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繕い人

作者: ももてん

≪魔術師編≫


私の“繕い人”は、もういない。


彼は“繕い人”の名を持つ魔術師だった。

私がふと気付いたときには、彼はすでにこの街にいた。

“繕いをする者”だなんて、変な名前だ。

だから裁縫でもする人なのかと言えば、そうではない。

彼は魔術師だった。

今時珍しくもない、どこにでもいるような魔術師だ。

他と違うことと言えば、とてつもなく腕のいい魔術師らしいということだった。

もう一つ他と違うことと言えば、彼は珍しい銀色の長髪に紫色の瞳を持っていた。

彼の瞳の色は、彼がいつも着けている耳飾りの色と同じで綺麗だった。

耳飾りは恋人にもらったのだとか、母親の形見なのだとか色々な噂を聞いた。

彼はとても目立つ人だったから、若い女の人たちはとても騒いだ。

それだけ騒がれれば、私だって気にならないわけがない。

綺麗な人だから話してみたいと近づいたけど、彼は私には無口だった。

というよりも、親しい人以外には無口な人だった。


彼の一人称は“私”だった。

彼は髪も長かったし、顔もとても中性的だった。

だから男に見えるけど、実は女なのかと聞くと、“当ててごらん”と彼が言ったのはいつの日だったか。

そして、そんな彼の言い草に“どっちでもいい”と私が言ったのは、もう過去の話。

正直なところどっちでもよかった、どちらでも。

どっちだとしても彼は彼で、私は変わらず彼が好ましいと思うからだ。

結局、彼は実のところどっちなのか教えてはくれなかったけど。


顔見知り程度にはなったある日、彼は言った。

“私のお下がりでよかったらですが、魔術具いりませんか?”

きっと本人としては、ていの良いガラクタ処理のつもりだったのだろう。

だって私は親なし子で、貧しい私におそらく同情したのだろうから。

あなたの手の空いてるときにあげます、と言う彼に、“今すぐもらう”と意気込んで言ったのは、今じゃ笑い話。

だって、私は魔術師ではないからだ。

彼にはさも、私が魔術師見習いのように話していたが、本当は違う。

少しまじないをかじった程度の、それだけの娘だったから、魔術具なんて必要なかった。

全ては書物で学んだ、嘘の知識。

私は彼と話すきっかけが、欲しくて欲しくてたまらなかったのだ。


いつも無口なくせに、いったん話し出すと止まらない彼が好きだった。

偶然彼のすぐ傍を通りかかったときがあって、彼が笑っているのを見た。

珍しく笑っているというのに、そういうときは私は大抵、カヤの外だ。

彼が笑いかける相手が私じゃないことを、いつも悔しいと思っていた。

親しい人の前でしか、彼は笑わない。

そんなせいで、彼をよく知らない人からは冷静すぎるだとか、凄い人だなんて思われていたけど、そうじゃない。

そうじゃない。

彼は親しい人にはすごく饒舌だって、私は知っていた。

本当は冗談が好きで、興味のあることにはすごく陽気になる人。

だから彼と話すときは、私はちっとも彼とは親しくないのだと思い知らされた。

彼は私の前では笑わないのだ。

そして硬い口調を崩さない。

だからなのか、私はいっそう彼と親しくなりたかった。

意地になっていたというのも、あるかもしれない。

もっと親しくなって、私の知らないことをたくさん教えてほしかった。

彼がなにを見ているのかを知り、いっしょに笑いたかった。

だから、私は彼が、実は押しに弱くお人好しだということを利用したのだ。


ある日、私は強引に彼の家に押しかけた。

後々思い返せば、それってただの不法侵入なんだけど、よく捕まらなかったものだ。

どうやらそれぐらい、彼は本当にお人好しのようだった。

彼は数日経つと根負けしたようで、それ以来、私はほとんどをそこで過ごした。

とくに邪魔だとは言われなかったので、調子にのって他愛のない話をたくさん持ちかけた。

彼はたいてい興味がなさそうにお愛想程度に返事をしていたけど、それでも。

私は彼に、彼が興味をもたないとわかっている話を持ちかけた。


もし、彼のどこが好きなのかと聞かれたら、私はなんと言えばいいのだろう。

説明のしようがない。

彼はいつの間にか、気になる存在だった。

人から凄い人だと聞いていたから、それが妬ましかったのかもしれないし。

それとも、単に彼に憧れていたからなのかもしれない。

それとも世間の見た彼と、本当の彼に違いを見つけてしまったから?

わからない。

“理屈じゃない”ということを初めて思い知った気がする。

言葉は不便だ、言葉じゃ表わしようがない。

だけど、恋とは違う。

好きで好きでたまらないという気持ちは、もしかすると恋と同じ意味なのだろう。

だけど、私は彼を男女の付き合いでいう“彼”にしたいとは思わない。

恋じゃなくて、ただ私は純粋に、彼が好きなだけだ。

そもそも男かもわからないし。

これをなんと言えばいいのだろう?

なんて言えばしっくりくるのか、私にはわからない。

語彙の少ない自分を憎らしく思う。

彼が去った後でも、同じことを思う。


ようやく彼が、自分から話しかけてくれるようになった頃、彼は言った。

もうすぐこの街を去るんです、と。

まるで頭を鈍器か何かで殴られたような、そんな衝撃。

一瞬にして体が冷えた。

どうして、と問いかける私に彼は言った。

“たくさんの世界を見たいんですよ”

彼はまた帰ってくるつもりだと言うが、いつになるかわからないとも言った。

数年後か、はたまた数十年後か。

私は彼の家族でも恋人でもなんでもない。

友人と呼んでもらえるのかさえ、わからない。

私と彼を繋ぐものは、何もないということに改めて気づいた。


私にしては思い切ったことをしたと思う。

“私を弟子にしてください”

私は彼にそう言った。

彼はそれに驚き、それから“弟子はとりませんよ”と苦笑した。

なぜと問う私に、師匠らしいことは何もできないから、と彼は言った。

自分は弟子を取るような、そんな完璧な人ではないのだと。

それでもいい。

たとえ連れて行ってもらえなくとも、彼との繋がりを持ちたかった。

また再び会って、色々な話をするために。

完璧じゃなくても、それでもいい。

私はあなたの弟子になりたいのだ。

ちっとも完璧じゃなくて、人見知りで、無口で、たまに陽気な彼の弟子に。

彼は困った顔で静かに笑うのみだった。

どうやら、こればかりは押し切れなかったようだ。


彼は人望の厚い人だった。

だから、彼がこの街を離れる前日、街では大きな宴が開かれた。

私は結局、彼の弟子にはしてもらえなかった。

というよりも、自分からダメなのだと悟った。

彼はあれ以来、その話題を避けているようだったから。

彼を困らせたいと思いながらも、本当に彼を困らせることはしたくなかった。

抱える矛盾。

困った顔で笑いながら頭に手を置いてくる彼は好きだけど、本当に困らせてしまうのは嫌だった。

宴が始まる。

彼のことを知る全ての人が悲しんでいるというのに、私はまるで、私が世界中の悲しみを背負った娘のように思えた。

私はひとり、離れた場所から宴の様子を見ていた。

彼は親しい者に囲まれ、静かに存在していた。

これが彼と会う最後だというのに、私は輪の中に入る気になれなかった。

みんなが彼の周りで酒杯をかわすのが、やけに遠く見える。

ほんの少ししか、離れていないというのに。


宴が終わりを迎えようとしていた。

これで本当に明日から彼がいないんだと思うと、とても悲しかった。

明日からのことを思うと、胸が痛くて仕方がなかった。

彼と最も親しくしていた人が閉めの挨拶をしたとき、彼がふと私を見た。

弟子になりたいという無茶な頼みをして以来、彼とは久しぶりに目があった気がする。

もしかして、私の背後に誰かいるのかと思って振り返るが、誰もいない。

顔を戻すと、彼がそんな私の様子に苦笑していた。

胸のあたりがちくりと痛んだ。

彼が口を開いた。

“おいで”

声は聞こえなかったから、たぶん口の形だけでそう示したんだろう。

彼の周りの人たちも、彼の様子に気づかなかったから。

彼はいったい、どういうつもりなんだろうか。

避けるなら、最後まで避けてほしい。

私のことなんて、気にもかけないというように。

でないと、あなたを憎めない。

でないと、あなたを諦めきれない。

これ以上、私を傷つけないでほしい。


伝わらなかったと思ったのか、こっちに来なさいとはっきり手招く彼に、ついに私は歩み寄る。

それから彼は、私を彼の前に立たせた。

もちろん、その場の全員が私を見ることになる。

気不味い、わけがわからない。

戸惑う私をよそに、彼は言った。

“彼女を、弟子として連れて行くことになりました”

私は驚きで目を瞠った。

他の人たちもそれは同じだったらしい。

思いがけない頃合いで、私は彼の弟子となった。


宴の後、私は彼に詰め寄った。

いったいなぜ、と。

“まあ、弟子もいいかなと思いまして。共に世界を見に行きましょう”

彼はいつも通りに静かに笑った。

あまりにも、いつも通りに。

私がどれだけ悩んだのか、この人は知っているだろうか?

私は嬉しさのあまり泣くと、彼が私の頭に手を置いた。


彼は自分で言っていた通り、ひどい師匠だった。

道中、よく弟子の私をからかった。

残念ながら私には魔術師の才能はなかったので、私が彼に魔術を習うことはなかった。

本当に師匠と弟子らしいことは、なにもない。

だけど彼は、旅に慣れない私に色々なことを教えてくれた。

通りがけに生えていた薬草のことだとか、花の名前だとか、色々。

私は彼の隣で歩き、そして時々座り込みながら、たくさんの話をした。


魔物との戦い方は、彼から教わった。

自分の身を守るということを、私があまりにも知らなすぎたからだ。

私はじつに平和な世界に生きていたらしい。

彼はいつも苦笑しながら、私を守ってくれた。

彼は魔術師のくせに、他の職業のことをよく知っていた。

剣士だとか、弓師だとか、ほかにも色々。

“だいぶ長いこと生きてますからね”

彼はそう言ったが、私には彼がとても若く見えた。

本当は何歳だというのだろう。

聞けばどうせ、“当ててごらん”と言ってかわすのだろう。

そう言われるのも癪だから、私は彼の年齢を聞かなかった。

彼が男でも女でもどちらでも構わないのと同じで、何歳でもいいのだ。

知ったところで、彼は彼なのだから。

だけど、少なくとも私の倍以上は年上なのだろうと思った。


私は剣が使えなかったので、弓師になった。

剣を習い始めるにしては私はやや歳を取りすぎていたし、それ以上に小娘の私には力がない。

弓は女性でも引けますよ、と彼が言ったこともあり、私は弓を選んだ。

聞くと、世の中にはすご腕の女弓師がいるのだとか。

いつか私もそうなって、師匠を守ってあげますよと言うと、彼は大笑いした。

脹れる私に、彼は言った。

“気を長くして待ちますよ”

私はいつか彼に守られるだけではなく、共に守りあえるようになりたいと願った。


彼に追い付きたいという一心で、私はがむしゃらに弓を引いた。

少し追いつくと、彼は笑いながら“まだまだですね”と言った。

早く追いついてほしいと言いながら、彼は自分の腕を上げることを怠らなかった。

私が少し強くなる間に、彼はうんと強くなる。

わずかに追いついては、うんと引き離される。

彼は負けず嫌いなのだということを理解した。

ちっとも完璧な人間ではない。

彼がいくら腕のいい魔術師でも、結局は私と同じ、人なのだ。


それからしばらく経ったある日、彼は言った。

“これから近い未来、あなたは誰よりも強くなるでしょうね”

そうだろうか。

でも、彼に追い付く日がくるとは思えない。

いや、思いたくなかった。

追いつきたいと思いながら、彼にはいつまでも追いつけない存在でいてほしかった。

そうすれば、ずっと。

“強くなって、たくさんの人から声をかけられるようになりますよ”

そうだろうか。

確かに、この頃は魔物退治を依頼されることが増えたように思う。

いや、増えたというよりも、自分から引きうけることが多くなった。

私はいつも彼といっしょにそれをこなしていた。

前衛は私で、後衛は彼。

私はもう、彼に守られていた時のように弱くはない。

いつだったか、魔物を一人で倒したと彼に言うと、彼はおめでとうと言ってくれた。

あのとき、嬉しいと思ったが、同時になぜか寂しくもあった。

彼は私に言った、このところ、世界中で魔力が薄れてきているのだと。

世界はもう、魔術師を必要とはしていないのかもしれません、と。

その言葉のとおり、魔術師の数は減ってきていた。

そして彼の使う魔術も、ほとんど気づかないぐらいの速度で弱化していった。

気がつけば、私が強くなる間に彼に引き離される間が狭くなっていた。

彼は何も言わなかったが、私は知っていたのだ。

“あなたが私を追い抜いたとき、あなたは私から離れていくのでしょうね”

そして他の人と旅を続けるのだろう。

彼は寂しそうに笑った。

そうなれば魔術師は用なしでしょう、と。

私は初めて彼に対し、声を荒げた。

私が強さを求めた理由を、あなたが知らないはずがない。

私がどうしてあなたの弟子になりたがったか、本当にわかっているのか。

彼は珍しく驚いたようだった。

私には、自己満足の強さなんて必要ない。

私はただ、彼といっしょに全てを見たかっただけだ、彼と同じ場所に立って。

私がさんざん言いたいことを言うと、すみません、と彼は困った顔で静かに笑った。


私は彼に依存しすぎている、と言われたのは少し前のこと。

見知らぬ街で偶然知り合った人に言われたことだ。

私だって、このままでいいとは思っていない。

私には私の人生があり、世界がある。

それは彼にも同じこと。

だけど、私はずっと、彼と共にいたいのだ。

理解することと、納得することは別だ。

まるで崩れかけた積み木のようだと思った。

少しのバランスの掛け方の違いで、積み上げすぎた関係は、おそらく崩壊を呼ぶのだ。

そうやって、あっさりと崩れていくのだ。

これまでの日常が、当たり前だったことが。

そんな気がしていた。

だけど、私は必死にしがみ付きながら、いつまでも崩れないでと支え続ける。

いつまでも均衡を保つはずもない、不安定な積み木の塔だと知りながら。


私が彼を怒って以来、彼はまた少し変わった。

前よりもずっと饒舌になった。

そして前よりもずっと馬鹿な人に見えた。

前々からわかっていたが、彼は言っていたとおり、やはり完璧な人ではなかった。

それは人によっては失望すべき点かもしれないが、私にはそれがとても嬉しかった。

憧れの人は、今や私と同じただの人だ。

今のほうが、彼はずっと人間らしい。


それから色々なところへ行った。

私の知らない、彼のお気に入りの街。

それから、私も彼も知らない場所。

毎日が楽しかった。

ずっと続けばいい。

ずっと、ずっと。


ある日、彼宛てに手紙が来た。

配達鳥が運んできたのだ。

彼は手紙を読み、それからしばらく険しい顔をしていた。

なんだったのかと問うが、彼は答えない。

話しを逸らす彼に、聞かないほうがいいのだと、どことなく思った。


それからしばらく経った日。

ある森の泉で、彼は口を開いた。

“先日の手紙のことですが、古い知り合いに依頼をされまして”

遠い場所に行かなければいけないらしい。

歩いていくのか、と尋ねると彼は静かに首を振る。

じゃあ転移魔術で飛んで行くのか、と尋ねても彼は静かに首を振る。

隣国なのか。

違う。

そのまた向こうの国なのか。

それも違う。

いったい、この世界のどこに行くというのか。

彼は静かに首を振った。

どういうことだろう。


彼は“繕い人”の名を持つ魔術師だ。

彼の本質は、魔術ではなく“繕い”をすること。

繕い人は全てのものの綻びを繕い、そして直す。

壊れかけた物、者、もの。

そして時の流れさえも。

この世界が、この世界であるようにと。

彼はその名の通り、繕いをする者なのだ。

魔力が薄れている原因が、時の歪みにあることがわかったのだと彼は言った。

時が歪めば、やがてこの世界は壊れるのだと。

“だから、私は時を繕いに行きます。あなたはここで待っていてください”

繕い終えたらまた帰ってきます、と彼は言った。

嘘つきだ。

彼が以前のように強くないことは、私は誰よりも知っていた。

そんなに少ない魔力で、そんなに弱った体で。


帰ってこれるはずがないのだ。


だめです、行かないで、と呼びとめる私に彼は言う。

“私は、この世界を守りたいと思います”

私は、彼のいない世界などいらない。

“あなたという弟子を持ってよかった”

私も、あなたという師を持ってよかったと思っている。

お願いだから、よかったなんて、終わったことのように言わないでほしい。

いつまでも、私はあなたの弟子なのだから。

ずっと、ずっと。

“私は、あなたのいる世界を守りたいのです”

彼はそう言うと、いつも右耳に着けていた耳飾りを外した。

彼の瞳の色と同じ、紫の石がついた耳飾りを。

“もし、あなたが私を待つというのならば、これを着けなさい”

しかしその覚悟がなければ、決して着けないでください、と彼は言った。

この耳飾りは、繕い人が代々受け継ぐものらしい。

一度着けてしまえば、時の流れから外れて生かされる。

果てしない時の流れに、永遠に置いていかれるのだ。

だから、本来ならば繕い人にしか受け継がれないものなのだという。

“片耳ですから、恐らく効果は半分でしょう”

時の流れから半分外れ、そして繕い人という存在にもなりきれず。

その狭間で生きる覚悟があるのなら、これを着けなさい、と。

私は彼の言葉にゆっくりと頷き、彼の瞳の色を受け取った。

そして彼はいつの間にか消えてしまった。

私をこの世界に残したまま。

泉の水面が、月を映して揺れていた。


世界に魔力が戻ったと聞くようになったのは、それからすぐのこと。

どこかに立ち寄る度に、いつもこんなことを耳にする。

原因はわからない、不思議なことがあるものだ、と魔術学者。

こういうことは、この世界では繰り返し起こっているのではないか、と他の学者たち。

真相はわからない。

彼と私の、二人を除いて。


そしていくらか歳月が過ぎた。

以前のようにとはいかないが、魔力の回復と比例して魔術師の数も増えてきている。

あちらこちらで、ローブを身に纏う姿を再び見かけるようになった。

私はそんな彼らの姿を見やる。

“彼”は未だに帰ってこない。

繕い人の名を持つ魔術師の、行方を知る者はどこにもいない。

わかることは、彼は確かにここに存在したのだということ。

彼と似たような格好をした人を見ても、今はもう胸が痛むことはない。

似たような人はいても、彼と同じ人はいないのだ。

もう、あの人の影に惑わされるのはやめにした。

私はもう、彼を待つことはしない。

「師匠」

掛けられた声に振り向く。

そこにいるのは私よりもすこし年下の少年。

彼と同じ銀色の髪に、紫の目を持つ子供。

最初は、彼によく似たこの少年が嫌で仕方がなかった。

でも今は言える。

彼は彼で、この子はこの子でしかないのだと。

“私は弟子をとるつもりはないわ”

“私は、完璧な人じゃない。それでも弟子になりたいの?”

まさか彼と同じ言葉を口にするとは、夢にも思わなかった。

おかしなことに、その子は私の弟子だというのに弓師ではない。

まだ少年が弟子でなかったころ、少年は魔術師になるのだと自信ありげに言った。

それでいて、弟子になるのだと言う。

この押しの強さは、どこかで見たことがある。

因果は本当にあるんだな、と私は今でも時々思い出しては苦笑するのだ。

弓師の師匠に、魔術師の弟子。

人々は私たちに首をかしげるだろう。

なんておかしな組み合わせだと。

それでもいいならと、彼の師になることを許した。

世界を見に連れて行ってやると少年は私に言った。

“よろしく、私の弟子”

結局のところ、私も押しに弱い質だったようだ。

誰に似たのだろうか。

「師匠、そろそろ行かないと」

私はそうね、と言って少年を見やった。

これから“彼”よりもたくさんの世界を見て、驚かせよう。

長いこと私を待たせるからだ、と笑ってやろう。

そして、私にも弟子ができたのだと教えてあげるのだ。


私の繕い人は、もういない。

私というあんな狭い世界に、彼を閉じ籠めることはもうやめた。

彼という存在だけに、執着するのはこれで終わり。

だから私はもう、彼を待つことはしない。

待つのではなく、これからは私から彼を探しに行くのだ。

彼の守った、この広い世界を見ながら。

私がいる世界だけでなく、あなたのいる世界も、全ての世界も、こんなに美しいと伝えるために。


私は足もとに置いた弓矢を担いだ。

彼の瞳と同じ色が、私の耳元で揺れた。







 * * *







≪弓師編≫


彼女は“繕い人”という名の弓師だ。

繕いをする人だなんて変な名前だ。

だから裁縫が得意なのかと言えば、そうではないらしい。

実際、彼女は裁縫がひどく下手くそだった。

むしろ俺がやったほうが、よっぽど上手いかもしれない。

それなのに、彼女の名前は“繕い人”だ。

変な人だ。

だけど、彼女は俺の師匠だ。


彼女に出会ったのは、もう二年ほども前のこと。

森の泉に幽霊がいる、という噂を聞き、興味半分に友人と見に行ったのが最初だった。

森の泉は静かな場所で、小動物も多く癒しの場として知られている。

よく言う、デートスポットというやつ。

だから森の泉に女の人がいるという話を聞いても、なんら不思議はなかった。

だけど、奇妙だったのはそれからだ。

女の人は朝から晩まで、ずっと泉のほとりにぼんやりと座り込んでいるらしい。

連れの人も、誰もいないというのに。

毎日、毎日。

同じ場所で、その女の人はずっと。

だから、不気味がって誰も彼女に近づく人はいなかった。

もしかして幽霊なんじゃないか、という噂が広まるのには、さほど時間はかからなかった。

幽霊と聞いて、好奇心旺盛な少年たちが興味を示さないわけがない。

そういう経緯で、俺は友人を連れて森の泉に行った。


「うわ、ほんとに居るんだな……」

森の泉のすぐ近く。

茂みの中に隠れながら、俺は言った。

どうせただの噂だと高をくくっていたが、女の人は本当にいた。

「お前、僕の言うこと信じてなかったな?」

友人が俺を見て脹れる。

だって、信じるわけがない。

幽霊なんてはなから信じてなかったし、延々と何もせず一人で岸に座り込む女の人だっているはずもないと思っていたから。

どうせ人の形をした木だとか、そういう見間違いの類だと思っていた。

だけど、女の人は本当にいた。

彼女の長い黒髪が木漏れ日を反射して、泉の水面と一緒にきらきらと輝いている。

造り物にも、幻にも見えない。

冷静になって見れば、彼女はただの人間だということはすぐにわかった。

遠目でよくわからなかったが、女の人は旅人の軽装をしていた。

そして、足元に弓矢。

弓師なのだろうか。

幽霊だなんて、いったい誰が言いだしたのか。

だけど、夜に彼女を見れば、俺も精霊か何かだと思ったかもしれない。

ずっと動かないから。

時折風に吹かれて、彼女の髪がさらさらと揺れる。

そこで初めて、彼女が右耳に耳飾りを着けていることを知った。

紫色の石の耳飾りは、女の人の耳元で黒髪といっしょにゆらゆらと揺れた。

「なあ。……声かけてみないか?」

俺は友人に提案した。

謎に包まれたこの人に、俄然興味を持った。

なぜ彼女はここにいるのか。

もしかして、何かを待っているのだろうか。

そうだとすると、何を待っているのか。

後で思い返せば、それは一目惚れというものに近い。

ただし、恋愛沙汰とは無関係の。

「やめとけって」

「じゃあ、お前ここで待ってろよ」

友人の反対も聞かず、俺は茂みから出た。

そして目の前の女の人に歩み寄る。

ゆっくりと、静かに。

わけもわからず、俺は緊張していた。

ここで音を立てれば、彼女は泉の中に飛び込んで霧のように消えてしまうかもしれない。

まさか。

彼女は幽霊でもなければ、人魚でもない。

ただの人だ。そうだろう?


俺は女の人から少し離れた場所に立ち、彼女を見た。

すると、彼女はゆっくりとこちらを見た。

視線が合う。

一瞬、女の人の表情がこわばった気がしたが、すぐにわからなくなった。

彼女の目は、深い闇のような黒眼だった。

だけど、なんとなく妙な印象を受けたのは気のせいだろうか。

透きとおっているように見せて、実はわからない程度ににごっているような。

そんな奇妙な感じを。

女の人は俺を見て言った。

「こんにちは。気がすんだかしら? 幽霊じゃなくて残念ね」

彼女はそうやって、皮肉そうに笑いながら肩をすくめた。

噂のことは知っていたのか。

それなら、ここに来なければいいのに。変な人だ。

「別に、幽霊だなんて思っちゃいなかったから」

俺がそう言うと、そう、と彼女は再び泉に目を戻した。

「何を待ってるの?」

問いかけても、女の人はこちらを見ない。

黒い瞳はぼんやりと、泉の水面を見るだけだ。

彼女はどうやら、俺には興味ないらしい。

人よりも水面のほうに興味があるだなんて、到底理解できない。

たぶん、彼女はもう何も答えないのだろう。

俺はむこうの茂みで忙しなく“こっち戻ってこいって”と身ぶり手ぶりで示す友人を見た。

帰ろう。

帰って忘れてしまおう。

こんな奇妙な人間のことなんて。

俺が友人のもとへ戻りかけたとき、泉のほう――彼女のほうから声がした。

「人を、待ってるの」

咄嗟に振り向いてみたが、女の人は相変わらず泉に目を向けたまま。

黒髪が風に揺れている。

「それって恋人?」

俺は言った。

だとしたら、とっくに振られているのに。

もしそうなら、俺はこの女の人をひっぱたくべきだろうか。

男なんていくらでもいるから目を覚ませって。

まるでわざとらしい劇のようだ。

「ううん、もっと大事な人」

“もっと大事な人”って誰だ。

「家族?」

「ううん、違う」

「じゃあ、友達?」

「それもちょっと違う」

「じゃあ、何なの?」

苛々と俺が言うと、しばらく間が空き、そして彼女は言った。

「何かな、何だろう……」

「はあ?」

彼女の言っていることは意味がわからない。

恋人でも家族でも友人でもない。

それ以外に当てはまる“大事な人”なんて、いるのだろうか。

そう言うと、彼女は寂しげに笑った。

「師匠なの。私の、師匠」

師匠と言われなんとなく納得したような、納得できないような。

まあ、それなら先ほどのどれにも当てはまらないとは言える。

だけど、師匠だというなら弟子をこんなふうに何日も置いて行くだろうか。

「お姉さん、その“師匠”に置いてかれたんじゃない? 破門とかいうやつ」

ここで待ってても意味がないだろうに。

よっぽど好きだったのか。

それとも惰性でここにいるのか。

どちらにしろ、ここで待つ意味はないんじゃないか。

「そうね、そうかもしれない。でも、待つわ」

この人は馬鹿だ。

いつ帰ってくるともわからない師を待ち続け、自分を蔑ろにするのだろうか。

そんなのは馬鹿にしか見えない。

理解できない。

「そんなに待ちたきゃ、いつまでもそこで待ってればいいじゃん」

苛々した。

それこそ、死ぬまで待ってればいい。

来ない人を思い続けながら。

自分で歩こうとしないやつは嫌いだ。

返事はなかった。

俺はこちらを振り返らない女の人を最後に一瞥し、泉を去った。


「おい、あの人となに話してたんだ?」

帰ってきた俺に、友人は問いかけた。

まるで俺が幽霊かなにかと話してきたみたいな言い方だ。

彼女はただの人間だ。

それも、とても愚かな。

「うるさい。帰る」

「え、ちょっと待てよ!」

忘れてしまおう。

忘れて、何もなかったことにしてしまえばいい。

俺は来た道をどんどん引き返した。

後ろの方を、わけがわからないといった様子の友人が歩く。

「なあ、お前どうしたんだ?」

「………………」

何も答えたくない。


翌日、泉の女の人の噂がまた一つ加わった。

女の人と目が合った人は、生気を取られておかしくなってしまうらしい。

馬鹿らしい。

「おい、ヴィー。お前おかしくなったんだって?」

「はあ? なに言ってんだよ」

魔術学校に行くと、玄関先で仲のいい友人が話しかけてきた。

俺のどこがおかしいって言うんだ。

「だってよ。昨日泉に行ってから様子が変だって、ダグラスが言ってたぜ」

ああ、あいつ。

俺は眉間を押さえて、溜息をついた。

「別になんでもないよ。おかしくもなんともない」

「そうなのか?」

そうなんだよ。

ダグラスは昨日、いっしょに泉に行った友人だ。

あれからろくに彼と話もせず別れたのが悪かったらしい。

腕は良いくせに、口の軽いやつ。

将来は魔術具を扱う店を開くとか言っていたが、あれじゃあ顧客なんてつくのか怪しい。

俺は目の前の友人に向きなおった。

「教えてやるよ。泉の女は幽霊でもなんでもなく、ただの人間。人待ち中なんだとさ」

俺がそう言うと、友人は驚いた顔をした。

「嘘だろ? だって、お前……いくら人待ちったって、普通何日もずっと待つか?」

まあ、これが普通の反応だ。

だから、あの女の人はおかしい。

馬鹿なんだ。

そう、ただの馬鹿。

それなのに、頭から離れない。


「もう来ないと思ってたわ」

「別に、いいだろ。あんたには関係ない」

「そうね」

俺はまた森の泉にいた。

というか、泉の畔に座り込んでいる。

隣の女と同じように。

「待ち人は来た?」

「来ないわ。来ない」

まあ、来たらここにいないだろうから、わかってたけど。

相変わらず、彼女の目線は泉の水面。

気に入らない。

話すときは顔を見ろって、きっと教わらなかったんだろう。どうでもいいけど。

「なあ、あんた。毎日こんなことばっかしてて、楽しいわけ?」

そう言って、隣人を覗き込む。

ちらりと目が合って、それからすぐに逸らされる。

「……あなたなら、楽しいと思うわけ?」

なるほど、楽しくないとは思ってるようだ。

それだけはまともなようだ。

「思わないね」

俺はそう言った。

会話が途絶える。

別に、積極的に話をしようだなんて思ってなかったから構わない。

というよりも、なぜ俺はここに来てしまったんだろうか。

わからない。

やっぱり、俺はこいつのせいでおかしくなってるのかもしれない。

「あのね」

悶々と考え込んでいると、隣の女の人が言った。

「できれば、もうここには来ないでほしいな」

「なんでだよ?」

俺は彼女を見やった。

彼女は相変わらず泉を見たまま。

「似てるから」

「はあ?」

「師匠に。似てるの、あなた」

「似てるって、なにが」

「その瞳の色とか、……お節介なところとか」

俺がいつ“お節介”なことをしたっていうんだ。

まあ、こうして来てるんだから、“お節介”と言えばそうか。

おかしいな。

友人の間では冷めたやつだとか、あんまり人に興味なさそうだとか言われるのに。

ていうか、そういう友人たちも友人たちだが。

「やっと我慢できるようになったのに。あなたたちって、ほんと勝手な人だわ」

彼女が言った。

あなたたち。

それはおそらく“俺”と、彼女のいう“師匠”を指すのだろう。

心が波立つ。

苛々する。

「俺は、お前の師匠じゃない」

「わかってるわよ。あなた、若すぎるもの」

女の人はそう言うと、腕の中に顔をうずめた。

泣いているのだろうか。

いや、そうじゃない。

きっと閉じ込めたはずの感情に、必至でまた蓋をしようとしているのだ。

そして自分を閉じ籠めるのだ。

あまりにも醜い。

「お姉さんさ、いい加減にしたら?」

「なにを」

「こうやって、いつまでも待つの」

「だって、待ってるって約束したんだもの」

「ここで待ってろって言われたわけ?」

返事はない。

苛々とした感情が、心を占める。

「あのさ、仮に“待ってろ”って言われたとして。この場所で、自分の人生放りだしてまで、あんたの師匠が待っててほしいとか、本気で思うわけ?」

「……仕方ないじゃない。どうしたらいいか、わからないんだもの!」

彼女が初めて声を荒げた。

「仕方ないじゃない、あの人はここから“あの場所”に行ってしまったんだもの! 置いて行かれて、どうすればいいかなんて、わかるわけないじゃない!」

俺はため息をついた。

「ったく、子供かよ」

「うるさい」

彼女の言っていることは、子供の癇癪といっしょだ。

わからないから、どうすればいいかなんて誰も教えてくれないから。

そう言って、誰かのせいにして、彼女は歩こうとしない。

歩き方はもうわかっているだろうに。

それでも、そのことに気づかないふりをしているのだ。

俺は彼女をじっと見やった。

「お姉さん、名前は?」

「リリ…………ううん、シウィング。シウィングよ」

落ち着いたのか、彼女は感情を押さえてぽつりと言った。

シウィング。

この地方の古い言葉で、“繕いをする者”という意味。

変な名前だ。

彼女らしいと言えば、そうかもしれない。

彼女は変な人だから。

「呼びにくい名前」

「うるさいわね」

率直な感想を述べると、彼女はこちらを見て怒った。

黒い瞳と目が合う。

「俺はヴェイドだ」

珍しく、彼女は目を逸らさなかった。

彼女の耳飾りが一瞬きらりと光ったように見えた。

「呼びにくいから、勝手に呼び名を変えさせてもらう」

「好きにすれば」

だから、言ってしまったのかもしれない。

彼女が目を逸らさなかったから。

それとも、この人の黒い瞳は本当に人を惑わすのだろうか。

結局確かなことは、俺も馬鹿だったってことだ。

「師匠。今から俺は、お前の弟子だ」

歩き方がわからないなら、俺がいっしょに歩いてやる。


「はあ、何それ? 馬鹿?」

案の定、シウィングは呆れた声を出した。

馬鹿って言うなよ。

お前だって馬鹿のくせに。

「ヴェイドだっけ? あなたね、私の格好をよく見なさいよ」

彼女は目を細めながらそう言い、両手を挙げる。

旅人用の軽装に、足元に弓矢。

「見ての通り、私、弓師なのよ。だけど、あなたってどう見ても魔術師じゃない」

彼女が俺を指さしながら言うので、思わずつられて自分を見やる。

魔術学校で指定されているローブ。

学校を抜け出して走ってきたので、ローブを脱ぐのを忘れていた。

今は以前と違って、魔術師は増えてきている。

一時期はまるで絶滅危惧種みたいな扱いだったらしいが、今はそうじゃない。

よっぽどの田舎者でない限り、俺はどこからどう見ても“魔術師”だとわかる格好だった。

「正確に言うと“魔術師見習い”だ」

俺が言うと、彼女はますます呆れかえった。

「こんなちぐはぐな師弟って。正気の沙汰だとは思えない」

「悪かったな。あんたの師匠とは違って」

「……ううん、師匠も魔術師だったわ」

ちょっと待て。

人のこと狂人みたいに言っておきながら、なんだそれは。

「私はいいのよ。あの人、何でも知ってたし」

弓を教えてくれたのも、師匠なのよ。

シウィングはそう言って、気まずげに目を逸らした。

「だけど、私があなたに何を教えられるっていうの? 魔術はまじないしかできないわよ」

「魔術は俺が自分で学ぶ。で、師匠は俺に魔物との戦い方を教えればいい」

俺は腕を組みながら言った。

魔術は自信がある。

これでも魔術学校じゃ、それなりに成績がいいのだ。

俺がやけに自信ありげだったせいか、彼女はため息をついた。

「まあ、それなら……師匠のを見ていたし教えてあげるわ。でもちょっと待ちなさい。あなた見習いなんでしょう? 学校はどうするの」

「もちろん、卒業する」

あと二年で終業だし。

俺がそう言うと、彼女はまたため息をついた。

「あのね、私はあなたが卒業するまで待ってなきゃいけないわけ?」

「ずっと一人で泉見てる根性あるなら、それぐらい簡単だろ?」

俺がそう切り返すと、シウィングはうう、と呻いた。

意外だったのは、彼女に俺を待つ気があるということだった。

俺が思っていたとおり、彼女自身も、状況をどうにかしたかったのだろう。

背中を押してくれる人がほしかっただけなのだ。

「そうだな。待てないというなら、働いて旅の資金でも稼いでいればいい。魔物退治とか色々あるだろうし」

「そうね。でも、ここには魔物は少ないわ」

彼女はそう言って、森の奥に目を向ける。

たしかに、ここら辺は魔物が少ない。

いたとしても、小さく害のないものばかりだ。

「私、ちょっとだけなら薬草のことわかるから、エセ薬師でもすることにするわ」

さすがは旅人といったところか。

それとも、それも“師匠”に教わったのだろうか。

「じゃ、ここに師弟が生まれたわけだ。よろしく、師匠」

俺がそう言うと、因果応報ってあるのね、と彼女はぼそりと力なさげに呟いた。


「で、あの幽霊の人の弟子になったわけだ?」

「ダグラス。だから、幽霊じゃないって言ってるだろう?」

俺は呆れた顔で友人を見た。

今日で魔術学校を卒業する。

これがこの村での最後になると思い、友人にだけは打ち明けた。

旅装束の上に、俺は魔術師のクロークを羽織る。

荷物は少ない。たぶん俺の師が全て教えてくれるだろう。

「いつかまた帰ってくるか?」

友人の問いに、俺は振り返った。

「気を長くして待ってろ」

旅はいつ終わるのかも分からない。

俺がいつまで着いていくのかも知らない。

曖昧な答えに友人は困った顔になる。

「僕は気が短いから、待ってらんないよ」

「じゃあ、俺が帰るまでにお前の店をでっかくするんだ」

珍しい魔導具のひとつぐらいは持って帰ってやるよ。

そう言ってやると友人が笑った。

俺も笑って、笑いながら部屋を出た。

すると校舎の前に、シウィングが居た。

ぼんやりと泉のほうを眺めている。

表情が見えなかった。

だから、もしかして泣いているのかもしれないと、俺は思った。

「師匠」

呼びかけると彼女が振りむく。泣いていなかった。

穏やかな表情で、彼女が言う。

「よろしく、私の弟子。旅は厳しいわよ」

「望むところだ」

彼女は小さく笑いながら、足元に置いていた弓矢を担ぎ上げた。

その耳元で、紫の石がきらきらと揺れる。

「師匠、そろそろ行かないと」

日が暮れる前にどこかの村へ。


この目で世界を見てこよう。

歩き方の分からない、この繕い人を、しっかりと横で歩かせて。

そして俺は、旅の第一歩を踏み出した。


【おわり】


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