交渉成立
市街の西端、軒を連ねる市場から一本裏へ入った小路に、くたびれた看板がかかっていた。辛うじて掠れた文字が読み取れるその店は、古道具と雑多な骨董を扱うことで知られている。
アデルは扉の前で一度立ち止まり、わずかに肩をすくめた。外観も中身も油断ならない。だが、セラフィーナは楽しげに、既に中へ入っていこうとしている。
「少し見ていきましょうか」
「……やれやれ。姫様ってのは、こういう店も好きなのか」
店内は埃っぽく、陽の当たらない棚には、革の鞄や銀細工の髪飾り、年代不明の巻物まで並んでいる。ごった返す雑多な物の匂いは、アデルにとってはどこか懐かしくもあった。
「まあ、見てください。これ、王都製ですわ」
興奮気味な小声をあげたセラフィーナが手に取っているのは、くすんだ色の懐中時計だ。銀縁の飾りはたしかに凝っているが、よく見れば蝶番がゆるく、ところどころに細かな欠けがある。アデルは横目で値札を見た。
「……悪いもんじゃないが、八十ギルは高い」
「いくらなら買いますか?」
「せいぜい、そうだな。三十が妥当ですかね」
「ふふ、それなら――試しに交渉してみても?」
「ええ」
アデルが静かにうなずくと、セラフィーナは時計を手に、店の奥に座っていた老人へ近づいた。
「ごきげんよう、ご主人。この時計、とても素敵だけれど、かなりの年代物のようですわね?」
「お嬢さん、お目が高いね。王都の職人製、銀枠の懐中時計。八十ギルだ。安くしとくよ」
商人は薄笑いを浮かべる。
「もう少しまけていただけません?」
「いやいや。これは百年前の職人の作で――」
「百年前? まあ! じゃあ、魔王がまだ山を歩いていた頃ね」
目をまるくする姿を店の隅から眺めつつ、アデルは思わず口の端を上げた。その口ぶりは明らかに演技だ。相手の語りたがるツボを押さえつつ、距離を詰める技。王宮で『顔』として立つ者が身につける、社交という名の兵法だった。
「去年の王都の競りでは、同じ型が三十ギルでしたのに」
無邪気な声に、商人は少し眉をひそめる。
「競り、ねえ。ま、偽物も多いからね。これは正真正銘の本物だ」
「でも、蝶番が少し緩んでいますし。ここにもほら、傷が」
「ふむ……確かに、年季が出ちまってるのは事実だが。けど、三十ギルじゃあとても売れねえな」
「――この刻印、王宮工房の試作品ですわよね。正式な納品物ではない証に、初期製造番号の位置がずれていますわ。あと、この秒針。修理痕があります」
裏蓋を指でなぞりながらセラフィーナが言う。商人は薄暗い店内でもわかるほどに狼狽えた。
「あ、あんた、時計屋の娘か何かか?」
「いいえ、ただの旅人です。でも――せめて、三十五ギルでお願いできません?」
にっこりと笑う。沈黙のあと、老人は渋々といった素振りで片手を出した。
「……チッ、仕方ねぇな。三十八でどうだ?」
セラフィーナは一瞬考えたふりをして、「では、それで手を打ちましょう」と朗らかに頷いたのだった。
アデルが支払いを済ませている間、セラフィーナは「風に少しあたりたい」と一足先に店を出ていた。戦利品を携えたアデルが外へ出ると、少女は人が少ないのをいいことに、うんと伸びをしているところだった。
「お待たせしました、姫様。何事もなかったですか?」
「ええ。やはり晴れた日は気持ちがいいですわね」
そして、歩き出すセラフィーナの袖口。布地の先に、うっすらと滲む黒い汚れが見えた。インクのようにも見える。
書き物をするタイミングがあったとは思えない。店の裏手には、小さな修道院があるだけだ。修道女達の目があったからこそ、わずかな間でも単独行動をさせることができたのだから。
アデルが微かな違和感に思いを馳せていると、当の本人が覗き込んでくる。
「そんなことより。どうでした? 交渉成立ですわ!」
「いやはや、見事です。姫様が外交で国を動かしたって話も、まんざらじゃないですね」
「それが仕事ですもの」
セラフィーナは、さも当然のように微笑んだ。
「……工房の試作品なんて、普通は王族が知るわけないですよね?」
「旅は勉強になりますのよ?」
呟きにも、涼しい笑顔が返るばかりだ。




