ギターを構えた。
深呼吸をした。ドキドキは最高潮に達していた。
行き交う人の視線は誰もこちらを見ていない。路上ライブなど通行人にしてみれば、ごくありふれた光景であり、ともすれば街の喧騒の一部でしかない。
にも関わらず、カズヤは緊張していた。それはもう滑稽なほどに。
しかし、無理もない。人生初の路上ライブだなのだ。
ジャラ~ン。ジャラ~ン。ギターを鳴らしてみる。
ポケットに手を突っ込んだ若者がチラリを視線を向けるが、すぐに通り過ぎて行った。
カズヤは緊張しつつも意を決して歌い出してみる。
足がガクガクと震えるのが自分でもわかる。
曲は亡き河島英五の晩年の名曲「旅的途上」だ。
「旅的」と書いて「たびの」と読ませるこの曲は、カズヤの路上ライブにおいて一曲目にやる曲だ。
「ハるハあざやカ・・・・・・」緊張で声がうわずる。
しかし一度歌い出したカズヤは止める術を知らなかった。
調子っっぱずれな歌声に目の前の通行人に失笑される。それを見たカズヤは頭の中が真っ白になり、足の震えが倍増し、冷や汗も頬を伝い始める。
そのうち、口をぱくぱくするだけで声もでなくなる。
「ああ・・・・・・、路上ライブをやるなんて言わなきゃ良かった・・・・・・・」
カズヤは呟き、その場所から逃げ出したい衝動にかられた。
その時だ。
「どないしたんや?そない緊張しとったら楽しいはずの路上ライブも台無しやで~。ちょっと落ち着きなはれ!」
カズヤは声のヌシを驚いて見た。
作業着姿のその男はカズヤには五十歳くらいに見えた。
頭は前頭部が薄く、オールバックに撫で付けられていた。
「トラッカーカズヤさんやろ?遠路はるばるご苦労さんやな!ワシの名前は『シコタマ』や!もちろん、本名とちゃうけどな!」
突然の出来事にカズヤは目を白黒させる。
「がはははは!びっくりしたか?でだ!カズヤさんよぉ、そない緊張しとったら上手く行くもんも上手くいかんでぇ。もう少し気持ちを落ち着かせんとな。ほれほれ、深呼吸深呼吸!」
スーハー!スーハー!
訳が判らないが言われるままに深呼吸した。
「な、なんなんだ?このけったいなオッサンは?」
心の中で呟いたが、有無を言わさぬ迫力があった。
「よっしゃ!どや?落ち着いたやろ?そんじゃ仕切り直しや!行ったらんかい!」
カズヤは訳が判らないまま旅的途上を歌い出す。
「春はあざやか~・・・・・・」落ち着きを取り戻したカズヤの歌声は朗々と響いた。
その声に誘われるようにひとり、またひとり、立ち止まる人が現れる。
「ええ?俺の歌で立ち止まる人が!こ、これは嬉しい!」歌いながら心の中で叫んだ。
歌い終わると周囲から割れんばかりの拍手・・・・・・・とはいかないまでも、立ち止まった人たちの間からは暖かい拍手が沸き起こった。
離れたところで見ているシコタマと名乗る人物もニカっと笑い、親指を突き立てる。
「兄ちゃん、上手かったで!」立ち止まったが声をかけて来る。
「河島英五、ええやんか!それ旅的途上やろ?関西人やったらまあ大体の人が聞いたことあるさかいな」
「それどういう事ですか?」カズヤは聞いた。
「なんや兄ちゃん、知らんかったんか?この歌は関西じゃ酒のコマーシャルソングなんや。そやさかい、大体の人は聞いたことあんねん」
「へえ!そうだったんだ!」
「なんや兄ちゃん、こっちのもんやないな?そういえば言葉も違うわな?どっから来たん?」
「北海道です」
「な、なんやて?北海道?」
他の人も目を丸くして驚く。
この男に自分のプロフィールを説明する。
「へー、トラックで!これはありそうで無かったのう。考えたなー」
シコタマを見るとニコニコ笑いながら、ジェスチャーで次の曲に行けと催促する。
「よし!わかった!」カズヤも目で応える。
「じゃあ、次の曲を聴いてください!次の曲は・・・・・・・」
「いやー、助かりました。一時はどうなるかと思いました」
カズヤはシコタマに缶コーヒーを手渡し、礼を言った。
「かまへんかまへん。あないに緊張していては実力も発揮でけへんからな。それにしても見てくれてる人は少なかったけど、まぁまぁ成功やったんやない?」
「ホンマですねぇ。つーか、大成功ですよ。なにしろ今日は人生初の路上ライブですやんか」シコタマにつられ、カズヤも関西弁で答える。もっともネイティブな関西弁には程遠い。
「ところでシコタマさん?」
「なんや?」
「シコタマさんって、何者?」
「そうかぁ、名前しか言っとらんかったもんな。もう少し詳しく説明してあげましょう」
ラジオネーム及びハンドルネーム、シコタマ。
名前の由来は、ただなんとなく。深い意味は無い。
だが、カズヤはあまり聞いたことは無かったが、彼は「ラジオ・ヘビー・ローテーション」ではそこそこ知られたヘビーリスナーだという。
現在は五十歳。離婚はしているが、二十五歳も年下の内縁の嫁がいて、連れ子もいるらしい。
そしてカズヤと同じトラッカーではあるが、大型免許は持っておらず、四トン車で遠くは関東及び山陰地方まで足を伸ばすらしい。
カズヤのことはBBRを通じて知り、ブログの読者ではあるがコメントなどはしたことがない。
「まぁざっとこんなもんですわ。これからよろしゅう頼んますぅ。ガハハハ!」
シコタマは豪快に笑った。
「これはまたケッタイな人に見込まれたぞ~」カズヤは苦笑い。
「あ?なんぞ言いました?」
「いやいや、なんもです」
「まぁこないケッタイなオヤジやけど、ファン一号ちゅうことでよろしゅう頼んますで~」シコタマは笑って言った。
「なんだ、聞こえるんかい!」カズヤもつられて笑う。
それにしてもシコタマの存在は、この路上ライブでは大きかった。
彼がいたからこそ、見失いそうな自分を取り戻すことが出来たのだ。
「ホンマ、今日はシコタマさんのおかげや!おおきに!よろしく哀愁!」
カズヤはシコタマに握手を求めながら言った。
「はいな!ところで何やの?よろしく哀愁って?」
カズヤは答える。
「いやぁ、なんちゅうか決めセリフみたいなもんやね。あったほうがええのとちゃいます?」
「ふーん、なるほどねぇ。でも流行らんと思ったりしますわ」
「そうかのう・・・・・」
「あと」
「あと?」
「カズヤさんの関西弁、あれはイマニやね。北海道弁で話はった方が親しみもてまっせ?」シコタマはそう言った。
「そ、そうか・・・・・・」カズヤは少し顔を赤らめた。
ズケズケとものを言う人だとは思ったが、同時にどこか憎めない人だとも思った。
不思議な男がいたもんだ。とカズヤは思った。
翌日
高速の駐車場で携帯でブログを見て、カズヤは驚愕した。
日頃のブログのアクセス数は三十件前後で、多い時でもせいぜい百件あるかどうかだ。
それが!
「三百二十五件だと?」カズヤは携帯が壊れたんじゃないかと思った。
試しに一度電源を落としてから、また入れ直してみたが状況は変わらなかった。
「うーむ」
携帯を逆さにしてもそれは変わらなかった。
カズヤは驚愕しつつ、コメント欄をみる。
カズヤさん、初めまして
自分も若い頃にギターを弾いてました。
松山千春、アリス、ふきのとう。
その時代その時代を映す鏡のような存在だと思いませんか?
私はカズヤさんにもそんな存在になって欲しいのです。
いやいや、そんな大それた事では決してありません。
今の時代、インターネットが普及してますからね。
知る人ぞ知るような存在になって欲しいと私は思います。
もちろん、より有名になるのに越したことはないですがね。
いつの日か私の街にも来てください。
無理にでも時間を開けて馳せ参じます。
お身体、お大事にして下さいませ。
それでは失礼いたします。
四十九歳・男
とか
こんばんは
その勇気に感服しました!
その年齢で、しかもなんばでやる・・・・・・
そのことひとつ取っても凄い事だなと思います。
自分のギターを少々やるのですが、そこまでの勇気っていいますか、度胸といいますか、とにかく見上げたものがあります。
カズヤさんは我々中年層の希望の星です。
どうか、全国にカズヤ旋風を巻き起こして下さい!
六十歳・男
とかとか
初めまして!長野県に住む者です。
貴方の言動に感服しました。
こちらに来られる時は是非連絡してください!
五十歳・男
とかとかとか。
お初の人からの好意的なコメントが多かった。
カズヤはしみじみと言葉のひとつ一つを噛み締めていた。
同時に自分の行為が誰かのささやかな夢の一旦を背負っていると思った。
武者震いが出た。
カズヤは更に操作してパラパラとコメントを見る。どれもがカズヤの胸を熱くさせた。
この俺にどこまで行けるというのか?
行けたとしてもインディーズ、いやインディーズより自主制作に毛が生えた程度のCDを作るのが精一杯だろう。つーか、誰もそんなもんは求めてないのかもしれない。
問題は「どんな生き様を見せられるのか?」そこに尽きるのではと思う。
もちろん、一定以上の歌唱力だったり、ギターの演奏力だとかは不可欠だろう。でも、それ以上に大切なのは「心」ではないかと思う。
歌唱力や演奏力は「心」のこもった歌があってこそ生きると思う。
カズヤはこれから心の部分をもっと拡げて行こうと思った。
そうすれば技術は後からでもついてくるはずだ。
「よーし!少なくとも心に響く歌を歌ってみせるぞ!」そう呟き、窓の外を見た。
車がひっきりなしに行き交う高速道路が朝日に照らされている。
拳を突き出し叫んだ。
「やるぞ!見てろ!」
鳥が一羽、カズヤの進行方向へ飛んで行き、見えなくなった。
携帯が軽快なメロディを奏でる。カズヤは運転中だ。
イヤホンマイクを耳に当て、ブラインタッチで着信ボタンを押す。
「よう!おつかれ!」声の主はシコタマだった。関西人特有の明るい声だ。
「やぁ!おっちゃん、元気だねー!」自然に笑みが溢れる。
「このシコタマさんは元気の見本市みたいなもんやからな。ところでどうやの?路上の方は?」
「もうエライ盛況で!・・・・・と言うにはまだまだ程遠いけど、場所によっては結構盛り上がってるよ」
「オヌシも初路上ライブから三ヶ月経って、どうなん?そら初めての時は、一時はどうなるかと思ったけどな」シコタマは笑いながら言う。
「あの時はマジ助かりましたよ!舞い上がって自分を見失うとこでした。で、あれから三ヶ月過ぎて・・・・・・・」電話口でカズヤが語り出す。
大阪の夜から約一ヶ月。
その夜は路上ライブではなく、夜の海辺の公園でのこと。場所は東京でのことだ。
この日は珍しく、夜半過ぎのアガリになった。
路上ライブをしたいと思ったが、時間が半端なので仕事が終わった場所から近いこの公園を選び、練習をはじめた。
一人だし周囲に気を使わなくてもいいので、カズヤは気楽な感じで練習をした。公園のすぐ隣りはイベントなどにも使われる会場だ。
時折、警備員が夜の公園を見回っている。
潮風が頬に心地よい、気持ちのいい夜だ。
周囲に人がいないこともあり、思うままに練習した。
カズヤの声が気持ち良さそうに響き渡る。
ふと気が付くと、傍らに警備員が立ってコチラを見ている。
「あちゃ~、調子に乗り過ぎたかな?」カズヤは少し後悔した。
しかし、警備員は缶コーヒーをカズヤに手渡し「いい歌だ!」と一言いって去っていった。
カズヤは呆気に取られたが、次の瞬間、手渡された缶コーヒーの温度が現実に引き戻した。
カズヤは警備員の背中に礼を言った。そして缶コーヒーを開けて飲んだ。
こんな旨いのは初めてのような気がした。
また、静岡は浜松駅前での事。
ここにはブログの読者が五人ほど住んでおり、折り良く全員の都合がついたので、彼らを前にしての路上ライブになった。
「友達の前だし、これは一発ビシッときめねえば!」カズヤは張り切って臨んだ。が、これが返って逆効果になった。
声はうわずるし、ギターはトチってばかり。
友人達は、やり始めて日が浅いし仕方ないと言って笑った。
カズヤは落ち込んだと同時に、気負い過ぎは失敗の元である事を学んだ。
そして、仙台での話だ。
仙台市内中心部を縦横に通っているアーケードの一角で路上ライブを始めた。
前回の浜松の事が頭にあったので、静かにやろうと心に決めてやり始めた。
藤崎デパートの前は人通りも結構あったが、立ち止まる人は皆無だった。
一時間ほどやったが、やはり止まる人はおらず、今日は日が悪いのだと思って早々にトラックに引き上げることにした。
いつものように路上ライブをやった記念に写真を撮って帰ろうとした時だ。
「もう帰るんですか?」と後ろから声を掛けられた。
「?」と思い、振り返るとギターを抱えた女性が立っていた。
「良かったら、あっちで一緒にやりませんか?仲間もいるし楽しいですよ」
彼女はミイコ姉さんと名乗り、このあたりではちょっとした「顔」らしい。
ミイコが歌ってるそばでは、ジョージと言う若者がお客を相手に路上で似顔絵描きをしていた。
「どうも、こんばんは」カズヤは笑顔で挨拶をする。ジョージも笑顔を向けて会釈するが、すぐお客の方を向いてしまった。
「彼は仕事中だから許してね」ミイコは言った。元よりカズヤも理解している。
カズヤはミイコに促され、まずは一曲歌った。
通行人の一人が「お?」と興味を持って聞きに来てくれた
次にミイコが歌ってくれた。
ミイコはビックリするほど歌が上手かった。気付けば軽く人垣が出来ている。
ミイコはよく見ると美人だし歌が上手いとくれば人が立ち止まらない訳がない。そして彼女はどうしたら人を立ち止まらせることが出来るかを考えて行動していた。
「凄いな。自分の見せ方を知ってるな」カズヤは唸った。
「カズヤさんだっけ?次どうぞ」彼女に促され、カズヤは歌った。
路上で一度にこんなに沢山の人の前でやるのは初めてだ。
カズヤは力まないように、しかし力の限り歌ったのだった。
次にやった場所は東京の高円寺だ。
高円寺は、吉祥寺や下北沢に次いで並び称される、サブカルの街だ。
ライブハウスが点在し、ギターケースを持った人も行き交い、駅前広場では路上ライブも盛んである。
カズヤはいくつかのポイントを見て回り、広場に面した場所に決めた。
前回を同じく河島英五の旅的途上、そして同じく河島英五の初期の曲「狼のひとりごと」に続く。喉の調子もいいようだ。
立ち止まる人はいないようだが、こういうこともあるだろうと思い、気にしないで歌っていた。
しかし、そのうちにひとり二人と止まるようになっていった。
場所が高円寺ということもあり、歌詞の中に高円寺が出てくる歌である川村カオリの「金色のライオン」を歌ってみた。
この曲は仙台での路上でミイコが歌っているのを聞き、カズヤも歌ってみたいと思い教えてもらったのだった。
すると、道の反対側を歩いていた若い男性が突然こちらに走り寄ってきて聞いてくれた。
歌い終わるとその男性は「その歌、大好きなんです!」と言い残し、五百円を置いて去って行った。
これが路上ライブ初となる「投げ銭」になった。カズヤは自分の歌がお金になるなんて思いも寄らなかった。その時の五百円玉はカズヤのお守りにした。
「・・・・・・・と言う訳さ」カズヤは電話口でシコタマに言う。
「ほう、なかなか地道に頑張って貼ったみたいね」シコタマも満足そうだ。
「まあね。それにどの経験もすごく貴重だったね。うん」カズヤは自分の言葉を確認するように言った。
「そうやね。それと人とのつながり、それがお前さんにとって大きな財産になるんやろね。例え今は何とも思わんでも」シコタマは言った。
カズヤはシコタマの言葉を身に刻むつもりで静かに聞いた。
「ところで」
「なんですねん」
「カズヤは大阪にいつ来るんや?」
「大阪ですか?少なくとも今日明日と言うことはないですね。何かありましたか?」
「やっぱりお互い予定は未定やな。いやね、ワシの嫁がカズヤに会うてみたいゆうてな。そやさかいメシでもちゅーこっちゃ」
「ほうほう。そら結構な話でげすな。でもこればかりは神ならぬ配車係のみぞ知るとこですな」
「そうやろな~、まぁ気長に待つしかないやろな」
「それにしてもシコタマさんの奥さんって、どんな人なんですか?」
「ん~?そら目ぇがふたつあって、ひとつの鼻に穴がふたつあってだ・・・・・・・」
「もうええちゅーねん!」
「ナイスツッコミ!」
「どうもありがとう」
互いのイヤホンから笑い声が響く。
ひとしきり笑ってからカズヤが続ける。
「冗談はさておき、マジにどんな人ですの?おっちゃんなんかと一緒になりたいなんてキトク過ぎです」カズヤはもちろん冗談で言う。
「やかましいわい!」シコタマもまた冗談で返す。
シコタマは出会いのいきさつを話してくれた。
そうやな、あれは去年の秋頃の話やったかな?
ワシの仕事で島根のほうに行ったんや。
ほんでワシが長年ひいきにしとるラジオ・ヘビー・ローテーションの公開生放送がタイミングよう島根の出雲でやるっちゅーことで、こら行かなあかんっちゅーんでいったんよね。
番組は盛り上がったよ。普段は東京のスタジオだけど地方の局からの公開放送だもんね。盛り上がった盛り上がった。
で、番組が終わっってからもスタジオでリスナーを交えての親睦会みたいのが開かれてな。
ワシ、なんや知らんけどシコタマです言うたら、みんなビックリしはってな。
「シコタマさん、若いですねー」ゆうて。
そしたらな。隣りにえらいベッピンさんがいてな。
ひと目でワシの胸をワシ掴みや!
「なんだぁ?おっちゃんのノロケか?」カズヤが口を挟む。
「まぁ話は最後まで聞きなさい」シコタマは言葉を続けた。
ほんでな、その子めちゃめちゃ可愛いねん!なんやろな。天使や!うん、あの子は天使や!
ワシな、今まで子供はあんまり好きでなかったんやけど、あの子は別や!
目に入れても痛くないとはこのことやな。
「へ?ひと目惚れの相手って子供ですの?」カズヤは口をポカーン。
そうそう。ワシの可愛いアキちゃんや
そんでな、この子の母親なんやけど、なんでも元ダンナが酷い人らしくて、殆ど着のみ着のまま木の実ナナで家を放り出されて、広島から島根の実家に帰って来たって事らしいのよ。
そんで、アキの母親によれば島根はなかなか働き口も見つからんし、大阪に出よかと考えはって、そないなことならウチ来るかいって言うたらアキちゃん連れてホンマに来てなぁ。一週間も経たないうちにやで。ホンマ、参るわ。
でも、アキちゃんが可愛いから許す。
「な、なんだか判ったような・・・・・・。要は押しかけ女房みたいなもんね?」カズヤは苦笑しながら言った。
「んー、まぁそんなとこかのう。おっと話が長くなったの。ワシもうすぐ現着やん。ほなね」
「お!そっか。じゃあ気ィつけてや」
カズヤが言い終わらぬうちに電話が切れた。
気付けばカズヤもまもなく現着になろうとしていた。
カズヤはびっくりしている。
ひいきめに見てもカズヤはびっくりしている。
村上春樹風の言い回しをすれば、カズヤをそのまま固めてガラスケースに入れ博物館に展示し「心の底からびっくりしている男」と表題を付けてもいいくらいだ。
それ程カズヤはびっくりしていた。
カズヤの前には内縁の妻ヤスコと、その子供が立っていた。
「はじめまして、カズヤさん。主人がいつもお世話になっております」
「あ、あ、いや・・・・・、こ、こちらこそ」と言うのが精一杯だ。
涼しげな目元。小さな顔だちに薄化粧。背は女性にしては高め。長い髪。
要するに彼女は美人だった。それも飛び切りの。
身なりは質素だったが、それを補って余りある気品に満ちていた。
「でな、こっちが・・・・・・、ん?なんや?カズヤ、どうした?」シコタマ
がカズヤを突っつく。
「あ?ああ」カズヤはヤスコに見とれていたが、ハッと我に帰る。
「なんや、けったいな奴やのう。で、こっちが娘のアキや。アキちゃん、おじちゃんにちゃんとご挨拶出来るよね?」
人見知りする子なんだろう。モジモジとシコタマの後ろに隠れ、時々顔を出す。無邪気な顔はとても愛らしい。
「コンニチワ」恥ずかしそうに挨拶したと思ったら、今度は母親の後ろに隠れてしまった。
「アキちゃん!もう、この子たっら・・・・・。ホントにすいません」ヤスコも謝りつつ、目が笑ってる。
アキちゃんは母親の後ろに隠れつつも、ニコニコしながらこちらを覗き見ている。
「可愛らしい子ですやん!こりゃシコタマさんが惚れるのも無理ないですねぇ」
「そうやろ?ワシもメロメロですわ」シコタマの目尻は下がりっぱなしだ。
「お年はいくつになるんですか?」カズヤは尋ねる。
「アキちゃん、歳はなんぼなんですか?」シコタマがアキちゃんに聞くと、モジモジしながら指先を三本立てて「みっつ」と答えた。
シコタマは嬉しそうに愛娘を見つめていた。
カズヤは大阪に来ていた。
シコタマにはいつ行けるか判らんと言っていた大阪だが、その機会は意外と早く訪れた。
東大阪の待ち合わせ場所に行き、シコタマ一家を待っていたが、シコタマ夫人がこんなに美人だとは思いも寄らなかった。
「そいじゃ行こか」シコタマが先導を切って歩く。しばらく歩き、目指す居酒屋の暖簾をくぐった。
店の中は初老の夫婦がやっている店のようだ。「いらっしゃい」と言った店主の声が心なしか上ずっているような気がした。
店内にはカウンター席に一人、ボックス席には二人。
どことなく空気がこわばっているように感じた。
シコタマはそんな気持ちを知ってか知らずか、奥の小上がりに席を取った。
「おーし!カズヤ、何でも好きなもん頼め!アキちゃんはジュースですか~?」シコタマは上機嫌だ。ただ彼は酒を一滴も受け付けなかった。
シコタマはオレンジジュース、アキちゃんはコーラ、ヤスコとカズヤはビールを頼んだ。
「カンパーイ!」一同は乾杯した。
「それにしても奥さんは美人だし、アキちゃんは可愛いし、言うことないですね」カズヤが口を開く。
「そうかぁ?まぁ嫁のことはようわからんけど、アキちゃんはワシの宝やからな。ねぇアキちゃん!」シコタマはアキちゃんの頭を撫でながら言った。
その時、ガラッと扉が開き、四人ほどのサラリーマンが店に入ってこようとした。
しかし、入口そばのカウンター席の男が一瞥すると逃げるように帰って行った。それは有無を言わせぬ無言の迫力に溢れていた。
カズヤからは男の後ろ姿しか見えず、なんで四人組が帰ったのかは分からず、首を傾げたが、そんなことはすぐに忘れた。
「カズヤ、おどれの夢はなんですの?」シコタマは不意に聞いてきた」
「へ?夢?夢か・・・・・夢ねぇ、うーん。ツルタ君にも言われたけどなぁ」
ヤスコがビールを飲み干す。ほんのりと頬がピンクに染まった。
アキちゃんはシコタマの膝の上で楽しそうにしている。
「ワシな、お前が心底羨ましいんや。ホンマやで。ワシはお前がどこまで行くかを見届けたいんや」
俺はどこに行こうとしてるんだろう。もちろんメジャーなとこは実力から言って無理なのは明白だ。
カズヤは視線を落とし手のひらの中のグラスを見つめた。
「まぁメジャーだけがプロって訳やない」シコタマは続けた。
「今、言えることは『やり続ける』ことやとワシは思うんや。やり続けていれば、歌い続けていれば、その先に何かあるかもとワシは思うんや」
「やり続けていれば・・・・・・かぁ」カズヤは呟いた。
「もちろん、やり続けていても何も変わらないかも知れへんよ。むしろそっちの方かも知れへん。でもそれでもいいやないですか。判ってくれる人は確実におるでぇ」シコタマは自分の胸を叩いてみせた。
ふと見るとアキちゃんはいつの間にかスースー寝息を立てている。
「アキちゃん、もうオネムやなぁ」シコタマはアキちゃんを抱き上げ、ヤスコに渡し帰るように言った。
ヤスコは「ごゆっくり」と言い残し店を後にした。ボックス席の男がいなくなっていたことには、カズヤは気づかない。
「ところで」シコタマが切り出す。
「オヌシのギター、もうちょっとどうにかならん?」
「ああ・・・・・、やっぱ気づいた?」
「そら気付くがな。なんぼ路上ゆうてもなぁ」
「そうなんだよね。路上でもたまに言われるんだけど『鳴り』が悪いんだよね。やっぱオベーションもどきじゃな」カズヤは言う。
カズヤのギターはオベーションというメーカーのを模した、いわばバッタもんのギターだ。しかもクワタがゴミ置き場から持ってきたものだ。
本来このギターはアンプを通して音を出すもので、生音では弱すぎるのだ。
そして、このギターはプリアンプの電池ケースの蓋が初めから無い。
「そのうちお金を貯めて程度のいい中古でも買うさ」カズヤが言った。
「金のいることとは言え、これは最重要課題やねぇ」シコタマが頷く。
「ワシに財力があったらワレにマーチンでもギブソンでも買うたるのにな」
「ま、気持ちだけ貰っておくさ。つーか、そこまでしてもらうイワレも無いやろ?」カズヤは笑って言った。
「何ゆーてんねん!」シコタマがテーブルを叩く。しかし、その目の奥には「冗談」の文字が浮かんでいるのをカズヤは見逃さない。
「あのな、ワシはギターも弾かれへんし、歌だってワレのように情感もへったくれもない。ワシかてワレのようにやれたらどんなにええかと思う。けど、ようやれんのや。けどな、ワシがギター買うて、そのギターをワレにプレゼントしてだ。路上とかで弾くやろ?弾いてるのはワレであってもワシの魂みたいなもんもそこにあるんや。もちろんすぐには無理やけど、いずれワレにプレゼントしたる。ワシの魂も北から南まで連れてっておくんなはれ!」
シコタマはその場のノリで言ってしまったが、後悔は無かった。
「よっしゃ!おっちゃん、よう判った!あてにはせいへんけど、その日が来たら遠慮なく使わせてもらいますぜ」
カズヤは手を伸ばしシコタマに握手を求め、シコタマもまたしっかりと握手を返した。
そんな大阪の夜であった。
「ねえ、あのアコギちょっと試奏してもいい?」
カズヤはジャンク品コーナーにあるギターを指さして言った。
札幌に戻ったカズヤは自宅で休日を迎え、マユミとともに買い物に出掛けた。
スーパーに行き、食料品を買い、日用品を買い、最後はスーパーと同じ敷地にあるリサイクルショップに入る。
全国に展開しているこの店は、ありとあらゆる物を売っていた。
妻のマユミは最近ここをよく利用するらしい。子供服などは品数豊富で娘の服を買うのも売るのも都合がいい。
見れば楽器売り場もなかなかの品揃えで、まさにちょっとした楽器店のようだ。
その店で、カズヤは出会ってしまった。
ジャンク品コーナーの一本のギターが目に止まった。
「ん?ジャンクのわりに綺麗だぞ?」カズヤはそばにいた店員に声をかけ、手に取ってみる。軽い。
「もしかしたら・・・・・・」ギターを持った瞬間、カズヤは思った。以前に大手楽器店でマーチンのエリック・クラプトンモデルを弾かせてもらったが、そのギターも驚くほど軽かった。これが三十万もするギターなのかと思うほどだった。
弦は一弦と四弦がなく、張っている弦にもサビが浮いているが構わず鳴らしてみる。
ポローンポローン。
「え!これもしかしたら・・・・・・・」カズヤは目を見張った。もう一度鳴らしてみる。
「むう・・・・・・」
ギターを掲げて見る。どこにも目立った傷もないが、なぜこれがジャンク品なのだ?カズヤは店員を呼ぶ。
「あー、これはここに打ち傷があるんですよ」
それはよく見ないと見落とすくらいの傷だった。
「あとはギターのギターのランクがそれほど高くないことですかね」店員は言った。
「そーかー、うーん」
価格は四千円。キャッツアイと呼ばれるそのギターは、東海楽器から出ていたアコースティックギターのブランドだ。
「どうしたの?」ふいにマユミが声をかける。
「おお!びっくりした!このギター買うわ」そう言うとギターを抱えてレジに歩いて行った。
マユミは驚いていたが、カズヤはお構いなしだった。
家に帰るとさっそく弦を張り替える。
車に乗ってるうちからずっとマユミがブツブツ言っていたが、馬の耳に粘土である。
カズヤは弦を張り替える前に各部を綺麗に拭いたのだが、本当にジャンク扱いなのかと疑いたくなる。
程なく弦を張り終えた。
改めて手にして見るとやはり綺麗なギターである。傷も気にならないし、ネックの反りも殆どない。
出来上がったギターを構え弾いてみる。
ジャラーンジャラーン
「このギター、マジか?」
ジャラーン、ジャラーン
「すげえ!やったやった!これ、掘り出し物だ!」カズヤは小躍りした。
「それってどういうこと?」マユミが尋ねる。
「昔のギターって良い木を使って、キチンとした職人が作るだろ?それプラス年数が過ぎて木が乾いてくる。そうすると安いギターでも『鳴り』の良いのが出来る。これがまさにそうさ」カズヤは興奮気味にいう。
「ふーん、どうでもいいですけどね」マユミは興味がなさそうだ。
「まぁ、悪い趣味じゃないですけど、あまりのめり込まないでね」新聞を拡げてマユミは言葉を続ける。
カズヤにもそれは判っていた。昔から彼は「これ」と思ったものにはトコトンのめり込むきらいがある。若いころのバイク、マユミと結婚したあとに始めた空手、そして今回のギター。
バイクは結婚前にマユミと付き合っていた頃、バイクの後ろにマユミを乗せ北海道内をくまなく回ったもので、二人が付き合ったキカッケもバイクだった。
空手は初めの会社を辞めたのを契機に始めたもので、最初は見学のみだったが、弱そうな中高生がやってるのをみて自分にも出来そうだと思って始めた。
その空手団体は館長がプロレス好きで、某有名プロレス団体との抗争というアングルから、リングに弟子の一人と上り始めたことからセコンドに付いたり、もう少しで他の門下生有志ともに場外乱闘に駆り出されるところだったりもした。今にして思えば冷や汗もんだったが、いい思い出でもある。
さて、現在は路上ライブにどっぷりとのめり込んでいるが、マユミをはじめ家族には言っていない。恥ずかしいのと密かな楽しみにしたいからだ。
以前、夜に家族を車に乗せ、札幌の街を走っていたら、街角に路上ライブの若者がいた。それをマユミに「あんたならやりそう」と言われ、全力で否定したことがあった。
とにかく、かなりの安価で音の良いギターが手に入った。
「よし!これでギターも良いのが手に入ったし、ますます気合いが入るぜぃ!」
心のなかで叫ぶカズヤであった。
「相変わらず元気そうやないか?」
男はドスの効いた声で呟くように言った。
その声はまるで地獄の底から湧いてくるような凄みのある声だ。
「どうや?堅気の仕事は?あれはあれでなかなか大変やろ?」
大阪の高層ビルの一角。
その男は八十歳は越えているであろうが、老いは感じられない。
「どないだ?そっちの商売はそろそろ切り上げて、こっちを手伝わんか?この稼業、誰に出来るもんでもないさかいにな。ワシの後を継ぐことも考えなあかん」老人は言った。
「やかましいわい!」シコタマが口を開いた。
「ワシのことはほっといてくれへん?ワシは自分の人生は自分で切り開く」
「そうはいかんやろ?ワレはたったひとりの息子なんやからな」
「ケッ!よういうわ!虫酸が走るわい!」シコタマは吐き捨てるように言ったが、老人は意に介す素振りも見せない。
「まぁそう言うな。それに無理もあかん。ワレ、カタギの仕事いくつ変わった?持って一年か?二年か?そんなもんよりワレにはこっちの商売が向いてると思うがのう。どないだ?」
「むぅ・・・・・・・」シコタマが口をつぐむ。
「どないだ?ん~?前の嫁にも愛想尽かされたんやろ?人間、適材適所。これが一番やんか?それに・・・・・・」シコタマの父を名乗る男は目を一瞬伏せた。
「それになんや?」シコタマはイラついてた。
老人は目を伏せながら、呟くように言った。
「ワレの嫁の連れ子、アキちゃん言うたか?ワシにもそろそろ孫の顔、拝ませてくれんかのう?」
「帰る」シコタマは立ち上がる。
「そうか、車用意したるわ」
「いや、ええわい」
「・・・・・・・」父を名乗る男はそれ以上は言わなかった。
シコタマはエレベーターに乗り込もうとすると、男がボタンを押し開いたドアに彼を促した。
「二代目・・・・・・」男は呟いた。
「二代目いうのやめえ」シコタマも静かに呟く。
外は冷たい雨。
シコタマは雨の降り頻る大阪の街に駆け出していった。
「お!反応があったぞ。どれどれ・・・・・・」
カズヤは携帯画面を見る。メッセージは一件来ていた。
「はじめまして。ようこそ富山県へ。まず富山での路上ライブですが・・・・・」と綴られていた。
カズヤのの路上ライブ行脚は順調だった。その影にはインターネット、特にSNSサイトの活用が重要だった。
初めての場所での路上ライブは、事前の情報の収集・・・・・・路上ライブに適した場所、周辺住民への配慮、他の路上ミュージシャンの存在、などなど知っておいた方がいい情報を調べることが出来る。
やり方はSNSサイトを利用しているユーザーで、例えば今回の富山県なら「路上ライブ 富山県」という感じで入力すると、何人かのユーザーにヒットする。その中のめぼしいユーザーに「自分はこれこれの活動をしていて、今回初めて富山での路上ライブを考えており、場所や回りの環境などを教えてくれませんか?」と送り、情報収集を行っていた。
それで今回は富山での路上ライブをやるのに際し、前述のようなメッセージをSNSサイトのメール機能を通じて送り、最終的に数件の反応があった。
全員にお礼のメッセージを返信したが、そのなかでも妙に熱心の青年がいた。
サトシというその青年は、自分も路上ライブに興味があり、やってみたい気持ちもあるがどうにも踏ん切りがつかず現在に到っているらしい。
そしてメッセージをやりとりするなかで「どこかにトラックを置けるところあるかな?」と尋ねた。
「それなら少し離れたところにコンビニがありますよ。そこから駅までの送り迎えは僕がします。車があるんで」
これにはカズヤも驚いた。
今日SNSで知り合い、まだ会ったことのない者を乗せて送り迎えしてくれるというのだ。
「いやいや、会ったこともない人に悪いよ」カズヤは恐縮して言った。
「いえいえ、さっきも言ったように自分も路上ライブには興味ありますし、わざわざ富山に来るんだもの、それくらいのことしなきゃ富山人の名折れです」サトシは言った。
「う~む・・・・・・」カズヤは少し考えた。
これも旅をしていればこその出会いかもしれない。
「そうですか・・・・・・。じゃあお願いします」カズヤは恐縮しつつ、その言葉に甘えることにした。
かくして富山インターからほど近いコンビニ駐車場にトラックを置き、サトシに迎えにきてもらった。
「はじめまして!ようこそ富山へ」
「やぁ!どうもはじめまして、カズヤです」
二人は握手を交わし、サトシの車で富山駅に向かった。車にはサトシの友人のコージも乗っており、同じく路上ライブに興味があると言っていた。ちなみに二人は二十歳の大学生だ。
富山駅に着くと地下へ続く通路へ案内された。この地下道が富山市の路上ライブのメッカだと言うことらしい。
カズヤ達が近づいて行くと、元気の良い歌声が響いてくる。
階段の踊り場でギターをかき鳴らす二人組の若者たち。「ゆず」のカバーをやっているようだ。
演奏が一段落し、彼らに話を聴いて見る。
やはりこの地下道が富山の路上ライブのメッカで、なかでもこの踊り場が一番人気の場所らしい。そしてこの二人は用事があるので帰るから、あとはここでやっていいと言う。
「お、そりゃいいね。ありがたい」
地下道へと続く、いくつかある入口のなかではもっとも人通りがあるそうだ。
「そうかそうか。よしよし!」カズヤは心のなかで万歳した。
やがて彼らが帰るとカズヤの出番になった。
サトシとコージは階段に腰を下ろした。いい感じでカズヤと向かい合う感じだ。
カズヤは軽く発声をしてウォームアップを済ませると、いつものように「旅的途上」からスタートさせた。
この日の路上ライブはいつものような、ともすればダラダラとやるのではなく、一時間とキッチリ時間を決めてやろうと思っていた。
前者が決してダメと言う訳ではないが、今日は二人の若者のために「ライブ」のカタチでしっかりと見せようと思ったからだ。
そして、ノドの調子もすこぶる良かった。
トークも二人だけが相手のせいか軽快に運び、二人の笑いを誘った。
そしてラストの二曲はカズヤの十八番である河島英五の「酒と泪と男と女」、中島みゆきの「狼になりたい」を心を込めて歌った。
前者はカズヤにとっても定番の曲である。そして「狼になりたい」は女性シンガー中島みゆきの作ではあるが、歌詞の内容が長距離トラッカーの世界にも通じるところがあり、カズヤが中学三年の頃に発表された古い曲であるにも関わらず、今でも・・・・・・いや今だからこそ歌い継いでいきたい曲のひとつだ。
「・・・・・・狼になりたい。ただ一度」カズヤは静かに歌い終えた。
一瞬間があり、二人の若者の拍手が鳴り響く。
「すげえ・・・・・・」拍手しながらサトシが小さく呟いた。
カズヤにしてみても、三十年くらい前の古いフォークソングを二人の若者がキチンと聴いてくれた、そのことが嬉しかった。
いつも言われることだが、良い曲は時代が変わっても良い曲であることに変わりはないものだ。
サトシもコージも感激した様子だった。そしてサトシは興奮した面持ちでカズヤに言った。
「カズヤさん、俺、感激したっす!なんかカズヤさんの頑張り見てたら俺もなんか路上ライブをやってみたくなりました!」
「んー?それはこの程度のレベルなら自分にも出来るってこと?」カズヤはイタズラな視線を投げかける。
「い、いえいえ、決してそんな訳では・・・・・・」
「はっはっはっは!冗談だよ!そんな風に言ってくれて歌い手冥利だよ」
「いや~はっはは!自分にもちょっとギターを弾かせてもらえませんか?」
「お!その気になったかい?喜んで!」カズヤは答える。
サトシはカズヤからギターを受け取ると、チューニングを変えていいかを聞いて来たのでカズヤに断る理由もなく、好きなようにしてくれと言った。
サトシはニッとイタズラな笑いを浮かべ、やがて変則チューニングに変えたギターで音を奏で始める。
それはインストゥメンタル、つまり歌無しの曲で、タッピングしたり、ボディを叩いてリズムを取ったりする奏法で、押尾コータローや谷本光の流れを汲む非常にトリッキーな奏法だ。その奏法をマスターするにはかなりの熟練を要すると聞く。それでもアマチュアにもかなり普及しているらしい。
サトシももちろん押尾や谷本ほどではないにしろ、かなり上手いと思った。
「カズヤさんが次に富山で路上する時は俺も一緒にやります!」演奏を終えギターをカズヤに返しながらサトシは言った。
「おっしゃ!約束だぜ!」カズヤが手を差し出す。
その手をサトシが握り返し、何度も上下に揺らし合った。何度も何度も。
その日、三月十一日
カズヤは北海道の留萌の小さな市場で最終の荷卸しを終えようとしていた。
前日、群馬県の野菜の仲買で積んだ野菜を、道内三ヶ所に卸して回った。
殆ど寝てないが、比較的楽な仕事だ。
一緒に荷卸ししている市場の係員と冗談を言い合いながら、あと少しで完了というところまで来ていたその時だった。
「あれ?なんか揺れてない?」係員が呟く。
「んん?あ、ああ、揺れてるね。でもこの程度なら問題ないっしょ」カズヤは笑って言った。
「んだな。でも長くね?」
「そうだな。長いな」カズヤは周囲を見渡してみるが、別段変わった様子はなく、いつもと変わらない田舎町だ。
地震はかなり長い間続いたが、特に問題ないように思えた。
カズヤは程なく荷卸しを終えるとトラックに乗り込んだ。
携帯を見るとチカチカとメール着信を知らせるランプが光っていた。
メールは天気予報サイトからのものだった。
先ほどの地震速報メールだとカズヤは思った。
カズヤは運転しながら、片手で携帯を操作してメールを開いた。
「うそだべ?仙台が震度七だぁ?」携帯を持つ手が震えた。
カズヤは急いで高速に乗り、最も近いテレビがあるパーキングエリアに向かう。
ラジオを付けると、北海道の太平洋沿岸に津波警報が発令されていた。
カズヤの心配はこれまでの旅で知り合った仙台の友人、特にミイコが心配だった。
途中で会社から連絡が来て、東京も大変なことになっている、とりあえず連絡を待てとのことだ。
カズヤは仙台の友人やミイコのことが心配だったが、いかんせん電話が通じなかった。東京からの会社の連絡があったのが奇跡だったと言える。
やがてトラックはパーキングへと入って行った。
ベルトを外すのももどかしく、大急ぎでトラックを降りるとテレビの前に行き釘付けになる。
ニュースは地元北海道の太平洋沿岸と、全国のニュースを交互に流していた。
「やばい・・・・・・、やばいぞ!」カズヤは呟く。
時間の経過につれて徐々に被害が拡がっていくのが解かる。
「無事でいてくれ!」カズヤは祈った。
祈ることしか出来なかった。
翌日、カズヤの姿は札幌の歓楽街ススキノにいた。
当初は自分の路上ライブは地元札幌ではやるまいと決めていた。誰に会うか判ったもんではないという恐れがあったからだ。
しかし、未曾有の国難とも言える震災を目の当たりにし、じっとしてはいられなかった。
「自分でも出来ることがあるはずだ」カズヤはそう考え、ススキノの街角に立った。
義援金集めの為の路上ライブをやろうと決めたのだ。
妻マユミには仲間との募金活動してくると言ってある。マユミもことの重要さが判っているらしく、すんなり送り出してくれた。もちろん路上ライブのことは一切明かしていないので、街角で募金箱でも持っているんだろうと思っていた。
しかし、そうは言ってもオッサン一人の路上ライブに通行人が安々とお金をだすとも思えなかった。
そこでカズヤは事前にインターネットの掲示板を利用した。
「急募!いっしょに路上ライブで義援金集めをしてくれる人」と載せると二人の若者が名乗りを上げてくれた。
一人は大学生のコン。もう一人は同じく女子大生のスー。
コンは既に路上や札幌市内のライブハウスなどでの活動をしており、なかなかの実力者で、その噂はカズヤの耳にも届いていた。
一方スーは自宅で弾くことはあっても、路上はおろか人前で弾いたことがないと言うことだ。
待ち合わせ場所にはまずコンが現れた。
「どうも初めまして。ウワサはかねがね聞いてますよ」そんな事をコンは言った。
「ウワサ?俺の?」カズヤは不思議に思った。どうやら少しは知られた存在になって来ているらしい。でもそれはごくごく限られた範囲のことだろう。
ほどなくして「すいませーん!スーです。待たせてごめんなさい」と背後の方から声がした。
カズヤとコンが声のした方に振り返ると、目がパッチリとした可愛らしい女の子が立っていた。それがスーであった。
「へー!こんな可愛い子がいっしょに路上してくれるとはありがたい!」カズヤは思った。
この日に限って言えば、義援金を集めるための路上ライブなのでスーのような女の子がいると男性客の受けが良い。
やがてススキノの街角での義援金路上ライブがスタートした。
カズヤから歌い始め、三曲交代でコン、そしてスーの順で歌う。
スーを最後にしたのはまだ人前で歌うのは不慣れであるという配慮だ。
カズヤはノド慣らしで河島英五の三曲をやり、次のコンは斉藤和義などを三曲やった。空いてる者はお菓子の缶で作った募金箱を持ち「震災のための募金ライブです。お願いしまーす」と道行く人に声をかけた。
そして、いよいよスーの出番だ。
緊張しているのが手に取るように判る。
「ふふ。俺も初めての時はあんなんだったんだろうなー」カズヤはスーの様子を見て、そんなふうに思った。
だが、スーが歌い出すとそんな考えはどこへやら。
「上手い!すげえ上手い!」カズヤとコンはスーの歌の上手さに驚いた。
「スーちゃん、ホントに初めてなの?」カズヤはスーに尋ねた。
「ホントにホントですよ。もう緊張してどうにかなりそうです」スーは言う。
「そうは見えなかったんだけどな。すごく堂々としてたよ!」コンも口を開く。
「えへへ。ホント、初めはすっごく緊張したんだけど・・・」
「だけど?」カズヤとコンが口を揃えて尋ねる。
「だけど、歌ってるうちに気持ち良くなってきて、なんて言うか、もっと私の歌を聴いて!って感じなんです」スーはペロリと舌を出した。
「へー、この子度胸あるな。歌も単に上手いってだけじゃなく、何つうか情感がこもっててすごくいい!」カズヤは呟いた。スーの中に非凡な才能をみた想いがした。
そうしてスーやコンの頑張りもあってか、義援金集めの路上ライブは思いのほか盛況だった。
集められたお金は総額で約5万円。
決して多い金額ではないが、あたたかい善意に溢れていた。
札幌の街は地震の影響を全くと言っていいほど受けていなかった。
それがもちろん良い事であるが、いつもと変わらぬススキノの様子を見るにつけ、もう少し危機感をもってもいいんじゃないかと思った。カズヤにして見れば些か腹立たしくもあった。
それでも善意のお金はカズヤ、コン、スーの三人の手でコンビニの募金箱に収められた。
それにしても気になるのはスーである。
帰り道でカズヤはスーに聞いてみた。
「ねえ、人前でやるの初めてなんだよね?どうだった?」
「そうですね、もちろん緊張したことはしたんですが、歌ってるうちに気持ちよくなってきたのはさっきも言った通りなんですが、それに加えて私が歌うことで義援金が少しでも集まるでしょ?僅かなことだし全然足りないんでしょうけど、震災で苦しむ人たちの助けになってるじゃないですか?私、今回の地震を見て初めは無力だと思ったんですが、カズヤさんの呼びかけを見てこれだって思ったんですよ。私が助けになるならまた誘ってください!」スーはカズヤの目を真っ直ぐ見つめてそう言った。
カズヤは深く何度も頷いた。
「オーケー!明日も仕事は休みみたいだし、良かったら明日もやろうぜ!スーちゃんも乗ってきたみたいだしね。ところでスーちゃんはハコでやるライブに興味ない?」
「ハコってなんですか?」スーは目をパチクリさせる。
「ライブハウスとか、ライブバーとかを総称して言うのさ」
「あ~、そうなんだ。なんかいいライブとか見てみたいですね」
「見るのも勉強のひとつだけど、ハコライブをやってみないかってことなんだけど」
「ええ!わ、私が?」スーは大きな瞳を更に大きくして驚いた。
「「そうそう。でもそんなに構えなくても大丈夫。初心者の登竜門的なライブだし、誰もが初めは初心者でしょ?でも今日の路上ライブをみると、とても初心者にはみえんがね」カズヤは笑っていった。
「う~ん・・・・・・」スーは考えあぐねているようだった。
カズヤにはかねてから出入りしているピットというライブバーがあった。そこは例えばライブを開く場合でも、場所代の類いは取らない良心的な店だった。
そして、プロミュージシャンも利用する店だが、敷居は低かった。
上手い常連客も多く、スーにとっても吸収するものも多いと思った。
スーは考えているようだったが、意を決したように言った。
「もういくら考えても答えはひとつです!カズヤさん、お願いします!」
「じゃ決まりだね。近いうちにピットに行って、オーナーマスターのカッペに会わせよう」
「面白くなってきたぞ」カズヤは身体がワクワクするのを感じていた。
数日後、インターネットの掲示板に仙台のミイコを初めとする友人達の無事を伝える書き込みがあり、胸を撫で下ろすのだった。
更にその数日後、折りよく仙台へ向かう仕事が当たったカズヤだった。
「よし!これでみんなに会いに行けるぜ!」
ミイコなどからのメールによれば、お金はあっても生活物資が足りなくて、米やガスコンロ、また赤ん坊のいる家庭ではベビー用品を欲しているらしい。
「よっしゃ!俺が可能な限り用意して行くぜ!まっててくれ!」メールでそう返信する。
トラックのキャビンは救援の品々でいっぱいだ。ちなみに荷台のほうは本来カズヤが運ぶ荷物でいっぱいだ。
カズヤが運転するトラックは津軽海峡を渡り、東北自動車道を南に向かってひた走った。
当時、東北道は災害救援のための車両や救援物資を運ぶ車の走行しか認められておらず、カズヤのトラックもフロントガラスに「災害救援」と書かれた看板が掲げられている。
カズヤの会社のトラックも全車両にこの看板をつけていたのだが、災害救援に直接関わっていたかといえばいささか疑問符が付く。しかし、広い範囲での救援活動なのだろうと自らを納得させてハンドルを握っていた。
それに今に限れば救援活動であることは間違いない。
トラックは南下を続け、盛岡を過ぎてしばらく行くと徐々に道路のギャップが激しさを増して来た。
宮城県エリアに入ると“ここはやっぱり被災地なんだ”との思いが強くなっていった。
対向車線には自衛隊車両の隊列や警察車両が行き交う。自衛隊車両はどこから来たのかは判らないが、警察の車両には「広島県警」とか「大阪府警」の文字が認められ、全国から来たのが判る。
カズヤはこうした車両に対し、心の中で最敬礼を何度もしたのだった。
道路のギャップが激しさを増し、車のスピードも満足に上げられないまま東北道をひた走る。
やがて目指すインターチェンジに近づいてきた。ランプウエイを通り料金所を通り過ぎる。料金所はフリーパスだ。
トラックは仙台の街中に入って行く。
一見、未曾有の震災に見舞われた街には見えなかったが、よく見ると壁が崩れたビルや窓ガラスの割れた建物が点在していた。
カズヤは時計に目を移す。夜八時を回ったばかりだ。
停電の影響で街は深夜かと間違えるほどだった。
やはりここは被災地なのだ。
トラックはデコボコの道を越えて進んで行った。
しばらく行くと灯りのついた一角があった。
震災にも関わらず営業を続けているファミリーレストランだ。
ここが待ち合わせ場所になっている。
トラックが近づいて行くと、こちらに向かって激しく手を振る一団があった。
「おお!みんな元気そうだなぁ。良かったぁ」カズヤはパッシングして応える。
トラックを路肩に停めるとトラックを飛び降り、みんなと抱き合った。
「ミイコねぇ!ジョージ!君がマックだな?元気そうで良かったよ!」そう言って再会を喜びあった。
「カズヤさんも元気で良かった!」いっそう強く抱きしめてくる。
その様子をニコニコと笑顔で見ているのはマックだ。
マックはミイコねぇの彼氏である。
「このミイコねぇに負けず劣らずのこの綺麗な方は誰かな?」カズヤは傍らで嬉しそうに見つめている女の子を指して聞いた。
「この子は俺の・・・・・・、彼女っす」照れくさそうのジョージが言った。
「へえ、やるじゃないの」カズヤが言った。
「初めまして。メイです。どうぞよろしくね」メイも笑顔で応える。
「お!可愛いじゃないの。よろしくね。ハグしてもいい?」言うが早いかメイを抱きしめる。
メイもハグし返してくる。
カズヤ達の回りは明るい笑いに包まれた。
「じゃあ、積んである物資をおろそうぜ!」キャビンの中の品々をバケツリレー方式でおろして行く。
総勢五人の荷卸し作業はあっという間に終わった。
「じゃあ、メシでも食おうぜ!」
カズヤが言うとみんなは辛うじて営業しているファミレスに入って行く。
店内は思いのほか混んでいた。
五人は窓際の席に着き、メニューを見る。
メニューはフードが四つ程度。ドリンクメニューもコーラとウーロン茶しか無かった。
カズヤは改めて「ここは被災地なんだ」と思った。
でも店員によれば「材料があって、お客様がいるのであれば当店は営業します」と力強く言ったのが印象的だ。
「その意気やヨシ!」カズヤは唸った。
店での食事も弁当の容器に入っていたが、どれを取っても真心がこもっていて、大変美味しかった。
料理のひと品ひと品に決意のようなものを感じたカズヤだった。
やがて食事をし、楽しい時間を過ごしたカズヤだったが、早々に退散することにした。
持ってきた物資を近所などに配るのであろう。ベビー用品を待っている人もいるらしい。
名残おしい気もするが、どうせまた来るだろう。
みんなに別れを告げ、仙台郊外に向かったカズヤであった。
更にその年の7月、カズヤの姿は福島県福島市にあった。
震災から四ヶ月、まだまだ問題は山積みだが、人々の暮らしは徐々に落ち着きを取り戻しつつある。
その日、午前中の早い段階で東京での仕事を終えたカズヤは、会社に連絡を入れると、なんと明日の昼まで青森の八戸に行き、北海道行きの荷物を積めと言う。
時間的には充分可能な距離だが、空車で八戸では些かゲンナリだ。第一、歩合制の給料体系なので運賃の事を考えると大した稼ぎにはならない。
しかし、その時。福島で路上をやることを思いついたのだった。
「んー、給料的にはワリに合わないけど、俺しかいないんだよね?じゃあ行くかぁ」と嫌々なフリをしてその仕事を受けた。
そして福島市在住の友人、O次郎の元へ電話をかける。
「あ、O次郎さん?俺、カズヤ!あんね、急なんだけど・・・・・・」と福島市で路上ライブするにあたり、協力を求めた。
急な要請で断られることも覚悟したが、あっさりOKだった。
O次郎は四十代の福島県民だ。もちろんO次郎というのはハンドルネームだ。
カズヤの書いているブログを通じて知り合った一人だ。
今は福島県民だが、出身は北海道であるせいなのかは判らないが、カズヤとは気が合うようだ。
そして彼は元は福島市民ではない。
彼は原発から十キロ圏内の住宅に住み、地震やそれに関わる原発事故を受け、取るものも取り敢えず避難して来たのだった。
初めの三日間、避難所生活がキツかったが、四日目からは彼の勤める会社が福島市内にホテルを取ってくれ、その後はアパートを借りて奥さんと共に移り住んでいる。今は一応の落ち着きを取り戻しでいるとのことだった。
東京から三時間ほどトラックを走らせ、福島飯坂インターチェンジで高速を降り、まずは福島トラックステーションで待ち合わせだ。福島トラステはインターチェンジからすぐのところにある。
トラステに着くと程なくO次郎の乗用車がやって来た。
初めてO次郎に会うが、バケラッタで有名なマンガのキャラクターとは違い、極めてナイスガイだと言っておこう。
早速、O次郎の車に乗り込み福島駅に向かう。
路上ライブ前に軽く食事をとハンバーガーショップに入る。
「Oさん、今日はホントにありがとうね。正直、Oさんの協力が無かったら今日は路上はやらなかったもの」カズヤは言う。
「なあに、俺もたまたま休みで暇だったからね。タイミングさ、タイミング。でも、その意味でもカズヤさんは運がいいね」O次郎は頷く。
「それにしても良かったね。会社がホテル取ってくれるなんて」
「ホントさぁ。初めの三日間なんて避難所でザコ寝だろ?それはまだいいとして、寒さには参ったよ」
「こうなったら東電からしっかり賠償金取ってやりましょうよ。今はそれでしょう」そう言ってカズヤは親指を立てた。
程なく福島の街は夜の帳が降り始めてきた。駅周辺も数ヶ月前に未曾有の大災害があったとは一見は見えない。
カズヤは駅前広場の一番目立ちそうな場所に目標を定め、そこを路上ライブのポイントにした。早速、準備に取り掛かる。
しかし、そこへ。
「ここは路上ライブ禁止ですよ」
声のした方へ振り向くと、若い警備員が立っていた。
「あっちゃー!マジかい?福島の路上ライブ、これにて終了か?」カズヤはO次郎と顔を見合わせる。
「お兄さん、立場的なことは判るが一時間ばかり目をつぶって貰えないかな?俺、北海道から来て・・・・・・」カズヤは食い下がる。
「ダメなものはダメです。いいですか、二時間後にまた来ますからそれまで撤収してくださいね」そう言うと若い警備員は人ゴミの中に消えて行った。
二人は目が点になった。
「要は二時間だけならやってもいいって事だよね?」カズヤは目を輝かせた。
「どうやらそのようですな」O次郎も同様だった。
「よっしゃ!じゃあやるかい!」
ギターの準備もバッチリ決まり、いよいよ路上ライブの開始だ。
「どうも皆さん今晩わ!自分は北海道から来ました。お耳汚しではありますが、一曲でも二曲でも聴いて貰えたら喜びます!よろしくです!」
カズヤの元気な声が響く。
しかし、ギャラリーの反応はイマイチ。
「うーん、良くないのかな?」
遠巻きには聞いててくれてるように見えるが、いかんせん誰も近くには寄ってこない。
それでも歌い終わるごとには少し離れたベンチの一団からは拍手が起こる。
O次郎はマネージャーになったつもりなのか、この日初めてお目見えしたフライヤー(チラシ)を通行人に配っていた。
ふと気が付くと目の前に男が立っていた。
O次郎が配っているフライヤーとカズヤの顔をしげしげと見比べている。
カズヤは曲の途中だったので歌いながらペコリと会釈した。
男はしばらく聴いていたが、そのうちどこかに消えた。
カズヤはせっかくそばで聴いててくれる人がいたのに残念と思ったが、仕方ないと思い直し演奏を続けていた。
しかし程なくすると、どこからか現れO次郎に何やら話しかけたかと思えば、コンビニの袋を手渡して手を振り去って行った。
O次郎曰く
「彼は福島消防隊の人で、今日は震災後初めての休暇で街に出てきて、帰ろうと駅に来たら、カズヤさんのライブに出くわしたってことらしいですね。上手いのはもちろんですが、北海道の人がわざわざ福島に来てくれたのが嬉しかったと言ってました」
「そうなのか!嬉しいね。でも、それならそうと言って欲しかった気もするね」
「はははっ。それが福島の県民性なのかな」O次郎が答える。
やがて福島の路上ライブは終わりに近づいていた。
気付けば二時間が過ぎようとしている。
相変わらずカズヤの回りには人は集まっていなかった。
それでも構わず歌った。
最後の曲はいつもに増して真心を込めた。
復興の願いをこめて。
「どうもありがとう!福島、また来るぜ!」
するとどうだろう?
あちこちからワッと拍手と歓声が上がった。
「ありがとう!」
「良かったよ!」
「元気もらったよ!」
そんな声にカズヤは包まれた。皆、一様に遠巻きではあるが最後まで聴いててくれた。
「なんだよ、ちくしょう・・・・・・」思いもよらぬ反応にカズヤは感極まった。
後片付けをしているところへでも「良かったよ」「ありがとうね」の声を貰ったし、駅前広場を後にしようとした時も「福島最高!また来るぜ!」と声を上げると、そばにいた二・三人の女の子が拍手で送ってくれた。
「なんだよぉ、福島県民恥ずかしがり屋だぁ!」
カズヤとO次郎は叫んだ。そして笑った。そして胸が熱くなった。
福島の夜だった。
「・・・・・という訳さ」運転しながらカズヤはイヤホンマイクに向かって言った。
電話の相手はシコタマである。
「なんや知らんけど、濃~い日々みたいやね」
「本当、いい経験っちゅうか、ほんちゅうかやね」カズヤは笑いながらシコタマに話しかける。
「・・・・・・うーん、そうやね」どことなくシコタマの反応が鈍い。
「おっちゃん、どないしたんねん?何かあったん?」
「なんでもない・・・・・・」
「なんでもないことないやろ~?いつも元気が取り柄のおっちゃんがそれじゃ気にならん方がおかしいで~」
「ホンマ、なんでもないんや!他人に話したところでどうにもならんことなんや!」
「おっちゃん、つめたいべ!水臭いべ!言うてもどうにもならへんかったんやら言わんでも一緒やろが!そうやろ?言ってスッキリせんかい」何故かカズヤはキレて言う。
「おお!それやったら言うたるわい!アキちゃんがおらんようなったんじゃい!」シコタマもキレた。
「ええ!なんで?」
「嫁が・・・・・、嫁が病気になってな。ワシもこんな仕事やろ?毎日おらんし、アキちゃんも小さいしってんで島根の実家に行ってしまったんや!」絞り出すようにシコタマが言った。
「そ、そうかぁ・・・・・・」カズヤは言葉を失った。
「そ、それは心配だよね・・・・・・。奥さん、かなり悪いの?」
「いや、命を取られるとかはないんやけど、あいつ、ちょっと身体が弱いねん」「そやろ、普段は元気なんやけどな・・・・」
「・・・・・・」カズヤは押し黙ってしまう。
「せめてワシが家におったらな。この仕事の辛いところや」
「でもおっちゃんの会社って島根にもよく行くんでしょう?ちょいちょい会いにいけるやん」
「それもそうだし、会社にも事情を話してできる限り島根に行かせてくれとは言ってあるんだけど、島根に行く仕事は運賃がええさかい、みんなが行きたがるや。そやさかいワシだけって訳にもいかんしの」
「そうかぁ」カズヤはシコタマの話を黙って聞くしかなかった。
「そやろ?せやから人に言うてもっていうたんや」
「うう~・・・・・・」
「人の言うことはちゃんと聞くもんや。カズヤも気ぃつけや!」
「はい、すいません・・・・・って、オイ~!」
「ははは。バレてもうた!」
「まったく油断もスキもあったもんじゃない」笑いながらカズヤは言う。
「はっはっはっ。はぁ~・・・・・」シコタマは笑いながらもまた溜息をついて言った。
「ありがとうな、カズヤ。ワシを元気づけてくれて」
「なんもなんも。まぁちっとは心のウップンを晴らさんとな」
「いや、マジにありがとうな。おおきに。おっともうすぐ現着や。悪いな、せっかく大阪に来たのにワシは東京や」
「なんもなんも。こればかりは神かはたまた荷主のみぞ知る。ほいじゃ、ばはは~い」
「おお!気ィ付けてな」そう言い合ってお互いが電話を切った。
カズヤも高速を降りて大阪市内だ。東の空が白々と明けてきた。
「うーん、今、何時だ?」トラックのキャビンのベッドで寝ていたカズヤは目を覚ました。
時間を見ると夜の九時五十分。待機解除まであと十分。
「んん~、よく寝た~」
久しぶりの長時間睡眠である。こんなにゆっくり寝たのはいつ以来だろう?
ベッドの中で仰向けのままカズヤはノビをした。そして、むくりと上半身を起こし、見るともなしに辺りを見る。
携帯のメール着信を知らせるランプがチカチカと点滅していた。
カズヤは携帯を気だるいそうに手で取るとメールのチェックをし、目ぼしいメールがないのが判ると携帯をベッドに放り、パンツとTシャツのまま運転席に移り、外に出た。
トラックが何十台も並んでいる。
その間を歩いてトラックの後方へ行き、小用を済ますとまた運転席に戻ろうとした、その時。
「カズさん、おはようさん!よう寝てはりましたな」ガソリンスタンドの従業員が声をかけた。
カズヤは笑顔でそれに答え、スタンド店員に手を振って運転席に戻り、携帯で会社に電話を入れる。
案の定、今日は仕事が無かった。
カズヤはトラックのキャビンでいそいそと着替えを始める。
身支度を整えたカズヤはトラックを降り、ガソリンスタンドを後にした。肩からギターケースを下げ、手にしたカバンの中には歌詞とコードが書いたノート、そして譜面台。
カズヤはニュートラムと呼ばれるモノレールの親戚みたいな乗り物に乗るためにすっかり静かになった大阪郊外の街を歩いた。
吹く風が心地よく頬をくすぐって行く。
カズヤはニュートラムの駅に着くと運転手のいない電車を待った。ニュートラムは遠隔操作で運行されている。程なく電車がやって来た。
『なんこう~。なんこう~』
バラバラと人が降り、入れ違いにカズヤ一人が乗る。
電車は二駅ほどで終点に着く。カズヤはまばらな乗客と共に降りた。
時計は夜十一時を少し回ったところだ。
電車を乗り換え、カズヤはなんばに降り立つ。
地下鉄から地上に出ると、スーっと息を吸い込む。
大阪の匂いだ。
決して良い匂いではない。
しかし、どこか懐かしい。
それは、思い出そうとしても思い出せない、そんな匂いがカズヤの身体を包み込む。
彼はミナミに向かって歩きだすが、腹が減ったので途中にある「餃子の大将」で腹ごしらえだ。やがて餃子定食を平らげたカズヤはミナミに向かって歩いて行った。
そうして大阪の中心部、通称ひっかけ橋こと、戎橋に着いた。
さすがは大阪の中心。深夜の時間帯であっても人通りの多さは東京のそれと比べてもひけをとらない。
グリコの巨大なネオンはまだ点灯しているが、そろそろそれも終わりだ。
今日はこのネオンをバックに朝まで歌う。そう心に決めて来たのだ。
いつものように河島英五の「旅的途上」から歌う。
声の調子はイマイチだが彼は構わず歌う。スロースターター。いつもの事。
それでも酔っ払いの目に止まり、拍手喝采だ。
「おう!兄ちゃん!上手いやないけ!」とか「お兄さん、なかなかやるね~」と声がかかる。
「どうも、おおきに!」カズヤも笑顔で応じる。
時間が過ぎて行くに従い、声の調子も良くなる。ギターケースのなかにも小銭が増えて行く。ついでに気分も上々だ。
大阪のひっかけ橋は全国の路上ポイントのなかでもカズヤのお気に入りのひとつだ。
日本の一、二を争う歓楽街の歓楽街の心斎橋。
まさにそのど真ん中のひっかけ橋は有数の歩行者数だろう。
でも東京のように気取りが感じられない。そこがいい。
銀座や新宿。若者なら渋谷とか原宿あたり。
それらの街を歩く時、人はそれなりのファションに身を包むだろう。
でも大阪は違う(と言ったら語弊もあるかもだが)
大阪は、例えばミナミあたりの繁華街を歩く時でもジャージでもOKだ。
強者ともなれば、パジャマ姿でもOKだ。
これはまあ誇張もあるだろうが、それだけ大阪は気取りがないのだ。
ノリも良い。
大阪はカズヤにとって居心地のいい場所なのだ。
しかし、ひとつ困ったことがある。
「悲しい色やね」のリクエストがあった時だ。
この曲、コード進行が少し難しく、情感を出して歌うのが難しい。
そして「悲しい色やね」は大阪のカズヤと同世代の男性の思い入れが一段と強いのだ。
ある時、この場所でポロポロと弾いていると、同じくらいの歳のサラリーマン風の男が「悲しい色やね」をリクエストした。
カズヤ自身この曲を好きたったが、特に思い入れもなく普通に歌い出す。
男は聴き終わると何も言わずに立ち去って行った。
カズヤは良くなかったのかと思ったが、大して気にも留めずやり過ごした。
二週間後、同じ場所で路上ライブをしていたら、また「悲しい色やね」のリクエストがあった。もちろん違う男性である。
その人も曲が終わると何も言わずに立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってください」カズヤは意を決して声をかけてみた。
「ん?なんやの?」
「実は前もこの曲にリクエストして貰ったのですが、反応が貴方と同じでイマイチだったのです。良かったら何がダメだったのか教えてくれませんか?」
「んー、そうか。お兄さんの「悲しい色やね」はナンチューか、んー、そうやなぁ」男は考え込んでいる。
「わいの主観なんやけど、悲しいと歌っておきながら、悲しい感じが今ひとつなんやね」
「う~ん、そうかぁ。もうちょっと頑張らなあきまへんなぁ」カズヤは考え込む。
「いや、お兄さんは上手いよ。少なくともワイなんかよりはずっと上手い」
「ところでなんで「悲しい色やね」を聴きたいと思ったんですか?」
「それはやね、ワイの若い頃にこの歌がそらもう大ヒットしとってな。この曲を聴くと当時のことが思い出されるんやけど・・・・・・」
「やけど?」
「お兄さんの悲しい色やねではちょっとなぁ。悪う思わんといて。他の歌は上手いんやし、自信持ってええと思うよ」
「いやいや、なんもです」
「まぁそういうこっちゃ。ほな」そう言って男性は言ってしまった。
カズヤは考える。
どの人にもその場面場面で思い出す歌がある。
人によっては歌謡曲だったり、演歌だったり、七十年代フォークだったりする。
そして自分と同年代の大阪の男性は「悲しい色やね」を聴くときに自分の思い出を重ねてしまう。
そのとき、その時代の曲がそうであるが、大阪の場合は特に「悲しい色やね」にその傾向が強いのだろう。
以来、カズヤはこの曲をしばらくやらないでいた。しかし、反面あまりやらずにいると曲に負けたような気もしていた。
「お兄さん、お兄さん!」
カズヤはハッとして声のする方を向く。
飲み会帰りと思われる男性がニコニコと笑みを浮かべて立っていた。
「お兄さん、どないしたんねん?ボーっとしよってからに」サラリーマン風のその男が言う。
「どうもすいません。なんか歌いますか?」
「『悲しい色やね』なんて出来る?」
「すいません。その歌はちょっと・・・・・・」
「おや、そうかい。じゃあ、なんでもええわ。お兄さんの得意なのやって」
「わかりました!それじゃ」そう言ってカズヤはイントロを弾きだす。
『忘れてしまいたいことや・・・・・』酒と泪と男と女をいつも通り、いや、いつも以上に情感込めて歌う
「いいねぇ!」リクエストした男性が唸った。
気付けば四~五人の人達に取り囲まれていた。
『・・・・・やがて男は静かに眠るのでしょう』
カズヤは情感たっぷりで歌いあげると周囲からは拍手が起こる。
「いや兄さん、上手いんとちゃう?ビックリしたで!」さっきの男性が拍手しながら言う。
「どうも!恐縮です!」カズヤも笑顔で応える。
「それに兄さん、北海道から来てはるんやね?遠いとこご苦労さんやね~」
「こりゃどうも。好きでやってる仕事ですからね。それに自分は大阪に来るのが大好きなんですよ」
その言葉に嘘は無かった。
大阪に住みたいとすら思ったこともある。
しかし、大阪の殺人的な夏の暑さがそれを拒んだ。
真夏ともなれば、普通に三十六度になる。
札幌の三十度になることもあるが、たまにのことだし、何より湿度が違う。
北海道では太陽がジリジリと照りつけることがあっても、木陰に入ると爽やかな風が吹く。
まさに夏の北海道は天国なのだ。
ちなみに、夏のあいだ「暑くて死にそう」と漏らしている北海道にいる妻のマユミに対しては、ちゃんちゃら可笑しいぜと思うのであった。
とにかく、夏の暑さに耐えられないカズヤは到底大阪には住めそうもなかった。
それでも気取りのないこの街が好きだった。
「ホンマかいな?嬉しいこと言ってくれるやないの!」さっきの男性が嬉しそうに言った。
「だって本当ですからね。知ってます?東京で道を聞いたら、その人に無視されたんですよ」カズヤはかつての実体験を言った。
「ホンマかいな?大阪の人やったら、例えば急いでない時にそないな人におうたら、その場所まで連れて行くけどな」
「そうでしょう?それが大阪人なんですよ。それに関西弁がガサツだって人もいてはるけど、心根の優しい人が多いですやん」
いつの間にか、カズヤもナンチャッテ関西弁になっている。
「そうかあ。兄さん、ええとこ見とってくれてはるんやなぁ。もっと歌ってえな」
「ほな、歌わせてもらいます」
気がつけば終電は行ってしまい、グリコのネオンも消えていた。
でもカズヤの路上ライブはこれからなのだ。終電が行ってしまった後の街の雰囲気が意外と好きだった。
しかも多くも少なくもない人通り。なんとなく居心地の良さすら感じてしまう。
カズヤは歌った。そして、マコトを名乗るくだんの男性にこれまでの路上のことを話した。
「ほう!なかなか珍しいちゅうか、人がなかなか経験できひん事をいろいろしてまんな」マコトを名乗る男は感慨深げに言った。
「そうですねん。これって自分の一生の宝になるって思ってますわ」カズヤは言った。
「そうやねぇ。金出しても出来ひんことや」マコトも深く頷く。
二人とも缶ビール片手だ。
「マコトさん」
「ん?なんでっか?」
「実はマコトさんに謝らなあきまへんのや」
「なんでっか?さっき初めておうた僕に、なんぞ謝らないことって?」
「実は『悲しい色やね』ですけど、レパートリーにありますねん」
「え?ホンマですの?何や、人が悪い」
「すいません。やらんかったのは・・・・・・」カズヤは理由を話した。
「なるほどね。その気持ち、わからんことのないですな」
「すいません。嘘をついてました」カズヤはマコトに詫びた。
「まあ謝るほどの話でもないでしょう?ところでどないだ?聴いてるのは僕くらいのもんやし、練習代わりに『悲しい色やね』を歌ってみてはどないでっしゃろ?」
「実は俺もちょっとやってみたいなって思ってたんですよ。今日は前よりナンボかは上手く歌えるような気がしてるんですわ」
「そうでっしゃろ?歌ってみなはれ歌ってみなはれ」
「それじゃ歌わせてもらいます。でも、下手だったらご勘弁を・・・・・・」
そう言って咳払いをひとつしてからカズヤはイントロを弾く。静かに弾くメロディは浪速の街に響く。
「にじむ街の灯を二人見ていた・・・・・・」
しっとりと情感込めて、しかし、押し付けがましい所はなく、控えめではある。そうしたなかでもカズヤの存在感は曲を通じてアピールされた。
「・・・・・・さよならをみんな、ここに捨てに来るから」カズヤは歌い上げた。
一瞬、あたりは静寂に包まれ、次の瞬間、拍手が沸き起こった。
「ブラボー!」
「スゲースゲー!」
「感動したー!」
気が付くとカズヤは人垣の中心にいた。
信じられなかった。
二十人ほどの人たちがカズヤに向かって拍手してくれていた。
どの人も笑顔だったし、感極まった様子の人もいた。
「なんやのー!上手いやないですか!」マコトは感激して言った。
「いや、もう何つうか、全てが上手くいったみたいですな」カズヤは答えた。
そこには謙遜も、誇張もなく、素のカズヤの感想だった。
回りにいた人たちは握手を求めながら「良かったでー」「また大阪にきてや」と声をかけた。
気付けば、空も白み始めていた。
「それだけ歌えたら、どこで歌っても恥ずかしい事ないで。頑張りぃや!」マコトは言った。
「どうもおおきに!少し自信が持てました」カズヤも笑顔で応える。
「それにしてもカズヤさん、プロになれるんとちゃいます?もう目指しちゃって下さいよ!」マコトが熱く語ってくる。
「いや~、プロなんてとてもとても。こんなん趣味ですわ」カズヤは言った。
もちろんカズヤにとってはあくまでも謙遜で言ったことだ。
そのときだった。にわかにマコトの表情が曇った。
「それは言わんで欲しかったでカズヤさん!」マコトの口調も変わった。
「あのな、仮に・・・・・・仮にやで。僕がカズヤさんの何倍の歌が上手くて、ギターもめちゃめちゃ上手かったとしよう。でも、大阪のど真ん中のひっかけ橋では路上ライブは出来ひんのや。何故かっちゅうたら、それは簡単や」
カズヤはゴクリと唾を飲んだ。
マコトはしっかりとした口調で言葉をつないでいる。。
「恐れ多いんや。ここは大阪の中心やさかいな。でも、その恐れ多い事をカズヤさんはやっているんやで?凄いことなんやで!そやろ?それなのにプロにはなれません。路上ライブはあくまで趣味です言うたかて、誰が納得するかいボケ!ここで路上ライブするちゅうことは、みんなの、少なくとも僕の夢を背負うているんやで!頼むから夢を壊さんでくれんか!嘘でも、出まかせでもええからプロになって日本武道館の満員のお客さんに自分の歌を聴かせたいんやと言わんかい!」マコトは一方的に捲したてた。
カズヤは黙って下を向いていた。
「そんなこと言うたかて・・・・・」
顔を上げるとマコトの姿は無かった。
あたりをキョロキョロ見渡すが忽然と姿を消した。
カズヤはヘナヘナとその場にへたり込む。
そりゃ俺だって、目指せるものなら目指したいさ。
だけど四十五才だぜ。
歳は関係ないって言う人もいるけど、四十五じゃ遅すぎるよ。
百歩ゆずって、四十五でプロを目指すにしても、俺には家族がある。
そんな簡単に言うなよ・・・・・・。
カズヤはひとり呟いた。
大阪の街に朝日が昇って来た。
ひっかけ橋はいつもと変わらず、新しい朝を迎えるのだった。
シコタマは上機嫌だった。
ハンドルを握る両腕はいつもより軽く感じられた。
その時、電話が鳴った。
「はい!おう、お前か。で、カズヤの路上ライブはどないやった?」
電話は五分程で切れた。
「カズヤもなぁ、難しいところやな」
電話の相手はカズヤの大阪での路上ライブがどんな感じだったのかを報告した。
「まあ、どうするかは本人次第やね。大いに悩め若者よ!ってカズヤは若いことないな」シコタマはひとりボケツッコミをした。
国道九号を走る彼の四トントラックは、東京から島根県を目指していた。
東京で積んだ荷物を卸した後は、三日間の休みである。
その休みを利用し、彼は妻と子供と過ごすのである。
シコタマの運転するトラックは島根県に入って来た。
とっとと荷卸しを済ませ、あとは家族水入らずの時間を満喫するのだ。
しかし。
シコタマの胸中には、晴れる事の無い何かが影を落としてた。
それが何か、シコタマには判っている。
それを振り払い、無理にでも楽しもうと心に決めたのだ。
内縁とはいえ、大切な嫁であり、大切な我が子。
不安な気持ちを振り払い、シコタマはトラックを家族の元へと走らせた。
楽しかった三日間は、あっという間に過ぎた。
人気の無い、海岸沿いの駐車場。
日本海の夕陽が美しく輝いている。
親子三人、寄り添う姿を光の束が包み込んでいる。
シコタマは昼間に医者に言われたことを思い出す。
「・・・・・・で、いろいろ状況はあると思いますが、こと奥さんに関して言えば」
「言えば?」シコタマは少し身を乗り出す。
「御主人、貴方と一緒に住めるならそうしてあげて欲しいって事です。そして、出来るだけ一緒にいてあげて欲しいと言う事です」
シコタマは黙って医者の話を聞いている。医者は話を続ける。
「もちろん、御主人にもいろいろ都合はあるのは充分理解していますが、奥さんの主治医として「のみ」の見解ではあります」
「パパ、どうしたの?」アキちゃんが顔を覗き込む。
「ん~、なんでもないよ」シコタマは努めて明るく振舞った。
「アキちゃん、ちょっと見ないうちに大きくなったね。来年は幼稚園やもんね。もうお姉ちゃんやもんね」シコタマはアキちゃんを抱き上げて言った。
「フフフ、また同じ事言って」かたわらで妻ヤスコが優しく微笑む。
「お?そうだったか?」
「パパ、またおんなしこといっちぇ」アキちゃんにもツッコミが入る。
三人は笑いに包まれる。
「ねえ!見て!」奥さんがシコタマの後ろを指さして言う。
「ん?おお!」
振り返ると日本海に真っ赤な夕陽が沈んでいこうといた。
「綺麗だねー!」
「ホント、そうね!」
ヤスコとアキちゃんは声を上げる。
シコタマは夕陽を見つめるヤスコと我が子の顔を交互に見た。
真っ直ぐ夕陽を見つめるヤスコ。
風になびく髪が頬を覆い、彼女は手で後ろに掻き上げる。
その横顔にシコタマは一瞬ドキっとする。
シコタマの視線に気付くと、ニッコリ笑顔を向ける。
シコタマはとっさに視線を外すが、ヤスコに見られてしまった。
「なんですの?」ヤスコは含み笑いまじりに問いかけてくる。
「なんでもない」シコタマはワザとぶっきらぼうに答えた。
そんな二人の様子を交互に見て、アキちゃんも嬉しそうだ。
しかし、時間の流れは時として残酷なものだ。
「もう、行かなくちゃね」ヤスコが言う。
その言葉にシコタマが頷く。
アキちゃんは下を向いて、唇を真一文字に結んでいる。
「アキちゃん、トーチャンはお仕事だからね。来月も来るから、ママといい子にしてるんですよ」シコタマはしゃがみ込んで、アキちゃんに言う。
ヤスコは横を向いたまま俯いている。
「じゃ、そろそろ行くね」
しゃがみ込んだ姿勢のまま、アキちゃんを抱き締める。
アキちゃんもシコタマの首に手を回し、じっと動かない。
シコタマも目を閉じ、時の流れに身を任せているがそれもほんの僅かだ。
「さ!行くか」シコタマは静かに呟く。
アキちゃんに時間が来たことを告げる。
しかし、アキちゃんは更にシコタマを抱き締めてくる。
「あれ~?トーチャン、お仕事に行けませんですよ~」
「アキちゃん、そろそろ離しなさい」後ろからヤスコが引き剥がそうとするが、アキちゃんはシコタマの首に回した手にギュッと力を込めた。
「アキ、どうしたの?」ヤスコが顔を覗き込もうとしたが、顔をシコタマの首スジに埋めている。
「アキちゃん、困ったな、トーチャンお仕事に行けませんよ」
その時
「・・・・・・しいよ」アキちゃんが何かを呟いた。
「え?何かな?」
さみしいよ
シコタマの心に何かが鳴り響いた。
彼もまたアキちゃんを抱き締め、そして泣いた。
「ん~、どうしたのかね?シコタマのおっちゃん」カズヤは携帯を見つめながら呟いた。
「おっかしいなぁ。もう二週間も連絡がつかないや。う~む」諦めて携帯を閉じた。
カズヤはその時、札幌近郊の恵庭市にいた。
恵庭在住の一人の若者が、街の将来を憂い、音楽の力で街おこしをとの想いで立ち上げた、アマチュアミュージシャンのための、アマチュアミュージシャンによる、野外音楽フェス「エコフェス」に参加すべく、恵庭に来たのだ。
カズヤがエコフェスに参加するようになった経緯はひょんな事からだ。
カズヤの使っているSNSサイトのカズヤのページに「モーリー」というハンネの人が足跡を残していた。
「モーリー?はて?」カズヤはその人のページを辿ってみると、恵庭市内でハンコ屋を営む家の若旦那で、恵庭駅で路上ライブをやっており、エコフェスの代表でもあるとのことだ。
「エコフェス?なんじゃそれ?」
そう思い、彼のブログを読むと、アマチュア主体の野外音楽イベントであり、音楽のみならず、フリーマーケットや数々の食べ物の出店、ちびっこ向けのレクレーションと多岐に渡っている。
驚くのはその来場者数で、前年の来場者数は二千人にも昇る。
そしてそれらの運営は、モーリーを初めとしたボランティアで運営されているのだ。
カズヤは、このエコフェスを一人で立ち上げた男に興味を持ち、彼に会いに行った。
突然の来訪に彼はビックリしたが、すぐに打ち解け、カズヤを歓迎してくれた。
そして、カズヤを近所でライブカフェ営む、マスターのジュンところに連れて行ってくれた。
ジュンは、今でこそライブカフェのマスターをしているが、実はイベント業界に身を置いていた業界人だったそうだ。
彼の存在なくして、イベントを滞りなく運営するのは殆ど不可能だっただろう。
カズヤは自身の経歴を話すと、モーリーとジュンは顔を合わせ、目を輝かせながら言った。
「カズヤさん!貴方はなんと素晴らしい経歴をお持ちではないでしょうか!その経歴をエコフェスにお貸し頂けないか!」
聞けばカズヤにはトラックの運転をして欲しいと言うのだ。
エコフェスでは、音響機材などの搬入などを恵庭市内の建設会社が善意で貸してくれる四トントラックで行っているのだが、トラックの運転にはある程度以上の慣れが必要だ。素人では危険が伴う。
そこへ来てカズヤの登場だ。まさに渡りに船だ。
カズヤは少し考えたが、この申し出を受けることにした。つーか、受けなければならないと思った。
「エコフェスの歴史に名を残しましょう!」これが殺し文句だった。もちろん出演者としても出る価値はある。
こうしてカズヤはエコフェスに関わることとなった。
そして、当日。
カズヤの出演順は最後。トリである。
イベントの最後を締めくくる、大切な役目である。
イベントの一週間前にモーリーに「カズヤさ~ん、トリでお願いしますね~」と爽やかに言われたのだった。
「えー!嘘だべ?」と言ったが、もう決まったことらしい。
実は訳があって、お客の入りはお昼頃がピークで、午後にかけては徐々に客が減って行き、会場がクローズ近くになると関係者を少しの客しかいなくなる。
なので、そんな状況のなかで一般参加者を出すのも心苦しいので、スタッフ兼出演者が出ることになっていたのだ。
カズヤは路上ライブの経験は豊富とは言え、ちゃんとしたライブの経験は極端に少ない。心臓はドキドキだ。
持ち時間は押しに押し、一曲のみの出演となったが、カズヤはそれでも全然構わなかった。プログラムは進み、いよいよカズヤの出番になった。
やはり一般客の姿は全然無かったが、逆に今客席にいるのは殆どが知った顔なんで助かった気分だ。
カズヤは肚を決め、前に進み出るとギターを掻き鳴らして叫んだ。
「どうもこんちは!初めての参加になります私、トラッカー・カズヤでございます!一曲のみの出演ではありますが力いっぱい目一杯やらせてもらいます。では一曲目にして最後の曲です。今日この時のために作った曲です!聴いてくれ!『北へ走る』だ!」
沈む夕陽が車体を染めて
旅から旅への暮らしが続く
アンタのおかげで楽しめた
素敵な出会いをありがとう
また逢えるさ、生きてれば
走り出せば瞬く星が
君の明日を照らすだろう
さあ帰ろう!俺の街へ
いつもの仲間が迎えてくれる
北へ走る 北へ走る 北へ走る
北へ走る 北へ走る 北へ走る
マイ・ホーム・タウン!
カズヤは力強く歌った。
この曲の歌詞にはカズヤの万感の思いが綴られている。
旅から旅の生活。
そして、出会い。
そしてまた、旅。
カズヤのすべてが歌詞の中に収めれている、カズヤにしか書けない曲だった。
「北へ走る!北へ走る!北へ走る!」
いつの間にか、観客が全員声を合わせてくれている。
「北へ走る!北へ走る!北へ走る!」
みんな、どの顔も笑顔になっている。
「北へ走る!北へ走る!北へ走る!」
けっして多くはない人数だが、その声は沈みゆく夕陽を追うように、恵庭の空に響いている。
「マイ・ホーーーーーーム・タウーーーーーン!」
全員が大合唱だ。
そして、オープニングの時と同じように、いや、それ以上にギターをかき鳴らした。
「ありがとう!ありがとう!」カズヤは心の底がら叫んだ。
会場にいる殆どの人が暖かい拍手を、そして声援を送った。
その中心にカズヤは立ち、手を振って応えている。
「はい!カズヤさんのとっても熱のこもった演奏でした!カズヤさん、ありがとうございました!残念ではありますが、これで今年のエコフェスはすべて終わりました。早いとこ撤収作業開始しちゃってくださーい!また来年!」
司会者が無情にも言ったが、仕方ない。
カズヤの出演時間を削ってもなお、時間が押しているのだ。
みんなは名残り惜しそうではあるが、遅くなればなっただけ、帰るのも遅くなってしまうので、それぞれの持ち場に戻り撤収作業を始めた。
カズヤもまた撤収にあたる。
やることは山積みだ。
しかし、マスター・ジュンの的確な指示により、見る間に会場になった公園は本来の姿に戻りつつあった。そして、夜の十一時には殆どの撤収作業を終えていたのだった。
一部の借りていた資材は会場の隅にまとめて置き、明日に返すまでは有志が泊まり込んで番をしていた。
その中にカズヤもいた。
番と言っても、なかば軽い宴会の様相なのはご愛嬌。
カズヤは缶ビールを飲んでライブの余韻を楽しんでいた。
「きたへはしるー、きたへはしるー」誰かが酔った勢いで歌ったが、その声もやがてイビキに変わっていた。
「ふふ」カズヤは笑った。自分の歌を他人が歌っているのを聞いているなんて変な気分だなと思った。
「さて、俺も寝るかなぁ」持っていた缶ビールを飲み干すと、ウーンと伸びをした。
空には満天の星空が輝いていた。
その時、電話が鳴った。
見覚えのない番号を怪訝に思ったが、取り敢えず出てみた。
「おう!ワシや!シコタマや!」
電話口から周囲に響く声だった。
トラックはいつものスタンドに置いてきた。
地下鉄を乗り継ぎ、いつもの路上ライブのポイントの大阪の中心のひっかけ橋へやってきた。
カズヤの路上ライブには深夜にも関わらず、常連のお客がついてくれるようになった。ただ、どの人もオッサンで若い人はいなかったし、まして女性の姿は皆無だった。
それでもカズヤは楽しかったし、全然構わなかった。
カズヤはギターを時にかき鳴らし、時に爪弾き、時にがなるように、時にしっとりと歌った。
古い、いわゆるフォークソングもやるし、新しい、いわゆるJ‐POPもやる。
ロックをスローバラードに変え、スローバラードをブルースに変えて歌った。
カズヤにかかれば曲の年代やジャンルは関係無かった。
カズヤは幸せを感じていた。
この幸せが永遠のものではない。それは判っている。
けど、今はこの非日常の世界に身を委ねていたい。
どうせ明日にはまた現実世界の荒波が待っているのだ。
カズヤは歌った。
青春の歌を。人生の歌を。声が枯れるまで。
「やっとるやんけ、カズヤ!」シコタマの声がカズヤを呼びとめた。
声のした方に振り向くがシコタマの姿はなかった。
しかし、少し離れた正面にスーツ姿を粋に着こなした男性が立っている。ハットを目深に被り、ポーズを決めているようにも思えた。
高そうな服であることはカズヤにも判った。そして、そのスーツ姿の男性が・・・・・・。
「カズヤ!調子良さそうやないの!」
カズヤはその顔をマジマジと見た。そして、力の限りビックリした。
「お、お、おっちゃん?おっちゃんやないですか!?」
「なんやワレ、気付くの遅いやないかい」シコタマは不敵な笑みを浮かべている。
「ちょ、ちょ、ちょっとその恰好どないしたん?つーか、どこで何してたんでっか?心配してたんやで!」
「いや済まんのう。ワシもいろいろあってな。大変だったんや。でももう大丈夫や」
「ワシな、親父の仕事を継いだんや。今まで無理してつっぱって来たけどなんちゅーか、年貢の収め時やね。ワシにも家族が出来たんや」
「お!すると?」
「ま、そういうこっちゃ!」シコタマは照れ笑いだ。
「そんなことよりも、ここで落ち合ったのは他でもない」
そうだった。元々はシコタマから電話で呼び出されたのだ。近いうちに大阪で路上ライブすることがあったら、シコタマにも連絡するように言われていたのだ。
シコタマは話を続ける。
「カズヤ、ワレにワシが以前いうたこと覚えてるか?ワシの一生のお願いや!」
シコタマはそういうと、いつの間にか背後に控えてた男の合図をした。
男はどこかに消えたと思ったら、すぐまた現れた。手にはギターケースを携えている。
そのギターケースをうやうやしくシコタマに手渡す。
「カズヤ、ワシの頼みや。このギターをお前の旅のお供にして欲しいんや。ワシの魂のようなもんに全国の風を当てて欲しいんや」
シコタマはそういってギターケースをカズヤに渡した。
ズシリをしたケースに中身が入っているのは明白だった。
「ちょっと、あの、これ・・・・・・」カズヤは突然の出来事にどうしたらいいか判らなくなっていた。
「ええから開けてみなはれ」
シコタマに促されケースを開いてみる。
ギブソンのJ‐45が収められていた。
「カズヤ、そいつをワシの代わりに旅に連れって行って欲しいんや」
「しかし、そんな、ギブソンなんて、高価なものもらえないよ!」
「アホ!誰がやるゆうた?旅に連れていってくれとはいうたけど、やりはせん!あくまでワシのもんや!」
「でも、路上ライブで使うんだよ?倒したり不届きもんが悪させんともかぎらんじゃないか」
「そん時はそん時や。不慮の事故かてあるやないの?でもそれの運命や。それでええやん。ワシがええいうとるやないの」
「しかし・・・・・・」カズヤは何も言えなくなった。
「判った!判りました!じゃ遠慮なく使わせてもらいますわ!傷とかついても文句いうなよ!」
「安心せい!ワシも男や!二言はない!」
「おっちゃん・・・・・・」
「なんや」
「ありがとうな」
「気色わるいわ。それよか、せっかくのギブソンなんやから一曲やったらんかい!」
「そうやな、泉谷の曲なんかええんちゃう?」
「よしゃ!ってことはあれやな?」シコタマは心得ている。
カズヤはギターを構えて歌い出す。
泉谷しげるの「野性のバラッド」だ。
カズヤもシコタマも大好きな曲のひとつだ。
『静かに暮らすイラつきを』のところが特に気に入っている。まさにカズヤのためにあるような曲だ。
音楽をやる喜びを、歌う喜びを、ギターを弾く喜びを知ってしまった今、もはや静かになんか暮らせない。
そして、その想いを、シコタマはカズヤに託したのだ。
シコタマは歌いつづけるカズヤを目を細めて見ている。
カズヤの歌声は、大阪のビル群や道頓堀に響いていった。
午前の柔らかな日差しの中で、カズヤはまどろんでいた。
寝ぼけたカズヤは枕に顔を押し付け、ふにふにしていた。
そして、ひとり静かに目を覚ました。
「うーん」
外からはブランコで遊ぶ親子の元気な声が漏れてくる。
カズヤはゆっくりと体を起こしてキョロキョロとあたりを見回す。
見慣れた札幌の我が家だ。
もう一度「うーん」と伸びをし、そのまま布団にまた仰向けになる。
仰向けになりながら、昨夜のことを思い起してみる。
昨日の路上ライブは楽しかった。震災後は地元札幌でも普通にやっている。
以前は誰に会うかも判らぬ危険があったため、札幌はNGだった。
だが、特に誰に会うこともなく、いつも通りの路上ライブが続き、警戒心は次第に薄れて行った。
昨夜の路上ライブは札幌では少しは知れた存在になりつつあるインディーズ・ミュージシャンのタナカが一緒だった。
タナカとは東京の路上で意気投合し、以来連絡を取り合う間柄だ。
カズヤが歌い、タナカも歌い、時には二人でコラボもして大いに盛り上がった。
しかし、ちょっと気になることがあった。
タナカにカメラマンと記者も同行していたからだ。地元タウン誌の記事で、札幌の未来のスターの取材をしに来たそうだ。
普段なら目立つのが好きなカズヤだが、地元誌となると話は変わってくる。
いっしょに記事に載ろうぜ!というタナカの申し出を断るしかなかった。
タナカは残念そうだったが、これだけは・・・・・・家族にバレるのは勘弁だった。
しかし、路上ライブは大いに盛り上がり、惜しまれつつもお開きになった。
「いや~、ホント楽しかったな・・・・・・」カズヤは昨夜の余韻に浸っていた。
その時、玄関の鍵がガチャガチャと開けられ、妻のマユミがパートから帰ってきた。
「おう!おかえりただいま!」
「はい、ただいまおかえり」
二人はそう言って笑いあった。
子供達はもちろん学校だ。
「カズヤ、そろそろ起きて。お昼はどこかで食べて、そのままどこかでお買い物しましょう」
「へ~い」そういうとカズヤはもぞもぞと布団から這い出し、身支度を始める。
マユミは玄関に戻り、郵便受けから朝刊を持って来て、ソファに座ってパラパラをめくる。
ふと、あるページに目が釘付けになる。
カズヤは、そんなマユミには気付かずに流しの前で歯を磨いている。
遠くからチリ紙交換車のいつものアナウンスが、風に乗って聞こえてくる。
「ご町内の皆様、毎度お騒がせのチリ紙交換でございます。古新聞・・・・・・」
「平和なもんだね」
カズヤは歯ブラシをくわえながら、外を見ていた。
「ねえ、カズヤ」
「ん?」口の中を濯ごうとしたカズヤにマユミが言った。
「路上ライブって楽しいの?」
「ゲホ!ゲホ!おま、ゲホ!ゲホ!」
「まあいいわ。でもちゃんと仕事だけはしてよね」
そう言って朝刊の中身を広げて見せた。
朝刊にはインタビューを受けるインディーズ・ミュージシャンのタナカの姿。
そして、その後ろでギターを弾きながら歌うカズヤの姿。
「ねえカズヤ、判ったの?」
有無を言わさぬ迫力に満ちたマユミの言葉だった、。
「よ、よろしく哀愁!」
終わり