雨宿りから
朝から嫌な予感はしていた。午後の降水確率は30%だったが、用心深い僕は折り畳み傘を持ち歩いていた。しかしここまで激しく降るとは予想外だ。とてもではないが、この小さな傘では太刀打ちできない。僕は堪らずビルの軒先で雨宿りをする。
すると一人の女性が同じ場所に雨宿りをしてきた。傘は持っていない。既に全身ずぶ濡れになっている。そこで僕は妙な感覚に襲われた。その女性とどこかで会った事があるような気がしたのだ。
「すみません。あなたとはどこかでお会いしたことがありますか?」
気が付くと僕の口からはそんな台詞が飛び出していた。女性は僕の方を見ると笑顔を浮かべ
「私があなたとお会いするのは、この雨宿りの場が初めてです。ナンパにしてはベタですね……でもまぁお茶ぐらいなら付き合ってあげてもいいですよ」
なんとも高飛車な返しだった。普段なら腹立たしく思うところだが、なぜだか彼女の愛嬌のある笑顔に惹かれて、言われるままにビルの中にあるカフェでお茶をする事にした。
出会いはそんな感じで、そこから交際が始まり順調に仲を深めて行った。一年が経つ頃には僕の意思は固まっていた。もうこの先、彼女なしの人生なんて考えられない。
「僕と結婚してください」
指輪を差し出す僕に彼女は驚きの表情を浮かべる。
「……やっと言ってくれた。やっぱりこれぐらいの時間がかかるんですね」
一年位の交際期間でプロポーズをするというのは、そんなに遅くないんじゃないかと思ったが、待っていてくれたならそれはうれしかった。彼女の顔を見ると、その頬には一筋の涙が伝い落ちていた。
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今、私の隣のベッドには彼が横たわっている。よりにもよってもうすぐ結婚式という所で、彼は事故に遭ってしまった。そうしてここ一年位の記憶がごっそりと抜け落ちてしまったのだ。私と出会った事すら覚えていない。そんな相手と結婚はできない。親しい友人に相談したところ、このラボの治験を紹介されたのだ。
治験は記憶回復療法の一種で、なんでも複数人の記憶をAIが学習し生成した仮想世界で、過去を追体験して対象者の記憶を再構築させるというものだった。対象者は治験に関する記憶が削除され、関係者なら仮想世界に入る事も出来る。仮想世界では実際に経過する時間の数十倍の速度で時間が進む。一年分の追体験であっても数日で終わる。
今からそれが始まるのだ。スタート地点はあの雨宿りの日にしてもらった。
了




