4 森と湖の神霊
サファとエメールは北のほう、一年のほとんどを雪に閉ざされたエリアの出身である。そんな地域でも春が来て夏が来る。そしてその命あふれる短い季節はひどく美しいのだった。
「へー」
その雪深い森の奥に神秘的な青をたたえた湖があった。人々はその湖水をあがめ、またその湖を守る一帯の森を聖地とした。それが彼女らのはじまりである。いまだ精霊信仰の残る土地と信心深い人々の心は、湖と森に宿るものを強大な神霊へと成長させた。また彼女らの宿る風景の美しさから、その姿は神々しくも可憐な乙女のものとなった。
「あいつらはひとが作ったのか」
驚いたように言ったサーキュラーにウリエルは補足した。
「半分はな。そもそもは自然神だ。だが人の心に恵まれて、一時は唯一神を脅かすほどの信仰を集める神々となった」
そのことを唯一神が面白く思うはずもない。唯一神は彼女らを天界に呼び寄せ、その力と信仰を自分に差し出し、戦闘に加わるように迫った。その時にセラフィムが唯一神にこう言ったのである。
「こんな僻地の弱い神々を天界に置いても何にもなりません。信仰はあるかもしれませんが、魔界との戦いには不要です」
当時天界最強とうたわれた天軍長としての発言であった。なにやら裏があったのかもしれないが、言っていることはその通りであったので唯一神はその言葉に耳を傾けた。
「彼女らは戦力にはなりません。どうしても気になるなら地上の、人界要衝部の護衛に当たらせるべきです。信仰があるならそこを魔界に取られることもないでしょう」
この案は採用となり、サファとエメールは再び地上に戻された。ただし場所はもといた北の森林地帯から人界ど真ん中の大都市となり、そこのとある貧乏貴族の質素な祭壇に降ろされたのである。
場所の選定はセラフィムがやった。唯一神は満足し、それきりサファとエメールのことは忘れてしまった。後にその一族の中から視える者が出て祭壇奥の彼女らに気づき、やがてその助力を得て竜退治を行い、付近を平定して王家となる。
「本当にうまくやったものだ」
いまいましそうにガブリエルが言った。
「やつらの森も湖もそっくりそのまま残っておる。仮に信仰がなくなりその身が保持できなくとも、あの場所さえあればやつらは復活できる。そのことを見込んでの移動だったのだ」
「へー」
ほおづえをつき、開いていない缶ジュースを転がしながらサーキュラーは言った。あまりの態度にガブリエルが顔をしかめる。一方のウリエルは何も言わずにその様子を見ていた。
「セラとの共通項ってそこか?」
むむ、とガブリエルがうなる。態度が悪いくせにカンだけはいいので扱いかねていた。まあな、とウリエルが口を挟む。神々とはまた違う扱いづらさに悩むガブリエルが、何となくかわいそうに思えてきたからであった。
「両方とも人界の土地出身であることは確かだ。ゼラフが昇って来た時に俺はそこにいたからな」
「へえ」
今度は身の入った返事であった。ガブリエルもこのことは知らなかったらしい。驚いたようにウリエルを見た。
「どんなだったんだ」
「どんなって、そりゃ」
そう言った後に、ウリエルは二人の顔を見渡した。そして改めて二人とも興味津々といった表情であることに気がついた。
「まずったかな」
そうは言ったものの、ウリエルは話し始めた。なにより本人がずっと喋りたかった事柄でもあった。
天界に初めて現れたセラフィムは今よりもずっと幼く、素朴な印象であった。話し方や内容などに賢さの見え隠れする部分はあったが、実のところウリエルが感じた正直な感想は「大丈夫か、こいつ」であった。
「それが三日後にはああなってた。何をしたのかと思ったよ」
ウリエルがセラフィムに遭遇したのは明らかに唯一神の想定外であった。その時ウリエルは上級御使い全員が集まる予定の天軍全体会議に出ていたはずだったのである。かったるいので彼は仮病を使い、そのへんをふらふらしていたのだった。
「誰だ」
着ているものは白の天衣でも真紅のコートでもなく、一面に独特の文様刺繍が施された厚手の上着であった。おそらく献上品であろう。そのつくりを見るにかなり高位かつ信仰を集めていた存在だと思われた。
「……僕はセラフィム。君は?」
きつそうな目をしているが思ったよりも幼い。出現して間もないのだとウリエルは思った。上着の刺繍は幾何学的な文様である。足元は揺らぎ、静電気の縁飾りがついていた。
「上級御使いのウリエルだ。呼ばれたのか」
どれだけ膨大なエネルギーを秘めているのか、その外見からは分かりかねた。だが途轍もないエネルギー量なのは確かだ。彼は今までこれほどのエネルギーを内包した存在を見たことがなかった。
「強引に引き上げられた。ここは嫌だ。戻りたい」
自分の神域から無理やり引き上げられたらしい。当時、天界の統一に焦っていた唯一神は、こうやって地上から神々を力づくで引き上げてくることがたびたびあった。協力してもらえることもあるがたいていはそのやり口が嫌がられて逃げ出していまい、この頃はかなり戦力に乏しい時期でもあった。
(なるほどね)
素質は充分そうだがこれは使い物にはなるまい、ウリエルはそう思った。エネルギーの制御もできていないし、なによりそもそも戦神の性質を備えていない。本人の着ているものや様子を見ても明らかだ。若そうなのが意外だがたぶん地鎮、土地神のたぐいであろう。
「その服の柄は東の土地神か」
独特の文様であった。見たことがなかったのでウリエルはそう質問した。
「ずっと昔からある。僕は起源を知らない」
ウリエルは彼の返事にひっかかった。土地神はその場所の文化も統括する。刺繍文様なぞその最たるもののはずだ。よそから来て間もなければ仕方ないが、どう見てもこの文様は彼に由来するもののようにウリエルには思われた。
「そうか」
もっとも彼の守護を得られればいかなる方法にせよ、そのエリア一帯の覇者となれるはずだ。それだけの力量は見て取れた。
「どこの守護神だ」
「どこの? どこってどこだ?」
相手は質問の意味が分からないようだった。本当に若いらしい。智恵はありそうだったが言葉も概念もまだまだ足りなかった。自分の叡智を表現するためのツールを手探りで探している、そんな雰囲気も漂っていた。
(僻地の大型自然神か。しかしずいぶんと世慣れてないな)
反応を見たウリエルがそう思った時である。そこに不意に唯一神が現れた。明らかに焦っていた。
「ウリエル! 何をしておる!」
「あっ、やべえ」
あわててウリエルは話を打ち切り、その場から離れた。会議をさぼっていたのがばれたらただでは済まない。こってり怒られるのが分かっていたのでウリエルは跳んで逃げることにした。
「じゃな」
びっくりした顔の相手を残し、彼はそこから消えた。そしてそのことをずっと後悔することになった。
ガブリエルは息を詰めてウリエルの顔を見ていた。サーキュラーは転がしていた缶を立て、ぼそっと言った。
「中身ないんだな、あいつ」
その言葉は哀れみのようにも聞こえた。ウリエルとガブリエルは思わずサーキュラーのことを見た。
「しんどかったろうな」
それからぽん、と手に持っていた缶ジュースをガブリエルに手渡した。
「じゃ、俺帰るわ。いろいろ聞けてよかったよ」
がたがたと音を立てて椅子から立ち上がり、サーキュラーはガブリエルのことをじっと見た。
「おっさんさあ」
「なんだ」
言葉遣いを直すのはもう諦めていたので、ガブリエルは普通に返事をした。
「セラは返さねえぞ。お前らのジジイによく言っとけ」
「それは魔王からの伝言か」
「違うね」
サーキュラーは怒っているようであった。そのことにウリエルとガブリエルはやっと気づいた。
「お前らのジジイは俺が許さねえ。魔王があいつを手元から離さない理由もよく分かった」
「理由?」
ガブリエルが反射的に聞き返す。ああ、とサーキュラーは言った。
「ガキを洗脳するヤツに正義はないんだよ。てめえらよく覚えとけ」
そう言い捨て、サーキュラーはドアをばたん、と勢いよく開けて出て行った。