1 『空と君とのあいだに』
ひどい轟音が木々の隙間を波のように押し寄せる。
空気はビリビリと震え、木々も音を鳴らし、木の葉が舞い散る。
その自然の中には不釣り合いな超文明鉄塊がただ一つ、隕石のように空を放流し、地面へと激突したのだった。
「うわぁ……真っ黒焦げ〜」
扉は衝撃により破壊され、中には人の姿が一人。
「うそ、人!?」
そんな甲高い声を上げ驚くものが一人。
その声に呼応するように脈を感じる。視界がぼやけ、頭の痛みが加速していく。
数時間ぶりに発生するような感覚。「痛い」と言ったはずだが小さな呻き声として外に排出される。
「ぐっ……つぅ……」
「え、生きてる…だいじょーぶですかー?」
少女はこちらを覗き込み,俺の声に反応するようにそう言った。
透き通るような声と橙色の髪。黒い服に肘や膝にはプロテクターをつけており、肩には「5」と数字が振られていた。
なるほど、ここが天国というものか。女神ってのはもっとこう、透明感のある服を着ているものだと勝手に解釈していたが、黒服の神もいるのか。
「ああ、死んだんだな、俺」
「え?」
少女は俺の発言に首を傾げ、わかりやすく困惑の表情を浮かべていた。
「…何を言っているのかわからないのだけれど」
数秒間の沈黙が流れたのち、俺はまだ生きているということが判明した。彼女の名前はミモレット。十八歳で、『砂喰』というチームに所属し、冒険者をやっているらしい。
「冒険者…か。具体的には何をやってるんだ?」
「そうね…鉱物の収集とか、危険物処理とか…それと、討伐ね」
「討伐?治安維持も担当しているのか。大変そうだな」
「まあね。さ、早くここから出よ」
そう言うと少女が手を差し伸べる。
その細く滑らかな感触をとり、機体から脱出する。外の木々は暗く不気味な雰囲気で鬱蒼としているが、機体の周囲に存在する花々は凛と美しく咲き誇っていた。
「俺のせいでこの花たちは下敷きになっちまったのかな…」
「君ってば……自分の状況わかってて言ってるの?けど、そのお花に感謝するべきだよ。それがなかったら君のこと誰も見つけられなかったかも」
ミモレットによると、花が砂漠に埋もれながら咲いていたそうだが、その話を聞いて尚、自分の境遇を信じられずにいた。
「ハッハッそんなバカな」
「君が言うのはおかしくない? ……まあいいけど。そういえば名前はなんて言うの?私まだ聞いてない」
その問いに対し、俺は鶴を折るが如く容易な気持ちで返答する。
「俺は……」
あれ。
あれ?
言葉が詰まった。
いやいや、ここは普通に自己紹介をするだろう。
「お、俺は……」
そう続けようとするも声のカタチすら探ることができない。
額から流れる一筋の不安に気づく。
“無い”のだ。生まれ育った町、見てきた景色、感動したこと……すべて。この無骨で冷たい機械が何なのか、熱い血が流れるこの身体は、何なのか。その疑問を表現するのに、言葉は不要だった。
「記憶喪失……?」
「……なにも、思い出せない」
汗は滝のように流れ、飲み込む唾は砂利が詰まったように喉を塞ぐ。
“記憶喪失”……その四文字は、出先でパスポートを紛失したかのような不安を駆り立てた。
そんな最中、胸元の違和感に気づく。
「これは……なんだ?」
「?」
手帳だろうか。革製品で作られているそれは、加熱や圧力に耐えたのか形は整っていた。
…が、高熱で印字は薄れ、中は煤だらけで、全く読めなかった。
「…1…白……なんだこれ」
次のページを捲ると、自分の顔写真と、横の名前を目にする。
苗字は掠れて読めないが、名前は「氷吏」と仮名付きで表記されていた。
「ヒョウリ…これが俺の名前か」
……いや、十六年もこの名前で生きてるのに忘れちまってたのか、俺は。
自身の不甲斐なさを実感すると同時に、ミモレットにもこの手帳を見せ、自己紹介をする。
「ヒョウリ…ね。いい名前じゃん! 見たところ漢文字が名前に入ってるから、『ドレズーロ』あたりの人っぽいけど……。これ聞いてもピンと来ない?」
全く覚えのない単語に俺は頭を振った。
でしょうね、と言わんばかりで手のひらをヒラヒラとさせる。
「それにしてもこの森、少し不気味じゃないか?」
先程まで煤だらけの椅子に座っていたヒョウリの足は興奮で生まれたての子鹿のように震えているが、決してこの雰囲気に気圧されたわけではない。武者震いなのだ。戦えないが。
それにしても、先程砂漠の話が出ていたにも関わらず、ここに森があるのは些か違和感を覚える。どういった経緯なのだろうか。彼女の言っていた“花の道”があるにしても、意図的にやられたものとしか思えない。だがしかし、誰がそのようなことをするのだろうか。
「そうだね…ここは特に強い呪いだから魔物も強い。気をつけたほうがいいよ」
「のろい…魔物?」
「……もしかして、それもまるまる説明しなきゃダメかな?」
すると突然、天空から雷鳴が轟くが如く、一筋の光が目の前に顕現する。ひどい轟音と閃光に前が見えず、怯む。ミモレットは何かを伝えようと必死だが、その音も耳に届かない。
光が止むと、目の前には数多の魔物と呼ばれる生命体が二足歩行で立ち憚る。ざっくり切れた耳、鋭い牙、剥き出しの背骨。見たところ狼のようだが、その異質さに眩暈がする。
ミモレットは頬に一筋の冷や汗をかきながら腰から双剣を取り出す。
「説明が省けたね…すぐ終わらせるから隠れてなさいな」
「う、うわああああああ!!」
「大丈夫、私が倒すから。安心して」
「あああああああああ!! うわああああああああ!!!」
「ちょっとうるさいんだけど!? 早く隠れなって!」
ヒョウリは彼女の言葉に冷静さを取り戻し、物陰に隠れる。
鬱蒼とする樹木の隙間から薄目でミモレットの様子を確認すると、その外見からは想像もつかないほどの剣捌きで次々と魔物を狩っていくのが確認できる。
『冒険者』とはこうも勇猛で果敢なのか。…それにしても、彼女のような冒険者はこの世界にもっと存在するのだろうか?存在したとして、彼女たちは何故そこまでして魔物を狩り、命を賭けるのだろう。
そのようなことを考えていると、彼女がこちらに向かって歩いてくる。
どうやら終わったようだ。お疲れさん、と言うと彼女は健気に返事をする。
「……魔物とやらはどこに行ったんだ?」
「浄化したわ。それで、魔物は倒すと魔素に変換されるから、実質的に消えるの」
「さっきの"呪い"とやらを?」
「そうね。一般的に回復魔法とされているものが魔物には有効打にはなるんだけど……私の回復魔法にはちょっとした秘密があってね」
「秘密?」
「ふふっ、ナイショ。さ、早い所こんな場所脱出しよ」
そう告げた彼女の笑みは、どこか哀しみの感情が浮かんでいるように思えた。
他にも違和感はある。彼女の行いや言動は善人のそれだ。何も疑問に思うことはないはずだ……。
はずなのに、胸の奥に靄がかかる感覚を覚える。
なぜ彼女は関係のない他人のことを気にかけて、危険を晒すような行動を容易に行うのだろうか?それが冒険者なのだろうか。
そうだと言われればそこまでだろう。でも、だとしても割に合わない気がする。
……『確かめたい』、そんな思いが駆け巡る。
ヒョウリは期待していたのかもしれない。この胸の内を明るくしてくれる存在が、すぐそばにいる事を。
「な、なあ……なんで俺のためにここまでしてくれるんだ?」
「なんでって……それが冒険者の性分でしょう。人のためにできることを、できるだけやる」
そう、なのか。『冒険者』だから当たり前なのか。
当たり前のことをしているだけなのか。
「……人のためになることでも、それが無駄で虚空で、割に合わなかったとしても?」
「そんなことはないよ。人助けなんて、究極の世話焼きなんだから。
私たちは、感謝されることが報酬よりも嬉しいの」
「ま、まあ報酬も貰うけどね!?」彼女は恥ずかしそうに顔を赤くしながら言い放つ。
そんな彼女に尊敬の眼差しを送ると、益々顔面が赤褐色に染まっていく。「……もうっ、先行くから!」と言い捨て、早歩きでこちらを振り切るようにズカズカと歩いていく。
金や食い物があれば生活には困らない。けれど、冒険者に拘らなくとも、金を稼ぐことはできるだろう。身を危険に晒してまで人を助ける理由って、なんだろう。
ヒョウリは見失わないように彼女の後ろについて行く。
その瞬間、目の前に大きな壁が立ち塞がる。一瞬、闇に飲まれたかのように視界が奪われ、動揺する。
見上げると、既視感のある出立ち。ざっくり切れた耳、鋭い牙、剥き出しの背骨。
壁なんかじゃない、これは……
魔物だ。
先程まで彼女が戦っていたものと全く同じものの数倍大きい個体が、正しく彼女の背中を目がけてその鉤爪を振おうとする瞬間だった。
音もなく現れた魔物に彼女は気づく気配もなく、数秒後の凄惨な未来は予想するにも容易かった。
「ミモレット!」
そう叫ぶつもりだったが、体が先行して魔物の前に出る。
そして彼女の背中を突き飛ばす。
自分らの体の数倍はある鉤爪が俺の脇腹を目がけて風を切るのを視界の端で捉える。
(なんで……)
なんでこんなことしてんだ。俺は戦えないのに。
クソ……ここまでかよ。俺は何も知らずに死んでいくのか。
………。
──恩人を遺して…死ぬのか?
(なさ…っけねえ…。なさけねえ!)
情けない話だ。
(……でも、なんとなくわかった気がする)
ミモレットがなんで冒険者をやるのか。
彼女は突然背中を押された事に驚愕し、こちらを振り向く。
その仕草は思うより遅く感じた。
──俺は期待していたのかもしれない。
何か特別な理由があって、力があって、選ばれることを。
彼らのように役割が与えられたら、相応の力が手に入るだろうか。
使命に死ねたら、気分がいいだろうか。
(ごめん、ミモレット)
ヒョウリの腑は狼の一振りにより、容易に噴き出した。
───────
あたり一面は白一色で、どこを切り取っても特徴のない殺風景な…
雲の上のような世界で、ヒョウリは一人、立ち尽くしていた。
気付かぬうちに、雲の向こうから現れた見覚えのある背中を発見する。
(あれは……)
男がこちらを背にして立っているのが見えた。
ヒョウリは彼の姿を過去に見たことがある。
なのに、視界がぼやけているせいか思い出すことができない。
彼のそばに近づこうとすると、その男はこちらに向かってはっきりと告げる。
「それ以上、こちらに来てはいけないよ」
「……!!」
「何故だ」、と問おうとするが、声が出ない。
すると、男の影は消え、反対側から新しく別の声が聞こえてくる。
【力が欲しいか】
視界が真っ赤に染め上げられる。比喩ではなく、文字通り先程までの白さが嘘のように赤みがかっている。
その声は例えるならば悪魔のようだが、馴染みがあるように感じた。
「誰だ!?」
今度は声が出た。情景が転々とする様に半ば混乱しつつ、手繰り寄せるように現状の疑問を叩きつける。
【俺はお前だ。お前、さっき“力”を望んだだろう。それに応えたに過ぎない。
……お前は一度死んだ。力を与えるついでに蘇らせる】
「それは……どういう……!!」
振り返ろうとするが、今度は体に力が入らない。
立ったまま、その座標を固定されているように身体が強張っているのを感じる。
思わず「う……ぐっ……!!」と声が漏れる。
【さあ、お前も応えろ。“力”が欲しいか?】
「力……? 何をするつもりだ!?」
【ふっ、ここで楽しく問答を続けるつもりか?お前の恩人に報いるのだろう?こうしているうちに、アイツも消耗しているだろうな】
状況とは裏腹に、その呪いは試合を観戦するような軽々とした感覚で、尚且つ嬉々とした態度でそう語っている。
慎重に選ぼうとするが、ミモレットが気掛かりだった。
【じゃあ質問を変えるか……お前はあの女を見殺しにするか?】
『俺は……』
彼女と出会ってから、何回笑顔を見ただろうか。
煤だらけの俺の手を取ってくれたのは、間違いなく彼女だ。
初めて会ったのに、こんなにも温かい気持ちになるのか。
瞳を閉じる。
瞼の裏でフィルムが流れていく。
俺がこの地で誕生してからの、一時間にも満たない映画だ。
…………
「ヒョウリ…ね。いい名前じゃん!」
「大丈夫、私が倒すから。安心して」
「人のために出来ることを、出来るだけやる」
「究極の世話焼きなんだから!」
…………
『俺は、誰も見殺しにはしない。
俺を助けてくれた恩人を助け返すだけだ』
ヒョウリは悪魔と契約して、初めてこの世界に生まれ変わる。
【契約成立……】
悪魔は薄気味悪い笑い声を高らかに、その場から消え去る。
それと同時に、身体が海底に沈むかのように意識が遠のく。
──────
ヒュン、ヒュン、ヒュン。
風を切る音が鋭く耳を突き刺す。
自身の三倍はある図体の狼と少女が、向かい合っている。
攻撃しては、回避。
攻撃しては、回避。
一度でも間違えれば、即死。
少女はすでに、二度、鉤爪の攻撃を掠っている。
左脇腹に一度、右膝に一度。
風に当たっただけで服が破け、肉を掠める。
(これ以上続けていたら、体力が持たない…!)
ヒョウリが死亡した事実を受け止める暇もなく、現実は容赦なく振りかぶる。
ただでさえ体格差で急所を叩くのに苦戦しているというのに、攻撃のリーチが格段に長い。
一人でいるということが、こんなにも恐ろしいとは夢にも思わなかった。
今までそうだったことは多かった。でも、大体はなんとかなった。
なんとかなってしまっていた。
せめて団長の作業が終わるのを待っていれば。
せめてナルムを連れてくれば。
ヒョウリは死なずに済んだのではないか?
考えても仕方のないようなことが脳裏を駆け巡る。
(私は……弱い……!!)
攻撃を受け流そうと剣を構えていたが、敵の攻撃を見誤る。
携えていた剣は、どちらも彼方へ飛ばされてしまう。
下を向く。
足は既に未来に絶望したかのようにガクガクと震え、脳みそでは「闘え」と鞭を打ち続ける。
「死ぬことが報いる事になるなら、私は幾らだって命を捧げてもいい……でも」
ポツリとそう呟く。
魔物は言葉を介さない。
大きな爪は、肉を裂き、骨を砕く。
「グオオオオオオオ!!!」
「……へっ」
狼は呻き声をあげ、大気中に浄化されていく。
目を丸々とさせてその光景に唖然とする。
それはどす黒い毛並み、靡く包帯、悪魔のような目つき、鋭い牙と爪…それらは魔物とほとんど似通っていたが、ただ一つ、見慣れた服装をしていた。黒いジャケットに白いハイカットの靴……ところどころ破損していたが、それを目の当たりにして、確証を得る。
「ヒョウリ……?」
彼女の言葉には耳も向けず、自分の世界に浸り、ただひたすらに右掌と会話をする。
戦闘で疲労困憊だった両足はいう事を聞かず、地面に倒れ込む。魔力はまだ健在だが、体のほうが先に限界を迎えたようだ。
【ぷっ、くくく…アハハハハ!!! 遂に、遂に取り戻した!! 嗚呼、何年ぶりだろうか! 馴染む馴染む、非常に良い血の流れだ!】
先程の少年の声とは打って変わって、ドス黒く、ひとたび声をかけてしまえば、こちらの声が発した先から切り刻まれてしまうのではないかと錯覚するほど、その異質さと恐怖心を駆り立てた。
少女は先程まで肩を並べていた彼とは全く違う存在に、本能的に知覚していた。
おそらくこれは怪異の類であると。
漆黒の毛並みで風を切り、"それ"は、着実にこちらへと向かってくる。
【おい、そこの女。僕は君に三つ感謝しなきゃならない。
一つ、この世界の認識をこいつに与えたこと
二つ、こいつに信念を持たせたこと
三つ、魔素適正による一般人の影響を鑑みなかったこと
一つでも欠けてたら僕はずっとこのファスナーで永遠に素数を数え続けていただろうね】
ドス黒い邪悪さをその声に纏い、こちらに語りかける。
そいつは先程まで少年が羽織っていたはずのジャケットのジッパーを指差し、そう言った。
【じゃ、感謝は済んだし……死んでもらおうか】
狼は地べたに転がる少女を見下し、その鉤爪で身体を真っ二つにした。
はずだった。
狼の体は黒い靄を噴射し、本体が膝をつく。
【ば……かな、完全に乗っ取ったはず
……いや、違う……これは!!】
足先からジワジワと消毒をかけられたように泡立ち、体が内側から裏返っていく。
「お勉強がだ~いすきなくせに、これは覚えてなかったのね?」
その回復魔法はみるみるうちにその狼の首元まで浄化していく。それに連なり、狼の姿は見慣れた少年の姿へと戻っていく。
【あッ…がアアアアア!!!浄化魔法がああああ!!」
聞くに堪えない断末魔は、聞き覚えのある声になったと同時に、完全に少年の姿へと変貌した。彼の腑は元通りになり、そのまま眠りにつくように気絶した。
「復習に加え予習もしておきなさい。私の回復魔法は『物体を少し前の状態に戻す』こともできる」
少女はそうぽつりと呟き、自身の限界も覚る。
最後に見えた光景は、自分が「団長」と呼び慕う師が乱暴に地面を蹴りこちらへ向かってきている光景のみだった。




