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聖騎士アデルは辞められない  作者: 笛吹葉月


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2/5

パンと盗人

 第三王女の要望は、いくつかの町をめぐって市場や人々の様子を見ること、それから。


「今夜はお祭りがあるのでしょう? 行ってみたいの!」

「はあ。どうりで人出が多いと」


 人が多ければそれだけ危険も増える。アデルは少し悩んだが、まあどうにかなるかと思い直した。要人護衛の経験はある。二人きりというのは初めてだが。


 町はずれの坂道をくだり、小さな橋を渡る。まずは遠くへは行かず、近くの市街で足慣らしをする予定だった。アデルはなるべく休憩をとりやすい道を選んだが、予想に反して、セラフィーナが歩みを止めることは一度もなかった。


 朝の空気は穏やかだ。露店が並び始め、小麦の香りが風に乗ってくる。


「わぁ」


 石造りの小さなパン屋の前で、セラフィーナがふと立ち止まった。まだ看板も掲げられていないうちから、店先の棚には焼きたてのパンがずらりと並べられている。


「ほら見てください、豆パンに、木苺のジャムに……見たことのないパンも!」


 アデルは立ち止まったまま、目を輝かせるセラフィーナを見ていた。護衛対象というより、無邪気な子どもが市場で迷子になりかけているような光景だ。


「一つ……いいえ、五つは買いたいですね。朝食用、昼食用、それと保存用と――」

「姫様、買い込みすぎでは?」

「だって、おいしそうでしょう? お出かけといえば食ですもの」


 セラフィーナが意気揚々と懐から財布を取り出したその瞬間、アデルは思わず手を伸ばす。


「待った。それ、王都の金貨じゃないですか」


 王宮の紋章が刻まれた、銀細工入りの高額貨幣。こんなものを出せば、間違いなく周囲の注目を浴びる。


「あっ、ごめんなさい。つい、いつもの癖で……!」

「もしかして、財布を持たせると危ないタチです?」


 結局、アデルが手持ちの銅貨でパンを購入し、二人は並んで広場の縁に腰掛ける。

 セラフィーナはバターの香りのパンを頬張りながら、うっとりとした声を漏らした。


「しあわせぇ……」


 ほくほくと目を細める姿に、アデルは思わず噴き出した。


「まるで、王宮よりこっちのほうが良いって顔じゃありませんか」

「王宮の朝食は格式ばかりで味がありませんのよ。……よろしければ、あなたもどうぞ?」

「……じゃあ、ひと口だけ」



 パンを分け合い食べ終えた二人は、広場を抜けて市場通りへ向かう。

 通りは先ほどより賑やかさを増し、香辛料の香りが混じり、呼び込みの声が飛び交っている。


「活気がありますわね」


 セラフィーナは露店に並ぶ品々に顔を近づけながら、目を輝かせた。視線の先には、鮮やかなベリーの山。小さな手描きの札には、『三皿で五ギル』とある。

 アデルはその後ろで、ぼんやりと歩きながらも周囲に目を光らせていた。


「あら、こんな野草もお店に並ぶのですか?」

「それは薬になるやつですね。俺も昔、遠征中によく使ってました」

「あなた、薬草の知識もあるの?」

「死にたくなけりゃ覚える、ってだけですよ」


 他愛もない会話の最中、ひときわ大きな声が辺りに響いた。


「コラァッ、待て小僧!」


 人混みの先。一人の少年が、小さな布包みを抱えて店の台から飛び出した瞬間だった。セラフィーナが思わず息を呑む。

 少年はまだ十歳ほど、顔は煤け、足は裸足。通りの人波をかき分けるように逃げようとする。

 だがすぐに店主が追いつき、少年の襟首を乱暴に掴んだ。


「このクソガキ、干し肉を丸ごと……!」


 少年は何も言わず、ただ必死に包みを握っていた。

 周囲に人が集まり始める。


「こいつ、何度か見かけた顔だぞ。衛兵に突き出してやる」

「待ってください。それは――」


 セラフィーナが思わず踏み出しかけた、そのとき。


「よかったら、その代金、俺が払います。いくらです?」


 アデルがひと足早く前に出た。突然割って入った男を、店主は胡乱な目つきで睨みつける。


「……七ギルだ。あんた、関係者か?」

「まあ、知り合いの……親戚ってことにしておいてください」


 アデルは銅貨を手渡し、未だに少年の首根っこを掴む手をやんわりと、しかし迷いなく剥がした。


「子どもが腹を空かせてやったことです。品物もまだ手つかずでしょう?」

「……まったく、最近のガキは。次はないぞ!」


 鷹揚な態度を崩さないアデルを一瞥し、店主はため息と共に戻っていった。

 呆然と突っ立っている少年へと布包みを渡してやり、小声で話しかける。


「次は逃げきれる自信があるときだけにしな。それと、食う前に手ぇ洗えよ」


 少年は一瞬だけアデルを見つめ、何も言わずにうなずくと、通りの端へ走っていった。その背中を見送りながら、何事もなかったかのようにセラフィーナのもとへ戻る。


「すんません、お傍を離れました」

「どうして庇ったのですか?」


 首を傾げるセラフィーナに対し、アデルは頬を掻いた。


「俺もガキの頃、盗み食いしたことはありますし。姫様からしたら、聖騎士に相応しくない告白でしょうけど」

「必ずしも正義が善き振る舞いとは限らないこと、私にも心当たりはありますわ」


 つい先刻までパンにはしゃいでいた少女は、静かに目を伏せ微笑んだ。アデルは数度、瞬いて、やがて緩やかに首を振る。


「王族ってのは何かとややこしいんでしょうね。俺には想像もつかない」

「そうかもしれませんわね」

「俺と違って、王女を辞めるなんてことはできないでしょうけど。その分、今日は息抜きできるといいですね」


 セラフィーナは弾かれたように顔を上げる。アデルは、通りの向こうを指さした。


「さ、行きましょう。まだ時間はたっぷりありますよ」


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