王女のご指名
大理石の床が朝陽を反射し、謁見の間は明るい光に満ちていた。
天井には王家の紋章が刻まれている。幾人もの侍従やメイドが並ぶ中、優雅に紅茶へ口をつけるのは王家の第三王女、セラフィーナ。
その横に控えるのは、神妙な面持ちの騎士団長。そして王女を挟んで反対側に、文官長が控えていた。
「では、殿下」
文官長が咳払いをする。
「護衛役につける騎士団員のご指名をお願い申し上げます。今回はお忍びのご外遊につき、随行は最小構成――すなわち、護衛は一名と定められております」
「ええ。ちゃんと、考えてまいりましたわ」
セラフィーナはにっこりと笑う。成人したばかりとはいえ、数々の外交の場にも出向いてきた。その武器である笑顔は華やかで、涼やかな声も揺るぎない。
「アデル・ヴァルトを、お願いします」
一瞬、空気が止まった。
騎士団長が恐る恐る口を開く。
「……殿下、今なんと……?」
「アデル・ヴァルト副団長殿です。数々の功績、優れた戦術眼。たとえ戦場でなくとも、冷静な対応ができる適任者かと」
まるで「ごきげんよう」とでも言うような朗らかさ。騎士団長はダラダラと汗を流し、いつも怜悧で沈着な文官長も微かに顔をしかめている。
「ですが、アデルは……! その、せ、先日ご報告いたしました通り、既に退職願を提出しておりまして」
「左様にございます、殿下。やはり他の者を――」
「それは受理されましたの?」
「ああ、いえ、それは、手続き上はまだですが」
しどろもどろな騎士団長の言を、セラフィーナがさらりと遮る。
「でしたら何の問題もありませんわ。護衛として必要なのは、王家の命を守ることのできる者。退職予定者であろうと、今なおその実力がある者を選びたいだけです」
誰もが押し黙った。セラフィーナの声には決して感情的な強さはない。ただ、揺るがぬ確信だけがあった。
騎士団長はしばしの沈黙ののち、深く、深く頭を下げた。項垂れたともいう。
◇
「――と、いうわけで」
「いや、いやいやいや」
その日の午後。騎士団の執務室で、アデル・ヴァルトは唖然としていた。目の前は、床に額を擦りつける団長がいる。
「頼む! これが本当に最後だから! 一日だけ!」
「俺、もう辞めるって言いましたよね?!」
片付けられた机の上には、束ねられた報告書、使い込まれた剣帯。そして、処分予定の私物の山。
「殿下がもう動かんのよ! 言い出したら聞かないの、知ってるだろ」
「や、お会いしたこともほぼありませんからね。というか、俺の楽しい隠居生活はどうなるんです? もう土地も店も買ったってのに!」
「そこを何とか!」
「そして聖騎士団長が信仰以外で頭を垂れるのはまずいと思います本当に!」
「正直なところ、殿下を納得させられるだけの代案が出せない。王族の護衛を任せられるのは、おまえくらいなんだ」
「……」
退職について、数々の会議や面談を経て、既に話はついていたはずだ。「おまえみたいな若さで退くのは惜しいどころか失礼だぞ」などと引き留めはあったものの、あとは事務的な手続きが残るのみと聞いていたのだが。
「これが済んだらもう手間はとらせない! ちゃんと辞めさせてやるから。このとーりっ!」
「…………あー、もう! わかった、わかりましたよ!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻く。これほど必死な上司の姿は、たとえ最後だとしても、長いこと見ていたいものではない。
「一日だけですよ。これが終わったら、絶対、絶対に辞めますからね!」
◇
さて、聖騎士アデルにとって、最後の任務当日。
出立に先立ち、正門からではなく、あえて人目を避けるために裏庭で集合がかけられている。
アデルは指定された時間より少し早く着き、ベンチに腰を下ろしていた。くすんだ長外套、粗末な旅装。髪もわざと無造作に。目立つ帯剣はしなかった。
そこへ颯爽と現れたのは一人の少女――変装済みの王女、セラフィーナである。
「お待たせいたしました、アデル・ヴァルト殿。お会いできて光栄ですわ!」
「こちらこそ。お供を仰せつかり、光栄に存じます」
弾む声と共に明るい笑顔を見せる。口を開けば品格は隠せないが、見た目だけなら完全に、年相応の町娘に見えた。
アデルはセラフィーナの旅装を目に留め、僅かに眉を寄せる。
「……そのお荷物、おひとりで準備されたのですか?」
「ええ。必要最低限、と思ってまとめましたの。護衛がいるからと甘えすぎてもいけませんから」
「随分と旅慣れていらっしゃる」
アデルの揶揄を気にも留めず、セラフィーナはくすくすと笑う。簡素な衣装を見せるように腕を上げた。
「今朝から何人もの衛士を突破しましたのよ? 誰にも気付かれませんでしたわ」
「さすがでございます。ただ一つ――どうか、道中は無理をなさらぬように。仮に市井の視察でも、それ以外に目的があるのだとしても」
セラフィーナは一瞬、目を見開く。それから小さく笑うと、いたずらっぽくアデルを見た。
「やっぱり、あなたにお願いしてよかったわ」
「恐縮です」
アデルの表情も柔らかくなる。
「そろそろお時間です。では――行きますか、お姫さま?」
「旅人ですわ。護衛殿」
「これは失礼しました」
そんなやり取りを交わしながら。彼らは王宮の裏門を抜け、一日限りの秘密の旅へと歩み出したのだった。




