下準備2
改定ログ
2012/06/25 店を救う件を変更しました。
「やっと降りて来たか」
階段から響く規則正しい足音を耳にしたレーヴェは、待ち人がようやくやって来たことを悟った。
湯浴みができるように頼んだ時点で、ある程度時を食うことを予想していたが、予定の刻限を半刻以上遅れて来ることは予想外だった。
宿の主人に貴重品の一部を預け、湯浴みで汗を落としてゆっくりと喉を潤す余裕があったのだ。後から着替えを行ったレーヴェでさえそれなのだから、先に部屋に入らせたローゼリアが、これほど時を費やすとは思っていなかった。
従業員に話しを聞いたところ、どうやら湯浴みに時間を掛けていたらしい。何でも初めて石鹸を使用した女性に良く見られる傾向だとか。やはり女性にとって肌の手入れは、重要なことなのだろうか。
レーヴェも湯浴みに石鹸を使って汗を流したので、石鹸が身体の汚れを落とすのに最適なモノであることは分かる。いつもなら一度で済ますところを二度洗いした。身体の痒みなどが一気に無くなったような爽快感があったので、懐に余裕ができたら定期的に使用してみようかと思っているくらいだった。
ただ、石鹸の効果は認めても約束の刻限を忘れるほど、肌の手入れに熱中する感覚は理解し難い。
「お待たせ」
「半刻以上、雇い主を待たせといて詫びのひとつもないのとは、いい度胸……だ……な…………」
振り返りつつ、いたずら半分で嫌味を飛ばしてやろうとしたレーヴェだったが、相手を目にした瞬間、口にすべき言葉を見失った。
(これは……)
柔らかい青の衣服を纏った少女がそこにいた。それもとんでもないほどの美少女だ。
ローゼリアが、滅多にお目にかかれないほど整った顔立ちをしていることは認識していたが、女らしい服を着せるだけでここまで様変わりするとは、考えていなかった。
「ヒルベルト?」
「あっ、ああ、すまない。湯浴みを勧めたのはオレだから、責めるつもりはないが、次からは刻限厳守で頼む」
「ごめんなさい」
「謝罪の言葉を出せるなら上出来だ」
そう言ってレーヴェは、笑いながらローゼリアの頭を軽く撫でる。
サラサラとした髪の感触を楽しみつつ、もう一度、ローゼリアの様相を確認する。
まず一番に目を引くのが流れるような銀の髪だ。ロビーを照らす温かい光を反射し、自らの存在を主張する。その下には、目鼻口に至るまで見事なほどの左右対称で整えられた顔がある。それを覆うのは、滑らかな白い肌。
服の上からでも分かる豊かな胸の膨らみと腰の括れが、女性らしさを演出している。それらを品の良いシャツとスカートが覆い隠し、清楚な雰囲気を演出している。
物語の中であれば、勇者や英雄に見初められる少女そのものだった。
「……服ひとつで、えらく様変わりしたな」
「そう?」
乱された髪を整えながら、首を傾げるローゼリア。
ローゼリアにしてみれば衣服を替えただけなので、それほど変化を感じられない。大きく変わったところと言えば、下がスカートになった程度だ。スカートにするだけでも雰囲気が一変したように感じられるのだろう。
ローゼリアは、心の中でそう結論付けた。
「スカートのせい?」
「まあ、要因のひとつではあるな。君はもう少し自分の価値を知ったほうがいい」
「容姿は優れている自覚はある。でも見た目で判断されるのは嫌い。貴方も見た目で人を判断する?」
「その言葉を聞いて、頷ける奴はいないと思うが……」
「私を雇ったのは、容姿が優れているから?」
「外れだ。容姿の美醜は、どうでも良かった。まあ、強面おっさんよりも、美人の方がいいのは確かだが、それは誰でも同じだろ。不満か?」
レーヴェの判断基準とするモノは全てだ。技術や知識に始まり、経験、性格、言動。その他、人が持ちえる全ての要素が判断材料になる。容姿もそのひとつだが、それだけで人を判断するつもりはなかった。
外見だけで判断することが、どれほど愚かなことかレーヴェは知っている。それを学ぶ機会は、星の数ほどあった。
「見た目で判断してないならいい。それで、これからどうするの?」
「それは歩きなら話そう。ご主人、例の件よろしく頼む」
「ヒルベルト様、本当によろしいのですか?」
店の主人は、不安な表情で声を掛けた。
「手筈通りにお願いする。予定通りに対応してくれれば、責任は一切問わない。うまく行った場合、後日、迷惑料を払う」
「迷惑料なんてとんでもない。ヒルベルト様には、日頃から上客を紹介して頂いています。幸い今は、客数も少なく差し使えございません。これくらいのことは、やらせて頂きます」
レーヴェの言葉に店の主人が慌てて応じるが、それでも表情は晴れない。
「安心してくれ、失敗したとしてもオレが損するだけだ」
「それが問題なのです。店の恩人に、私共の不手際で損失を与えてしまうかもしれないなど。失敗してしまったら、貴方様に合わす顔がございません」
店の主人の言葉に、今度はレーヴェが顔を顰める。
この宿とレーヴェの縁は、二年ほど前からとなる。旅の途中で仲良くなった駆け出しの商人に、安宿として紹介されたのが始まりだ。
当時も今と変わらず立派な店構えだったが、新しくできた新鋭の宿に客を奪われ、経営が傾きかけていた。借金が膨らみ店を畳む一歩手前の状態。毎日のように嫌がらせ客が訪れ、他の客や従業員に暴力を振り帰っていく始末だった。
店を訪れたレーヴェが、偶然その場を目撃してしまった経緯から、相談に乗ることになったのだ。
その結果、毎日のように行われる嫌がらせが、原因と判断した。腕のいい警備を雇えば、悩みを解決できるという結論に至ったが、店に警備を雇うほどの余力は無かった。なので、今後いつもで好きな時に泊まれることを条件に、警備を請け負ったのだ。
レーヴェが嫌がらせ客の徹底的な排除を行った結果、客足が戻り経営は持ち直した。レーヴェを排除する動きが出たが、全て返り討ちにし相手の店舗の前に晒し、逆に脅しの材料として使ったのは記憶に新しい。
「何度も言っているが、店を救ったのはアンタの力だ。オレは、きっかけを与えただけさ。会ったのだって元を正せばアンタが真面目に商売をしてたからじゃないか。礼も十分貰ってる。今回のことだっては申し訳ないくらいだ。だから一切気にしなくていい。」
レーヴェからして見れば、正当な対価を貰った上でのことなので、恩を売ったつもりは微塵も無かった。
逆に面倒ごとを持ち込んだことに、罪悪感を感じてるぐらいだった。
店を建て直せたのも、従業員達の頑張ったおかげであり、レーヴェはきっかけを与えたに過ぎないのだ。
「しかし……」
「大丈夫だ。もし失敗しても取り返せる可能性はある」
「分かりました。そこまで言われるのであれば、手はず通り対処いたします」
「すまないな。では、よろしく頼む」
「いってらっしゃいませ」
外套を羽織り、宿の外に出ようとすると店の主人が深々と頭を下げるのが、ローゼリアの目に映った。レーヴェの目に入っていないにも関わらず、扉を閉め切るまで頭を上げることが無かったことに、ローゼリアは驚いた。
「随分丁寧な扱い。恩人というのは本当?」
「まあな。以前に店の経営の立て直しに協力したことがあってな。それ以来、あんな感じだ。恩を感じる必要なんてないのにな」
「違うの?」
「結果的に救ったって言うのは事実だから、恩を感じるのは分かるが……。こっちから見ればお門違いだな。感覚的には宿代をまとめて支払っただけだからな。お陰で、無料で部屋を借りれる上に食事も付いてくる。まさに、至れり付くせりだ」
それを聞くとローゼリアの中で、線が一本に繋がった。
「石鹸は、宿にお金を落とすため?」
「そこに気付いたか。中々、目敏いな。正解だ。厄介事を持ち込む上に、部屋まで無料で用意して貰うんだ。少しぐらい金を落としてやらないと申し訳がたたんだろ」
「ひょっとして、かなりお人よし?」
「まさか。街で店を開くんだ。味方は多い方がいい。世の中、どこへ行っても新参者は嫌われる」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
商人は、この傾向が特に顕著だ。なにしろ、同業者ならば自分の客を取られることに繋がるのだ。歓迎できる筈がない。しかも、これから始めるのは、彼らの職を根こそぎ奪う危険性すら秘めている。
本格的に事業を始めたら周囲の殆どが敵に回るだろう。その時、どれだけ協力者を得られるかが、成否を大きく左右する筈だ。宿で金を落としたのは、将来自分が成功する為の大事な種まきなのだ。
レーヴェは、自分の中でそう結論付けている。
「それより、役どころを決めようと思うんだが」
「役?」
「正確にはオレと君との関係と身分だな。一応、考えていたんだが、生憎使えなくてな。聞かれたら答えられるように、最適な役どころを決めて置きたい」
外出するにあたり、新興貴族と侍女を演じることを考えていたが、これは使えない。
今の二人を見たら良くて貴族令嬢とその護衛にしか見えない。本来の身分からするとそれが正しいのだが、交渉を行うのはレーヴェでなくてはならないので、レーヴェが下になるのはまずい。
自分が世話役の執事でも演じることができればいいが、演じきる自信は欠片もなかった。となると残るは、恋人や愛人関係となる。誰もが美人と認める貴族令嬢を愛人扱いするのは、貴族としての器量を疑われる。となると、演じて貰わなければならないのは、恋人。それも婚約者であることが望ましい。
「できれば貴族同士、それも婚約者の役を演じたいが大丈夫か?」
「ん、問題ない」
頷くとローゼリアは、レーヴェの腕に手を絡ませた。あまりにも自然な動作だったので、レーヴェは抵抗することもできなかった。
わざとなのか?無意識なのか?良く分からないが、胸の膨らみの感触が腕にある。可憐な少女に、こんな風に甘えられたら大抵の男は骨抜きにされるだろう。
「一体、何人の男を手玉に取った」
「人聞きが悪い。男と腕を組むのは、これが初めて」
「嘘だろ?」
「嘘じゃない。本当のこと。例外は家族だけ」
「それはまた、光栄なことで」
「ん、良きに計らえ」
言葉に気を良くしたローゼリアは、楽しげに答えた。
自然にこぼれ出たその微笑みは、レーヴェの情動を揺さぶった。無意識だからこその無邪気な笑顔。欲に塗れた女性なら星の数ほど見た来たレーヴェにとって、その笑みは絶えて久しいモノあり貴重だった。不覚にも釣られて笑みが浮かぶのが分かる。
(……いかんな。このままだとオレが篭絡されかねん)
ローゼリアの持つ将来性を垣間見た気がした。これで男女の営みを知り、容姿の使い方を知ったら末恐ろしいことになりそうだ。正直、レーヴェは、耐え切る自信が無かった。
そっち方面の耐性はそれなりにあるレーヴェだが、当然人並みの性欲はあるし、無性に人肌が恋しくなる時だってある。そんな時に、ローゼリアが近くにいたらどうだろう。恐らく、拷問を耐え抜くのと同じくらい精神が磨耗するだろう。苦しむ自分の姿が、容易く想像できた。
(早まったか……)
人材としては、否の打ち所のないローゼリアだが、ある一点に置いて厄介な存在だ。異性というモノは、いつの時代も争いの火種になる。遠くない未来、ローゼリアの優れた容姿が、厄介な問題を引き起こす。レーヴェは、そんな気がしてならなかった。
今回の一軒が終わったら暇を与えることも脳裏によぎったが、ありえないと一蹴した。
ローゼリアは、滅多にお目に掛れない最高の人材だった。容姿という意味でなく、その将来性に置いて、超一流に慣れる素質を秘めている。これだけの人材を逃すつもりは、さらさらない。金貨千枚積まれても、他人に渡すなどあり得ない。
今後どんな問題を引き起こすにしても、ローゼリア自身の意思で離れようとしない限り、手放すつもりはない。
「名前は、そのままいいの?」
「君は、家名を出さなければそのままでいい。オレは、ベノワ=フォン=リベルテを名乗る。『レーヴェ=ヒルベルト』の名前を言わないように十分注意してくれ。君を呼ぶ時は、愛称の『ロゼ』で行く」
「分かった。今からそっちの名で呼ぶようにする」
「そうだな。ぶっつけ本番で使われるより、そちらの方がいいな」
その方が、お互いボロが出難いだろう。
「分かった。ベノワ様、これからどちらに?」
言葉に従い、貴族らしい丁寧な口調に切り替えるローゼリア。
この辺りは、さすが貴族と言ったところか。まるで、違和感を感じない。口調を変えただけで、急にしおらしくなった気がするから不思議だ。
「買い物がてら敵の顔を見に行く。イヤ、違うな……。敵の顔を見に行くついでに買い物をするか。どちらにせよ強欲商人との初対面だ」
「ロプスは、豪商と耳にしています。突然押しかけて、会って貰えるのでしょうか?」
口調を崩さずに、ローゼリアは自分の疑問を口にした。
貴族という役どころが通じれば、もちろん会って貰えるが、平民と判断されたら門前払いされるのが落ちだ。平民の相手など、強欲商人に取っては時間無駄としか思われないだろう。
「何の為に、貴族らしい装いとパートナーを用意したと思ってる。今のオレ達の装いを見て、一般人と判断したのならそいつの目は腐ってる。即刻、職を変えることを薦めるな。仮にも豪商に名を連ねる商人だ。部下の教育もそれなりにしているだろう」
そうでなくては、いつまでも豪商として名を連ねることができる訳がない。人一人で、できることなんか限られているのだ。部下が使えないのであれば、その商会はとっくに潰れている。
「表だって名乗ることはしないが、所作に貴族らしさを含んでいれば必ず食いついてくる。それよりもロゼ。君に聞いておきたいことがある」
「なんでしょうか?私に答えられることであれば、お答えいたしますが」
レーヴェの表情が引き締まったので、ローゼリアも顔つきを引き締める。
「君は奴隷を見たことがあるか?」
「はい、目にしたことはございます。父は奴隷の売買を嫌っていましたが、財源として有益なので領内での奴隷売買を許容していました。私も貴族に名を連ねる以上、知っておかなければならないことなので、奴隷市場にも足を運んだ経験がございます」
その経験は、ローゼリアにとって最悪に近いモノだった。
一緒に足を運んだ兄達は、なんでもないような顔をしていたが、ローゼリアは恐怖した。一歩間違えれば、自分達がこの中に組み込まれる可能性があるのだと幼いながらに理解した。市場に足を踏み入れてから出るまで、ずっと父の手を離さなかった。年を重ねた今でもその記憶は焼き付いて離れない。
「そうか。君のご両親は、立派な方だな」
「私の誇りでございます」
自分たちが抱える闇の側面を見せる事は、誰にでもできることじゃない。多くモノは目を逸らし、より美しいモノを見せようとするのが常だ。それをせず、有りのままを見せる事がどれだけ勇気のいることなのか、ローゼリアには想像もつかなかった。
だからこそ尊敬している。
「その言葉、ご両親に直接告げるといい。喜ばれるだろう」
「機会があれば必ず」
表情を崩したレーヴェに、ローゼリアが微笑みを向ける。
不思議なことにお互い平時の時より、話しが弾んでいる。どちらかと言えば、こちらの方が自然なやり取りができている。そんな感じだった。
「足を踏み入れた経験があるなら、心配ないだろう。悪いが付き合って貰う」
「まさか今から行かれるのは……」
言葉から自分たちがこれから足を踏み入れる場所を知る。
「豪商ロプス=アヴァールが取り仕切る。奴隷市だ」