二人の獣人
奴隷市から十分に離れたレーヴェ達は、人気の少ない路地を選んで歩みを進めていた。
周囲を注意深く観察し、人目がないことを確認すると、レーヴェはようやく肩の力を抜いた。
「よし、ここからは楽にしていいぞ」
「ん、了解」
言葉に応じてローゼリアは、組んだ腕を離し高い伸びをする。レーヴェもそれに習い凝り固まった肩を解して行く。
長いこと気を張っていた影響もあり、想像以上に体が硬くなっていた。体の節々が、音を立てるのが分かる。
「ロゼ、じゃなくて。ローゼリア、気分はどうだ?」
「問題ない」
奴隷市に足を運んだ当初の事をしっかりと記憶していたので、帰り道でもローゼリアが動揺することを予想していたのだが、顔色を見る限り問題なさそうだった。
血色も良く、表情も落ち着いていることからレーヴェは、心の底から安堵した。
「良く耐えてくれた。おかげで助かった」
「銀貨一枚で手を打つ」
「中々、逞しいな。だが、まあ、良いだろう。不意打ち気味に連れて行ったんだ。それくらいの対価は払おう。居てくれて助かったのは事実だしな」
「まいど~」
レーヴェが要求に応じる旨を伝えると、ローゼリアは楽しげな声を上げた。
「君は、本当に貴族か?」
「もちろん。これでも引く手数多の伯爵令嬢だったりする」
「銀貨一枚で、喜ぶ伯爵令嬢か……。今の君を知ったら、貴族達は君の前に銀貨の山どころか金貨の山を築くだろうな」
あまりにも貴族とはかけ離れたローゼリアの思考に、レーヴェは頭を抱える。
銀貨を積むだけで心を動かす伯爵令嬢がいるのであれば、貴族たちは競うように金貨の山を築くだろう。それほどまで、伯爵令嬢という肩書は重い。
何故かレーヴェは、己がとんでもない間違いを犯しているような気がした。
「自分で稼いでこその喜び。欲に塗れたお金はいらない」
そう言えるのは、ローゼリアが今まで金に困ったことが無いからだろう。
一労働者の姿勢としては評価できるが、執政者としては失格だ。どんな金であれ集まればそれは大きな力となる。
「気持ちは分かるが、金は金だ。欲に塗れた金だろうが人を動かす力になる」
「それは、忠告?」
「さあな。どう取るかは自由だ。忠告と捉えてもいいし、金に汚い人間のお小言と捉えてもいい。カンに障ったのなら謝るぐらいはするぞ」
半眼で睨むローゼリアの言葉を軽く受け流すと背後の二人の獣人に向き直った。
視線の先では、外套を羽織った二人の獣人が目を丸くしている。
「自己紹介が済んでなかったな。レーヴェ=ヒルベルトだ。放浪者をやっている」
「放浪者?主は、貴族ではないのか?」
「まあ、そうなるな。さっきまでは単に貴族のフリをしていただけだ」
訝しむ獣人の男に、言葉を返すレーヴェ。
「それにしては、妙に堂に入っていたが……」
「こう見えても人生経験豊富でな。騎士や貴族の真似事程度ならできるさ」
「真似事の範疇を超えていたが……。」
「まあ、オレの事はいい。取り敢えず自己紹介して貰えるか?」
「これは失礼した」
レーヴェの言葉に反応し、獣人の男は姿勢を正した。
「我の名は、ヴィテス。隣は、妹に当たるレクティ。共に狼一族の血を引く者だ」
「短い付き合いとは、思いますがよろしくお願いいたします」
ヴィテスを名乗る獣人に続いて、少女が小さく礼を取る。
「こちらこそ宜しく頼む。短い付き合いにならないよう善処しよう」
あえて挑発しようとして口にした言葉だったが、全く気にかける様子がない。予想外の反応を返されたレクティは、口にすべき言葉を見失ってしまう。
今までの主人なら「奴隷の分際で、口答えするな。」と言って暴力に訴えてくるところなのだ。記憶の中の主人達とは、かけ離れた対応にレクティが、戸惑うのも無理はなかった。
「妹が失礼した」
「構わんよ。覇気が無いより、鼻っ柱が強い方が数倍マシだ。寧ろ反骨精神は、歓迎したいくらいだ」
「なるほど。面白い考えを持っておられるようだ。それで貴方は我らの新しい主となった訳だが、我らはこれからどうすればいい?」
「宿に戻って暖を取りたいところだが、すぐに戻る訳にはいかなくてな。どこかで時間を潰したいが……」
「店はどう?あそこなら、隠れるのに最適」
問いかけに頭を悩ませるレーヴェに、ローゼリアが提案する。
「店」と言うのは、もちろん今回の騒動の元となっている件の建物のことだ。荒れていたが、今では綺麗に掃除され、職人による修繕を待っている状態だった。
「身を隠すには十分な広さがあるが、監視が付いているからな」
ローゼリアの提案を真剣に考えてみたが、二日前辺りから店の周りにはロプスの部下が張り付いている状態だった。
その目的は、当然の如く権利書の持ち主である「レーヴェ」を見つけることだ。
万が一、店に出入りするところを見られれば「ベノワ」が「レーヴェ」であることを悟られ、慎重に進めて来た策が露見する可能性が出て来る。
「向こうは奴隷市の仕切りで、人手が足りない状態。外で自由に使える人間は限られてる」
「なるほどな。今し方、渡した情報を元に人の配置を見直すか」
「それに、見張っていたとしても眠らせればいいだけ。人手も奪えるから一石二鳥」
レーヴェの言葉に頷きつつ、更に言葉を重ねるローゼリア。
提案は、理に適っていた。あそこなら周囲を見渡せるほどの高さを有しているから警戒も楽だ。内部が広いため、何の処置をしなくても明かりを漏らさずにすむ。
監視を拘束して置く場所にも困らないので、眠らせた監視が見つかる心配もなかった。
そして、何より金を使わずに暖を取れる点は大きな利点だった。
先々のことを視野に入れるとレーヴェとしては、少しでも出費を抑えたいところだ。
奴隷市の入場料で金貨を使ったのが悔やまれるが、見せ金として必要だったと判断し、後悔の念を打ち消す。
「よし、それで行こう。少し時間を潰したら店に向かう。ヴィテス達も同行してくれ」
「ん、了解」
「承知した」
「仕方ないわね」
承諾の旨を示すローゼリアとヴィテスに続き、レクティが不本意そうに言葉を返す。
「時に主よ。時間の潰し方はもう決めているのだろうか?」
再び歩き出そうとするレーヴェに、ヴィテスが手を上げて尋ねる。
主の行動を遮る言動を取るなど。奴隷としては、あるまじき行為だが、レーヴェは特に気にすることなく応じる。
「いや、特に決めてないな。お前たちの着替えでも見繕くろうと思ったぐらいだ。何か要望でもあるのか?」
「許されるのであれば、急ぎ済ませたいことが一点」
いきなり神妙な面持ちになったので、余程重要な事なのだろう。レーヴェは、一度解いた筈の気を張り直した。
「それは?」
「食事がしたい」
「は?」
「実は、我もレクティも満足に食事をしていないのだ。だから、食事をさせて欲しい」
腹を摩りつつ、真面目な表情で答えるヴィテスの様は、実に面白い構図だった。
相当大事な要件なのだと思い。気を張った自分が馬鹿らしくなり、レーヴェは大きく脱力した。
「商会の方で、食事を取らなかったのか?」
「食事の途中で呼び出されました。おかげで食べ損ねました。久しぶりのご馳走だったのに、主様のせいですよ」
(なるほど。機嫌が悪かったのは、食事を取り損ねたせいか……)
引き取られて早々に毒を吐き、更に食事を要求してくるという奴隷の行動からかけ離れた二人を見て深い溜め息をついた。
どうやら、この二人は奴隷だからと言って、主人に遠慮するということはないらしい。付き従うだけの存在に興味はないが、遠慮が無さすぎるのも困りモノだ。
(まあ黙っていられるよりマシだな。ちょうど飯の時間だし、時間を潰すのに丁度いい)
「分かった。それじゃあ、適当な店に入って食事にしよう。肉でいいか?」
「構いません。できれば味の濃い料理がいいです」
「……注文が多いな。まあいいさ。ただ食った分はきっちり働いて返せよ。役立たずに食わせる飯はないからな」
味の濃い料理は、総じて相場が高い。理由は、香辛料を使っているからだ。ここアリスティアでは、比較的手に入りやすいモノだがそれなりに値が張る。
普通の料理が、小銅貨1枚で食べられるが、香辛料を使った料理は、少なくとも三倍の金を払わなくては食べることができない。
正直、無料飯喰らいに食べさせていいモノではない。
「無論だ」
「その点はご心配なく。食べた分は、きっちりお返しします」
(自信たっぷりだな。少し試してみるか……)
当然とばかりに言葉を返す姿を見たレーヴェは、二人を試すことにした。
結果が出れば自ずと二人の能力を見定めることができる。
「ローゼリア、硬貨用の予備の袋は持っているか?」
「あるけど。ヒルベルトも持っているでしょ?」
意図が分からず首を傾げるローゼリア。
硬貨用の予備の袋を持つのは、放浪者の常識だ。掏り対策や紛失など理由は様々だが、総じて硬貨を小分けにして携帯している。当然、レーヴェも携帯している筈だ。
「二つ必要だ」
「ん、了解」
ローゼリアは、手早く自分の硬貨を回収すると空になった袋をレーヴェに渡した。レーヴェも同様に袋を空にした。そして、それぞれに銅貨と銀貨を同じ数だけ入れ、二人に手渡した。
「銀貨一枚と銅貨五枚入っている。それで、一ヵ月間やり繰りして貰う」
「というと?」
渡された財布を見て、訝しむレクティ。
「お前達の生活費だ。どう使おうと自由だ。但し、追加はないからしっかり考えて使えよ」
「む、衣服や武器が欲しい場合もこの中から出すのだろうか?」
「今回に関しては、オレが出す。だが、その後は自分達で稼いで貰う」
ヴィテスの言葉に反応し、言葉を返す。
二人に渡した金は、普通に暮らす分には十分な額。しかし、贅沢をするのであれば少なすぎる額だ。この金をどう使うかを見ることで、二人を見定めることができる。
「つまり、欲しいモノがあるならは自分で稼げと?」
「そういうことだ」
「暇は、貰えるのですか?」
「もちろんだ。一日中という訳にはいかんが、ある程度自由が効くようにするつもりだ」
それを聞いてレクティは、考え込む。
レクティ達にとって、これは非常に好ましい話しだ。自分で稼ぎさえすれば、その金を使って何をやろうが自由なのだ。頑張り次第で、いくらでも環境を改善できる。
「稼いだ物は、全て我々の好きにしていいのでしょうか?」
「いや、半分はこちらに収めて貰う」
「そうですか」
(当然ですね。本来、奴隷である我々が稼いだ物は、主であるこの方の物。全てを回収されても文句は言えない立場。半分貰えるだけでも破格の待遇でしょう)
目の前に立つレーヴェを見据え、その言動の全てを理解しようと思考を巡らしていた。
レクティが求めるのは、己が仕えるに値する主。平民だろうが貴族だろうが、仕えるに値するならば、地の果てまで付いていく。主が望むのであれば己の操すら捧げ、子を産む覚悟がある。
だからこそ相手を冷静に見定め、己の仕えるべき主かどうかを秤に掛ける。そこに妥協は一切ない。
「稼ぐ方法に決まりはあるだろうか?」
「特にないな。法を犯さない範囲で、自由にやってくれ」
「承知した」
(楽しんでる)
レクティは、隣で受け答えをするヴィテスの表情からそれを読み取った。
いつもならもっとギラついた目で、相手を観察し早々に見切りを付けるのがお決まりの流れだった。しかし、今の兄は、どうだろう。どことなく楽しそうに見える。
(何か琴線にでも触れたのかしら?まあ、これまでの主達と比べると遥かにまともな方であることは認めますが……)
交渉の一部始終を目にした時からレーヴェが人並外れた人物であることは、理解していた。その後の対応を見てもかなりの人格者であることは分かる。
そうでなければ奴隷である自分達が、ここまで優遇されることはない。
今し方された提案もレーヴェと自分達の双方に旨味のあるモノだ。この一か月を上手く使えば、その後も継続されるだろう。
(恐らく、これは私達の能力を見定める為のモノ。結果次第で、今後の役割が大きく変わる。心して掛かる必要がありますね)
主と認めた人物ではないが、一時的とは言え自分達は仕えるのだ。己を低く見せるつもりは毛頭ない。己を低く見せるのは将来の主の恥となる。
レクティは、ヴィテスと視線を混じり合わせ互いに小さく頷いた。
「命令しかと承りました。必ずや主様の期待にお応えいたします」
深々と礼をするレクティに、レーヴェは目を見張った。
(こちらの意図に気づいたのか)
己の意図を正確に読み取ったレクティに、レーヴェは驚きを覚えたのだ。それに加え、先ほどまで感じていた粗野な動作が消え、洗練された美しい動作に変わったからだ。
(ロプスの奴、とんでもないモノを掴ませてくれたな)
二人に認められることが、どれほどの難題かをレーヴェは正確に理解した。
今まで誰も認められなかったのも無理はない。洞察力だけでもその辺の貴族や商人が相手にならないほどだ。その上、強さと礼節も備えているとあれば、主に求める水準も果てしなく高い筈である。
最高の買い物をしたと喜ぶどころが、最悪の欠陥商品を掴まされた気がしてならない。
(いかん、心が病みそうだ)
何故か最近、心労が重なる出来事しかないように思える。策が成る前に、己の精神が持つのか本気で心配になった。
もっとも心労が無くてもそろそろ休息を入れなければならない段階に来ている。
村を出てからずっと休み無しで動いていた。今日で十八日目。体に疲れが出て来てもおかしくない頃合いだ。この辺りで、一度ゆっくりと休息を取りたいところだった。
幸い向こうが動き出すまでこちらは待ちの状態だ。丸一日休んでも問題はない。
「ヒルベルト?」
「なんでもない。手早く食事を済まそう」
首を傾げこちらを伺うローゼリアの頭を軽く撫でると、レーヴェは歩き始めた。
この後、食堂にて更なる心労を重ねることになるとは、この時のレーヴェは夢にも思っていなかった。




