磯島を殴る
実体験が元の半フィクションです。
特に思い入れのある話で、心をこめて書きました。
私のこと好きだと、そう言っていたのに付き合いたくないというのは、一体どういうことだろう。
しょうがないくらいシャイな彼に、好きだと自分から言わせるのにどれほどの根気を費やしたか、考えた
ら、大声で泣き叫びたいくらい空しくなった。人になつかない猫に近づくように、本当にすこしづつ近づ
いて、いい感じになっていたのに、つきあうとか恋人になるとい話になったとき、彼は迷いだした。
「僕たちはあまりに違いすぎる。きっとうまく続かないと思う。」
と彼は言った。違いって、ちょっとくらい無いと面白くないと思う私は、彼の言わんとすることが理解で
きなくて、少し食い下がった。
「なんで?違いって、どういう違い?」
「どうって・・・性格のことだよ。君と僕は、ちょっと恋人としては、噛み合わないと思うんだ。なん
か、間に見えない壁があるっていうか・・・それに今のままでも充分楽しいし。付き合う必要、無いと思う。」
なんともあいまいな彼の答えに、いらいらして、これってよく言う失恋てやつか、なんて無駄なことまで
考えて、頭がいつもより回らなかった。
友達はみんな絶対成功すると言っていた告白は、見事に失敗に終わった。
仮に付き合ったって、こんな優柔不断な彼氏、私には釣り合わない。なんて、妹相手に強がりを言ってみ
たけど、余計惨めになっただけだった。
新しい人なんて等分現れそうにないし、ほんとは泣きたかった。でもあんな期待させておいて突然状況を
ひっくり返すような奴のために泣くのもなんだかしゃくに触って、私はベッドの中でじっと涙をこらえ
た。大丈夫、こんなの、すぐに静まる、と自分に言い聞かせて。
次の日、彼と顔を合わせるのが気まずくて、一日無意識に避けてしまった。別に振られたからといって
大嫌いになったわけでもないし、今までどおり接するつもりだったけど、やっぱり昨日の今日では少し
気持ちが整わなかったのだ。
しかも、今週ほんとについてない。
英語の時間、前の席の磯島が振り返って私のほうを見てきた。
「なあ。お前、なんでいつもそんなににこにこしてるんだ?」
「え?そんなにしてるかなあ。にこにこ・・・」
「うん。なんか馬鹿みたいだな。」
・・・こいつ、今なら鶏みたいに首を絞めても責められないよね。うん。
授業態度は悪いわ煙草は吸うわで先生にも煙たがられている奴だ。普段なら、全然気にせず無視していたが。
ショック。いつも笑顔なのは別に無意識じゃない。悲しいときでもわざとそうしていた。
なぜか小さなときから、人に弱みを見せるのが極端に嫌いだった。家族の前でだって悩みを話すことは滅
多に無い。心配かけたくないとかじゃなくて、単にプライドみたいなものが邪魔していた。
そう、私って、すごく見栄っ張り。たまにそれが苦しくなることはあったけど、かといってどうにかなる
ものでもなくて。
いいよ別に。私はこれで生きていくから。なんて開き直る。
「馬鹿って・・・・なんで。」
「何でも無い時でも笑ってるじゃん。なんか、田中みたいだぜ。」
「田中?・・・・そうかな、どういう風に田中っぽいのよ」
私は端っこの席にいる田中を盗み見た。田中は普通にノートを取って先生の話を聞いている。
田中は、クラスにいる、ちょっと頭の弱い子だ。時々かんしゃくを起こして授業を中断する。
「どういう風にっていうか、なんかその、何にも考えて無さそうなところとか?世間知らずそうな所。」
いくらなんでも、あの田中と一緒にさせるとは思わなくて、私は驚くと言うか、なぜか顔が真っ赤になる
ほど衝撃を受けた。田中が可哀そう、とかとっさに思ってみたけど、正直最初に感じたのは恥ずかしさ。
「・・・・・」
磯島、もといクソ島を睨んで、黒板に向き直った。
突然、目が熱くなって、涙が出てきた。何よ何よ何よ!!こんなことで泣いても仕方ないのに。なんで涙
が出るんだろう。
何の疑いも無く、自分がまともだと思っていたなら、もしかしたら、クソ島の言葉も笑って流せたんだろ
うか。
泣くほど悔しいのは、少し、磯島の言っていることが分かる部分もあったからだ。なんとなく、人の話に
ついていけないこととか、集中力が異常に低いこととか。・・・・自分の意見が、無いこととか。
たとえば、何かで議論になっても、私は黙って頷いて聞き役になるか、誰かが既に言ったような意見を繰
り返してみることしかできない。自分の意見を考えるなんて、一度もできたことが無かった。これはまずいなんとかしなきゃって思って、色々な本を読もうとしては難しさに挫折して、簡単な本の言葉に感動して自分主人公の努力を見習おうと思っても一週間と続かなくて。結局、もがいてもがいて、私に残ったのは中途半端な役にも立たない知識と、何もできない焦りだけだった。
「・・・・え、何、泣いてんの?!」
声を殺していたつもりだったが、磯島に気付かれてしまった。しかも、奴の大きな声のせいで周りの関係
ないクラスメイトにまで注目される羽目になる。
あーあ、なんなの、これ?馬鹿を隠そうと思ってにこにこしてたのが、結局裏目に出てたわけだ。きっと
皆も気付いてたけど言わなかっただけなんだ。
私には、何も無い。
はっきりそう思うと、涙が一気にあふれてきた。目の前が完全に滲んで、前が見えなくなった。
そして、まわりはざわざわしながら私を見てる。最近退屈だったから、楽しいでしょ。何泣いてんだって、馬鹿にする相手ができて。
「え、どうかしたわけ?」
一人の人間をどん底に落ち込ませる言葉を、言った本人は全く気に留めていなかったらしい。もうどうにでもなれと思っていた私は、何かがブチ切れて、頭が真っ白になった。
そして。
「ふざけんな!あんたのそういうところが大嫌い!死ね!」
普段言ったことも無いような暴言と共に、手も出た。立ち上がる瞬間、椅子が倒れて大きな音が立った。
私の渾身の平手打ちを食らった磯島は、呆然と痛むだろう頬に手で触った。
「いってぇ・・・・」
「池岡さん?!何してるの!」
私は引き続き磯島を睨んでいたが、先生の声ではっと我に返った。
「あ・・・・」
今私、何してたんだ?磯島を叩いて、死ねって言って・・・・。
とりあえず、前代未聞の大騒ぎを起こしてしまった。
うん、逃げよう。磯島が騒ぎだす前に。
私は驚きすぎて口の開いた磯島の間抜けな顔をもう一度見て、足を前に踏み出した。
「池岡さん、どこに行くの!」
教室のドアに手をかけると、先生のヒステリックな叫び声が聞こえた。
「ちょっと、顔洗ってきます!」
わざと元気よく答えて、私は教室を飛び出した。
「池岡さん!」
先生の、なおも叫ぶ声にも構わずに。