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月夜の宿木亭

 港の世間話の話題に上った「月夜の宿木亭」では、開店当初と言う事もあって多数の来客に恵まれていた。


「ロゼ嬢ちゃん、おかわり頼む!」

「つまみもよろしく!」


 カウンターからテーブルまで全ての席が客で埋まっていた。

 店の亭主であるレーヴェ=ヒルベルトを始めとした従業員達は、溢れかえる客の対応に追われ店内を走り回っていた。

 亭主であるレーヴェは、卸したての黒のズボンに白シャツというシンプルな格好でカウンターに陣取っている。

 開店して間もないのに随分と手馴れた様子で仕事を捌いている。


「盛況だな」


 仕事終わりに弟子たちと一緒に訪れたハルトが、カウンター越しにレーヴェに声を掛ける。風呂上りであるハルトのこざっぱりした格好を見て、レーヴェは苦笑を漏らす。


「おかげさまでな。おやっさんの口利きと仕事のおかげだよ」


 酒樽から麦酒をタップリとコップに注ぐとハルトの前に置くレーヴェ。

 コップを受け取ったハルトは、良く冷えたそれを景気よく飲み干す。


「かぁ~~!うめぇぜ!風呂上りの一杯は最高だな!」


 開店から一月も経たない内に、ハルトはすっかり風呂上りのこの一杯の虜になっていた。

 自分たちの作った風呂で汗を流し、手塩に掛けた酒場で自分の金で上手い酒を飲む。ハルトは、この一連の行為に喜びを感じていた。

 当初は、口車に乗せられて受けてしまった身の入りの辛い仕事だと思っていたが、今ではどの仕事よりも受けた甲斐があったと思っている。


 仕事の報酬である「風呂の永久使用権」は、弟子たちにすこぶる評判がいい。

 大工の見習いはお世辞にも実りが良いとは言えない。彼等は見習い先の主人から渡される最低限の手当と仕事の合間に作った商品を売って生計を立てている。

 そんな彼に定期的に風呂に通う事などできる筈がない。

 何しろ金が無いのだ。風呂に入れないのは金が無い事の証明とも言って良い。当然、年頃の女性達から恋愛対象として見られる筈がない。

 ハルトの弟子達は、今回の仕事をやり切ったことで他の大工職の見習いよりも一歩上の評価を確立したと言っても過言ではない。

 おかげで弟子の気持ちを察せる良い師匠だと周りからの評価も上がった。


「喜んでくれて何よりだ。わざわざ氷の魔石を樽に取り付けた甲斐がある」

「酒を冷やすって聞いた時は、馬鹿かと思ったがやめらんねぇな」

「まあ、この辺りだと酒は体を暖める物だからな。冷やすなんて発想はないだろう。リグーリア地方では当たり前のように飲まれている物なんだがな」

「へぇ、そうなのか。向こうでも魔石使って冷やしてんのか?」

「いや、流石にそれはないな。氷室に樽を運んで長い時間を掛けて冷やすのが一般的だ。あの地方の町や村には、必ず氷室が設置されているからな」

「そりゃまた、贅沢な話だな」

「向こうは雨が多いから干物が作り難い上に腐りやすい。ここと違って食料保存の為に氷室は必須なんだ」

「ほぉ、なるほどなぁ」


 レーヴェの分かりやすい解説にハルトが感心する。

 再び注がれた酒を受け取り、喉を潤すハルトの元に銀髪の少女が歩み寄る。

 ローゼリア=ラ=エクラ=ヴァイス。正真正銘の貴族令嬢である。

 貴族令嬢の看板に偽りはなく、恐ろしく整った顔立ちと美しい白い肌をしている。体つきの方も文句のつけようが無く。服の上からでも豊かさが分かる形の良い胸と引き締まった腰つきは、ローゼリアの意思とは無関係に男を魅了する色気を放っている。

 店に来る男共の半分近くがw、ローゼリア目当てで店に来ていたりする。


 もっとも残念なことに客がローゼリアをものにする事はない。

 既に売約済みだからだ。彼女の左耳には婚約を証明する耳飾り(オーアリング)がそれを証明している。

 耳飾り(オーアリング)をしている以上、周囲の男達は高値の華として見ていることしかできない。


 憎らしいことに高値の華である彼女をものにしているのは、この店の主人であるレーヴェだ。男達にとっては信じたくない話だが、確かに対となる耳飾り(オーアリング)をレーヴェが身につけている。


「いらっしゃい。ご注文は?」


 自分に集まる男たちの視線を諸共せずローゼリアがハルトに話しかける。


「枝豆と窯焼きを頼む」

「ん、了解」


 男共なら赤面する場面だがハルトにとっては既に馴れたモノだ。

 店の開く前からの付き合いなので対処法も熟知済みだし、何より若すぎるのでハルトにとってローゼリアは恋愛の対象外だ。


 注文を厨房に伝える為、奥へと引っ込んで行くローゼリアを見送るとハルトは、レーヴェへと目を向ける。


「ありゃあ、お貴族様なんだろ?従業員扱いしてて良いのかよ」

「屋根を修理させていた人間の言葉とは思えんな」

「あの時は、知らなかったからな。知った時はたまげたぜ」

「まぁ、ロゼは良い意味で貴族らしくないからな」


 ハルトの気持ちが十分すぎる程分かってしまう為、レーヴェは笑うしかなった。

 どこの世界に酒場でいかつい男相手に料理を運んだり屋根の修理をする貴族令嬢がいるだろうか、恐らく大陸全土を探してもそんな奇特な人物はローゼリアしかいないだろう。


「主よ。麦酒、五つ追加頼む」

「こっちは、麦酒と葡萄酒を一杯ずつお願いします」


 カウンター越しにレーヴェに声が掛かる。

 先に響いた野太い声は、奴隷であるヴィテス。後の高い声の方は、同じく奴隷でありヴィテスの妹のレクティである。

 どちらも深い闇の色をした黒髪で容姿も優れている。ヴィテスは、長身の上に筋肉質で周囲の男と比べて逞しさが違う。顔も整っており、鋭利な目が印象的な男である。

 妹のレクティは、十代半ばと言うにも関わらず非常に起伏に飛んだ体付きをしており、腰まで伸びる流れるような黒髪が女らしさをアピールしている。当然、顔も整っている。


 何より特徴的なのは、本来人には存在しない筈のピンと長い獣の耳と尻尾だ。

 彼等のような存在は、先祖返りと呼ばれている。中でもヴィテスとレクティは特殊で黒い(ルウ)と呼ばれる誇り高い一族に属している。

 彼等は、とある出来事を切っ掛けにしてレーヴェの奴隷として暮らしているのだ。


「はいよ。酒を渡し終えたら、そろそろ食器を回収してくれ。足りなくなりそうだ」

「承りました」

「承知」


 促された分の酒を渡し、頼みごとをすると二人は文句のひとつも吐かずに酒を運んで行く。


「レクティ嬢ちゃんもヴィテスも良く働いてんな」

「あの二人は、まだイマイチ良く分からんな。レクティなんかはもう少し問題児かと思ったが、文句の付けられないくらいしっかり働いてくれている。ヴィテスは言わずもがなだな」


 出会った当初は、鼻っ柱の強いお転婆娘と言う印象が強かったが、レーヴェはその認識を改めていた。 どこまでも従順で、レーヴェからの指示を完璧にこなして行く。問題が無さ過ぎて怖いくらいである。


「あんなキビキビ働く奴隷なんざ見たことねぇ。ったく、羨ましいたらありゃしねぇ」

「またそれか。いい加減ウンザリしてるんだが……」

「ただの僻みだ。気にすんな」


 溜め息交じりに言葉を返すと、ハルトが三杯目の酒を催促する。

 いつもより早いペースだが、まだまだ深酒のレベルには達しないので、黙って酒を出すレーヴェ。

 カウンターに座る他の客への酒の追加を済ませると、手元にあった枝豆を口に入れて小腹を満たすことにする。


「おいおい、枝豆はオレが頼んでるんだぜ。なに、お前さんが先に食ってやがる」

「これはオレの夕食だよ。冷えた枝豆と熱々の枝豆を交換してくるって言うなら出してもいいがどうする?」

「お断りだ。こんちくしょう」


 意地の悪い回答に、ハルトは不機嫌な表情を浮かべた。

 手元にあった枝豆を咀嚼しきるとレーヴェは、温めた乳を飲んで一息付いた。


「そういや、例の件はどうなんだ?」

「全然だな。物自体は集まって来てはいるが処理をする方が足らん。中には応じてくれそうな奴もいるんだが、薄給の印象が強くて食い付きが悪い。当面の間は、身内で可能な分を回すしかないな」

「まあ、うちから出してる奴もそんな高くねぇしな。もうちょっと上げた方がいいんじゃねぇか?」

「何度も言ったがそれは駄目だ。拘束時間なんかを考慮すると意外と割りが良い。これ以上増やすと軌道に乗った時に、そっちの職人達に不満が出るぞ」


 レーヴェは、何度目かになる定番の言葉を返す。

 純粋にこちらの力になろうとハルトは増額を提案するが、その全てがレーヴェ自らの手によって却下される。


「この頑固者」

「その言葉、そっくりそのまま返す。幸い酒場は繁盛しているんだ。暫く成果が出なくても何の問題にもならんから大丈夫だ」

「そうだ!いっその事、浮浪者を使ったらどうだ?」


 名案と言わんばかり提案するハルトにレーヴェは首を振って見せる。


「無理だな。今、それをやったら二度と仕事は来ない」

「なんでだよ?」

「おやっさんの仕事場に、痩せ細った今にも倒れそうな浮浪者が来たら怒らないか?」

「……そりゃぁぁ、怒るな」

「だろ、少なくともしっかり働ける人材でないと、相手を怒らしただけで報酬も貰えずに終わる可能性もあるから最悪だ」


 名案と思われた自分の提案が使えない事にガックリするとハルトの前に熱々の窯焼きが運ばれて来た。


「ったく、どっかに働き盛りでそれなりに形が整ってる文無しいねぇのか?」

「そんな都合の良い奴がいる訳ないだろ」


 本来なら己が口にするべき悩みを吐くハルトに、レーヴェが苦笑で応じた。

 新たな来訪者が店の扉を開いたのは、そんな時だった。


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