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平凡な俺が世界を救っていた話

作者: 染舞

 チート能力が欲しかった。


 俺は特段何かが秀でていることはなかった。

 学校のテストは平均点より上が取れる教科もあれば、赤点ギリギリのものもあった。運動は不得意ではないが、運動部に勝てるほどではない。

 両親は俺を蔑ろにはしていないが、過度な愛情を感じたこともない。

 そしてそんな人生に不満を抱きつつも、そんなものだろうと納得もしていた。


「……あ、あった」

 思い出しながらずっと見上げていたら、目当てのものを発見する。

 赤い樹の実。

 木々の茶色い幹と青々とした葉……そして不思議な白銀色に包まれた世界の中で目立つ赤色。

 それに向かって右手をかざし、意識を集中させる。

『ウィンド』

 程よく"魔力"が集まったところで解き放ち、その力で物のヘタの部分だけを切る。

 当然果物は重力に応じて落ちてくる。俺はそれを受け取るため落下地点に入る。

 ズドンっと予想よりも重たそうな音を立てながら赤い樹の実を受け取ったのは、俺の手ではなかった。

「すごいじゃないか。上手くなったね」

 自分のことのように嬉しそうな声がした。そして「はいっどうぞ」と自分の手の中に果物を置いたのは、白銀色の細長い布切れのような『手』だった。

 振り返ると、俺を果物から救ってくれたその存在は、ゆらゆらと体を揺らしながらいつものように浮いていた。比喩ではなく、本当に浮いている。

 その姿を簡単に表現するならば、布のおばけ、だ。

 白いカーテンを頭からかぶったようなあのお化け。ただその体は俺の3倍はある上に、身体が入っているだろう部分からは無数の手……薄っぺらくて長い布の切れ端のようなものがちらちら見えるし、顔らしきものもなく、不気味で恐怖心を煽るだろう。

(俺も初めてみた時気絶しちゃったしな)

 そんな『手』が伸びてきて、さわさわと俺の頭を撫でてきた。なんとも不思議な感触だけど、怖くはなくて、ただただむず痒い。

「ユィラ」

「けどダメだよ。あんな高さから落ちる林檎を素手で拾おうとするなんて……君の身体は弱いんだから大事にしないと」

「あはは、ごめん。林檎って思うとそんな感覚しなくて」

 手の中にある果物……林檎を見る。赤と黄緑と、そして白銀色のそれは、たしかに形を見ると林檎のようだし、赤いところだけを見るならば俺の知っている林檎そのものだ。ただその半分が白銀色に輝いているだけで。

 白銀に輝く部分は見た目通り固い。まるで金属のようだが、鉄と言うにはやや柔らかい。しかし金属らしい重さがある。

 対して赤い部分の感触はまさしく林檎。ある程度硬いが、かじりつくことが出来そうな硬さ。俺が食べられるのはこっちの部分だけだ。

「そっかぁ。知識では知っているけれど、本当に昔は全部生物だったんだねぇ」

 不思議だ、というユィラにそれはこちらのセリフだと返すと、彼女はぶるぶると笑った。布の内側にある無数の手が震え、互いに叩き合ってかすかすと音を立てている。これが彼女の笑い方だ。

「たしかにそのとおりだね、ご先祖様」

「……やめて、その呼び方」

「あはははは、ごめんよ、タケル」

 ますます楽しそうに全身でぶるぶる笑うユィラに、ため息を付いた――そう、ご先祖様。

 彼女は僕達人間の子孫だ。


 今僕が立っている世界は、自分の中にある地球の姿とはあまりにもかけ離れている。

 植物らしきものも動物らしきものもあるが、それらは身体の半分から三分の一が白銀色を持っている。

 僕が地球に生まれてから1億年以上が経っているというこの地球では、機械と生物が完全に融合していた。それを可能にしたのが魔法の発見。

 僕の時代から騒がれていた自然環境の変化は悪化するばかりで……地球はどんどんと過酷な環境になっていったそうだ。そんな中、人類は環境に応じて頑強な体を手に入れようとして、魔法と機械技術を組み合わせて今までの人間の体を捨てた。

 実験の過程で植物や他の生き物達にもその影響が及んだ結果、地球に住む生物たちは全員が金属の体も持つ生き物へと変化した。

 先ほどの林檎もそうだ。

 人間の形は俺からすると二本の足で立っているイメージなのだが、ユィラたちの感覚は違う。自分が思う便利な形で肉体を作っている。

 それにしたってなんであんな不気味な姿なのかと思うのだが、

『手がいっぱいあったら便利そうだろう? それにこれだとたくさん術式も書き込めるし……君は二本しかないから大変そうだ……あ! 良かったら10本ほどあげようか?』

 善意で手をプレゼントされそうになったので全力で断った。

 しゅん、と項垂れてしまったユィラは完全に善意で提案してくれたのだろうが、自分の体に腕が何本も映えているのは、いくら便利でもちょっと遠慮願いたい。


 で、なんで俺がこの時代に来たのか……は分からない。ただ気づいたときには真っ白な世界にいて、そこで俺はキャラクリをした。

 パソコンだけが置いてあったその空間。ディスプレイには『おめでとう! 君は世界の救世主に選ばれました』と書いてあり、ステータスや見た目を設定できた。

 なんだかドキドキした。

 他の世界に転生して無双する、なんて……本気で信じてはいなかったけれど、あったらいいなとは思っていた。

 たとえ夢でもこんな不思議な夢なら構わなかった。

 見た目は自分に寄せたが、まるでゲームキャラのクリエイトのようにイケメンになった。俺をイケメンにしたらこうなるのかとついしげしげ眺めてしまった。

 ステータスは尖らせず、体力や力などの近接をメインにしつつも魔法も使えるみたいだったので知能にも振った。

 それと別にスキルをいくつかつけられるようで、魔法は全属性使えるだとか、神速、鑑定だとか……吟味してつけた。

 意気揚々と世界に降り立って……


(まさか、チート能力があっても使い道がないなんて思わなかったな)

 未来の地球には魔王なんていないし、魔物もいない(凶暴な生き物はいるけど)。

 圧政を敷いている独裁者なんてものもいない。そもそも国が存在しない。


「さぁっ、そろそろ帰ろうか。ミロが待っているよ」

「……うん」

 ユィラの手が俺の体を掴んで彼女の頭? の上に乗せる。布の頂点が凹んで俺がまたがって座りやすい形になった上に、その手がシートベルトのように俺を固定する。

 ふわふわと緩やかに上下に揺れつつ、ものすごい速度で景色が流れていく。今の俺にはそれでも周囲の景色を把握することは出来るものの、人工物はまったく存在しない。

(当然か。今この地球には……3人しかいないんだから)

 俺とユィラとミロ。

 自身のことを人間と称しているのは、その3人だけ。国など必要な訳が無い。

 そう。人間は……滅びの運命を辿っていた。

 ユィラたちはほぼ死なない体を手に入れた代わりに、生殖機能を失っている。

 一応、新しい生命を作り出すことそのものはできるそうだが、する気はないそうだ。このまま生きて、満足したら死ぬだけだと。

 数千年以上生きているという二人は、まだその『満足』を得られていない。

(満足、か……俺に何かできるのかな)

 満足=死とは分かっていて、二人が死ぬのは寂しいけれど……満足感を得てほしいと思う。

 見た目はともかく、二人はとても温かい人達だから。

 もしも二人がいなければ、自分はチート能力を持っていても死んでいただろう。能力があることと、それを必要な時に使えるかはまた別の話。それをこの時代に来て早々実感した。

 今は先程の林檎収穫のように、地道に魔法の練習中だ。


 思い出していると、ひときわ大きな白銀色の塔が見えた。あれが今お世話になっている二人の家だ。

 装飾なんてない。接目もない。ところどころに明かり取りの窓がある……塔というよりただの円柱……いや

「万華鏡の方が近いのか?」

 魔法術式がたっぷり使われているその建物は、正直自分には理解できないほどに不思議な構造をしている。様々な機能もあって便利なのだが、便利すぎて逆に不便さも感じてしまう。

「ただいま……って、万華鏡がどうしたんだい? 遊ぶの?」

「ただいま。ううん、この家がそんな感じだなと思っただけ」

 俺をそっと地面におろしてくれたユィラにお礼を言うと、彼女はまたその手で優しく俺の頭を撫でてくれる。すごく子供扱いされているが、彼女からすれば子どもも子どもなのは仕方ないかと、今では諦めている。彼女たちに保護してもらわなければ、この地球で生きていけない程にか弱い存在なのも事実だから。

(俺の能力もチートだとは思うけど、二人のほうがチートな存在だしなぁ)

 巨大なクマも、虎も、彼女たちを前にすると赤子のようなもの。彼女たちを見ただけでビビって逃げる。だが、彼女たちが逃さないと思ったら逃げることすらできない。

 俺はクマどころか狐にすら勝てないのに。

 例えるなら、俺はこの世界でのスライムみたいなものだ。

 一応魔法は使えても、動く相手に当てるのはすごく難しいし、こちらを殺そうとしてくる相手に対してビビらずにいるのはもっと難しい。ラノベなどでは殺気、というたったの二文字で表されるだろうものを実際に浴びて、俺にはチート能力で無双なんてできないなと悟った。――どんなに素晴らしい能力も、身体が震えて使えなければ意味がない。


(俺、何のためにここにいるんだろう)

『おめでとう! 君は世界の救世主に選ばれました』

 あの奇妙な空間でのその言葉が頭をよぎる。しかし世界を救うも何も、脅威はない。人間がほぼいないこの世界は安定していて、問題ないように見える。

 実際二人も

「私達が死んだとしても、少なくとも千年は大丈夫じゃないかな?」

「また人間みたいな種族が生まれる可能性はありますが」

 と言っていた。人間みたいな種族が現れない限りは安泰だそうだ……人間の有害さが分かる。

(ま、世界の救世主なんて、俺みたいなのがなれるわけもないよなぁ)

 特別何かが秀でているわけでもない自分に、そんなチャンスが来るなんてそもそもがおかしいんだ。


「……タケル? どうしたのですか? 味付け失敗していたでしょうか?」

 柔らかな男性の声にハッとして顔を上げる。

 俺の感覚からして、とてつもない美声。声優か歌手かと言いたくなるような癒やしボイス。その声を発した人物は……一言で言うならから傘お化け。これまた白銀色で、普通の傘よりも骨が格段に多い状態で、やはり目や口はない。

 傘がパタパタと開閉しながら揺れている。その隣では布のおばけも揺れている。表情もなにもないのに、心配そうな空気をまとっている、というのが分かる程度には二人と過ごしてきた。

 俺は眼の前の白銀色の皿に乗ったステーキを一欠片口に放り込む。昔と違ってじゃりっとも言わないし、まったく味がしないわけでもなく、意識を失うほどに辛いわけでもなく、むしろ

「美味しいよ、ミロ。いつもありがとう」

 笑ってお礼を言えば、から傘お化けが照れたようにぐねりと曲がった。それを不気味ではなく可愛らしいと思うようになっている。

 二人と過ごすのは楽しい。

 学校もなく、好きなことをして過ごす。本がほしいと思ったら、二人がどこからか出してくれるし、ゲームがしたいと思ったら最先端のゲームから昔のゲームまで、データベースにあるものならばなんでも再現できるそうで、簡単に出してくれる。

 憧れていた魔法だってここなら使える。剣を学びたいと言ったら、二人が教えてくれる。

 料理も、俺の栄養を考えながらも、俺が好きなものばかり作ってくれる。……二人は食事をしないのに、俺のためだけに。

 何一つとして不自由がない。文句のつけようがない……はずなのに。

(なんで俺、帰りたいって思うんだろう)

 二人のことは好きだ。

 家族とどちらのほうが好きなのか、と聞かれたら正直良くわからない。だけど、


 なぜか、母のちょっとしょっぱい味噌汁がやたらと飲みたい。

 なぜか、寡黙な父の「おはよう」というぶっきらぼうな声が聞きたい。

 なぜか、だるくて行くのが面倒だと思っていた学校に行きたい。


 異世界に来たとか、魔法だとか、チートだとかであれだけ喜んでいたというのに、なんでこんなことを思ってしまうのか。

 考えても、考えても、答えは出てこない。

 だからソレ以上考えたくなくなって、ステーキにかじりついた。


 それからも穏やかな日々が続いた。

 危険な生き物や植物はたくさんあるものの、ユィラとミロがいてくれればまったく問題ないから、眼の前で大きな口が開かれていても、最近は恐怖を感じなくなってきた。

 実際、俺に返り血一つかかることなく二人はその化け物を処理していた。肉の部分は俺の食事用に。金属部分は資材用に。

「帰ろうか、タケル」

「……うん」

 キレイに処理を終えて俺をまた乗せてくれるユィラ。俺が今まで乗ってきたどんな乗り物よりも居心地がいい上に、なんといっても早い。

 けれども、父愛用の古い車が頭に浮かぶ。車内は狭いしシートは固いし、冷房もあまり効かないような古い車。旅行に行ったら渋滞に引っかかって、くねくねする山道では車酔いしたこともある。

 なのに、なのに……あの車に乗りたいと、思ってしまっている俺がいた。

『タケル、宿題はしたの?』

 ゲームをしていると、腰に手を当ててガミガミ怒ってくる母の声が、聞きたい。

 ここでの生活は穏やかで、好きなことができて、ストレスなんて感じないはずなのに、なんだか胸が苦しい。

「……タケル? どうかしたかい?」

「ううん、なんでもないよ」

 首を横に振る。そう、なんでもない。幸せなはずなのに、苦しいなんて、ありえない。きっと気の所為だ。


 気の所為だ。気の所為。


 そう思っていたのに気がつけば、外に出なくなった。

「タケル? 今から狩りに行くけど」

「そう。行ってらっしゃい」

 俺のための狩りなのに、言葉途中で遮った。ユィラは「うん。行ってくるね」と返してくれたけど、声がどこか寂しそうだった。

 二人は、俺を怒ることはなかった。

 二人は、俺を拒絶することはなかった。

(いっそのこと怒ってくれたら……拒絶してくれたら良かったのに)

 そうしたら、俺の中にある罪悪感はもっとマシだっただろう……だなんて、最低なことを考える。

 こんな事考えてはいけない。

 あたり前のことを何度も頭に思い浮かべた。けれども思考はぐるぐると同じところを巡り、俺は……ご飯を食べることも億劫になってしまった。

 ベッドに横になって、ただボーっとして、眠くなったら寝る。そんな生活をしていたら

「ねえ、タケル……帰りたいかい?」

 そんなことを聞かれた。

 おかしなはなしだ。だって俺は家にいて、俺の部屋にいるのに帰りたい、だなんて。

 俺は……最近、返事も億劫になっていた。だから俺は

「うん」

 頷いた。

「帰りたい」

 久しぶりに聞いた自分の声は、とても情けなくかすれていた。


 それからしばらくして、俺は元の時代に帰ることになった。

 というのも、二人はいつか俺が帰りたいと思った時に帰せるよう、方法を探してくれていたそうだ。

「ごめんね。もっと早くに言うべきだったのに……君といるのが楽しくて」

 二人はしゅんとうなだれながら謝ってくれたけど、むしろ謝りたいのは俺の方だ。

「ごめん、ごめん。俺、二人のこと好きなんだ。ホントで。嘘じゃなくて」

「大丈夫ですよ。分かってます。わたし達もタケルのこと大好きですから」

 上手く言葉にできない俺を、二人は優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。冷たくはないけど、暖かさもない二人の身体。けれども柔らかくて、とても心地が良い。

 たぶん、だけど。

 二人は俺のことを子どもみたいに思ってくれていたのではないだろうか。

 聞いたことはないし……きっと、聞かないほうが良い。それを聞くよりも今は

「あの、さ。二人は、どうするの?」

 元の時代に帰る日、勇気を出して聞いてみた。

(できれば二人も一緒に)

 二人の見た目は明らかに人間ではないものの、知っている。二人は楽だからその体の形をしているが、自由に変化できることを。だから俺と一緒に現代に行っても普通に過ごせるはずだ。

「またここでのんびりするよ」

「わたし達の生きる時はここですからね」

 きっと俺の質問の意味を理解していただろうに、二人はやんわりとそう告げた。

「そっか」

 平坦な声が出ると、二人の身体がふにゃりと曲がった。比喩ではなく言葉通りに。

 あまりにも同じタイミング、同じ角度だったものだから、こんなときなのに思わず笑ってしまった。

「ぷっくく……二人って、やっぱりすごく似てるよね」

「そうかな?」

「そうでしょうか? 僕はユィラほど適当ではないですが」

「私はミロほど堅苦しくないよ?」

 二人は不思議そうにしたけれど、やがてゆらゆらと揺れながら笑った。

 そして三人で、空中をゴロゴロしながら笑いまくった。涙が出て、お腹が痛くなって、喉がからからになるくらいに……笑った。

「俺さ! 帰ったらすっごく勉強する」

「うん。君は勉強熱心だったからね」

「それで、未来に行ける技術を開発するよ。それで二人に会いに行く」

「ふふふ、それは楽しみですけど、君は一つのことに集中すると御飯食べるの忘れてしまうから、気をつけてくださいね」

「そうだね。君はむちゃするところがあるから、体壊さないでね」

 夢を語ると、二人は嬉しそうにゆらゆら揺れながら、それ以上に俺のことを心配した。俺も二人のことを心配しようとして、二人の身体が俺が心配する隙もないほどに強いことを思い出して、言葉に詰まった。

「たくさん持って帰らせてあげたいけど、ごめんね。この時代のもの持って帰ると大変なことになると思うから」

「いや、ユィラ。説明しましたがそもそもこの時代にしかないものは存在を否定され――」

「うん、だから持って帰れないんだよね?」

「まったく君は、どうしてそう大雑把なんですか。魔法の術式はあんなにも細かく書けるのに」

 言葉に詰まっている間にはじまったいつもの二人のやり取りで、俺は何も言えなくなった。

「さぁ、タケル」

 二人が俺を促した。俺の眼の前の床には魔法陣があり、俺にはまったく理解できない文字やら絵みたいなのが書かれてある。そしてその上空に、青白く光る縦長の円がある。この円の中に飛び込めば俺は帰れるらしい。

「あ、怖いですか?」

 ミロが、俺が怖がっていると勘違いしてしまった。首を横に振る。怖くなんてない。二人が俺に危険なことをさせるわけないから。

「怖くないよ。けど、俺がいなくなったらまたミロが変な実験するんじゃないかって心配になっただけ」

「あははは、たしかにね。ミロはすぐに変な実験するから」

「変なとは失礼ですね!」

 二人の声は明るい。きっと俺を悲しませないため。

(そうだよな。泣きながら別れるのは違う。また会うんだから)

 ニッと笑う。

「ユィラ、ミロ……ありがとう。行ってきます」

 俺は帰る。けれどここも帰る場所だから、きっとこの言葉がふさわしい。

「ありがとうタケル。いってらっしゃい」

 そうして俺は、青白い光に包まれた。



***



「本当に、良かったのですか?」

 タケルがゲートをくぐったあと、ミロはユィラを見た。ユィラは無言で、ただ小刻みに体を揺らしている。

「そんなに泣くほど悲しいのでしたら、一緒にあの時代に行けばよかったではないですか」

「……ぐず。だって、そうしたらタケルたちにまで『ヤツ』の手が」

「さすがに『かの者』も『幹』の子には何もしないはずですよ。あなたには手を出そうとするかもしれませんが……わざわざ手出しもしないでしょう。

 どうせ『枝』のわたし達は『幹』の中では100年も保たず、消えるのですから」

 冷静なミロの言葉にも、ユィラはぐずぐずと泣きながらプルプル震えている。

「じゃあミロも」

「僕は行けませんよ。行ったでしょう? 僕までくぐるには世界のエネルギーが足りません。ですが今ならまだ、君だけなら行けますよ」

 ミロが空を見上げると、空が崩れていた。ぽろぽろと、壁の塗装が剥がれるように。

「僕は良いんです。最後に、あんな大魔法を研究できて、満足です……これ以上、『かの者』に抵抗するのも疲れましたし」

 ぽつりとこぼれたミロの声は、本当に疲れたようだった。けれども、子守唄のような優しさもあった。

 嘘ではないが、真実だけでもない。

 ユィラはそれを感じ取って、ますます体を震わせて泣いた。

「ミロが行かないなら、私も行かない。タケルは、大丈夫だから」

「……ええ、そうですね。あの子は強い子で、優しい子です。きっとご両親が良い方たちなのでしょう」

「きっとじゃないよ。私には家族のことたくさん話してくれたから、私は知ってるよ」

「そうですか。残念ながら私はあまり聞いたことがないので……教えてくれますか? タケルのご家族のことを」

「うん、いいよ」

 それからユィラは元気よく話し始めた。タケルから聞いた彼の家族のことを。

 ミロはそんなユィラの話を、楽しそうに体を揺らしながら聞いていた。


 世界が、完全に壊れるまで、ずっと――。



***



 ポトンッ。

 ふいに折れて落ちた枝に、「おや」とその存在は声を上げた。

「たしかここは……あー、無駄に抵抗していたところか」

 小さな植木鉢の中に植えられた木。それらがたくさんあるのにすぐに思い出せたのは、数多く存在する『枝』の中でもやたらと抵抗していたからだ。

 その存在は、枝と言うには太く育ちすぎていた落ちた枝を見る。この枝はやがて土に還り、養分となるだろう。

「うんうん、バランスもよくなったね。栄養もこれで足りそうだから、『破棄』はしなくていいかな?」

 楽しそうに笑い、ちょんちょんと幹を撫でる。


「マニュアルに載ってたからやってみたけど、本当に虫けらが世界を救うなんて思わなかったなぁ。

 面倒だから滅ぼそうと思ってたけど、もうちょっと放置してあげよう」

 良いことを学んだ、と上機嫌になったその存在は、また別の『木』の様子をみに戻っていった。


 もう先程の折れた『枝』のことなど、思い出すことはなかった。



***



 ふわふわと白いカーテンが揺れている。


「……ん? あー、寝不足で体調崩したんだっけ」

 目を開けて、周囲が真っ白であることに一瞬混乱した。――戻れたのか? という、言葉が頭に浮かんで否定する。

 戻るも何も、ここは学校の保健室だ。


 1ヶ月前。俺は意識不明になって病院に運ばれた、らしい。外傷はなく、病気も特になく、原因不明。

 目を開ければ号泣した母親に抱きつかれ、職場から慌てて駆けつけてきた無口な父親は、記憶にあるよりも痩せていた。

 俺としては寝て起きただけの感覚で、なんだかすごくむず痒かったが……同時に不思議と懐かしさも覚えていた。


 何があったのかは俺も覚えていない。

 ただ目覚めてから、やたらとカーテンが気になった。特に白色のカーテンが揺れていると、心が揺さぶられた。そしてなぜだかわからないが、頭の中に白……白銀の傘が浮かんだ。

「なんで傘? ほんとわからねー」

 でも嫌な感じはしなかった。だからか、以前使っていた紺色の傘が壊れてからは、それに近い色の傘を買うようになった。

 白っぽいその傘を手にしていると、なんだか頭が良くなった気がする。

 白っぽい布がゆらゆら揺れているのを見ていると、どんなことでもできそうな気がしてくる。

 それこそ


「世界も救えるくらいに……なんてな」

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