第三話:泥のついた真実
志乃が配信で見せた涙は、ネット上で大きな反響を呼んだ。ストイックな完璧主義者として知られた彼女の人間らしい一面は、皮肉にもグループへの注目度をこれまで以上に引き上げた。しかし、その喧騒を他所に、プロデューサーの悠里は次なる「劇薬」を用意していた。
「明菜、明日から三日間、スケジュールを空けておきなさい。志乃もよ」
悠里の言葉に従い、二人が連れてこられたのは、都心から車で三時間。霧深い山間に広がる小さな農村だった。
「ここで、何をするんですか?」
明菜が尋ねると、悠里は窓の外を指さした。そこには、腰まで泥に浸かって作業をする老人の姿と、荒々しくも生命力に満ちた緑の畑が広がっていた。
「あなたたちの料理配信には、まだ足りないものがある。それは『土の声』よ。明菜、あなたはスーパーで並んでいる綺麗な野菜しか知らない。志乃、あなたはカロリーの数値しか見ていない。食べ物がどこから来て、どうしてその味になるのか、その根源を肌で知りなさい」
二人に手渡されたのは、厚手の軍手と長靴だった。
お世話になるのは、この地で代々、無農薬栽培を続けている源三という名の農家だった。源三は、アイドルの二人を前にしても一切媚びる様子はなく、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「最近の若いもんは、スーパーの野菜が工場で作られてるとでも思っとる。おい、お嬢ちゃんたち。まずはその大根を引き抜いてみろ。力任せじゃダメだ。土に相談するんだ」
志乃は露骨に嫌な顔をしたが、悠里の視線に抗えず、泥に足を向けた。明菜は対照的に、どこか懐かしさを感じながら土を掴んだ。
「よいしょ……っ!」
明菜が引き抜いた大根は、驚くほど重く、そして形が歪だった。スーパーで見かける真っ直ぐで色白な姿とは違い、土をしっかりと抱え込み、あちこちから細い根が髭のように伸びている。
「うわあ……すごい。生きてるみたい」
「当たり前だ、生きてるんだ。化学肥量で無理やり太らせたもんじゃねえ。自分の力で地中深くの水を求めて、必死に根を伸ばした結果がその形だ」
源三は泥を払い、ナイフで大根の先端を薄く切って二人に差し出した。
「食ってみろ」
志乃は躊躇したが、明菜が先に口にし、目を見開くのを見て、後に続いた。
「っ……!」
口の中に広がったのは、猛烈な「辛み」と、その後に追いかけてくる圧倒的な「甘み」だった。水分が弾け、大地の香りが鼻を抜ける。それは、これまで食べてきた「野菜」という概念を根底から覆す、暴力的なまでの生命の味だった。
「苦い……でも、甘い。何これ、全然違う……」
志乃が呆然と呟く。源三は初めて、わずかに口角を上げた。
「それが命の味だ。綺麗なだけの野菜を作るには、虫を殺し、草を殺し、土を殺さなきゃならん。だが、この畑は違う。虫も草も敵じゃねえ。全部が混ざり合って、この味を作ってるんだ。お前さんたちが歌ってる『調和』ってのは、こういうことじゃねえのか?」
源三の言葉は、雁が空を切るような鋭さで二人の胸に突き刺さった。雁屋流の哲学――自然を征服するのではなく、自然の一部として生きる。その思想が、泥の感触を通じて明菜の体内に染み込んでいく。
その夜、明菜は農家の土間で配信の準備を整えた。今回の照明は、古いランタンと月明かりだけだ。
「皆さん、こんばんは。今日は山の中からお届けしています」
画面に映る明菜と志乃は、顔に泥がつき、髪も少し乱れている。しかし、その瞳は今までにないほど澄んでいた。
「今日、私は初めて知りました。一本の大根が育つまでに、どれだけの虫や草が、土の一部になっていったかを。美味しいという言葉の裏には、たくさんの死と、それを上回る強い生があるんです」
明菜は、源三から分けてもらった大根と、その葉、そして地元の味噌だけを並べた。
「今夜は、大根の皮をきんぴらにして、葉っぱは細かく刻んでお味噌汁に入れます。捨てるところなんて、どこにもない。だって、この泥の一粒一粒までが、栄養なんですから」
包丁の音が、夜の静寂に響く。志乃も隣で、慣れない手つきながらも一生懸命に大根の葉を刻んでいた。
「私……ずっと、数字ばっかり気にしてた」
志乃がカメラに向かって語り始めた。
「カロリーが低いとか、栄養バランスがいいとか。でも、今日土を触って、この大根を食べて分かった。私が欲しかったのは、数字じゃなくて、この温かさだったんだって。自分の体に入れるものを、こんなに愛おしいと思ったのは初めてです」
二人が作ったのは、大根のすべてを使い切った「大根尽くしの一汁一菜」。
コメント欄には、都会の喧騒に疲れた人々からの言葉が溢れた。
『二人の顔、すごく綺麗だ。メイクしてた時よりずっといい』 『スーパーの野菜を見る目が変わりそう』 『大根の葉っぱが、あんなに美味しそうに見えるなんて』
配信を見守っていた源三は、画面の外でふんと鼻を鳴らし、悠里に向かって言った。
「あのお嬢ちゃんたち、いい筋してる。特にあの明菜って子だ。ありゃ、ただのアイドルじゃねえな。食の神様に愛されてる」
悠里は静かに頷き、ウィスキーを一口含んだ。
「ええ。彼女は、この飽食の時代に、本当の『空腹』を思い出させてくれる。HI-TECHは、ここから本物の表現者になっていくわ」
配信が終わった後、明菜は夜空を見上げた。都会では見ることのできない、降り注ぐような星空。
「志乃ちゃん。私たち、もっと強くなれる気がするね」
「……そうね。とりあえず、明日の朝ごはんの支度、手伝うわ。あの美味しい大根の漬物、もっと食べたいし」
二人の笑い声が、夜の山間に溶けていった。 それは、偽りの「映え」を捨て、泥にまみれた真実を掴み取った彼女たちの、新たな門出だった。




