思案
「もう朝か……」
朝を告げる鐘の音と共に、ムクリと顔を起こすレーヴェ。
室内の冷たい空気が、体の熱を奪うのが分かる。暖炉の火も消え、部屋の空気は完全に冷え切っていようだ。
ぼんやりと視界を照らす淡い光を頼りに、水晶灯に光を入れる。そして、寝台を後にし暖炉へと歩みを進めた。
「組まないとダメか」
暖炉の状況を確認するとレーヴェは肩を落とした。
眠い目を擦りながら暖炉の灰を探り、中から掌に収まるくらいの石を取り出した。
邪魔な木片と灰を取り除き、先ほど取り出した石を置く。続いて、石を囲むように薪を配置する。
配置を終えたレーヴェが、石を指で軽く二回小突く。すると石が赤く光り始め、遂には火を放ち出した。
石から放たれた火が、燃え移るように薪を整えると暖炉の傍に設えられた椅子に腰を下ろした。
パチパチと音を立て大きくなって行くのを見守りながら、水で喉を潤す
冷え切った水が喉を通って腹の中に入ると、ようやく思考がはっきりして来た。寝起きで少し動きが鈍いが、質の良い寝台でしっかり休めた御蔭で、体の疲れは取れていた。
とは言うもののまだ眠い。できることならもう一眠りしたいが、生憎と今日もミラノとの話し合いが予定に入っている。
まだ時間には余裕があるが、寝直すと身支度を整える時間が失われるのは確実だった。幸い喉を潤したおかげで、眠気はある程度飛んでいる。
レーヴェは、寝台の放つ魅力から目を背け手櫛で髪を整える。
髪を整える最中に左耳に硬いモノが付いていることに気がつく。何かと思って確かめると|耳飾り≪オーアリング≫であることを思い出した。
「婚約したんだったな」
小さく揺れる|耳飾り≪オーアリング≫に触れると頬を淡い光が僅かに輝きを増す。暗闇の中を照らしていたのは|耳飾り≪オーアリング≫の光だったらしい。
ふと、|耳飾り≪オーアリング≫を受け取った時を思い出す。
自分のためとは言え、良くローゼリアが提案をして来たモノだと思う。絆など無く互いの打算しかないこの関係は、ある意味貴族らしくある。しかし、純粋な性格であるローゼリアの口から提案されると違和感しか感じない。
耳まで紅く染めたローゼリアの顔を思い出し、小さな笑いが込み上げる。
「まあ、人のことは言えんか」
告白を受けた時の自分を思い出し、笑いを漏らす。
思えば随分とらしくない提案に乗ったものだ。告白による動揺とレクティの説得があったとは言え、誤魔化して回答を有耶無耶にできたはずなのだ。しかも、先送りにしても何の支障も無い案件だ。今後のことも鑑みれば、時間をかけて検討すべき案件なのだ。
後悔はしてないが、余りにも自分の対応がお粗末だったような気がした。
「それだけ、気に入っているってことか」
手元に置きたいと思ってはいたが、自分がここまで肩入れするとは思っても見なかった。
出会ってまだ十日も経過していないのに、自分が思っている以上にローゼリアのことを気に入っているようだ。
「才能、容姿、性格……」
口ずさみながら、自分がローゼリアのどこを気に入ったのかを分析するレーヴェ。
まず始めに、ローゼリアを雇おうとしたのは、磨けば光る原石と判断したからだ。稀にしか見ることの出来ない素質を備えていたので、ついつい手元に置きたくなったのだ。もちろん労働力の確保と言う思惑もあったが、それは本当についでだ。
次に、目を引いたのは容姿だ。湯浴みをさせて女らしい格好をさせただけで、驚くほどの魅力を放った。あまりの変わりように、一瞬言葉を失った。
最後は、その素直な性格だ。
問題を出せばしっかりと考え、答えを安易に求めようとはしない点。そして、直視したくないモノを受け入れようとする姿勢。加えて、雇い主であるレーヴェに、媚びたりすること無く自然体であろうとする点だ。
「才能は切欠」「容姿は誘い」「性格は止め」と言ったところだろう。
これだけの要素が揃っているのだから、気に入るのも無理はないとレーヴェは結論付けた。
薪がパチリと弾け、火の粉が舞う。
いつの間にか随分な時間が経過していたらしい。暖炉の火の勢いは、十分過ぎるほど強くなっていた。
鉄棒で、薪を崩して火の勢いを整えるレーヴェ。
火の勢いが頃合いになるのを見て取ると鉄棒を置き、再び椅子にもたれた。
小さく息を吐くと冷たい空気が、口の中に入るのを感じた。
レーヴェは権利書を手に入れてから身の回りの環境がガラリと変わったと自覚していた。
特に人間関係の変化は著しい。婚約者の誕生に加え、遠慮の無い従者の獲得。ただの仕事繋がりでしか無かったサビオ商会とは、協定を結んだ。その過程で、侯爵家の人間であるセルドとの繋がりができた。権利書絡みでアヴァール商会のロプスに目をつけられ、今は守備隊に追われる立場と来ている。
よくもまあ、この短期間で人間関係がここまで変化したものだと思う。自分の事ながらレーヴェは、呆れた。
ロプスが真っ当な商売さえしていれば、今頃レーヴェは開業に向けた準備をして忙しい毎日を送っていただろう。但し、その場合は、婚約者もいなければ従者もいない。商会との関係も際立ったモノにはならず、セルドと繋がることも無かった。
回り道ではあるが、先を考えるのならば今の状況の方が好ましいことは明らかだ。
今後の障害となりそうなロプスを排除できるのも大きい。
アヴァール商会を正面から潰そうとすれば、確実に長期戦になる。下手を打てば一息に潰されて終わりだろう。基盤となる人脈や資金、商人としての経験も含めて圧倒的にロプスが上なのだから当然である。レーヴェにできることは、相手が悪手を打つまで待ちつつ力を蓄えることだけだ。
弱みを握っている今だからこそ、一気にロプスの息の根を止めることができる。
本来掛ける必要のあった手間を短期間の僅かなものにできるのは、レーヴェにとって大きな利点だ。
ロプスを断頭台にあげるためにレーヴェが使ったのは、権利書だ。大事な持ち物を掛け金として使うのは本位ではないが、躊躇いは無かった。
既にレーヴェは、ロプスの首を刎ねるに足る材料を用意できた。後は、ロプスを断頭台の前に引きずり出し、首を刎ねるだけでいい。
「後は、守備隊か」
レーヴェにとって予想外だったのが、守備隊の動きの早さだ。
素人ばかりで鈍重そうな守備隊が、想定よりも早く動いたせいで守備隊長の首を刎ねるに足る材料を用意するのは難しそうだった。恐らく職を解かれる程度で、命を奪うまではいたらないだろう。
「高望みするのは、やめるか」
レーヴェとしては、憂いを絶つため完全に排除したいが、流石に高望みが過ぎると判断した。今の状態でも舞台から突き落とすには、十分な材料が揃っている。ならば、事態が悪い方向に転ぶ前に、終わらせるのが一番である。
自らを納得させると、立ち上がり身支度を整え始めた。
朝食の用意ができたとの報せが入るのは、それから暫く経ってからのことだった。




