第10話 葛藤と刺身と少年少女
「何してんだ、てめえ」
少年と、助けを求める少女をまっすぐに見据えて放たれた声。
敵意に満ちた言葉。氷のような視線をぶつけられても、少年は全く怯まなかった。
むしろ面白そうに口の端を歪める。その壮絶な笑みに、白河は背筋が凍った。
「ああなるほど、よかったじゃないか白河さん。思ってくれるオトモダチがいて。君はそれさえも騙しているということに気付いているのかな?」
その質問の意味は平凡な穂坂迅人にはわからない。
ただ、その質問が確実に白河有希の心を抉っていることは確かだった。
「何してんだって聞いてるんだが」
答えない少年に苛立ちをぶつけるように語気を強める。
「ふん、君は見知らぬ誰に対してもそんな口調で接しているのかい? だとしたらやめた方がいい。君が思っているより世間は言葉遣いに敏感なんだよ」
「はっ、道端で暴力を振るおうとしている人間に言葉づかいを考える理由なんかあるとでも思っているのかよ?」
刺々しい言葉の応酬。馴れあいとは縁遠い態度。冷たく交差する二人の視線は、静かに睨みあいを続けていた。
沈黙がその場を支配して、時間だけが淡々と過ぎていく。
「………ふん」
突然踵を返して歩き出す少年。
「今回は一応ここまでにしておくけれど、次は無いと思ってほしい。一般人は巻き込むべきではないだろうからね」
捨て台詞のように言って去っていく少年。その背中を無言で一瞥すると、震え続ける少女に声をかける。
「白河さん、大丈夫か?」
答えられる程の余裕がないのか、それとも聞こえていないのか。口の中で何かをつぶやいている。
顔面蒼白でぶつぶつと「なんでここに…」とか「どうやってここが…」などとつぶやいている。
(な、なんだかまずい。何がまずいってこの空気が! どうすればいいんだぁッ!?)
気まずい少年の選択肢は考えられる限り3つ。
選択肢その1。 気付いてないみたいなのでこのまま立ち去る。
選択肢その2。 あの少年はなんなのかと聞いてみる。
選択肢その3。 無かったことにしてみる。
(いや1はまずないだろでも2もそれはそれで無遠慮だし3なんてそんな器用な真似できるかーっ!!)
選択肢が壊滅した少年は心の中で悶絶し続けるのだが、それでなんらかの変化があるわけがない。
そんな中で、何かを決心するようにつぶやいた白河はおそるおそる声をかけてみる。
「っあ、あの…穂坂さん………」
心の中でごろごろ悶え転がるのに集中してしまい、声をかけられたことに気付かない穂坂。
「ッ……え、あっ……う、あ……。……っ、ほ、穂坂、さんっ……?」
いつの間にかしゃがみこんで頭を抱えるほど悩んでいる穂坂。困ったときの対処法をよく知らないようだ。
おろおろと慌てる美少女と、しゃがみこんで頭を抱える少年。周囲からみると果てしなくシュールだ。
「あ、あのぅ……穂坂さーん?」
「っへ? ああいや、悪い」
半分くらい涙目で顔を上げる穂坂。しかしすぐに何事もなかったかのように立つと、自然と二人が向き合うような形になる。
「…………………………」
「…………………………」
二人とも、無言。とても気まずい雰囲気が漂っている。
穂坂はこの事態の打開策を考えていて。
白河はもじもじとしながら何かを伝えようとしているが。
やはり無言だった。
とその瞬間、穂坂の携帯から着信音が鳴り響く。
悪い、と一言謝って携帯を開くと、1件メールが届いている。
差出人はあの名医で、内容はたった一文。
『サッサトカエッテコイ』
一気に現実に引き戻された。そういや刺身買ってこいって言われてたっけとか思ったのは一瞬だけで、猛烈に嫌な予感に襲われる。
帰らないと、コロサレル。
冗談抜きな話で、あの人は食にうるさい。食材や料理にうるさいのではなく、『食』の『時間』にうるさいのだ。
カタカナの文面で自分の運命が危ういのを察した穂坂は、早急に携帯を折りたたむと、刺身を買って帰るべく走り出そうとした。
だが、彼の前には解決すべき問題が残されている。これを何とかしない事には、どうしようもできない。
どうすべきかと迷ったのは数瞬。
解決できないなら保留にしてしまおう。と考えた彼は、早速行動に移すことにした。
「悪い白河さん、俺ちょっと用事ができたから急がないとまずいんだ。だからまた明日なっ!」
言い終わる前に駆け出して、全力疾走を開始しようとする。
だが、やっぱりいきなり行っちゃうのも悪いな、と考えた彼は、一度振り返って
「なんか困ったことあったら言ってくれ。いつでも相談に乗るからさ」
そう言って、勢いよく全力疾走を開始する。刺身をゲットすべく、全力で突っ走る。
「………変なひと」
花が咲くような微笑みと共につぶやかれた言葉は、少年のいない道に消えた。