祭りの夜に
提灯の光が宙に浮かぶように揺れていた。小さな町の広場には、色とりどりの布が張られ、どこからともなく音楽が流れてくる。
焚き火の周囲では誰もが笑っていた。菓子を持つ子どもたちがくるくると走り回り、年配の夫婦がゆったりと踊りの輪を描いている。
「セラフィーナ様、昼間よりずっと楽しそうに見えますよ」
からかうような声に、セラフィーナはふっと目を細める。
「そう見えるのなら、あなたのおかげかもしれません」
視線が交わる。けれどその瞬間、彼女は何かに気づいたように横を向いた。
人垣の隙間を抜け、小さな屋台の陰へと足を向ける。当然アデルもついていく。
そこには、割れた陶器の皿を前にして、しゃがみ込む少年がいた。屋台の皿を落としてしまったのか、泣きそうな顔で動けずにいる。
「大丈夫? 怪我はしていませんか?」
セラフィーナが膝をついて声をかけると、少年ははっとして首を横に振った。
「ごめんなさい、お姉ちゃん。お、お皿、割っちゃって」
「謝らなくていいの。痛くないなら、それでよかった」
彼女は破片を拾い、慎重にひとまとめにする。
そして、そっと小さな手を取り、優しく目を閉じた。
「この子の手が、明日もきれいに動きますように」
小声で祈る彼女の背後で、アデルも静かに片膝をついた。なんとなく、そうしたい気分だった。
胸元の聖印に手を添え、無言のまま騎士団式の祈りの型を結ぶ。右手は胸に、左手は地へ。民のために神へと誓う、王国聖騎士の古い礼の形だ。
「それ……お父さんが教えてくれたやつだ。騎士さまのお祈り……! お兄さん、騎士さまなの?!」
「ああ。一応な」
「僕、大きくなったら騎士になるんだ!」
「いいな。楽しみにしてるよ」
アデルが立ち上がり、軽く頭を撫でると、少年は笑顔で走っていった。セラフィーナはその背を見送りながら、そっとつぶやく。
「あなた、普段はああいうことをなさらないのでしょう?」
「まあ、ほら。祭りって、いつもと違う気分になりますし」
「……そうかもしれませんわね」
風に舞う火の粉が、ふたりの間を通り抜けた。
広場では新しい曲が始まり、人々が踊りの輪に加わっていく。セラフィーナは、アデルを見上げた。
「一曲だけ、踊ってくださらない?」
「それは命令ですか?」
「お願いです。任務とは別に」
騎士は小さく笑い、慇懃に腰を折って手を差し出した。
「かしこまりました。お受けします」
手と手をとり合い、曲に合わせて身体を揺らすだけの、素朴なステップ。高貴な王女様がこんな場所にいるとは、まさか誰も思わないだろう。
「私が王女じゃなくても、あなたは護衛を引き受けてくれましたか?」
冗談交じりの問いかけに、アデルは少しだけ間を置いて、頷いた。
「きっと、そうですね」
「どうして?」
「放っておいたら、勝手に危ないことしそうなんで」
踊りの流れに合わせて、セラフィーナがくるりと回る。アデルは一歩引いて受け止めると、さらりと言葉を継いだ。
「姫様であることと、あなた自身がどんな人かは、まるで別の話ですし」
セラフィーナは楽しそうに笑う。仮面も装いもない、素の笑顔だった。
「もうひとつ、訊ねても?」
「なんなりと」
「……なぜ引退しようと思ったの?」
アデルはすぐには答えなかった。
ほんの数拍遅れて、穏やかに口を開く。
「俺が残ってたら、下の連中がいつまで経っても昇進できないんですよ」
「聖騎士アデル・ヴァルトといえば、戦も政治交渉もこなす万能人。私のところにまでお名前が聞こえていたくらいですものね」
「……あー、やっぱ今のナシで。恥ずかしいからやめてください」
曲が少し速くなり、輪の中心が盛り上がっていく。
「後進に席を譲る、なんて、建前です。歳のせいでもない」
「本当の理由は?」
「……疲れたんです。嘘をつくのにも、剣を振るのにも、忠誠の名で何かを切り捨てるのにも」
セラフィーナはそっと目を伏せた。
「それに……夢だったんですよ。自分の店を出して、静かに暮らすのが」
「どんなお店?」
「子どもの頃、雑貨屋で時計ばかりいじってる爺さんに憧れてましてね。好きなものを好きなだけ並べて、客にうんちくを語るんです。最高じゃないですか?」
「ふふ、あなたらしいわね」
「笑いました?」
「いいえ。素敵だと思ったの」
曲が終わるころには、焚き火の炎はやや小さくなり、広場には余韻のような静けさが訪れていた。
夜の風が少し涼しい。けれど、彼らの心にはあたたかさが残っていた。




