パラダイス
5分大祭参加作品です
その店の名は「楽園」といった。いつからそこにあるのかは、誰も知らない。そこで働いている者でさえも。
ギィと音を立てて扉が開く。
「あ、いらっしゃい」
レミィの声に客が顔を上げた。まだ、若い。しかもハンサムだ。
埃だらけのトレンチコートを纏ったまま、店の片隅のテーブル席に腰をかけた青年は、乱れたダークブロンドの髪をかき上げて小さく息を吐いた。
「バーボンを、ロックで」
テーブルに酒が運ばれる。青年はコートの内ポケットから一枚の写真を取り出し、自分の前の席に置くとグラスを軽く上げる。
乾杯。
「ヒース」
小さな呟きが、その口元から漏れた。
「やっと、ここまで来た」
整った顔が歪む。どうやら笑ったようだ。
お前とは、よくこうやって飲んだな。
酒にはめっぽう強くて、女と博打が好きで。お前が金を借りに来る度に、「お前なんざ、すぐにのたれ死ぬだろうよ。香典代わりにくれてやる」と、口汚く罵っていた。
お前は「俺のような小悪党は、そうそう簡単に死なないものだ」と笑っていたな。
ヒース。お前はいつも、自分がやりたいことをやっていた。どんな時も、自由だった。
出会った時はストリートキッズだったな。埃にまみれて、いつも腹を減らして。それでも自由なお前を俺は、羨ましく思っていたと知ったら、笑うか?
青年がもう一度、懐を探った。取り出されたのは、ナイフ。青年の瞳にぶっそうな色が宿る。
これが、何だか覚えているか?
そう、お前の腹に穴を開けたナイフだよ。
さぞ、苦しかったんだろうな。俺が駆けつけた時にはお前は内臓を掻きだしていた。
腹にあんな大穴が開いていたら、大好きな酒も飲めないな。せめて俺が飲んでやりたいが……すまない、それも出来ない。
して、やれない。だから、せめて。
ぎらりと、ナイフの刃が光る。
お前の仇だけは討ってやる。だから、俺はここに来た。たどり着いた。
色んな事があったさ。生まれて初めて喰うものに困って、泥水だって飲んだ。この俺が。
そう、何度も挫折しそうになった。でも、ついに俺はここに来た。
待っていろ。あいつを必ず、お前の居る地獄に送ってやる。
「あの、お客さん」
レミィが、控えめに声をかける。
ここに来る人間は、必ず理由ありだ。それをいちいち追求していたら、キリがない。
そんなことは百も承知だが、どうにも我慢ができなかった。何しろ、独り言が長い。しかも、ぶっそうである。
いぶかしげに顔を上げた青年に、出来る限りの笑顔を向ける。ちなみに、彼が持つグラスの酒は全く減っていない。
「もしかして、飲めない? ソフトドリンクもあるけど」
レミィの言葉に、青年はようやっと自分が声を出していたことに気がついたらしい。決まり悪そうにグラスを写真の前に置く。
「じゃあ、ホット……いや、アイスミルクを」
息を止め、ゆっくりと深呼吸をしてからオーダーを通す。
運ばれて来たアイスミルクのグラスを、再び軽く上げる、青年。
駄目だ。
今度は我慢できずに、レミィは吹き出した。
アイスミルクで「乾杯」はどうにもいただけない。
「こ、ここに来たっていうことは、もちろん理由ありなんだよね?」
レミィの言葉に、青年が眉を上げる。
「尋ね人ありって顔ね」
重ねて聞く。青年がポケットから一枚の写真を取りだした。
いかにも悪人面。痩せている癖にどこか脂ぎった、立派な背広の壮年男。
「好みのタイプじゃないなぁ」
げんなりと告げる、レミィ。
「ずっと、探していた。この街に居る筈なんだ」
険しい表情で、青年が告げる。
「ま、居るっちゃあ居るなぁ」
「何処に?」
詰め寄る青年に、レミィはごくりと唾を飲む。そう、本当に顔だけは好みのタイプなのだ。この青年は。
「えっと、あなた」
「ジーンだ」
「ジーン。その男が何者か知っていて、探してるの?」
「ハニバル・ゲイツ。俺の親友を殺した奴だ」
だろうなぁ。
レミィが心の中で呟く。先刻の長い独り言から、おおよそのことは推察できたから。
「ハニバルを見つけて、どうするの?」
「殺す」
そう告げた時には、ジーンの手には拳銃が握られている。
慌ててレミィは両手を上げた。
「他に、望みはないの?」
「望み?」
「店の看板、見た? ここは『楽園』。一度だけ、願いが叶う店」
にっこりと笑うレミィに、ジーンはぶっそうな笑みを向ける。
「それは、願ったりかなったりだな」
「うん、まぁそうなんだけど」
どうやら、ジーンはレミィの言葉を本気にしていないらしい。
だから、もう一度レミィは繰り返した。
「あなたの、望みはハニバルと会うことなのね?」
「当たり前だ。俺はずっとあいつを探していた。その為に、泥水だって飲んでも生き長らえたんだ」
「泥水飲んだら、お腹壊しただろうね」
レミィの質問に、ジーンは答えなかった。
「ハニバル」
その名を繰り返し、くっくっと笑う。
「待っているがいい。必ず、俺が殺してやる」
やれやれと、レミィは肩をすくめた。
「何者だ!」
海パン一丁で美女に囲まれていたハニバルは、無粋な訪問者に眉をひそめた。あまり、さまにならない。
「ハニバル。友の仇を討たせてもらう」
言うが早いか、ジーンは拳銃を構えている。
ハニバルを取り囲んでいた女たちが、わらわらと逃げ出すと同時に。
轟音が響いた。
「ヒース、やったぞ」
射抜いたのは、腹。止めはささない。もがき、苦しみ、死んで行くと良い。
と、ほくそ笑んだ直後。ジーンの表情が凍り付く。
何をとち狂ったのか、ハニバルがげらげらと笑い出したからだ。
「儂は死なない。なぜならば」
腹を押さえていた手を除けると、そこには空洞が広がるばかり。
「もう、死んでるんだよーん」
面白そうに笑い続ける、ハニバル。
「何だと? 一体、誰に」
「病死」
背後で、レミィがぼそっと呟いた。
「肝臓癌で、あっけなくね」
ジーンの膝が崩れる。
噛みしめた唇から、血がにじんだ。
「間に合わなかった……」
ぽつりと呟くジーンを後目に、レミィは思う。
ここに来るのは、死人のみ。だが、ジーンが自分の死因を知ったら、立ち直れないかも知れないな。
でも、最後の願いは叶えた。それに満足しなかったのなら、満足するまでここに居れば良い。ハンサムだから許す。
ここは「楽園」。
死者の安息を願い、願いを叶える最後の場所。
お祭なので、いつもと違う系統の話を書いてみました。読んで頂き、ありがとうございました。
今更ですが「看板に偽りあり」です。お祭りなので多めに見てやってください(笑)