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客達の怨嗟

 仕事納めの時間から時が経過し九の鐘が鳴る時間に近づいた頃、自室にて休んでいたレーヴェはムクリと身を起こした。


 眠気と戦いながらテーブルの上の砂時計に目を向ける。砂時計の砂は、九の鐘の時間を示している。起きて店に出る時間だ。


 仕方なく寝台から降り、身支度を始める。

 と言ってもレーヴェの身支度は、非常に簡単なものだ。圧を掛けてシワ伸ばした服に袖を通し、ズボンを履きかえる。後は手櫛で寝癖を整えて、お気に入りの靴に足を通せば準備完了である。


「ふぁ、さすがにまだ眠いな」


 大きな欠伸と共に、レーヴェの口から声が漏れる。

 長い放浪生活を送って来た今までと違って、生活時間が様変わりしていた。

 レーヴェの生活は、早朝は清掃と仕込み。それから、午前中一杯は鍛錬を行いながら、ローゼリア達の護身術指導。昼食を食べた後、九の鐘がなるまで眠りに付く。起きた後は店に出て、客に酒出しと後片付けの連続だ。平行して酔い潰れた客を店の外に放り出し、客が捌け切ったら店じまいだ。

 ただ、予定通りには行かない。何せ今は日期(ターク)だ。いつでも空は明るい。従って仕事納めの時間は、職種でバラバラだ。職業によっては丸一日働いているなんてこともざらだ。つまり何が言いたいかと言うと、深夜や早朝に酒を飲みに来る客も存在するので、客が捌け切ることなどないのだ。なので、結局朝まで店を開け続けることになる。


 会計や宿の方の作業もあるので、正直かなりの重労働だ。体力には自身があるレーヴェでも、かなりきつい毎日が続いていた。


「酒場と宿の経営がこんなに大変だとはな」


 レーヴェは固まった身体を解しながら、心中を吐露した。

 正直、舐めていた。酒場や宿の経営は、想像よりも遥かに大変だった。料理の仕込みに後片付け、部屋の掃除に洗濯とやるべき作業は山ほどある。

 店を始める前は、一人でもなんとかなるだろうと思っていたがとんでもない。レーヴェとローゼリア、それにヴィテスとレクティを主要メンバーとし、更に他の店から手伝いに来てくれている人間がいなければ店は早々に潰れていただろう。

 手伝いを入れて十人近くで回してもこれなのだ。一人でやっていたら初日で倒れていたに違いない。


 小さな酒場であっても一人で回している人間は、それだけで賞賛に値する。レーヴェは素直にそう思った。


 とは言ったものの本来ならここまで追い詰められることはない。

この想定外の忙しさは、店の規格外の大きさに原因があると言っていい。酒場だけでも百に迫る数の客を迎えることができるのだ。一人で回せる訳がない。これが二十人程度なら無理すればレーヴェでも回せただろう。


「早々に休みを作ったのは正解だったな」


 酒場の方には五日に一回休みを設けられていた。おかげで従業員達は疲れを取る機会が得られ、他のことに時間を割けるようになっていた。

レーヴェの方も練りに練っていた商売を少しずつであるが、手を着けれるようになって来ていた。しかし―――


(本格的に稼げるようになるのは先だろうな)


 新しく手をつけた商売は、手間などを考えると完全な赤字だった。採算が全く取れていない。酒場と宿屋の売り上げで補っているのが現状だ。


「まあ、仕方ないな。さて、行くか」


 なかなか難儀な商売を考え付いてしまったと苦笑しつつ、レーヴェは部屋の扉に手を掛けた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 店は、いつも通りの賑わいを見せていた。

 既に満席状態で、男女比率は六対四と男性の数が女性を上回っている状態だ。


「おはよう。レト」


 カウンターの内側に腰を掛けるレーヴェに、対応をしていたローゼリアが声を掛ける。


「ああ、おはよう。ロゼ、軽食と飲み物を貰えるか?」

「了解、用意する。それまでに寝癖を直して」


 承諾の返事に添えられた言葉に促され、自分の髪に触れる。確かに、所々髪が跳ねてる感触がある。


「直ってなかったか」


 厨房に引っ込んでいくローゼリアを見送りながら手櫛で髪を梳く。

 当然ながら手櫛で直る訳がない。直るなら部屋でやった時に直っているはずだ。しかし、櫛などという高尚なモノを男のレーヴェが持っている訳が無いので、直す方法は手串しかない。仕方なく何度も手ですいてみるが一向に直る気配を見せないので、レーヴェは放置することにした。

 結果、簡単な軽食を見繕って戻って来たローゼリアに呆れられる。


「これ持ってじっとしてて」


 皿とコップを渡たしたローゼリアはそのまま後ろに回り込む。


「ん?どうした?」

「いいから、そのまま」


 振り返ろうとするレーヴェの顔をローゼリアが両手で押さえる。

 仕方無く指示にレーヴェが従うとローゼリアは、自分の櫛でレーヴェの髪を丁寧に梳き始めた。


「あぁ、なんかすまん……」


 そこまで来てようやく意図を察したレーヴェは完全にされるがままになる。

 ローゼリアは特に気にした様子を見せずレーヴェの寝癖をひとつずつ丁寧に取って行く。


「ん、綺麗になった」


 見事に綺麗に整ったレーヴェの髪を見下ろし、ローゼリアは満足する。


「すまん。助かった」

「大丈夫。それより食べて仕事」


 礼を述べるレーヴェにローゼリアが食事を促す。


「ちくしょう!見せ付けやがって!!」


 二人のやり取りを見ていた男の客が叫び声を上げた。

 なんだと二人がそちらに目を向けると男達が、憎しみにも似た怒りを宿した目でレーヴェを見ていた。


「美人の可愛い嫁さんに、寝癖を直して貰うだと……」

「あんな機会、オレには一生来ないぞ。見せ付けやがって、オレへの当て付けか!?コラ!」

「可愛いくて胸が大きい上に、気遣いができる嫁だと!?」

「くそっ、これが持たない奴と持っている奴の違いか。羨ましい羨ましすぎるぞ!」

「ヒルベルトの野郎、許すまじ……」


 紛う事無き嫉妬の怨嗟だった。

 レーヴェとローゼリアの仲の良いやりとりを見て、男達は全身から殺気を放っていた。

 二人を妬む声は、男だけに留まらない。


「羨ましい……羨ましい……」

「背が高くて大きな家持ちの若い男が!?」

「私達の有料物件が奪われる!」

「可愛い、胸大きい。そして細い」

「胸……それは男を誘惑する最強の武器。富めるほど威力が増すというのは、迷信よ。迷信なのよ……ふっふふっ……」

耳飾り(オーアリング)。男がいる勝ち組の証明……」


 世帯を持たない年頃の女達からも上がっていた。

 羨望が混じた声が多かったが、彼女達から出る殺気は男達が発する物よりも鋭くそして大きかった。


「店の空気を悪くしてどうするのですか」


 必要以上の注目を浴びて困惑する二人に、レクティが声を掛ける。


「忙しいのですから、手間をかけさせないで下さい。仲睦まじいのは大変結構ですが、相手のいない相手にも気を使って頂かなくては困ります」


 カウンターの前に陣取り文句を口にするレクティに、二人は反論する。


「オレ達は何もしてないぞ」

「ん、ただレトの身嗜みを整えただけ」

「そう言う無自覚なところが人の妬みを買うんです。主様も寝癖くらい部屋で直して来て下さい。客商売なのですから、その程度の事は自分でしっかりと管理して下さい。ロゼは人前で主様を甘やかさない。甘やかす場合は他から見えない場所でお願いします」

「………………」


 ピシャリと言い放つレクティに、二人はぐぅの音も出なかった。二人に出来る事は、レクティに謝ることだけだ。


「はっ、ヒルベルトの野郎怒られてやがる!」

「ざまぁみろ、ローゼリアといちゃいちゃしているからそうなるんだよ」

「そうだオレ達の癒しは、レクティの嬢ちゃんだ!レクティ嬢ちゃんは、オレ達を裏切らねぇ!?」

「あの娘はいいわ……だって奴隷だもの。私達の方が勝ち組よ……」

「そうね。私達は、まだ機会があるもの」


 我が意を得たりと一人が声を上げると、それに同調し周囲が騒ぎ始める。

 騒ぎに乗じて上がった一部の言葉は、非常にカンに触りレクティの表情が固まる。そして、ちょっとした意趣返しをすることに決めた。


「主様、ちょっとお顔を」

「ん?どうした?」

「目覚めのご挨拶です」

「は?」


 カウンター越しに服を掴んでレーヴェを引き寄せると、レクティは間髪入れずに頬へ口づけをした。ピシリと場の空気が凍る。


「……一体何の真似だ」


 何故いきなり大衆が見守る店の真ん中で、頬に口づけをされなければならないのか。レーヴェは理解できなかった。

 眉間を解しながら突然のレクティの行動の意図を問い掛ける。すると当の本人は、少しも悪びれる様子を見せる事無く微笑みを向ける。


「本日はご自分で起きてしまわれたので、この場にて失礼させて頂きました。明日は、()()()()()部屋でさせて頂きます」


(コイツは、何を言っているんだ?)


 レーヴェの頭の中にそんな言葉が過る。

 いつもも何も今まで起こされたことも無ければ部屋に入れたこともない。おまけに触れる機会すら手に数えるほどしか無かった筈である。ましてや口づけされたことなど一度も無い。


「……()()()だと」

「べっぴんの相手が居る癖に、あの野郎……」

「……ローゼリアだけでは飽き足らずレクティにまで」

「そんな……うらっ、……けしからん真似をしてたのか」


 氷のように冷たい空気が流れて来る。

 周囲に目を向けるとまるでレーヴェを射殺さんばかりの冷たい視線が向けられていた。


「嘘よ……あの娘は奴隷でしょ?……なんで、主人の部屋に入れるの?」

「毎日ってことは、お気に入りで大事にされてるってことよね……」

「私達……奴隷に負けてる……」


 女達からは、嘆きが混じる絶望の声が上がる。


 ここに至ってようやくレーヴェはレクティの意図が彼女達への意趣返しである事を察した。

 恐らく奴隷であるレクティを見て優越感に浸っていた彼女達の心にヒビを入れる為だけに、行為に及んだのだろう。奴隷が自らの価値を知らしめる為には、主に信用され大切にされていることを周知されることが一番なのだ。だから、口づけの相手はレーヴェであり毎日のように事を繰り返していると言葉にしたのだ。


「……親愛の情を示すのは良いが人前でやってくれるな。特に、ロゼの前ではな」


 レーヴェとしては話に乗っかる必要は無い。しかし、意趣返しをしたい気持ちは分からなくも無かったので、レクティの話に乗っかることにした。

 ただ、己への風評被害を避ける為、周囲の認識に一点だけ訂正を加える一言を入れる。

 さり気なくローゼリアの髪に触れ、ローゼリアの存在を主張する。


「ふふっ、相も変わらず主様は身持ちが固いご様子。私の口づけ程度では、本当に挨拶にしかなりませんね。女としては少し寂しく感じます」


 特に打ち合わせをした訳でもないのに、レクティは自然な流れで言葉を返す。


「大事な相手が居る身だ。今の所、これ以上の物を受け取る気はないな」


 擽ったそうに眼を細めるロゼの頭を撫でながらレーヴェが笑う。その笑顔に倣いレクティも微笑む。


「主様の心に、ロゼがいることは心得て居ります。今は、まだ親愛の証を刻むことを許して頂けるだけで十分です」


 打てば響くと関係とは正にこのことだろう。

 レクティは、己の意趣返しを望みレーヴェは見事にその望みに応えた。そして、レーヴェは周りに与える印象の是正を求め、レクティは主への一方的な好意のあらわれとして周囲に示すことでそれに応えたのだ。


 二人のやり取りを見て周囲は完全に沈黙する。

 男達は血の涙を流さんばかりにレーヴェを睨み。女達は、悔しさで手拭いを噛む。


「私もしようか?」


 レーヴェに頭を撫でられ続けていたローゼリアは、小首を傾げて問い掛ける。

 嫉妬しているという訳ではなく。空気を読んで客達に止めを刺すべきかを二人に尋ねたのだ。


「ロゼは容赦ありませんね。私は構いませんが、これ以上煽ると主様が気の毒ですよ」

「ここまでのやり取りだけでも、ヤケ酒を飲む奴等が多そうだしな。止めを刺したら愚痴どころじゃなくて、後ろから刺されそうだ」


 小声で返す二人の言葉を聞いて「そう」と少し残念そうに声を漏らした。


 この後、客の多くがヤケ酒を始めた。

 後日、宿木亭の空気に当てられた客の一部が意気投合し交際を始めた。


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