8 教会兵
さてこちらは煉獄に置いていかれた教会兵である。最初はじっとしていて静かだったが、勝手が分かってくるとそれなりにいろいろと自分から働くようになった。思ったよりウリエルやルーセット達が親切だったこともある。
「もうちょっと詳しく話してみろ」
「はい」
ウリエルは彼の話を元に計画を立てていた。天界も魔界も関係なくいかに自分が生き残るかという計画である。
「じゃあ次の襲撃先はゲルアの王家なんだな」
「はい。僕が聞いたのはそうです」
教会兵はもういろんなことは気にしないことにしていた。煉獄は罪人の行くところである。少なくとも彼が今まで受けてきた教育ではそうであった。大丈夫とは言われたものの言ったのは魔界の存在であり、引き取り先は煉獄の番人である。特に何かした覚えはないのだが、自分は罪人だと諦めたのであった。
「で、サーキュラーはこの話を知ってるんだな。四大将軍にお前を預けたくらいだからな」
「その人って正体はクモだって言われてた金髪の人ですか? なら話をしました」
教会兵は細身で金髪をした若い男の姿を思い浮かべて言った。見た時に結構な男前だと思ったのだが、同時に魔物そのものを見た気もしていた。
「そいつだ。じゃ魔王が出張るからゲルアの王家は問題ないな。問題は人界の教会か」
あれこれ頭をひねるウリエルに教会兵はたずねた。どうしても分からないことがあったからだった。
「あの、聞いていいですか」
「なんだ」
「魔王とゲルアの王家って何のつながりがあるんですか」
ウリエルは教会兵の顔を見た。ははあ、という表情であった。
「そうか、知らないのか。次の魔王妃はゲルアの王女だ。先日の陣取りゲームは魔王が求婚しに来たんだよ」
「はっ?」
そうだよな、とウリエルはぽかんとする教会兵の顔を見ながら言った。
「したっぱにそんなこと教えないよな。王女が正規の求婚者を蹴って魔王のところに行っちまったなんて。しかも天界の介入まであったのに、全く止められなかったとなれば教会の面目まるつぶれだ」
「え? ええ? 本当ですかそれ」
ホントもほんとだ、とウリエルは答えた。
「まあ俺には関係ないけどな。ゲルア国王も乗り気のようだし、邪魔することもないだろうよ。魔王のヤツはムカつくが平和主義者だからな。そこは評価してやる」
「魔王が平和主義者?」
「ああ、そうだ。そうじゃなかったら今頃戦乱で地上は滅んでる。ゼラフの時だって魔王が我慢したからあの程度で済んだんだ」
「ゼラフ? 誰ですか」
教会兵は一生懸命、頭の中に叩き込まれた知識を漁った。しかしそんな名前は出てこない。ただ重要なわりに記載もほんの少しで名前のない存在が一名、聖典にいることを思い出した。
「もしかして全天使を統べる者と書かれている苛烈なる天軍長のことですか? そんな名前なんですか」
「そう、それそれ。お前って優秀だな」
ウリエルは驚いたようであった。
「本には名前も出てこないですけど、本当にいるんですか? まるで……その、いなかったみたいにちょっとしか聖典には出てこないんですけど」
本当にいるぞ、とウリエルは答えた。
「あれじゃしょうがないけどな、いるぞ。そして寝返った」
「寝返った?」
「ああ。聖典にほとんど記述がないのはそのせいだ。寝返ったっつーか途中で行方不明になったもんでジジイがそれを隠すために最小限の記述に削った。俺は結構な量の文章を奴について書いておいたのによ」
「聖典って、ウリエルさんが書いたんですか?」
ああ、とウリエルは答えた。
「全部じゃないけどな。創世からジジイの天界支配までは俺だ。それ以降は違う奴が書いてる」
へえ、と教会兵が感心した。それからふっと我に返って言った。
「天軍長が寝返ったって大変なことじゃないんですか? それって大丈夫なんですか?」
大丈夫なんじゃねえの、とかったるそうにウリエルは言った。
「そのまんま魔族に堕ちた。性格はだいぶ変わったが、持っているちからは同じだ。いやもっと強くなったかもしれないな」
「性格が変わったって……それ危ないんじゃないんですか。こんなところでのんびりしてていいんですか」
息詰まる気分で教会兵は言った。若干青ざめていたかもしれなかった。しかしそれを聞いたウリエルは言った。
「いいんだよ。魔王の側近になって落ち着いたからな。今のほうがいいんだろうよ」
「ええ?」
どうして、と言った教会兵にウリエルは説明した。
「だから平和主義者だって言っただろうが。むやみと争いごとを起こさないからヤツが出張る必要がないんだよ。それに魔王の側近だから魔王の周囲と魔王城だけ見張ってりゃいい。魔界の面倒ごとは魔王軍があるからそいつらがやる。天界にいる時より全然仕事量は少ないはずだ。だから余裕があるし、魔王は基本おとなしいから天界のジジイのようにとんでもない無茶をやらかしたりもしない。ちょうどいいんだよ」
教会兵が信じられないという顔をする。
「お前もよく教育されてるな。仕方ないが少しは自分で考える練習をしろよ。でないと生きていけないぞ」
まるまる信じたら駄目だ、とウリエルは言った。教会兵ははいと答えるほかはなかった。
その元天軍長のセラフィムは、魔王軍統括総司令部でサーキュラーと今後の対応を練っていた。本当なら婚礼の準備をしなくてはいけないのだが、この頃天軍の動きが激しく、またちょくちょく魔王城周辺に御使いが現れるようになっていて頭の痛いことしきりなのである。
「あと十日後ですか」
「すまんな」
四大将軍達の休暇が終わるのは十日後である。サーキュラーは彼女らに休暇が終わったらすぐさま魔王城に集結するよう伝えてあるのだが、それまで二人だけでこの城を警護するのもなかなか難儀であった。警備兵は増強してあるものの、もし上級御使いが現れたら彼らでは歯が立たない。そんなことはまずないだろうが万が一ということもある。
「休ませないとあいつら消えちまうからな。精霊体もこういう時は面倒だ」
「仕方ないですよ。ファイさんぐらいですか、連戦がきくのは」
まあな、とサーキュラーは巨大な自分の椅子に座ったまま答えた。机の上には書類の他におやつ箱が置いてある。その箱の中から聞こえるカサカサという音を聞きながら、セラフィムはたずねた。
「ファイさんは別として、現場に投入できそうなのは誰と誰になります?」
難しい表情でサーキュラーは答える。
「ワンダと、やれてグランデか。サンダーは無理だ。経験がなさすぎる」
やっぱりと思ったのが顔に出たのだろう。サーキュラーはこう言った。
「サンダーを後衛の警備に置く。それでいいか」
「雷精将の代わりがいませんが」
それからサーキュラーとセラフィムはお互いの顔を見た。
「……わたくし、ですか」
「やれるか。無理は承知だ」
セラフィムはため息をついた。
「無理ばかり言いますね」
しかし代わりはいない。雷属性の精霊は数こそ多いが上位精霊は貴重だ。その中でもサンダーは最上位に相当する。
「サンダーをなくすと次が見つからない。即戦力はなかなかいねえんだ」
もっともこのことは彼女が魔王軍に入ってから分かったことで、それまでサンダーはその出自ゆえにごく普通の魔界の一般市民として生活してきた。自分の持つ強すぎるちからについて思いをめぐらすことはあったが、周囲にそういったことに詳しい者が誰もいず、彼女はずっと平凡な一市民に過ぎなかったのだ。
「仕方ありません」
いくらか経験を積んだとはいえ、そんな彼女に血統から違うファイや叩き上げのワンダと同じ働きを期待するのは酷であった。サンダーはまだまだ成長途中であり、今深手を負えば四大将軍をリタイヤせざるを得ないかもしれない。サーキュラーはそれは避けたかった。
「天界とはやりたくないだろうが本戦じゃない。追い返せればそれでいい」
セラフィムはサンダーの上位互換に当たる。やることはほぼ同じなので出力の調整をすればいいだけだ。
「分かりました。ただ……」
セラフィムはサーキュラーに言った。
「わたくしが出撃していることを聞いて、もしかしたら上級御使いが大挙してやってくるかもしれません。その時はお願いしますよ」
「分かった」
では、とセラフィムは魔王軍統括総司令部から出て行った。