第六話:種を継ぐ歌
都会のビル群が朝霧に溶け、ハイエースの窓の外には、見渡す限りの赤土の畑が広がっていた。HI-TECHの「炊き出しライブツアー」の最初の目的地は、九州の山間にある小さな集落だ。そこには、数百年もの間、村人たちだけで守り続けてきた伝説の「火の国大根」がある。
「見て、明菜さん。畑が……なんだか、寂しそう」
志乃が指さした先には、収穫されないまま枯れ果てた野菜の残骸と、手入れの行き届かない放棄地が点在していた。
村の公民館に到着した一行を迎えたのは、数人の老人たちだけだった。若者の姿はどこにもない。村長を務める茂作という老人は、明菜たちの派手な機材と衣装を見て、苦々しく吐き捨てた。
「お嬢ちゃんたち、歌を歌いに来たのか? 悪いが、そんな余裕はこの村にはねえよ。この『火の国大根』の種も、わしの代で終わりだ。誰も継ぐもんがおらん。食いたきゃ勝手に引っこ抜いて帰るがいい」
かつてこの大根は、滋養強壮に効く「神の野菜」と崇められていた。しかし、栽培に手間がかかりすぎるうえ、市場では「形が悪い」と安値で叩かれる。農家たちは次々と廃業し、残ったのは誇りだけを抱えた老人たちだった。
「茂作さん。私たちは、ただ歌いに来たんじゃありません。この大根の『魂』を、世界中に配信しに来たんです」
明菜は、公民館の隅に置かれていた、煤けた古い大釜を磨き始めた。
その夜、ライブツアーの第一回生配信が始まった。ステージは、公民館の前にある、ひび割れたアスファルトの上。照明は、スタッフが持参した数台のLEDだけだ。
「皆さん、こんばんは。HI-TECHです。今日、私たちは日本の宝物が消えようとしている場所にいます」
明菜は、画面に向かって「火の国大根」を掲げた。それは、通常の大根よりも短く、けれど岩のようにゴツゴツとした力強い質感を持っていた。
「この大根には、何百年の間、この土地を耕してきた人たちの涙と汗が詰まっています。効率が悪いから、儲からないから。そんな理由で、この命の連鎖を止めていいはずがありません」
明菜は、茂作から教わった「大根の麦味噌煮」を作り始めた。
包丁が入りにくいほどに身が詰まった大根を、厚切りにして釜に放り込む。麦味噌の香ばしい匂いが、夜の冷気の中に広がっていく。
「志乃ちゃん。今、歌える?」
明菜の問いに、志乃は力強く頷いた。
「ええ。この大根の、土の底から響くような音、私には聞こえる」
音楽が始まった。それは、いつものデジタルなダンスミュージックではない。村に古くから伝わるわらべ歌をアレンジした、魂を揺さぶるようなアカペラだった。
志乃の歌声は、静まり返った村の隅々まで染み渡っていった。
家に閉じこもっていた老人たちが、一人、また一人と灯りに引き寄せられるように集まってくる。画面の向こう側では、視聴者数が一気に数万人に膨れ上がっていた。
『アイドルの歌を聴いて、初めて「土」の匂いを感じた』
『あの煮物、宝石みたいに見える』
『どうしてこんなに美しいものが、捨てられようとしてるの?』
コメント欄には、いつしか批判ではなく、この村の現状を憂い、応援する言葉が溢れていた。
「茂作さん、食べてください」
明菜は、一時間じっくりと煮込んだ大根を、震える手で茂作に差し出した。
茂作は一口食べると、顔を歪めて泣き出した。
「……これだ。ばあさまが、わしが子供の頃に作ってくれた味だ。厳しい冬を越すために、この大根を食べて、わしらは命を繋いできたんだ」
「茂作さん。この大根は、死んでいません。今、画面の向こうで、何万人もの人がこの味を『食べたい』と言っています。私たちが、この種を未来に繋ぐ架け橋になります」
悠里は、その光景をスマホのカメラで捉えながら、密かに次なる手を打っていた。
「こちら悠里。都内の自然派レストランのオーナーたちに連絡を。この大根、言い値で買い取らせるわよ。流通ルートは私が作る」
配信が終わる頃には、村の広場は小さな祭りのような熱気に包まれていた。
明菜が作った大根を囲み、若者と老人が、世代を超えて語り合う。
「志乃ちゃん、聞こえる? 土が笑ってるよ」
「本当ね。私、歌うことがこんなに誰かを熱くさせるなんて、今まで知らなかった」
志乃は、泥で汚れた自分の衣装を愛おしそうに見つめた。
それは、高級なシルクよりもずっと、彼女を輝かせていた。
翌朝、村を出発する一行に、茂作が小さな袋を手渡した。
「……これを持ってけ。火の国大根の、一番良い種だ。お前さんたちなら、これをどこに植えればいいか、分かるだろう」
明菜はその袋を、宝物のように胸に抱いた。
「はい。必ず、次の土へ運びます」
HI-TECHのワゴン車は、次の目的地へと走り出した。
彼女たちが歌えば歌うほど、料理を作れば作るほど、日本の土壌に、失われかけていた希望という名の種が蒔かれていく。
けれど、この旅はまだ始まったばかり。
彼女たちの前に、食の近代化という名の巨大な壁が、再び立ちはだかろうとしていた。




