駅馬車に乗って
夜の祭りが開かれるのは隣の町である。それまでに移動をしておこうと、二人は乗合の馬車に乗り込んだ。
車輪が、乾いた道をゆっくりと転がっていく。馬の足取りは安定しており、車内は思った以上に静かだった。が、アデルの意識は、ある一点に釘付けになっている。
六人乗りの車内。商人風の男が一人、旅装の女性が一人、眠そうな子供を連れた親子、そして自分たち。
「……姫様。ここらで降りませんか」
アデルがひそひそと伝えると、セラフィーナは怪訝そうに眉をひそめる。
「え? でも、目的地まではまだ……」
「あの厚着の男。ずっと右肩を壁に向けている。それと、首に巻いてたスカーフを途中で右手に掛け直したの、お気づきになりました?」
「……いいえ」
「利き腕を隠して構えを取る癖は、隠密訓練を受けた奴にありがちなんですよ。あの体勢になってから、全く身動ぎしていない」
それだけ告げて、アデルは腰を浮かせた。
「降りましょう」
「えっ、でも馬車が――」
「俺が止めますんで」
そう言った直後、アデルは――盛大に転んだ。派手に体をひねり、馬車の中で倒れ込む。御者が慌てて手綱を引き、車体がぎしりと揺れて停まった。
「だ、大丈夫ですか?!」と、セラフィーナが慌てて駆け寄る。乗客たちが一斉に振り向く中、アデルは倒れたまま彼女の耳元でささやいた。
「降りて左へ。川に突き当たるまで走ってください! 後から行きますから」
セラフィーナはわずかに目を見開いたが、すぐにうなずいた。外套の裾を翻し、馬車のステップを軽やかに降りていく。
その様子を、呆然と見送る乗客――いや、その人物だけは、同じように馬車を降りようとする。アデルは素早く立ち上がると背後をとった。
「待った」
上着の裏に隠していた小型のナイフに、そっと手をかける。男は背を向けたままぴたりと静止した。
「おっと、立ち止まってくれるなんてずいぶんと素直だ。それとも、殺気に慣れてるのか?」
「…………」
「こちらもできれば静かに済ませたいんでね。おとなしくしてくれませんか」
緊張が走る。が、次の瞬間――
「……お待ちください。私は、貴方がたの敵ではありません」
男はしばらく固まった後、小さくため息をつく。そして、落ち着いた様子でアデルに向き直ると、懐から王宮の印章入りの金バッジを取り出した。
「王宮直属、第四監察室。セラフィーナ王女の監視役を仰せつかっております」
「……は?」
監視役はさらに語る。
「王女殿下の外出は黙認されておりますが、『護衛一名では心許ない』とのことで密かに補佐を命じられております。貴方が殿下を守るのに不備があれば、我々が対応する手筈でした。……申し訳ございません」
アデルは完全に脱力した。ナイフを鞘に戻し、額を押さえる。
「そういうの、事前に言っといてくれません?」
◇
合流地点の川べりでは、セラフィーナが草に座って靴紐を結び直しているところだった。
アデルが近寄ると、ぱっと顔を上げる。これもどこかで監視されているのかもしれないと思えば、自然とため息が出た。
「無事でしたか?」
「無事でしたよ。ええ、ええ、それはもう!」
アデルも、その場にどさりと腰を下ろす。
「王宮の監視役とやらだったそうで」
「やっぱり……。ごめんなさい、黙っていて」
「まあ、姫様の身に何かあったら困るのは分かりますけどね」
そして、少し間を置いて、ふっと息をついた。
「ただ、あの人達に誰かが気づいたのは、今回が初めてだったんでしょう?」
セラフィーナはわずかに目を丸くし――次いで、いたずらが見つかった少女のように、微笑んだ。
「ふふ。鋭いですわね、あなた」
「お褒めにあずかり光栄です」
「私が護衛を頼みたいと思ったのは、そういうところよ」
その言葉に、アデルは一瞬だけ黙り、やがて苦笑まじりに呟いた。
「まったく、やりがいがありますね」
草の上に、ふたりの影が並ぶ。川のせせらぎが、それをなだめるように流れていた。




