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酒場の惨状

 喧騒に包まれる酒場の中で、レーヴェは黙々と食事を続けていた。

 左手には葡萄酒の満たされた木の杯が、右手には注文した鳥の串焼きが握られている。


 串焼きを口に運ぶと口内に肉汁が溢れ出し、絶妙な塩加減と共にレーヴェの舌を喜ばせた。たっぷりと時を掛けてそれを楽しむと温められた酒で、喉を潤す。


「美味い……」


 文句の付けようのない味に、レーヴェの顔は自然に綻んだ。

 レーヴェにとって美味いモノを食べる時ほど喜びを感じることはない。美味いモノを食っている時だけは、頭を使わずに純粋に楽しむことができるのだ。戦場でも平時でもそれは変わらない。どんなに強敵や美姫がいようとも、交戦欲や性欲が食欲に勝ることは無い。心の底からそう思っている。


「主よ。楽しんでいるところ大変申し訳ないのだが」


 至福の時を楽しむレーヴェに、ヴィテスが申し訳なさそうに言葉を掛ける。心なしか尻尾と耳に元気が無いように見える。


「なんだ?ヴィテス。食い物が足りないなら注文していいぞ」

「いや、食事はもう十分腹の中に入れた」

「そうか」


 ヴィテスの膨らんだ腹を一瞥するとレーヴェは、右手の串焼きにかぶりついた。

 再び口内を肉汁が満たし、レーヴェに至福の時を与える。


「……主よ。楽しんでいるところ大変申し訳ないのだが」


 再びヴィテスが、言葉を掛けてくる。


「なんだ?ヴィテス。酒か?そこら辺に転がっている酒でも注げばいい。無料(ただ)で飲めるぞ。なんなら高い酒も頼んでもいいぞ」

「いや、酒も十分頂いた」

「そうか」


 ヴィテスの片手に握られている杯を見るとレーヴェは、左手の杯を煽った。

 酒が空になると折よく酒が飛来したので、片手で掴み取り再び杯を酒で満たした。先ほどとは違って温められた酒ではないが、常温でも十分楽しめる酒だ。


(何かつまみが欲しいな。肉の腸詰でもあればいいが……)


 周囲に目を配ると殆ど手の付けられていない肉の腸詰と骨付き肉が目に入る。


「……主よ」


 目の間を通過する肉達を器で受けると再びヴィテスの声が、耳に届く。


「今度はなんだ?女か?この際だ。女を買う金くらいだしてやるぞ」


 食事、酒と来たら次に男の欲するモノなど決まっている。

 レーヴェには、奴隷だからと言って彼等の行動に制限を掛けるつもりは毛頭ない。酒も女もこちら被害が及ばない範囲で好きにやればいい。酒や食事を振る舞うのも、女を買わせてやるのも必要な初期投資。

 将来的に、掛けた以上の利益をもたらしてくれれば文句はないのだ。


「大変魅力的かつ取り入れたい提案だが、いまの我の希望はひとつだ」


 腸詰を素手で千切り口に運ぶレーヴェをヴィテスが、真剣な目で見据える。


「そろそろ、現実逃避をやめて貰えるだろうか?」

「なんのことだ」

「逃避したい主の気持ちは、察して余りあるし怒りも当然と思う。だが目の前の出来事から、逃げるのはどうかと思う」


 どこかで盛大に食器が割れる音がする。

 レーヴェの視界の先を通過して行った酒樽が、カウンターの奥にある食器棚に直撃したのだろう。


「何を言っている。ここは酒場だ。食器が割れるなんざ日常茶飯事だろ」

「主よ。酒樽が宙を舞うのは、酒場では普通なのだろうか?」

「たまには、そんなこともあるだろう」


 咀嚼しながらレーヴェは、瞬間的に首を横に倒す。

 すると、少し前までレーヴェの顔が鎮座していた場所をナイフが通過し、壁に突き立つ。


「主よ。ナイフが飛び交う酒場は、普通なのだろうか?」

「手を滑らせたんだろ」


 壁に突き立ったナイフを引き抜き、腸詰を切り分けるレーヴェ。更に、転がっていた肉の塊を拾い上げ、周囲を削ぎ落とすと、薄くスライスして口に運んだ。

 その僅かな時間にも、人と言う名の物体が蹴り飛ばされテーブルに突っ込む。

 テーブルに載せてあった料理が宙に浮く。


「おっ、野菜。」


 その内のひとつに目を付けたレーヴェは、器を掴み取り落ちてくる野菜を回収した。他の打ち上げられた料理は、無残に床にぶちまけられ食事としての機能を失った。

 ここの店の料理は、シチューなどのスープ系が中心の為、店内のそこかしこにスープの水たまりが出来上がっている。

 後片付けが大変そうだな。と思いつつ手に入れた野菜の山を口に運ぶレーヴェ。


「主よ。料理が宙を舞い人やテーブルが吹き飛ぶ酒場は、普通なのだろうか?」

「たまたま、そういう酒場だったんだろう。」


 野菜を咀嚼しながら、足元で自分の足を掴もうとする男の手を踏みつけるレーヴェ。

 手を踏まれた男が、叫び声を上げるがレーヴェの知ったことではない。その男が、守備隊の鎧を纏っていようが関係ないのだ。

 目の前でその鎧を纏った集団が、ローゼリアとレクティを中心とした放浪者達を相手に殴り合いをやっているのも全て自分とは無関係なのだ。


「主よ。」

「だあ!もう五月蠅い!オレは、知らん!知らんぞ!!」


 しつこく声を掛け続けてくるヴィテスの行動に、耐えきれなくなったレーヴェが喚き声を上げた。

 本当なら上手いスープとパンで腹を満たし、満足したところで(くだん)の店に戻る筈だったのだ。それなのに、どうして守備隊相手に喧嘩をしなければならないのか。

 レーヴェは己の不幸を呪いたくなった。下手をすると折角進めて来た策が水の泡だ。


「しかし、主よ」

「なんだ!?」

「主の今の姿を見られたら相当問題になりそうだが……」


 そう言ってヴィテスは、レーヴェの足元に視線を向ける。

 そこには見事にのびた兵士達が山なりになって重なっていた。レーヴェは、気を失った兵士達の山の上に腰を下ろしているのだ。

 本来そこにある筈だった椅子は、すでに無残な形へと変わっており、その機能を発揮するのは不可能な状態だ。なので、殴りかかってきた兵士達を、積み上げて即席の椅子を作ったのだ。


「守備隊の分際で、昼間から酒を飲もうとした屑共だ。どう扱おうが構わんだろ。それに今さら見られたところで困るもんでもない。もう相当数の野次馬に見られたからな」

「む、確かに」

「眠ってる奴等から財布抜いて置けよ。店の弁償の支払いに充てるからな。それにコイツ等、随分酒代を踏み倒してるらしいからな。迷惑料代わりに、銀貨を全部置いて行かせる。金貨は俺達が貰う」

「承知した」


 指示に合わせてヴィテスが、兵士から財布を抜いていく。

 中身を見て硬貨が銀貨だった場合は、カウンターの先で泣き顔を浮かべている亭主に向けて放る。金貨がある場合は、金貨を抜き取ってから亭主へと放り投げる。

 最初は何事かと思った亭主だったが、レーヴェが目配せすると状況を察し急いで財布を隠した。最後の財布を受け取った亭主は、レーヴェとヴィテスに礼をすると全ての財布を持って店の奥へと引っ込んで行った。


「ご苦労さん。金貨は何枚あった?」

「八枚。レクティが、最初に殴り飛ばした男が五枚持っていた」

「守備兵が持つには多すぎる額だな。銀貨の枚数は?」

「全員十枚前後くらいだった」

「なるほどな。どうやらどっかから金を手に入れているのは、間違いなさそうだな。」


 今さらながら、ロディアから得た情報が正しいかったことに確信をした。でなければ守備兵の給与の二倍以上の金を平気で持ち歩ける訳がない。ましてや金貨を携帯するなんてことがあるはずがないのだ。


「主、金貨を納めてくれ」

「五枚でいい。後は、三人で均等に分けてくれ」


 金貨を差し出すヴィテスの手から金貨を五枚受け取り懐にしまう。


「主は、些か気前が良すぎるのではないか?」


 流石に金貨を与えられると思っていなかったヴィテスは、眉を顰める。

 金貨を与えられることは、少なからず嬉しく思っているが、気前の良すぎる主に疑問を抱いた。金に執着し過ぎる主も問題だが、金に興味がない主はもっと問題だからだ。


「完全な臨時収入だからな。得したと思って持っていてくれ。その代り、装備品の代金はそこから出して貰う」

「む、ならば有難く頂戴しよう」


 言葉に納得したらしくヴィテスは、金を懐にしまう。折を見て二人に渡すのだろう。

 レーヴェとしては、そのまま自分の懐に入れてくれてもいいと思っているが、律儀なヴィテスは、そんな真似はしないだろう。

 真面目な従者を得たことを嬉しく思いつつも、眼前に広がる酒場の惨状を見て激しく意気消沈するレーヴェ。


 床や壁には、あちこち穴が開きテーブルや椅子は、全て破損している。苦労して揃えたと思われる陶器の食器の多くが、粉々に砕け散り最早無事な食器を見つける方が難しい状態だ。

 加えて、騒動の中心が守備兵となれば、守備隊の上の人間が間違いなく動く。

 しかも話しを総合すると動くのは恐らく、伸びている兵士達の上役。つまりロプスと繋がりのある人物である可能性が高い。


 上役に兵士達から容貌が伝えわれば、今回の一件がロプスの耳に入る可能性が非常に高い。

 耳に入ったから直ぐにどうかなる訳でもないが、貴族らしからぬ行動と思われるのは間違いない。


 他の人間の容貌を中心に伝えてくれれば問題ないが、残念ながらそれを期待するのは愚か者のすることだろう。何しろ獣人と言う特徴的過ぎる容姿を目にしているのだ。

 まず間違いなく兵士の口から出る情報だ。

 それに該当するのは、街中探してもレーヴェ達しかいないだろう。

 そのことを考えるとレーヴェの気が重くなる。本来なら、この問題を起こした馬鹿どもを、一人残らずあの世に送ってやりたいくらいだった。


「これが守備兵?随分とお粗末な腕ですね。もう少し楽しめるかと思ったのですが……」


 最後の一人を打ちのめしたレクティは、転がった兵士達を見て失望の色を向けた。


「姉ちゃんよ。アンタ達が強すぎるってのもあるぜ。可愛い顔して容赦ねぇしよ」

「尻を触らなくて良かった~。オレも危うく奴らの仲間入りをするところだった」


 ローゼリアとレクティと共に戦った放浪者達が、片隅で泡を吹いている兵士を見て言う。泡を吹いている兵士達は、全員が男の急所に強烈な一撃を加えられたモノたちだ。


「治安を司るものなら相応の力を身につけるべきでしょうに、これでは野盗の相手もできませんよ。それに断りも無しに女の体に触れる大馬鹿は、男であることをやめるべきかと」

「き、肝に銘じて置くぜ」


 にこやかな顔を向けられた放浪者達は、(こぞ)って首を縦に振る。もはや忠告を通り越して、脅迫の域に達していた。


 ちなみにローゼリアは、転がっている兵士を一瞥し「女の敵は死ねばいい」と冷たすぎる一言を放ち、周囲を震えがらせた。


 彼女達がこうなった理由を知る為には、時を少しだけ遡ることになる。


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