婚約破棄はしないと誓った王太子の末路
「絶対に、婚約破棄などしないでくださいね」
そう告げる私の目を、王太子レキサルティは真っすぐに見て微笑んだ。
「するわけないだろう。君を心から愛している。この命にかけて誓うよ」
私は、細工の施された小さな銀の指輪を手渡す。
「では、この指輪に誓ってください。絶対に――私との婚約を破棄しない、と」
「もちろんだとも」
王太子は、指輪を薬指に通した。淡い光がその手元を包み込む。誓いの魔法が発動した証だ。
「この指輪は、誓いを破った者に相応の結末を与えます。お気をつけて」
「はは、ベロニカは冗談も言うんだな」
笑って去っていく背中を、私は静かに見送った。
――まさかこれが、生きている彼を見る最後になるとは。
王太子レキサルティの視点:
ベロニカの部屋を出ると、廊下の角で金髪の縦ロールが揺れた。
「ごきげんよう、レキサルティ殿下」
「カサンドラ……お前こそ女神だ」
ベロニカの妹、カサンドラ。ベロニカより派手で、甘く、素直で、何より男の扱いが上手い。婚約前からの関係だった。
「少しだけ、お部屋に寄っていただけます?」
「断る理由なんて、あるわけない」
周囲に人影がないのを確認して、カサンドラの部屋に入る。ドアが閉まる音とともに、唇が重なった。
壁に押しつけ、夢中でその肌を求める。
「どうしてお姉さまと婚約したの?」
「仕方ないだろう。王太子の俺は、自由に結婚相手を選べない」
「いつまで演じるつもり?」
「そう遠くないさ。病床の父王も先は長くない。国王になれば、俺が好きにできる。……お前と結婚する。それまで、我慢してくれ」
その瞬間――左手の薬指に、じりっと灼けつくような痛みが走った。
「ぐっ……!? なんだ、これ……!」
指輪が淡く、脈打つように発光している。まるで生きているかのように。
「き、気味が悪いな……こんなもの、外してしまおう」
無理やり指輪を引き抜いた瞬間だった。
「――あれ?」
体が、勝手に動き出した。
腕が震え、腰の短剣を抜き放つ。自分の意志ではない。指が勝手に動く。足が、手が、心臓が冷たくなる。
「か、カサンドラ、逃げろ!」
「な、なに……!? 殿下!?」
声にならない絶叫。刃が自分の腹へと突き立った。何度も、何度も。血が噴き出し、視界が赤く染まっていく。
「やめろ……誰か、誰か……助けて――!」
意識は、そこで途切れた。
ベロニカの視点:
王太子レキサルティは、私の妹カサンドラの部屋で血まみれの状態で発見された。
妹はその場にいたことで、王太子殺害の罪に問われ、あっという間に死刑判決が下された。
「痴情のもつれだったらしいわ」
人々はそう噂し、私に同情した。
――誰も知らない。
この指輪に誓った者が、裏切ればどうなるか。
私は静かにカサンドラの部屋に入り、床に落ちていた指輪を拾い上げた。わずかに血のにじむそれを、手のひらに包み、呟く。
「命に懸けて誓うって……言ったでしょう?」
その夜、私は久しぶりによく眠れた。