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金翼の夜

【数週間後──帝都】


灰色の雲の向こうから薄い陽光が差し込み、帝都の軍旗がゆっくりと揺れていた。

喧騒と鉄の匂いが常に漂う帝国中央都市グランドアーカム。

勝利の報せが届いた数週間、帝都はこれまでにないほど浮き立っていた。


バルゼン補給基地が革命軍の爆撃を受けたという騒ぎも、

主力投入した帝国軍の勢いの前では、すぐに小さな出来事に変わった。


半年間動かず膠着していた戦線は、嘘のように前へと進んだ。

“山岳戦線の悪夢”と呼ばれた激戦地バルゼンは、

ほんの数週間で帝国の旗を掲げることとなった。


その影で、黒翼は静かに名を響かせていた。

表に出ないはずの諜報部隊――だが噂は兵舎や酒場で勝手に育っていく。


「黒の魔導士」

「影に走る新人」

「黒翼に化け物が入ったらしい」


そんな言葉が、リヴィアの知らぬところで形を持ち始めていた。


カラムの冷静な采配。

アシュの火線。

リズの雷撃。

ネロの支援魔法。


そして、初陣で影を纏った少女の存在。


勲章は与えられずとも、黒翼の名は静かに膨らみ続けていた。


──────────────────────


【グレイ──軍の闇に触れる】


帝国軍本部の一室。

薄暗い照明の下、グレイは机いっぱいに広げた文書を睨みつけていた。


封蝋の気泡列、押印のわずかなズレ。

それらは、書類が一度“開封され、再封緘された”ことを示していた。


「……こいつ、やっぱり軍文書を外へ流している」


宛名は、魔術転送符。

送達先は分からない。だが、使用された魔力痕跡は――革命軍の連絡網に一致した。


「ディルク・ハイゼン議員……あんた、どこまで革命軍と繋がってる?」


グレイは書類を閉じ、深く息を吐く。

帝国は勝利の熱を高める最中だが、その裏で流れる闇は、日に日に濃くなっていた。


そして帝国は、勝利の象徴として

凱旋褒章式と祝宴『金翼会』 を催すことを発表した。


黒翼にも参列が命じられた。


──────────────────────


【帝都繁華街──リズの強行】


「ここ、入るわよ!」


リズが指さしたのは、帝都でも一等地にあるブティックだった。

外観からして煌びやかで、魔灯を散りばめたようなガラス窓に美しいドレスが眩しく並んでいる。


「えっ……」

リヴィアはすでに両手が買い物袋で塞がっていた。

兵站区画で大量に買わされた“化粧品”と“普段着”の袋だ。


「どうせドレス持ってないでしょ? “金翼会”はみんな盛るのよ」

「行かなきゃ、ダメ……?」

「何言ってるの! あなたは影の主役みたいなものよ!?

こういうときはね、逆に目立たないとダメなの!」


リヴィアの眉がひくつく。

(目立ちたくないのだけど……)


店に入れば、色彩が目に刺さるほど豊かだった。

ドレスの布には魔織糸が織り込まれ、光の角度で色が虹のように変わるものもあった。


リズは店員とすぐに打ち解け、次々とリヴィアにドレスを渡していく。


「これ似合う!!」

「かわいい〜〜!!」

「うわ、背中が綺麗ねリヴィア!」


リヴィアの顔はひきつり続ける。

だが、鏡の中に映る自分は少しずつ変わっていた。

化粧も、ドレスも似合う――そんな事実が逆に落ち着かない。


そして最後の一着を着てカーテンを開いた瞬間。


リズは一瞬、声を失った。


店員は息を呑み、周囲の空気がわずかに揺れる。


「……それ買い。」

「えっ」

「もうこれしかないわ。即決」


会計を終えるリズは満足そうに顎を上げる。


「黒翼は他の部隊より給料高いし、宿舎暮らしで使うとこないでしょ。投資よ」


「……楽しみにしてるわよ、お披露目」


「リズが楽しみにしてどうするの」

そう言いながら、リヴィアの口元には、小さく笑みが浮かんでいた。


(帝国軍に入ってこんな日が来るなんて、思ってなかった)


帝都の空に、淡い日差しがわずかに混じって見えた。


──────────────────────


【グランドアーカム25階・講堂──凱旋褒章式】


荘厳な魔導灯に照らされた講堂には、帝国の精鋭がずらりと並んでいた。

背後には皇帝と議会の要人たち、そして軍最高幹部。


皇帝は覇気のない顔で、ただ玉座に座っているだけだった。


式が始まる。


「軍務部特務課・グレイ=アークライト少佐!」

「はい!」


「軍務部特務課・諜報係、リヴィア=ノクス一等兵!」

「……はい」


ざわ……


「これが噂の……」

「闇魔法って魔族じゃねぇのか」

「よく前線で暴れたらしいぞ」


背後のヒソヒソ話に、カラムが鋭い視線を投げる。

その一睨みで、音は凍りついた。


式典が終わり、退出時。


「リヴィア、異動の時期が近い。部隊がどう動くか分からない」

「……分かったわ」

「任務の合間に、個別の依頼も増える。頼んだぞ」

「ええ。いつもの通り」


二人は短く頷き、講堂を静かに後にする。


──────────────────────


【特務課執務室(夜)】


金翼会直前。

制服を脱いだグレイは、私服のシャツの袖をまくりながら言った。


「祝賀会で、ある人物に近づいてほしい」


机上に置かれたのは、黒い小型魔道具。


「……誰に?」

「ヴァルグレイス将軍だ」


リヴィアの表情が揺れる。


「……人類最強の?」

「ああ。必ず話しかけてくるはずだ。

その隙に、この魔道具を付けろ。魔力膜で薄く覆えば感知されない」


「……了解」


緊張が走る室内で、ただ一つだけ、リヴィアの胸元のペンダントが微かに鳴いた。


──────────────────────


【グランドアーカム5階・大広間──祝宴『金翼会』】


高天井から吊るされた無数の魔導シャンデリアが、金と白の光を散らしていた。

帝国中の要人、軍幹部、貴族、商工ギルドの代表が集まっている。


グレイは慣れないタキシードの襟を指で整え、苦しげに息を吐く。


「グレイ少佐」

振り返ると、エレナが静かに立っていた。

深い紺のドレスが彼女の気品を引き立て、髪には銀のピンが光る。


「遅かったな」

「どう……でしょう?」

「……綺麗だ」


僅かな沈黙の後、エレナは微笑む。

その表情を、後ろからリズが台無しにする。


「やっだ~! やっぱり二人ってできてるんじゃない~?」

「無礼よ」

「残念だったな、少佐」

「な、なぜだ!」


黒翼メンバーのざわつきの中。

大扉が、静かに開いた。


視線が、一斉に集まる。


真青の光沢を纏い、黒髪を流す少女。

姿勢はやや硬いが、その分だけ凛と美しい。


リヴィアだった。


空気が、ふっと変わる。


「……わぉ」

カラムが素で漏らす。

アシュは口を半開きにしている。

リズは鼻で笑う。


「でしょ? ポテンシャルの塊なのよ」


リヴィアは、頬を少し赤くしながら仲間の元へ小走りで向かう。


「ごめんなさい……遅れて」

「時間内だ」

グレイは表情を整えつつも、耳がわずかに赤い。

その変化を、エレナだけが見逃さなかった。


祝宴が始まり、楽団が音を奏で、

リヴィアの周りには物珍しげに寄ってくる男たちが集まり始める。


「……見せ物じゃないぞ」

グレイが低く呟く。

「お、やっぱり嫉妬っすね、大将」

「ち、違う!」


そんなときだった。


人混みが自然に開き、空気が変わる。


ヴァルグレイス将軍が、静かに歩み寄ってきた。


圧倒的な存在感。

灰色の瞳には底知れぬ力が宿っている。


「君が噂の黒翼の新兵か」

「……認知いただき、光栄です」


「闇魔法、珍しい。どこで学んだ?」

「……エルデナ、です」


ヴァルグレイスの表情が、わずかに揺れる。


「エルデナ……。あそこは魔法に長けていた」

「はい」

「帝国に入れたのは、誰の勧誘だ」

「同級生の……グレイ少佐です」


一瞬、将軍の目がリヴィアの奥を覗いた。


「……なるほど。

彼の同級生なら、期待できる」


その会話の最中――

リヴィアの指先は見事な自然さで、装置を将軍の燕尾の内側へ滑らせる。

魔力膜が薄く震え、音もなく融合した。


「では、また次の場で会うとしよう」


将軍が去ると、リヴィアは静かにグレイへ頷いた。

グレイの端末が青く点滅する。


──成功。


祝宴は深夜まで続き、

きらびやかな金翼の装飾だけが、静かに夜を照らしていた。


外へ出たとき、夜風は冷たかった。

リヴィアは胸元のペンダントを握る。


(……この夜が、永遠に続くとは思ってない)


帝都の空を見上げれば、雲の隙間から月が覗き、

その月光は、どこか遠い日の夜と同じ匂いがした。


【金翼会後─】


祝宴が終わり、リヴィアは夜気を吸い込んだ。

冷たい風がドレスの裾を揺らす。


(終わった……)


背後から足音が近づく。

振り向かなくても分かった。


「……グレイ」

「ご苦労。お前、ちゃんと笑ってただろう?」


「え?」

「人混み苦手なのに……頑張ったな」


リヴィアの胸が、不意に熱くなる。


「……別に。任務だし」

「そうか。でも……無理はするな」


沈黙が落ちる。

帝都の夜風が、二人の間をそっと通り抜ける。


「今日の将軍は、どう見えた?」

「……強すぎる。底が見えない」


「そうだ。だからこそ追う価値がある。

帝国の中枢に何が渦巻いているのか……辿り着くには、奴が鍵だ」


グレイの目は、いつになく鋭かった。

まるで氷の刃のようで、しかしその奥に焦りの影が揺れる。


「ディルク・ハイゼン議員も……動いてる。

帝国は近いうち、大きく揺れる」


「……グレイ」

リヴィアは一歩近づく。


「あなたは……どこまでこの戦いに身を投じるの?」

「俺は……止めるつもりだ」

「帝国の狂気を、止めるためなら……どこへでも行く」


その表情は、10年前の少年のままだった。

真っ直ぐで、不器用で、どこまでも優しい。


胸の奥が痛む。


言葉がこぼれた。


「……あなたは変わらないわね」

「お前もだ、リヴィア。

世界がどう揺れようと、根っこは……変わってない」


静かな夜。

帝都の喧騒は遠く、塔の鐘だけが低く響く。


二人の影が、ゆっくりと寄り添うように近づいた。


「だ、だめ。」


リヴィアがグレイを押し退け、力強く出て行く。


「まだ…。あの男を…。」


グレイは、やりきれない思いを拳に込める。


その日の夜は、どこか寂しげな風が吹いた。

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