王女の目的
夕暮れが近づき、石畳の街道に屋台が並び始める。香ばしい匂いと弦楽の音が混ざり合い、いよいよ祭りの準備も大詰めといった雰囲気だ。
「どうにか着きましたわね。……ちょっとだけ、寄り道してもいいかしら?」
セラフィーナが立ち止まってアデルを振り返る。
「目的地は?」
「秘密」
「ダメですね」
ぴしゃりと即答すると、彼女は少しむくれたように唇を尖らせた。
「本当に少しだけ。お願いします」
アデルはため息をひとつ。
「対象の『少しだけ』が信用できないのは護衛あるあるですが、……まあ、ここからそう遠くに行かないと約束していただければ」
「ええ、ちゃんと戻ってくるわ!」
それだけ言うと、セラフィーナは人混みに紛れるように、軽やかに歩き出した。
ああは言ったが、黙って見送るはずもない。アデルがこっそりと後をつけると、彼女が入っていったのは、小さな通りに面した古びた建物。町の診療所だった。
通りに現れる子どもたちに笑いかけながら、医師と思しき老爺に、小さいが重たげな袋を渡している。何度も頭を下げる老医師の姿に、アデルはそっと苦笑した。やはり、王女の目的はこちらだったのだろう。
何食わぬ顔で戻ってきたセラフィーナを、アデルの側も、同じ場所で待ち続けていたかのように出迎えた。
「お待たせしてごめんなさい。お土産はないけれど、面白そうな通りを見つけました」
「まだ祭りが始まるまでは時間がある。屋台でも見てみますか?」
「はい、ぜひ!」
小広場では、浮足立った様子の市民が行き交っていた。華やかな飾りを手にした子どもたちが笑い声を上げ、屋台の串焼きや砂糖菓子の匂いが風に混ざる。
「ねえ、あれ……!」
セラフィーナが小さく声を上げ、裾を引いた。彼女の視線の先には、ガラス細工の屋台。色とりどりの小瓶や装飾品が夕陽に透けてきらめいている。
「ほら、見て。この星の形、可愛らしいですわ」
「買っていきますか?」
「いいえ、見るだけ。でもこういうの、好きなの」
セラフィーナの横顔を見ながら、アデルは微笑む。
「意外でした。もっと実用一点張りな方かと」
「そう見えましたか? あなたこそ、騎士というのは無駄を嫌いそうですけど」
「俺も別に嫌いじゃないですよ。それにほら、何事をするにも心の余裕は大事です。あの昼間の店も、もう少し換気がよくされてたら常連になってたかも」
「あそこも楽しいお店でしたわね!」
と、そのとき。セラフィーナがふっと目線を斜め後ろに向けた。
「……また、ついてきてるわね」
柔らかな笑みのまま、その声音は確かに鋭さを帯びていた。
「例の監視役ですか?」
「ええ。あからさまには見ないで。たぶん、こちらが気づいていないと思っています。……ちょっとだけ、いたずらをしてしまいましょうか」
「え?」
目線で促され、裏路地へ。次の瞬間、セラフィーナは突然くるりと向き直り、アデルの胸元へと飛び込んだ。
「ヴォーレ・メス、ダーレナ・イスト……!」
異国の言葉とともに、顔を寄せ、唇を近づけて――。
「っ……!? ちょっ……!」
「イスト・ヴォール、ミーア!」
大袈裟に頬へキスを仕掛けるふりをしながら、腕に抱きつく。
後方にいた監視役の気配は、しばらく留まっていたのだが。やがて、方向を変え立ち去っていった。
足音が遠ざかるのを確認したところで、セラフィーナはアデルの胸元から顔を離した。
「……ふう、どうにか撒きましたわね」
「撒きましたわね、じゃないんすよ……!」
あれだけ大胆な振る舞いを見て、遠目には王女様だと誰も思うまい。アデルは心を落ち着けるべく深呼吸をひとつしてから、口を開いた。
「さっきの言葉、どこで覚えたんですか」
「外交修行中ですもの。いざという時のために、ちょっとだけ」
「ちょっとで、あんなに流暢にキスをせがむ台詞が出るんですね」
「あら……あなた、話せるの?」
「今どきの聖騎士は、剣だけじゃなく、ペンも握れないと務まりませんから」
「ふふ、あなたに去られてしまう団長に同情しますわ。それで、私のお芝居はどうでした?」
その笑顔に、アデルは観念したように肩を落とす。
「監視を撒いたら、もう単独行動しないでくださいよ。心臓に悪い」
「ごめんなさい。でも、何かあってもあなたがいるし」
「それは光栄ですけど。……じゃあ、俺が任務をつつがなく進められるように、ひとつ訊いてもいいですか?」
「なにかしら?」
アデルは足元の小石をつま先で蹴った。
「姫様。さっき、診療所に行きましたよね?」
セラフィーナは一瞬、目を丸くする。
「見てたんですの?」
「いえ、全部は。まあ、袖のインクも気になってましたし」
指さすと、セラフィーナは自分の右袖を見下ろす。薄くついた黒い汚れ。修道院の掲示板にでも擦れたのだろうと言えば、今度は少女が肩をすくめる番だった。
「抜け目がありませんわね」
「仕事ですから」
セラフィーナはふうとため息をつく。
「……城に籠もっていては助けられない者もいます。これは私個人のわがままで、王家の事業とは関係ありませんわ」
「今までよく騒ぎになりませんでしたね」
「もちろん素性は明かしません。皆様には、とある慈善団体からの寄付とお伝えしていますから。それに、まさか王族が直接訪ねてくるとは思わないでしょう?」
「演技が板についているわけだ」
「方言を真似るのもコツですのよ」
「監視役ってのも大変だろうな」
そう言いつつ、アデルは唐突にセラフィーナの手をとり、まっすぐ前を指差した。その先には、屋台の灯りに照らされた仮装店がある。扇型の仮面や、花を模した髪飾り、リボン、色とりどりの布地が風に揺れていた。
「今朝、祭りを一番楽しみにしてるって言ってましたよね。なら、ああいうのを見ておかないと損です」
「……誘ってくれるの?」
「護衛ですから」
セラフィーナは笑みを浮かべ、少しだけ顔を赤らめた。
「ねえ。今日だけ、アデルと呼んでもいいかしら?」
「セラフィーナ様の仰せのままに」
石畳に灯りがともり始め、音楽と笑い声が街を彩っていく。二人は軽く手を引き合って、祭りの始まりへと踏み込んだ。




