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入隊

――灰色の朝。


リヴィアはいつも通り、安い目覚まし時計の電子音で目を覚ました。

薄いカーテン越しに差し込む光は鈍く、街はまだ霧の中に沈んでいる。

彼女はベッドから起き上がり、洗面台で顔を洗うと鏡に映る自分と目を合わせた。


疲れた顔。

だが、昨夜とは少しだけ違う。

心の奥で、なにかが動きはじめていた。


ペンダントを握り、そっと呟く。

(……決めた。会いに行こう。)


いつもの灰色のコートを羽織り、工場へと向かう。



今日も工場は、金属音と蒸気の音に包まれていた。

事務棟の奥でリヴィアは黙々と帳簿を打ち、伝票をまとめる。

隣の同僚が愚痴をこぼすが、彼女は笑って頷くだけだった。


ただ、心は別の場所にあった。

頭の片隅に、昨夜グレイの言葉が残っている。

“前に進む”――たったそれだけの言葉が、胸の奥で響き続けていた。


昼のサイレンが鳴る。

リヴィアはペンを置き、静かに席を立った。


「昼、少し出てきます。」


外の空気は少しだけ暖かかった。

工場の裏通りを抜けた先、古びたレンガ造りの喫茶店。

店の名は“ルミナス”。

工員たちの憩いの場であり、リヴィアにとっても唯一、心を落ち着けられる場所だった。




扉のベルが鳴る。

木の香りが漂う薄暗い店内には、昼休みの客がまばらにいた。

その奥――窓際の席に、軍服の男が静かに座っている。


グレイ・アークライト。

昨日の出会いが幻ではなかったことを、彼の存在が証明していた。


リヴィアは一度だけ深呼吸をし、歩み寄る。

彼の正面に座ると、店員がコーヒーを二つ置いた。


沈黙が落ちる。

最初に口を開いたのは、リヴィアだった。


「……ずっと、あなたやセリウスのことが気になっていたの。」


グレイの灰色の瞳が、静かに動く。


「何をしていたのか、どこで生きていたのか……。

私はこの十年間、息を潜めて生きてきた。

エルデナが滅んだあの日、私の人生も一緒に終わったのだと思ってた。」


彼女は言葉を選ぶように続けた。


「……グレイ。

あなたの“問い”を聞いたとき、心がざわめいたの。

私は何をしてきたのか。

今、何をして、これから何をしたいのか――。

そんなこと、考えたこともなかった。

でも昨日、あなたの顔を見て、初めて気づいたの。

……私の時間は、十年前から止まっていたんだって。」


彼女の声は震えていた。

胸元のペンダントを握りしめ、目を伏せる。


「毎晩、夢を見るの。

あの、エルデナの最後を。」



グレイは黙って彼女を見つめていた。

やがて、ゆっくりと口を開く。


「……こんなこと、俺に言われたくないだろうけど、言わせてくれ。」


灰色の瞳が真っ直ぐに向けられる。


「過去に囚われて、今を見失うな。

生きているようで、死んでいるお前を見てられない。

――俺も、最初はそうだった。」


「……え?」


「エルデナ崩壊のあと、俺は帝国軍に志願した。

最初は憎しみしかなかった。

目的は“内側からの破壊”。

帝国を壊すために入ったんだ。」


グレイの声は静かだが、確かな熱を帯びていた。


「だがな、帝国の中に入って見えたものがある。

確かに腐ってる。だが、すべてがそうじゃない。

兵も市民も、誰もが“正義”を信じてる。

問題は、その“正義”を利用している連中だ。」


彼は拳を握りしめた。


「だから俺は、帝国を内側から変えたい。

エルデナのように滅ぶ国を、もう二度と生ませないために。

戦争を経験したからこそ、平和の意味を伝えられると思う。」


グレイの言葉が、まっすぐに胸へ突き刺さる。

彼の瞳の奥には、あの日とは違う決意が宿っていた。


「リヴィア。俺に力を貸してくれ。

帝国の腐敗を暴くには、お前の力が必要だ。

お前の魔法は、まだ生きている。」


リヴィアは息を呑む。

胸の奥で、何かが軋みながらほどけていくのを感じた。


「……私に、まだ“力”があると思うの?」


「あるさ。あの日、俺が見た“闇の光”。

あれは、まだ消えていない。」


リヴィアはゆっくりと目を閉じた。

指先でペンダントをなぞると、銀の表面が微かに光を返す。


「……怖いの、グレイ。

また誰かを失うのが。」


「なら、もう誰も失わなければいい。

そのために戦うんだ、俺たちは。」


その言葉に、リヴィアの心の奥で何かが灯った。

小さな炎。けれど確かに、温かい。


彼女は俯き、かすかに笑う。


「……あなたは、変わったのね。」


「お前も、変わる時が来た。」



店を出たとき、空は薄く晴れ始めていた。

灰色の雲の隙間から、かすかな光が差している。

街の風が、静かに彼女の髪を揺らした。


リヴィアはペンダントを握りしめ、

ゆっくりと呟いた。


「……行くわ、グレイ。」


その声は小さく、それでいて確かな決意を帯びていた。


列車の車輪が、規則的な音を立てていた。

リヴィアは窓の外を見つめながら、少しずつ近づいてくる巨大な都心を眺めた。

摩天楼と白い塔。

軍事国家の心臓部――ディナシア帝国中央軍施設。


駅を降り、重厚な鉄門の前に立つ。

二人の門兵が立ちはだかった。


「止まれ。所属と用件を。」


リヴィアは一歩進み出て、名刺を差し出した。


「リヴィア・ノクスと言います。

グレイ少佐の推薦により、入隊試験を受けに来ました。」


「グ、グレイ少佐!?」

門兵の表情が一変する。

受け取った名刺を見た瞬間、直立不動になった。


「す、すぐに案内いたします!」


慌てて通信機で何かを告げると、門が静かに開く。

黒塗りの軍用車が滑るように前へ止まり、兵士が降りて敬礼した。


「リヴィア・ノクス様、こちらへ。」


リヴィアは少し戸惑いながらも乗り込む。

車は静かに走り出した。


「……あの、失礼ですが。」

運転席から恐る恐る声がかかる。

「グレイ大尉とは……お知り合いなのですか?」


リヴィアは少し考えてから、言った。

「……幼馴染、みたいなものです。」


その瞬間、運転兵の肩がピクリと跳ねる。

「そ、そうですか!ど、どうぞごゆっくり……!」


車内に気まずい沈黙が流れた。


(……なんでそんなに緊張してるのよ。)



やがて車は止まった。

目の前には、黒い鋼鉄とガラスで造られた巨大な建物。

正面には“特務課直属 黒翼分隊本部”の文字。


「こちらが黒翼分隊の作戦施設です。」


リヴィアが降り立つと、冷たい風が頬を撫でた。

建物の扉の前で、ベルを鳴らす。


すぐに扉が開き、スーツ姿の女性が現れた。

金髪のロングを一つに結び、眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。


「どちら様でしょうか。」


「リヴィア・ノクスです。」


「あぁ、あなたが……。」


一瞬、女性の表情が曇った。


「私はグレイ少佐の補佐官兼秘書、エレナ少尉です。」


背後で門兵が思わずクスッと笑う。


「秘書……って。」

エレナは鋭く振り向いた。

「何か言いましたか?」


「ひぃっ!い、いえっ、これで失礼しますっ!」


兵士はほぼ逃げるように去っていった。


エレナは溜息をつき、リヴィアへと向き直る。


「では、リヴィア・ノクスさん。これより入隊試験を行います。」


「……入隊試験?」


「はい。グレイ隊長の推薦とはいえ、正式な規定です。

形式的なものですが、受けていただきます。」


エレナの指示に従い、リヴィアは施設内へと足を踏み入れた。




そこは巨大な倉庫のような空間だった。

ヘリ、装甲車、魔導器――軍用装備がずらりと並ぶ。

リヴィアは圧倒されながらも、目を輝かせていた。


「おーい、新入りか?」


声が飛ぶ。

ヘリの陰から、油まみれの男が現れた。

短髪に快活な笑み。


「俺はジン! 黒翼の整備兼パイロットだ。よろしくな!」


リヴィアは戸惑いながら軽く会釈した。

「えっと……よろしくお願いします。」


「ジン、また勝手に話しかけて……。」

背後から小柄な青年が現れた。

「びっくりされてるじゃないですか。」


「俺は黒翼のネットワーク担当、パイドといいます。

よろしくお願いします、リヴィアさん。」


二人のやり取りに、リヴィアは小さく笑った。

少しだけ空気が和らいだ、その時――


「リヴィア、来たか。」


低い声が響いた。

奥のシャドウから、グレイが姿を現した。

軍服の肩章が光を反射する。


「隊長の幼馴染って、こんな美人さんだったんですね!」

ジンがすかさず茶化す。

「黙って整備を続けなさい、無礼者。」

エレナの一喝でジンが肩をすくめた。

「はいはい、こえぇなぁ……。」


グレイは微笑しながら言った。

「形式的だが、入隊試験を受けてもらう。

君なら問題ないはずだ。――試験官、来てくれ。」


「いますよ。」


声とともに、いつの間にか横に男が立っていた。

黒髪の青年、冷たい目をした士官服の男。


「私はエリック中尉。今回の試験官を務めます。」


彼はテーブルに置かれた透明な水晶を差し出した。


「この水晶に魔力を込めてください。

あなたは魔導兵としての特別採用枠。

――当然、魔力量の確認は必要です。」


わずかに嫌味を帯びた声。

リヴィアは静かに頷き、右手を水晶に添えた。


次の瞬間――

「ッ……!」


水晶が眩く光を放ち、弾け飛んだ。

粉々の破片が宙を舞い、空気が震える。

倉庫全体が一瞬、黒い閃光に包まれた。


「なっ……!」

エリック中尉が思わず後ずさる。

ジンとパイドが口を開けて固まる。


グレイだけが、静かに頷いた。


「当然の結果だな。

水晶の上限値は五千魔素。――測定不能だ。」


エリックは顔を引きつらせながらも、無理に笑った。

「五千……として記録しておきましょう。

こんな数値、あなた以来ですよ、グレイ隊長。」


「いや、彼女は俺以上だ。」


静寂が落ちた。

誰も言葉を失っていた。


グレイは歩み寄り、リヴィアの肩に手を置いた。


「――ようこそ、黒翼分隊へ。」


リヴィアはゆっくりと頷いた。

その胸の中で、十年止まっていた時間が確かに動き出していた。



試験が終わると、倉庫の空気は静まり返っていた。

エリック中尉は書類をまとめ、ジンとパイドは遠巻きにヒソヒソと話している。


「……あれが“元エルデナの魔導士”ってやつか」

「いや、次元が違うよ……」


グレイはそんな空気を無視し、リヴィアに声をかけた。


「リヴィア、こっちだ。」


「魔導士って…。」


「こっちでは魔法使いをそう呼ぶらしい。」


扉の奥の廊下を抜けると、広い執務室へ出た。

壁際には地図と魔導装置、中央の机には黒い軍服が neatly folded に置かれている。


「今日は他の部隊員が任務で外だ。正式な紹介は明日になる。

……まずはこれを。」


グレイが差し出したのは、一式の軍服だった。

漆黒の布地に銀糸の刺繍。肩章には“黒翼”の象徴である双翼の紋章が刻まれている。


リヴィアは手に取り、ゆっくりと見つめた。

「……黒い。」


「ああ。黒翼の軍服は特別製だ。

帝国の公式色は緑だが、俺が直々に許可を取って、この色にしてもらっている。

“闇を行く者”には、この方がふさわしい。」


「……ずいぶん、こだわってるのね。」


グレイは小さく笑い、もうひとつの包みを手に取った。

それをリヴィアの腕に抱えた制服の上へ、静かに置く。


金属が擦れる音。


「これは……剣?」


「君が以前、学園で使っていたレイピアに似せて造らせた。

帝国の鍛冶職は一流だ。

バランスも強度も改良されている。扱いやすいはずだ。」


リヴィアは柄を握り、わずかに剣を傾けた。

刃先に光が走り、黒曜のように鈍く輝く。


十年ぶりの“剣”の重み。

指先が微かに震えた。


(……私、またこの手で戦うんだ。)


グレイは静かに頷いた。

「更衣室はこの先を曲がったところだ。もちろん女性用だ。」


「わかったわ。」




制服を手に、リヴィアは鏡の前に立った。

薄暗い部屋で、黒い布地がまるで夜そのもののように見える。


袖を通した瞬間、布が肌に吸い付くように馴染んだ。

ややタイトな作りで、彼女の体のラインが自然と浮かび上がる。

華奢に見えるその身体は、戦場を生き延びた者のしなやかな筋肉を隠していた。

腰の曲線にベルトを締め、レイピアを差すと、

鏡の中の自分が、十年前の少女とは違う“兵”の顔をしていた。


(……悪くない、かも。)


彼女は小さく息を吐き、扉を開けた。



グレイは机の前で腕を組み、彼女を見て微笑んだ。


「……似合っているな。」


「これ、サイズ合ってるの?」

リヴィアは少し眉をひそめる。


「調整は可能だ。警務課に言えば変更できるが……

面倒ならエレナに頼むといい。」


(エレナさん、絶対嫌がるわね……)

リヴィアは苦笑した。


グレイは軽く咳払いをして、真剣な表情に戻る。


「さて――黒翼の任務内容を説明しよう。」


彼は壁の地図を指差した。

赤い線が幾つも引かれ、帝国各地を結んでいる。


「黒翼は、帝国特務課直属の諜報・工作部隊だ。

敵地潜入、破壊工作、情報収集……。

やることは多岐にわたる。

表向きには存在しない“影の部隊”と言っていい。」


リヴィアは静かに聞いていた。

その瞳には、かつての“天才魔法使い”の光が少し戻っている。


「君の魔力と技術なら、黒翼にはうってつけだ。

他の隊員も腕は確かだが……正直、君の魔力量には誰も敵わない。」


「そう言われると、少し怖いわね。」


「すぐ慣れるさ。」

グレイは柔らかく笑う。


「俺は立場上、現場にはあまり出られない。

だが、何かあれば必ず俺に報告してくれ。

君の任務は、これから俺と共に帝国の腐敗を暴くことだ。」


リヴィアは腕を組み、皮肉っぽく言った。

「……ずいぶんお偉いのね、グレイ少佐。」


「そう呼ばれるのは慣れないが、今の俺には必要な肩書だ。

“内側から変える”ためにな。」


その言葉に、リヴィアは少しだけ笑みを浮かべた。

「……あの頃のあなたなら、絶対そんなこと言わなかったわね。」


「十年経てば、人は変わる。

――君もな。」


彼の声は穏やかで、それでいてどこか切なさを含んでいた。

窓の外では、夕陽が鉄塔を赤く染めている。

その光の中で、リヴィアの黒い軍服が静かに輝いていた。


(もう、戻れない。……でも、進める気がする。)


彼女は胸元のペンダントをそっと握りしめた。


試験を終え、装備説明を受けた後、

エレナ少尉が無表情のままリヴィアを案内していた。


「こちらが宿舎です。女性隊員用として基地内の一角に配置されています。」


塀に囲まれた敷地の中には、一般的な民家のような建物がぽつりと立っていた。

外見は質素だが、周囲には警備用の魔導監視機が張り巡らされている。


「……普通の家に見えるけど。」


「見えるだけです。中は完全に軍用設備仕様ですよ。」

エレナは淡々と答え、扉を開けた。


室内は整然としていた。白を基調とした廊下、共有のリビング、奥には個室が並ぶ。

「黒翼の女性隊員は現在、あなたを含めて五名です。

中でもリズ・カリードという女性隊員がいます。明るく面倒見もいいので、仲良くしておくといいでしょう。」


「……分かりました。」


「明日から本格的に稼働してもらいます。

今日はしっかり休んでください。基地の外出は一切禁止です。」


「はい。」


エレナは小さく頷くと踵を返した。

その背筋は、まるで冷たい刃物のようにまっすぐだった。


扉が閉まり、静寂が戻る。

リヴィアはベッドに腰を下ろし、息をついた。

(……本当に、帝国軍に入ったんだな。)


ペンダントを指で弄びながら、

心の奥に広がる不安と決意の狭間を感じていた。



【翌朝・早朝】


外はまだ薄い霧に包まれていた。

リヴィアは黒翼の軍服に袖を通し、腰にレイピアを差す。

鏡の中の自分が、昨日までの「事務員」ではないことを告げていた。


宿舎の外に出ると、すでに数名の黒い軍服姿の影が立っていた。


「――おはよう。」


落ち着いた低音。

屈強な体躯、短く刈られた髪。

彼が、黒翼現場部隊の指揮官――カラム・ディートだった。


「君がグレイ少佐の推薦のリヴィアか。期待しているぞ。」

カラムはにやりと笑い、右手を差し出した。

「俺はカラム・ディート。この隊で現場の指揮を任されている。みんなからは“リーダー”って呼ばれてる。気軽にそう呼んでくれ。」


「……よろしくお願いします。」

リヴィアは少し緊張気味に握手を返す。


カラムが振り返る。

「よし、他のみんなも自己紹介しろ!」


最初に前へ出たのは、高身長で鋭い目をした青年だった。

「アシュ・バーンだ。火属性魔導士。……よろしく。」

短い言葉だけ残し、すぐに後ろへ下がる。

(ちょっと無愛想ね……)


次に、ショートカットの明るい女性が笑顔で一歩前に出る。

「女性が増えて嬉しいわ。私はリズ・カリード。風の魔導士よ。よろしくね。」

柔らかい声に、リヴィアも少し笑みを返した。


最後に、おどおどした青年が名乗った。

「ネロ・フェインです。情報参謀……一応。よ、よろしくお願いします。」

前髪が目にかかり、どこか頼りなさげな印象。


カラムが手を叩いた。

「よし、自己紹介はこんなもんでいいな。それじゃあ作戦説明に移る。」



【黒翼隊舎・会議室】


部屋の中央にはホワイトボード、

その前のテーブルには地図や写真、そして山岳地帯を模した立体模型が置かれている。


カラムが指揮棒で地図を指し示した。


「我々は今、小国“バルゼン”での作戦を継続中だ。

バルゼンを知ってるか?」


リヴィアは頷く。

「ええ、名前くらいは。」


「帝国は今、バルゼンと交戦状態にある。

理由は単純だ――あの国が、帝国反乱勢力“リバースオーダー”を支援している。」


その名を聞き、リヴィアの眉がわずかに動いた。


「バルゼンは小国だが、簡単に攻め落とせない。理由は地形だ。

標高の高いレガルト渓谷に位置し、周囲を断崖に囲まれている。

しかも、あの国には“ガルディアンスパイン”が眠っている。」


「……古代兵器のことですよね。」


「その通りだ。古代文明が作り出した防衛結界装置。

地脈の魔素を制御して、国全体を守るシールドを形成する。」


カラムは模型の一部を指で押す。

透明なドーム状の光が浮かび上がった。


「そしてもう一つ厄介なのが、“死者を媒体にした兵器”――アークリベレーター。

これはリバースオーダーがバルゼンに提供したもので、

死体を魔導反応炉として利用する非人道的兵器だ。」


リヴィアは無言で聞いていた。

(……そんなものまで。)


「そのせいで帝国の侵攻は半年以上、膠着している。

俺たち黒翼は、敵内部への潜入と兵器の実態調査を担当している。

……そしてグレイ少佐は、“リヴィアが合流したら破壊工作まで実施しろ”ってさ。」


「……無茶言うわね。」


カラムは苦笑した。

「だよな。でも、それだけ期待してるってことだ。

――今夜、再びバルゼンへ潜入する。準備をしておいてくれ。」


リヴィアは静かに頷いた。

胸の奥に、再び戦火へ踏み込む覚悟が灯る。



【特務課・少佐執務室】


会議後、リヴィアが廊下を歩いていると、

背後から聞き慣れた声がした。


「――リヴィア。」


振り向くと、グレイ少佐が立っていた。

「話がある。入ってくれ。」


執務室に入ると、机の上にはバルゼンの地図と通信記録。

グレイは立ったまま窓の外を見つめていた。


「バルゼン攻略は、君の力で大きく前進するはずだ。」


「過大評価しすぎよ。」


グレイはゆっくりと振り返る。

「バルゼンは、ずいぶん前から“テロ国家”として国際的に位置づけられている。

だが、俺はそれを単純に信じていない。」


リヴィアは黙って聞いていた。


「……エルデナの現状を知っているか?」


「いいえ。」


「終戦後、エルデナは帝国の占領下に置かれた。

だが王族も貴族も処刑はされず、むしろ帝都に移住している。

住民も以前の土地で暮らし続けている。

帝国の技術によって、エルデナの生活水準はむしろ上がった。」


「……何が言いたいの?」

リヴィアは眉をひそめる。


「俺は帝国を正当化するつもりはない。

だが、帝国は無意味に国を滅ぼすほど愚かではない。

ここは皇帝こそ存在するが、実権はほぼなく、貴族たちの議会制国家だ。

つまり、“誰かの思惑”なしに大戦争など起こせない。」


「――糸を引いてる人がいるのね。」


「その通りだ。」

グレイの目が鋭く光る。


「議員の中には極端な思想を持つ連中がいる。

その数名が暗躍し、エルデナ侵攻を引き起こした可能性が高い。

今、帝国全体がバルゼン戦に注力している裏で――何かが動いている。」


「……あまり具体性がないわね。」


「すまない。確証が持てない以上、まだ口にできない。

君はまず、バルゼン攻略に専念してくれ。

俺は“裏の糸”を探る。」


「……分かったわ。」


グレイは一歩近づき、真剣な眼差しを向けた。

「気をつけてくれ。黒翼は味方だが――帝国軍全体がそうとは限らない。」


リヴィアは黙って頷いた。

その目には、炎のような光が宿っていた。



リヴィアは静かな部屋でペンダントを握りしめた。

グレイの言葉が、心の中で何度も反響する。


(帝国の中にも、敵がいる……。

大丈夫、私は――もう逃げない。)


窓の外では、風が音もなく吹き抜けていた。

その風は、どこか懐かしく、そして新しい戦いの幕開けを告げていた。


――灰色の夜が、動き出す。

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