第16話 異常と普通と少年少女
「と、いうわけだが、大してなんも起きねーなぁ」
誰にも聞こえないような声で呟かれた穂坂迅人の本音は至極つまらなさそうだった。
転入生の少女の妹から相談を受けたわけなのだが、変わったことなど何も起きない。
変わったことなど何も起きない。
「おお、おにーさんなんか強いんだな。おかげで助かったというかなんというか」
現状を説明すると、平日で普通に学校があった日の下校時にこの少女がガラの悪い(頭も悪そうな)不良にからまれていたため偶然通りかかった穂坂が不良を撃退して現在に至る。
「なんか危機感が足りねーな、今の状態……。まだまだ序の口なんだろうけど」
少女は少女で勝手に感心してるし、穂坂は穂坂でなんかぶつぶつ言っている。
「正直、もっと面倒になると思ったんだが………うん?」
ぼそぼそとなんか呟いている穂坂迅人の制服の袖を掴むのは先程助けた少女だった。
「なあなあおにーさん助けてくれてありがとなーでも私は柔道部だからこんなの平気だったけど三人はキツイかもだけどそれを瞬殺したおにーさんって何者だー?」
ぐいぐい袖をひっぱりながらマシンガントークみたくぺらぺらぺらぺら喋る少女に少しだけ面喰うが、聞きたいことがあるらしいことが分かったので、なんとなく答えてみる気になったりする。
「まあ至極フツーの高校生だよフツーの」
「………普通の高校生は三人の不良を瞬殺できたりしないぞー?」
穂坂迅人としては結構痛いところを突かれてたりするのだが、少女はそんなことお構いなしに告げる。
「その制服うちの兄貴と同じなんだよなー。おにーさんもしかして東野京太郎って知ってるかー?」
「あー知ってる知ってるそいつ。クラスメイトだクラスメイト…………ってうん? 兄貴?」
明らかに自分に関係のありそうな話題に、一瞬だけ眉をひそめそうになるが、なんとか無表情を取り繕う。
「そうそうそれそれ! 私の名前は東野舞ってんでな、今兄貴を捜してんだよ」
「そーかそーか舞って言うのかいい名前だなー。お前の兄貴は確か委員会があってまだ学校に居るはずだぞー」
「……………おにーさんなんだか私がいるのが嫌みたいな態度だなー」
「そんなことはないぜー」
なんだかものすごく二人の話し方が独特になっていたりするのだが、そこは二人とも気にしない方向でいる。
「でもまあ学校に居るならそのうち帰ってくるだろーし、私ももう帰るな、おにーさん」
「おーう、帰り気をつけろよー」
たったったーっと軽快に駆けてゆく中学生の背中を見送ると、穂坂は倒れている不良の襟首を掴んだ。
「さて、どうしてあの中学生を襲ったんだ? 誰に言われてそんなことしている?」
見知らぬ中学生改め東野舞にからんでいた不良を穂坂迅人が撃退したのは事実だが、『偶然通りかかった』というのは少し違う。
「まあ大体分かるけど一応確認というわけでな。………まあ、黙ってれば見逃されるなんてことは考えていないだろ?」
半分独り言のような問いかけ。強く言うわけではなく、寧ろ諭すような口調だった。
「…………………っだ、誰がてめえなんかに言うかよ………」
「そーかい」
抵抗を試みる不良の襟首をあっさりと放す。不審そうな視線を向ける不良に目もくれず、後ろに視線を向ける。
「やっほう、その様子だと間に合ったみたいだね? ……それにしても迅人、随分と不機嫌そうな顔してるじゃないか」
「はっ? 俺そんな顔してました?」
「ああ、なんか嫌なことでもあったのかな?」
柔らかい笑みを湛えて歩いてくるのは、谷原遼一。穂坂の先輩であり学校を動かす生徒会長がこんな時間にこんなところに居るのは些か不自然だった。
「にしても態々忠告したのにどうしてこうも首突っ込んでくるのかな……厄介事に関わってばかりじゃ疲れるよ?」
「これが俺だからいーんすよ。それよか、先輩もこんな大事に引っ張り込まれるのは嫌なんじゃないですか?」
二人はよくわからない軽口を言いあって、和やかな雰囲気が辺りに漂っていた。
「それで? そちらから情報はあったんですか? ……御自慢の情報網とやらは」
「む、ちょっと馬鹿にしてるね。まあ有るにはあるけど」
和やかな雰囲気のまま、二人は立ち話を始める。
その頃、穂坂迅人によって地面に転がされていた不良達は、機会をうかがっていた。
今日は何故か立場が上の奴らから『適当に生徒襲ってこい』と言われたためその通りにした。
そこらへんの中学生を裏路地に連れ込んで、暴行する。それだけやればいいはずだった。
なのに、タイミング良く(彼らにとっては悪く)穂坂が現れ、このような結果となった。
このままでは、自分の立場が危うくなるかもしれない。そう考えた彼らはだからこそ機会をうかがっていた。
なぜか途中で生徒会長が出てきたが、そんなことは彼らにとっては関係ない。
こいつらを即刻潰す。三人全員が目配せをして、手にそこらに落ちていた武器になりそうなものを拾う。
そして再度目配せして、雄叫びを上げ一斉に飛びかかった。
完璧に不意を突いた。三人全員が勝利を確信した。
裏路地で、人が倒れる音がした。
ただし、その音は二つではない。
「………ったく、やっぱり事態は深刻そうだな。思ったより面倒な事になりそうだ」
「そうなんだよねー。聞いてみても意外と人数が多くてまだ全体は把握しきれていないけど、結構多いよ」
穂坂迅人と谷原遼一。二人は場所を変えて話し合いをしていた。
「結局、この辺の不良達が雇われて組織みたいなのを作ってるってのは事実なわけなんだ」
「つかなんで不良なんだよ、金持ちだったらSPでも何でも雇えるだろ。そういうわけにはいかねーのか?」
「それが駄目なんだよね。なんてったってこれは殆ど犯罪の領域に足を突っ込んでるし、それにいくらお金持ちだからって絶対的な権限なんてないし」
「なるほどなるほど」
日も大分落ちてきて、人が全くいない空き地だった。
「けどまだ本格的な活動は始まっていないから、もう少し様子見っ……てとこかな?」
「了解、また何かあったらその時は……」
「ああ、また連絡するよ」
それじゃーねー、と手を振りながら悠然と去っていく遼一を見送り、穂坂は溜め息をついた。
実は、東野舞を助けたのは偶然などではない。
あの、いつも笑っている生徒会長からの連絡があって助けに行ったというわけなのだ。
偶然ではなく、必然。それだけの違い。
「にしても、東野に妹がいたなんて、意外だったな」
誰もいない空き地で一人つぶやいて、家路に就こうとすると、メールが来た。
『今日は夕飯作らないでいい、飲み会行ってくる』
正直、医者が飲み会というのはあまりピンとこないのだが。まあ少し遅い花見にでも行くのだろう、と結論付けて、今度こそ帰路に就く。
平穏と問題の板挟みなんて、少年にとってはほぼ当然のことだった。