27 前夜
一応ではあるが、天界と魔界の争いは和平条約が結ばれたことでけりがついた。魔王は感慨にふけりながら謁見の間でサーキュラーの報告を聞いていた。
「……以上で報告を終わります」
最後に呼ばれたサンダーの顔もそこにあった。セラフィムは少しさがった位置で用意した書記机に座って記録をつけている。では、と言う感じでサーキュラーは持っていた書類をセラフィムのところに歩いて行って手渡した。セラフィムが巻いてあるその紙を開く。そして顔をしかめた。
「どうした」
魔王がその様子を見て言った。サーキュラーもセラフィムを見た。
「サーキュラーさん、サインする時に何か感じませんでしたか」
相変わらず顔をしかめたまま、セラフィムはサーキュラーにたずねた。
「いや、別に。どうしたよお前」
サーキュラーはサーキュラーで、署名の時に何もなかったのでセラフィムの様子を不審がった。そうですか、とセラフィムは答えたがその後ぐらっと机に突っ伏した。
「セラフィムさん?」
サンダーがあわてて駆け寄ろうとしてサーキュラーに制された。魔王がセラフィムに用心しながら近づく。セラフィムはゆっくりと顔を上げた。
「……誰だ」
魔王が誰何する。座ったまま魔王を見上げた顔はセラフィムだったが、表情は違っていた。今までとは桁違いのエネルギーがセラフィムの全身から発散される。着ている上着の袖に刺繍された模様が濃紺とも金ともつかぬ色で輝く。
「現世の魔王か」
「そうだ」
声もセラフィムだ。しかし彼ではなかった。メタリックに輝く群青の翼が六枚、その背に現れる。その翼は金属でできており四角く平らで、一面に刺繍と同じ模様が鋳込まれていた。
「煙水晶の虚城に帰るのか」
魔王の声が響く。いや、と相手は言った。
「あれは放棄された場所で帰るところではない。我はこの世界を選ぶ」
サーキュラーの額にじっとりと汗がにじんだ。魔王はセラフィムでないセラフィムを見つめている。サンダーはその場で硬直して動けなくなっていた。
「この者の望みは叶った」
魔王とサーキュラーは思わずセラフィムの顔をした別の存在を見つめた。
「望みが叶った?」
そうだ、とその存在は言った。
「我は既にこの者ではない。この者はこの者として生き、消滅する」
息を詰めて魔王はセラフィムの口を借りて語る存在を見た。
「ゆえに我はしばらく、この世界にいよう」
「……そうか」
存在するだけで圧倒的なエネルギーが発散される。そのエネルギーに押され、魔王は短くそう答えるだけで精一杯だった。これ以上圧が高まったら吹き飛ぶかもしれない。魔王の頭をそんな思考がかすめた。すると不意に相手から発散されるエネルギー量が下がり、知らずに彼は深いため息をついた。
「この世はこの世のままに」
歌うように相手は言った。
「この者はこの者のままに。我は我のままに。あるは無きが如し、無いはあるが如し。すべてはありのままに生成し、消滅していく」
歌うような声に合わせエネルギーは凝縮していく。
「我は事象を得たり。現の魔王よ、我は礼を言わねばならぬ。汝は我の見たかったものを見せてくれた」
「待て! 真実を教えろ! セラフィムは……」
魔王の問いは届かなかった。
そして不意にエネルギー塊は爆散し、三人が気づいた時は困り顔のセラフィムがペンを握って書記机に座っていた。
「先ほどから魔王様もみなさんもお返事がないのですが」
「え?」
こわばった全身を動かしてサンダーが彼を見た。ぐぎぎ、と音がしそうな気がしていた。
「さっきからお声がけしているのに誰もお返事がないので、どうしたのかと思ったのです」
「さっきから?」
サーキュラーが言った。
「はい」
いつのさっきなのかもはや誰にも分からなかった。セラフィム本人はずっとそこに座っていて記録を取っていたらしい。質問をしようとして声がけをしたのだが、魔王をはじめとして誰も振り向かなかったのだと言う。
「みなさん、何かあったんですか」
誰も説明できなかった。何が起きたかもよく分からなかった。




