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崖っぷちアイドルの自炊革命  作者: 北大路京介


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8/9

第八話:潮騒の結晶

ワゴン車は瀬戸内の穏やかな海を離れ、太平洋の荒波が打ち寄せる四国の最南端へと辿り着いた。空はどこまでも青く、鼻をつくのは濃厚な潮の香りと、どこか懐かしい薪を焼く匂いだ。


「ここが、私たちの『究極の出汁』の源流よ」


悠里が案内したのは、海岸線にへばりつくように建つ、真っ黒に煤けた木造の小屋だった。そこは、伝統的な「手火山式てびやましき」という製法を守り続ける、最後の一軒の鰹節製造所だった。


中に入ると、立ち込める煙で視界が霞む。その奥で、鬼のような形相をした一人の老人が、燃え盛る炎を素手で操るかのように、網の上の鰹を見つめていた。職人の名は、龍三。


「……何の用だ。ひ弱なアイドルが来るような場所じゃねえ」


龍三の声は、地鳴りのように低かった。彼は明菜たちの挨拶を一蹴し、今まさに煙に燻されている鰹の身を指さした。


「この煙が見えるか。これは、樫やクヌギの命を燃やした煙だ。その熱と煙を鰹に叩き込み、一ヶ月かけて水分を抜き、さらに数ヶ月かけてカビを付け、熟成させる。機械なら数日で終わる工程に、俺は半年かける。……なぜか分かるか?」


明菜は、その黒く輝く、もはや石のように硬くなった「本枯節ほんがれぶし」を見つめた。


「……時間を、食べさせるためですか?」


龍三の眼光が、一瞬だけ和らいだ。


「そうだ。時間をかけなきゃ、鰹の中にある本当の旨味は目覚めねえ。だがな、お嬢ちゃん。世の中は『即席』ばかりだ。粉末を溶かせば出汁になると信じている連中に、この半年間の重みが分かるか?」


今、龍三の製造所は廃業の危機にあった。あまりにも過酷な労働と、安価な大量生産品に押され、注文は激減。龍三自身も、煙に焼かれた肺を病んでいた。


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その夜の配信。明菜は、龍三から託された一本の鰹節と、古びた削り器をカメラの前に置いた。


「皆さん。今夜は、料理をしません。ただ、この『音』を聴いてください」


明菜は削り器に跨り、本枯節をゆっくりと滑らせた。


「シュッ……シュッ……」


それは、乾いた、けれど重厚な、バイオリンの弦を弾くような美しい音だった。削り器の引き出しを開けると、そこには、ルビーのように透き通った、薄く、可憐な削り節が踊っていた。


「この一切れが出来るまでに、半年という月日が流れています。春に獲れた鰹が、夏を越し、秋の風に吹かれて、ようやくこの姿になる。私たちは、季節を削っているんです」


明菜は、削りたての節を一掴み、沸騰したばかりの鍋に放った。

その瞬間、画面越しにも伝わるような、圧倒的な「香りの奔流」が部屋を満たした。それは、工場の抽出エキスには逆立ちしても真似できない、深くて、気高い、海の魂の叫びだった。


「志乃ちゃん。……お願い」


志乃は、龍三の仕事場の煤で汚れた床に裸足で立ち、マイクなしで歌い始めた。

それは、荒れ狂う海で命を懸ける漁師たちの挽歌であり、炎の前で孤独に耐える職人への賛歌だった。


その歌声に合わせて、明菜はお椀に一番出汁を注ぎ、ほんの少しの塩だけで味を整えた。


『音が、香りが聞こえてくるみたいだ』

『今まで食べてた出汁は何だったの?』

『半年という時間を飲む……贅沢すぎて言葉が出ない』


コメント欄が静まり返る。人々は、画面越しに「時間の重み」を共有していた。


明菜は、出来上がった出汁を龍三に差し出した。

「龍三さん。あなたの人生を、私に飲ませてください」


龍三は震える手で椀を受け取り、一口、ゆっくりと含んだ。

「……ああ。……良い出汁だ。俺が死んでも、この味は……この子たちの歌の中で生き続けるんだな」


龍三の目から、熱い涙がこぼれ、出汁の中に落ちた。


配信が終わった後、悠里はスマホを龍三に見せた。

「龍三さん。あなたの鰹節、世界中のトップシェフから予約が殺到しているわよ。……『半年待つ価値がある』。それが、今の世界が出した答えよ」


龍三は、夜の海を見つめながら、静かに笑った。


翌朝、村を発つ明菜に、龍三は自分が長年使い続けた削り器を渡した。

「これを持っていけ。本物の味を知ったお前なら、この刃を錆びさせることはねえだろう」


「はい。大切に、研ぎ続けます」


ハイエースの荷台には、新しく削られた「時間の結晶」が積み込まれた。

HI-TECHの旅は、いよいよ終盤へ。


一汁一菜。

ご飯、味噌汁、そしてこの「究極の出汁」。

全てが揃った時、明菜たちは、自分たちをどん底まで突き落とした、あの「都会の象徴」との決戦に挑むことになる。


(第九話へ続く)

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