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聖騎士アデルは辞められない  作者: 笛吹葉月


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7/8

祭りの夜に

 提灯の光が宙に浮かぶように揺れていた。小さな町の広場には、色とりどりの布が張られ、どこからともなく音楽が流れてくる。

 焚き火の周囲では誰もが笑っていた。菓子を持つ子どもたちがくるくると走り回り、年配の夫婦がゆったりと踊りの輪を描いている。


「セラフィーナ様、昼間よりずっと楽しそうに見えますよ」


 からかうような声に、セラフィーナはふっと目を細める。


「そう見えるのなら、あなたのおかげかもしれません」


 視線が交わる。けれどその瞬間、彼女は何かに気づいたように横を向いた。

 人垣の隙間を抜け、小さな屋台の陰へと足を向ける。当然アデルもついていく。

 そこには、割れた陶器の皿を前にして、しゃがみ込む少年がいた。屋台の皿を落としてしまったのか、泣きそうな顔で動けずにいる。


「大丈夫? 怪我はしていませんか?」


 セラフィーナが膝をついて声をかけると、少年ははっとして首を横に振った。


「ごめんなさい、お姉ちゃん。お、お皿、割っちゃって」

「謝らなくていいの。痛くないなら、それでよかった」


 彼女は破片を拾い、慎重にひとまとめにする。

 そして、そっと小さな手を取り、優しく目を閉じた。


「この子の手が、明日もきれいに動きますように」


 小声で祈る彼女の背後で、アデルも静かに片膝をついた。なんとなく、そうしたい気分だった。

 胸元の聖印に手を添え、無言のまま騎士団式の祈りの型を結ぶ。右手は胸に、左手は地へ。民のために神へと誓う、王国聖騎士の古い礼の形だ。


「それ……お父さんが教えてくれたやつだ。騎士さまのお祈り……! お兄さん、騎士さまなの?!」

「ああ。一応な」

「僕、大きくなったら騎士になるんだ!」

「いいな。楽しみにしてるよ」


 アデルが立ち上がり、軽く頭を撫でると、少年は笑顔で走っていった。セラフィーナはその背を見送りながら、そっとつぶやく。


「あなた、普段はああいうことをなさらないのでしょう?」

「まあ、ほら。祭りって、いつもと違う気分になりますし」

「……そうかもしれませんわね」


 風に舞う火の粉が、ふたりの間を通り抜けた。


 広場では新しい曲が始まり、人々が踊りの輪に加わっていく。セラフィーナは、アデルを見上げた。


「一曲だけ、踊ってくださらない?」

「それは命令ですか?」

「お願いです。任務とは別に」


 騎士は小さく笑い、慇懃に腰を折って手を差し出した。


「かしこまりました。お受けします」


 手と手をとり合い、曲に合わせて身体を揺らすだけの、素朴なステップ。高貴な王女様がこんな場所にいるとは、まさか誰も思わないだろう。


「私が王女じゃなくても、あなたは護衛を引き受けてくれましたか?」


 冗談交じりの問いかけに、アデルは少しだけ間を置いて、頷いた。


「きっと、そうですね」

「どうして?」

「放っておいたら、勝手に危ないことしそうなんで」


 踊りの流れに合わせて、セラフィーナがくるりと回る。アデルは一歩引いて受け止めると、さらりと言葉を継いだ。


「姫様であることと、あなた自身がどんな人かは、まるで別の話ですし」


 セラフィーナは楽しそうに笑う。仮面も装いもない、素の笑顔だった。


「もうひとつ、訊ねても?」

「なんなりと」

「……なぜ引退しようと思ったの?」


 アデルはすぐには答えなかった。

 ほんの数拍遅れて、穏やかに口を開く。


「俺が残ってたら、下の連中がいつまで経っても昇進できないんですよ」

「聖騎士アデル・ヴァルトといえば、戦も政治交渉もこなす万能人。私のところにまでお名前が聞こえていたくらいですものね」

「……あー、やっぱ今のナシで。恥ずかしいからやめてください」


 曲が少し速くなり、輪の中心が盛り上がっていく。


「後進に席を譲る、なんて、建前です。歳のせいでもない」

「本当の理由は?」

「……疲れたんです。嘘をつくのにも、剣を振るのにも、忠誠の名で何かを切り捨てるのにも」


 セラフィーナはそっと目を伏せた。


「それに……夢だったんですよ。自分の店を出して、静かに暮らすのが」

「どんなお店?」

「子どもの頃、雑貨屋で時計ばかりいじってる爺さんに憧れてましてね。好きなものを好きなだけ並べて、客にうんちくを語るんです。最高じゃないですか?」

「ふふ、あなたらしいわね」

「笑いました?」

「いいえ。素敵だと思ったの」


 曲が終わるころには、焚き火の炎はやや小さくなり、広場には余韻のような静けさが訪れていた。

 夜の風が少し涼しい。けれど、彼らの心にはあたたかさが残っていた。


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